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「本当に燃やしても良いのか? もしかしたら二度と手に入らないかもしれないが」
毎朝カレンが走り込みで使用している自然公園には、
休憩のための小さなスペースがある。平日の昼過ぎ、人気のないそこで薪を寄せ集めて焚き火をしていた。勿論、絵本を燃やす為だ。授業はサボったわけではなく早退している。
「いいんすよ。あっしは夢魔っすから、絵本の入り口に頼らずとも夢を渡ればあの世界にはいつでも行けますし。それよりこれ以上新しい犠牲者を出さないためには必要なことでしょう。あんま意味ねぇっすけど」
ルイスの死は医師や魔術師によってしっかり確認されたという。家宅捜査も行われ、オリジナルである手書きの原稿も押収、他の絵本と共に焼却処分となった。
だが処分された中には偽物も含まれていた。ならば売りに出された冊数が分かっていたとしても、全て回収するのは厳しい。特に他言語のものになれば尚更。
あの世界が不安定ながらも消えないことを考えれば、結構な数が世間裏に出回っているのではないか。そして今でも何処かで犠牲者を増やし続けている。失われ忘れられた絵本が未だに大陸条約で禁書になっている理由を考えれば、あながちそれは間違った予想ではないのかもしれない。
「夢から出た夢魔達は帽子屋さん達と協力してアフターフォローかなんかするつもりっすからご安心を。そいつらはこれから普通の夢魔として夢を渡り歩くことになりまさぁ」
「女王は」
「新しく迷い込む子のために残るって言ってやした。まぁ……本人が言うなら仕方ないっしょ」
幼い子供に罪悪感を抱かせるために箱庭世界の事実を突きつけたわけではないが、結果的にそうなってしまった。
女王が残ったのは罪滅ぼしのつもりだろう。
「忙しい間は大丈夫っすよ。やることなかったら色々余計なこと考えちまう。それに自我を保たせる為に、定期的に外の空気を吸わせるように皆には言ってるんで」
「しばらくは大丈夫ということか」
「あいにく、あの箱庭世界はどこまで広がっているか分からねぇんすよね。境界線も曖昧で日々変わってる。迷い込む者全てが、あっしらの行動範囲まで来られるとも限らない」
その上、湖に沈んだ夢魔達を引き揚げる作業もある。引き揚げたところで彼等が目を覚ますのかは分からないが、そのままにしておくことはしたくないのが皆の総意だとアリスが言った。
全てやり終えるのは何十年先か。
「時にお嬢さん。お茶会での議論は、何故開かれているのかはわかりやしたか?」
「暇潰しでやっているのではないのか?」
「まぁ、昨日の今日では分からんでしょう。あれは善と悪について決めてたんでさぁ」
夢魔達が頻りに話し合っていた物語の世界における善良について。大人が作った法律や道徳の通用しない世界で争わずお互いに手を取り合って生きていく為に必要だったのは共通の価値観。何が『善』で何が『悪』か。
夢の世界に『正しい答え』をくれる大人はいない。ならば自分達で探っていくしかなかった。
「国でも作ろうとしてたのか?」
「既存のものは狂ってやしたので。それが受け入れられないのなら、自分達で新しく作っていくしかないっす」
結局、それらしい決まりが出来上がる前に、多くの仲間が自我を失ったり死んだりしていなくなった。
次々と入れ替わる仲間の顔ぶれ。
議論の為の集まりだけが変わらず受け継がれて、それだけが心の拠り所だった。
「でももう自由っす。この広い世界で誰に与えられたわけでもない役割を自らの意思で果たしていくのでさぁ」
「役割、か」
途方もないほど長い間、自分達を閉じ込めた箱庭世界に、この先ずっと関わり続けるのは、運命でも因果でもなく自分達の意思。
「まぁそういうわけでして。お嬢さんには助けて頂いたお礼に1つ忠告を」
「なんだ?」
「我が主もルイスと同じ、黒魔術師なんす」
カレンを見つめる青い瞳。
二百年前に亡くなったルイスと対峙していた事実とそこからの寿命を考えれば容易に想像できる。自然の道理を捻じ曲げ寿命を伸ばすのは、黒魔術に分類される禁術が大半を占め、その殆どが偽物だ。
「ルイスが生きていた時代、主はまだ貴族お抱えの魔術師をしていたんですが。不死の研究をする同好会のメンバーだったんでさぁ」
そこにルイスも属していた。同じ研究していた同志だったからこそ、犯人にいち早く辿りついた。アリスの主が事件を追ったのは、彼の中に芽生えた疑念を払拭するためであったのだとか。
不死の研究とはいえ人の命を犠牲にするやり方を、流石に良しとはしない。同好会が出来た当初は、確かに最低限の倫理がメンバーの中にはあった。だが、
「人の心は時と共に移ろい変わるもの。あっしの仕える主もまた……」
諦観の混じった溜め息を吐く。どのような生物にも等しく訪れる恐怖だからこそ、人の心を強く揺さぶるのだろう。
「不死の研究、か」
「興味はおありで?」
