11.三王子殿下
西の蔵書楼から慌て戻って来た玉蘭は、いつも通り与えられた哨務に戻るべく霊廟へと向かった。
ここ王都彤花では、誰もが知る二つの霊廟がある。始王紅英を祀るものと、霊獣麒麟を祀るものだ。
この宮殿内には祭事を執り行う場として立派なものが建てられているが、城下にもそれぞれの霊廟が建てられて、市井の人々が訪れては祈りを捧げていた。
玉蘭が哨務につくのは宮殿内にある麒麟の霊廟だった。
城下の霊廟ならば分かるが、下っ端武官がその職を任されるのは珍しい事らしい。そんな誉れ高き職務が与えられる事が不思議で、それを酒の席でつい漏らしたことがある。
すると同僚たちは納得といった顔をした。
「宮殿の霊廟と言えば、宮殿の誰しもが一日一回は赴く所だ。なら前に立っているのがむさっ苦しい顔よりも、美人の方が見てて気分が良い。むしろ玉蘭を目当てに来てるんじゃないか?」
「紅英王廟じゃなくて麒麟霊廟と言うもの分かるな。見張りというより、まるで、かつて霊獣に仕奉していたと言う、巫祝のようだ」
がはは、と品の無い笑いが湧き上がる。
──酔っ払いに聞いた俺が間違いだった。
その時の玉蘭は、酔っ払いどもを冷ややかに見ながら酒をあおった。
そうこうと思い返している内に、麒麟霊廟に辿り着いた。
既に職務に当たる同僚が廟の前に立っていた。どうやら張から事情を聞いていたようで、玉蘭を見るなり「良く無事に戻って来た」と滝のような涙で迎え入れられた。
──⋯⋯一体どんな話を聞いていたんだ。
下っ端武官達の中での陸子梓は、我らが上官の南西将軍雷永霆と同じく、恐れられる存在とされているのかもしれない。
大袈裟な様子に呆れた顔をしていた玉蘭だったが、こんな長い時間何をさせられていたのかと聞かれると、言葉を詰まらせた。
「⋯⋯荷物運びだ」
ややぶっきらぼうに一言返す。
王子と二人きりで会っていたとは言える事ではなかった。
決して嘘は言っていない、と心で呟きながら職務についた。
刻が少し流れ、燦々と輝いていた陽が真っ赤に染まった頃。玉蘭よりも位が上の南西軍の武官が玉蘭を訪ねて来た。
何故一目見て、位が上かと分かったかと言うと、容姿が雄々しげであるからだ。その精悍な顔つきで見られると圧を感じた。
数多の戦でその身を投じてきたのか、どこか血生臭さのようなものまで感じた。
「三王子殿下が白玉蘭をお呼びだ」
「私を?」
武官はその一言だけ告げると立ち去ってしまった。
三王子殿下と言えば、王子ながらにして剣の腕に長け、玉蘭の上官の雷将軍の更に上の立場だ。
二十歳そこそこにして、北東と南西両軍の最上官である大将軍の職に付いていた。
大将軍ともなれば常に多忙で、先日蛮族討伐から帰って来たばかりだと聞いていた。
北部は遥か昔、紅英の孫の代から国外の蛮族との争いが絶えず、特に東部が何かと騒ぎが多かった。それで北東軍だけでは手が回らず、大将軍自ら遠征を行なっていた。
『恐らく、きっと、またその内に、王都を出るのだろう』
そういつも皆が噂していた。
それにしてもと玉蘭は顎に手を当てる。
──どうしてこんな一介の下っ端武官をわざわさ呼ぶんだ?
違和感を抱きながら、大将軍の室へと向かって長く続く回廊を歩いて行く。すると小庭を挟んだ向こう側に、武装束を纏う長身の男が、道を塞ぐように立っていた。
何やら随分と沈み切った様子だ。
柱に額を押し当てて、あからさまに肩を落とす姿は見ていて居た堪れない空気だ。途轍もなく落ち込んでいるのがひしひしと伝わってきた。
あまりにも痛々しく伝わってくるので、玉蘭は見なかった振りをして、その場をそそくさと立ち去ろうとも考えた。
しかしそれは出来ないようだ。
身につける鎧は上質にして、佇まいはどこか上品。西方彩郷の秘刀、龍爪刀という長い刀を腰に佩く。
その風貌はこの男が誰かを示していた。
「あれか⋯⋯あれに声をかけるのか⋯⋯」
玉蘭は引き攣らせた頰をぺちんと軽く叩いて気合を入れる。足早に男の元へと行くと、胸の前で手を組んむと首を垂れる。
「三王子殿下」
「ん?」
まるで失意の底に沈んでいた三王子──瀏燿がこちらを振り返った。
こうして間近で見るのは初めてだが、噂通りの西の珠玉と謳われた二妾妃の母に似た。
秀麗とした顔立ちで、大層な鎧で誤魔化しているが意外と細身なようだ。
そして、瓈暁とはまるで似ていない。
どちらも美麗という括りではあるが、顔立ちは全く違う。もしかすると瓈暁も、髪だけでは無く顔立ちも母親似なのかもしれない。
だがよく見ると、瀏燿の柔らかな雰囲気がどことなく瓈暁に似ているように思えた。
「君は?」
「南西軍所属、白玉蘭です」
「あぁ、君が、か」
なるほど、と瀏燿は腑に落ちた顔をした。
そして先程の沈んだ様子は何処へやら、向き合うと、顔を凛々しくさせた。
玉蘭は一気に空気が変わったのを感じ、固唾を呑んで瀏燿の言葉を待った。
「白玉蘭、早速ではあるが──君は、黯武へ異動となった」
