(7)ルイーズ10歳~鼠が狼に噛みつくこともある
ガーデンパーティーから数日後。
魔法の効果が切れて、マリアベルにあげた青のセシリアの花が少し萎れてきました。
ひどく嘆くので、ひょいっと取り上げて魔法をかけ直してやったら、「お母様ぁ、お姉様がぁ」と、泣き出すマリアベル。
最近はちゃんと涙も出るようになったようです。
マリアベルを抱きしめてにらみつけてくるお母様に、ルイーズはニッコリ笑ってみせました。
「ちょっと見せてもらっただけなのに、大げさねぇ」
ルイーズはテーブルの上に、魔力を注がれて元気を取り戻したセシリアをそっと置きました。
それにしても⎯⎯お母様がルイーズにみせるのはいつもあんな顔ばかりです。
ルイーズは部屋を出る手前でチラッと振り返りました。
「お母様、お顔が怖いですわよ」
そのとたんに、お母様の顔がさらに恐ろしい形相に変わったのを見て、ルイーズはサリーのいる厨房に一目散に逃げ込んだのでした。
ルイーズの計画は順調に進んでいます。
エメとアンバーは今やルイーズの有能な助手として大活躍です。
針に糸を通したり、糸屑を片付けたり、ハンカチを丁寧にたたんだり⎯⎯。
マリアベルとルイーズにそっくりのエメとアンバーが仲良く仕事をしているのを見ると、なんだかちょっと笑ってしまいました。
今、ルイーズはハンカチに刺繍を入れる内職をしています。
子供の手による物だとは思えない、みごとな刺繍です。
“浄化”の魔法陣を刺繍の中に忍ばせているので、ハンカチの白さが美しい、洗うと驚くほど綺麗になると、刺繍の他にもなかなか評判が良い人気の商品です。
よくサリーやポールと一緒に買い物に行くので、あちこちのお店の人たちがルイーズのことを可愛がってくれます。
おそらく、ポールとサリーの子だと思っているのでしょうね。
ルイーズは嬉しいので否定していません。
今回のハンカチの刺繍は、仲良しになった町の雑貨屋さんから持ちかけられたお仕事です。
⎯⎯付与魔法の訓練になる上にお金までもらえるというのがありがたいわ。
この仕事で自分のお金を手に入れたので、小さな魔石を2つ買いました。
買った魔石はエメとアンバーの体内に埋め込みました。一番低級の魔石ですけれどね。
これで、1回魔力を込めれば10日は活動できるようになったのです。
これまでは毎日朝夕2回、魔力を込めないと動けなくなっていたので、かなりの進歩です。
付与できる魔法も増えました。そのおかげで2人の能力もかなり上がっています。
あのパーティー以来、ルイーズの世界は少し広がりました。
たとえば、町の人々に、こちらから積極的に話しかけられるようになったこと。
たとえば、“おしゃれ”に興味を持ったこと。
たとえば、文通友達ができたこと。
たぶん、今まで町の人々の中に自分から入っていけなかったのは、前世の自分が出てきてしまうのが怖かったから。
貴族の令嬢らしからぬ辺境の農民の子供の言動がうっかり出てきてしまうのではないかと、それが心配だったのだと思います。
でも、もういろいろと手遅れで……。
王子様の前であんなことや、こんなこと……。
あれが許されるなら、町中で多少がさつな“地”が出るくらい、もはや気にしても意味がないでしょう。
いずれ平民になる予定ですしね。
“おしゃれ”に関しては、お城で侍女や貴婦人の装いをいろいろと見て痛感したのです。
将来、魔道具の仕事をしようと思ったら、女性のおしゃれの勉強もしないと駄目かもしれません。
性能が良くても、デザインが野暮ったかったら、きっと女性のお客さんは喜んでくれないと思うのです。
町の女性たちと、アクセサリーや靴、髪型などについてのおしゃべりを聞くのが楽しくなりました。
⎯⎯そのうち侍女さんたちのお話も聞けると良いなぁ。
さて、ここまでは良いのですが、3つ目の文通友達で大問題発生です。
なにしろ文通を申し込んできたのは王子様なのですから。
最初の手紙の配達人は、ルイーズの“根っこ掘り”の弟子の1人。
あの時畑にいたお城の兵士でした。
あの家宝のスコップを届けに来たついでに、ルイーズに白い封筒をそっと手渡してくれたのです。
差出人は知らない名前でした。
じつはかなり有名な人だったようですが。
ルイーズが知らなかった名前の主は王立魔法研究所の所長。
グレイシス公爵家出身のジョナサン・グレイシス子爵。
あの時ルイーズの作法を誉めてくれたおじいさんでした。
その大きめの封筒の中には、封筒が2つ入っていました。
1つはグレイシス子爵から、もう1つがライアン殿下からのお手紙だったのです。
ルイーズはとりあえずグレイシス子爵の手紙を開けました。
⎯⎯うーん。ばれてるわよね。
手紙を要約すると、『素敵なスコップについて語り合いたいので、近いうちにお会いしましょう。何もしないから怖くないよ』というものでした。
前世の小隊長は、
『お前は、良い鼻をしてるな。自分を傷つける者と傷つけない者とをかぎ分ける鼻。これに関してはかなり自信を持って良いと思うぞ』
そう言ってくれました。
小隊長とは、ルイーズに青のセシリアのことなどについて語ってくれた、あの楽しい先輩です。
鼻で人をしっかりかぎ分けていると誉められたルイーズの勘が、グレイシス子爵は信じられる人物だと告げています。
師匠である森の魔女は、自分の魔法を秘匿するつもりは無いようでした。
だからルイーズが知る魔法知識について教えてしまってもかまわないのです。
むしろいろいろと相談したり、教えてもらったりできる相手はとても貴重です。
ルイーズは師匠が教えてくれた魔法以外を知りません。
今後のためにも、もっときちんと学ぶべきでしょう。
どこでお会いするかは、お父様にお話して、大人に決めてもらいましょう。
ルイーズは“エイッ”と気合いを入れて、王子からの封筒を開けました。
ざっと目を通すと、ようするに、『時々手紙を送るので返事が欲しい。返事は子爵あてに送ってくれればこちらに届くようにしておく』
そう、文通のお誘いだったのです。
王族のお誘いは断れませんけどね。
それにしても、なぜ、あの王子様はルイーズに関わろうとするのでしょうか?
前世の輜重部隊の部隊長に、笑いかたまでよく似た王子様。
唐突ですが、ルイーズは前世の自分の死の直前の記憶を覚えているのです。
ですから死因も知っています。
攻撃魔法の直撃です。
目の前に迫った巨大な火の玉。
前世のルイーズの防御魔法では防げない威力でした。
範囲の外に逃げ出すのも、もはや不可能。
『自分は助からない』
前世のルイーズはもうあきらめていました。
ところが、そんな自分を救おうと、飛び込んできた男たちがいたのです。
自分なんかのために命を捨てた3人の馬鹿な男たち。
記憶違いでなければ、なぜかその中に部隊長の顔がありました。
まさかあの3人も自分のように時を超えて200年後にいたりなんてことは…………。
イヤイヤイヤ、まさかね。
『鼠が狼に噛みつくこともある』
魔法研究に関わる者はあらゆる想定を排除せず、柔軟な発想を大切にすべきである。