「⋯⋯⋯⋯はい?なんて?」
玉蘭は言われた言葉を理解出来ず、首を傾げ、無礼にも思わず聞き返していた。
瀏燿は気分を悪くする事なく、もう一度辞令の言葉を告げた。
「だから、黯武へ異動となったのだ」
「⋯⋯どなたが?」
「君だ、白玉蘭」
「私が!?どうしてですか!?何故私が黯武へ!?」
声を荒げるように玉蘭は叫んだ。
どうしてと聞きたいのは私の方だ、と瀏燿はとても渋い顔をした──。
瀏燿は昨夜遅くにここ朱稜城に帰還した。
蛮族との争いを鎮め、兵に後を任せると部下を数人だけ連れ、一足先に彤花へと馬を走らせ続けた。
何よりも愛する優しい妻と、生まれてまだ半年も経たない愛らしい我が娘に会うが一心で、御殿まで駈け抜けた。
清冽なる大池に映る月華があまりにも美しい事から、月鏡宮と言う名を持つ御殿。
その御殿の扉を開ける。すると待っていたのは、まさに丁度饗されている弟だった。
「お待ちしておりました、瀏燿兄上」
「り、瓈暁?何故ここに?」
「お願いがあって参りました」
持っていた杯を置いて微笑む弟に、瀏燿は口元を引き攣らせた。
とても嫌な予感がした。
弟は普段このような満面の笑みをこの兄へ向ける事はない。もしあるとすれば、何か良からぬことを考えている時なのだ。
「お、願い⋯⋯?」
瀏燿は辿々しく尋ねる。まるで怯えているようにも見えた。
「ええ、南西軍の武官を一人、黯武に頂きたいのです」
「南西軍、だと?北東軍ではなく?」
「はい」
「どうしてだ!?」
「南西軍にいるからです」
「誰がだ?まさか友人とでも言うのではあるまいな」
「まぁ、そんな所でしょうか」
瓈暁は何かを思い出したのか、ふっと小さく笑う。
この弟に友人がいるとは驚いた。
しかしそれよりも、よりにもよって、なんであの雷将軍がいる南西軍なんだ、と瀏燿は蒼白となった。
雷永霆という男は、少々、いや、かなり厄介な将軍だった。
名は体を表すとでも言うのか、怒号は雷霆の如くと、影で雷霆将軍と言われて恐れられていた。
『俺を従わせたくば王気を見せてみろクソガキ』
そう挑発的に言われたのは大将軍の職を賜った日の事だ。前置きした通り、中々従わない雷には瀏燿は手を焼いていた。
王子という立場だけでは彼を頷かせる事は至難の業だった。
時折あの怒鳴り声が聞こえてくるようになってしまった。今も幻聴が聞こえた気がして、こめかみの辺りがずきずきと痛みが走って頭を抱えた。
「分かりました」
弟の声が聞こえて顔を上げる。瓈暁は椅子から立ち上がり背を向けて歩き始めた。
あまりの潔さに少々ひっかかりを感じるが、諦めたのかと安堵した時、追い打ちをかける言葉が聞こえてきた。
「瀏燿兄上では難しいようなので、兄上に頼んできます」
「待て待て待て!兄上とはどちらの兄上の事を言っている!?」
二人の上には、さらに兄が二人いる。
正妃の子で太子にして、今は王となった晨光。
三妾妃の子で二王子にして、今は宰相となった佳明。
果たしてどちらかと詰め寄り瓈暁の肩を掴むと、何をおかしな事をと笑った。
「私が佳明兄上に頼み事をする訳ないじゃないですか」
くすくすと笑う弟に、それはそうだなと納得した瞬間、その顔が再び青ざめた。
「なら兄上とは⋯⋯」
「晨光兄上に決まっているじゃないですか」
やはりそちらの兄上か!と瀏燿は気が遠のきそうになった。
瓈暁は二兄とは仲が良くなく、その真逆に一兄からはとても可愛がられていた。
もしここで頼みを断ろうものならば、
『何故弟の願いを聞いてやらない』
と、一睨する兄を想像してぶるぶると肩が震えた。
一兄の咎めるような睨みは昔からとても怖かった、それはとても。
踵を返す弟の腕を逃さぬとしっかり掴んだ。
「私から雷将軍に話をする」
瀏燿はそう言う他なかった。
お陰で一睡もできぬ間に夜が明けて、陽が昇ると重い腰を上げ、雷将軍の元へ向かったのだった。
そして先程の雷霆を思い出して、今度はきりきりと腹が痛んだ。
「あの、三王子殿下、大丈夫ですか?」
見るからに具合の悪そうな瀏燿に、玉蘭は控えめに声をかけた。
「あぁ、大丈夫だ」
「⋯⋯全く大丈夫そうには見えないから声をかけたんだが⋯⋯」
玉蘭が聞こえぬようなとても小さな声で呟いた。
「瓈暁から言伝を預かっている」
「瓈、暁⋯⋯殿下から?」
「今宵朔夜宮へ来てほしい、だそうだ。あそこはあれの御殿ではあるが、黯武の拠点ともなっている」
そう言うと、目の前の玉蘭をじっと見つめる。
弟は彼を友人と言った。
その時のにこぼした笑みは愛しむようにも見え、そんな笑みはこれまで見たことがない。きっと一兄ですら見た事ないだろう。
そうかちゃんと友人がいたのか、と思うと腹の痛みは少し和らいでいた。
「……頼むな」
瀏燿は小さく笑みを浮かべて、玉蘭の肩を軽く叩くと、大将軍の室へと戻って行った。
「黯武⋯⋯俺が、黯武⋯⋯俺が?」
一人残されて、呆然と立ち尽くしたままの玉蘭は呆然と何度も呟いた。