「ないわけではない。しかし、ああはなりたくないな」
霞の如く消え失せた絵本の世界の主。誰かの一吹きで霧散してしまう存在になど間違ってもゴメンだ。
「自分と関係のない人間を犠牲にしてまで生き長らえたいとは、人間は愚かだと思うか?」
「保身が悪だと考えるほうが愚かでさぁ。自分の身を守るのが何故悪なのか。死にたくないのはあらゆる生命の根本でしょうに。それがどんなに醜悪でも」
「そうか……」
「まぁそう考えるのも人間が社会的な生き物だからでしょうね。その点、夢魔は自由っす」
誰を裏切り傷付け貶めようと責める者はいない。理不尽に襲われたって誰も助けてくれない。孤高に気ままに生きるとはそういうことだ。
魔物の中には徒党を組み独自の社会を形成している奴らもいる。そういうのには関わらないのが賢明だ。
「お嬢さんは本当に旦那の魔女になる気はないんすか? 簡単に永遠の命と若さが手に入るでしょうに」
「ああ」
悪魔の魔女になるのも、不死の術の一つとして数えられる。もっとも、人間の願いを都合良く叶えてくれる悪魔などそうそういないものだが。
カレンは何の感情もなく、焚き火の材料として一枚一枚バラした絵本を放り込む。
一応誰かに見られた時の言い訳として、パンケーキの生地を木の枝に垂らして炙っている。野外で作れるちょっとしたお菓子だ。
「理由をお伺いしても? 貴女自身に大して信心があるわけでも、旦那を信用してないってわけでもなさそうですし」
「そうだな。明確な理由を一つ上げるとするならば」
ロイの耳がピクッと動いた。カレンはまるで菓子作りが当初の目的であるかのようにせっせと木の枝に何層もの生地を塗る。そして、枝を炎に近づけた。
「世間体だ。私の家は古くから王家に仕える武家なのでな。政治が精霊派と天使派で二分している今、家名に泥を塗るようなスキャンダルはなるべく避けたい。断る理由はそれに尽きる」
建国より百数年、北の村々で暴れ回っていた巨大熊を討伐せんと、月神の子孫である王子が国中から仲間を集め回った。
優れた剣を作る者。知に富む者。そして、力の強い者。
それが現存する記録において王の忠臣たるロット家の一番古いものである。王子に倒された大熊は北の地を守る神獣として今でも奉られている。その土地の管理を一部だがロット家は代々任されてきた。
枝をくるくる回し、甘く香ばしい匂いに包まれ表面に焼き色がついたところで再び生地を重ね塗る。そして再度火へ近づけた。これを何度も繰り返す。
「そりゃまた、この御時世に面倒な身の上っすね」
「もしかしてカレンのお家は領主なの?」
ロイが驚いたように聞いてきた。土地を任されているということは普通そういうことだと想像するだろう。しかしカレンは首を横に振った。
「時代が時代ならな。全ての領主の役は何十年も前に終わったから今は違う」
「終わった? 没落でもしたの?」
「知らないんすか旦那。ロベリアはうん十年以上前に府県制になったのを。貴族の持つ領地は全て国に返還。爵位はそのままだった気がしますけど」
「ふえぇ」
首都や聖都など重要な地には府が、その他は県が置かれている。しかし貴族の地位は健在だ。
何層か焼けたところで粗熱を取り、あらかじめ溶かしておいたチョコレートにつけて口へ運ぶ。
「この国だけじゃないっすよ。王政廃止する国が増えてきているんでさあ」
カレンが生まれるずっとずっと前に西の国々で起こった市民革命。貴族社会崩落の余波はロベリアにも行き届いた。周囲の国が変わっていく中、ロベリアも変わる決断を迫られた。大きな決断だっただろう。舵を誤れば国の存亡に関わると言われていたくらい、周辺諸国の政治が不安定だったのだから、現在は英断だと評価されている。たとえ、その根底にどんな思惑があったとしても。
「ロベリアはまだ君主制だ」
「ああ、まあそうっすね。お飾りな王様いますもんね」
ロベリアの場合は民主化の先導者側に国王がいたのが幸いして、内戦になるほどの混乱や処刑劇もなく政治改革は行われた。ただ激しい政権の入れ替えがなかったからこそ、今でも政治や軍事における貴族の存在は大きい。
「世間体を気にするなら、旦那がいるのはいい迷惑じゃないんすか?」
「そうなの?!」
「……巫女であるリンゴが分からないほど上手く化けているのにだな。何の取り柄もない普通の人間である私に見破れというのは、流石に無理があるように思うが?」
「え? 普通?」
心底、不思議そうに聞くロイ。失礼な奴だ。
「安心しろ。聖都は精霊教の地。首都ほど教会が乱立しているわけではない」
政の中心である首都では精霊派と天使派の政治家が色々争ってるようだが、聖都は大都市であるにも関わらず比較的穏やかだ。人に化けるのが上手いロイなら、今までのように一般学生として生活していくのなら、聖職者や退魔師に見つかる心配はないだろう。
日が傾き始める頃、焼き菓子を食べ終わり絵本の紙も残らず灰になったのを見届けてから後片付けをし始めた。
「……我が主は、ロイの旦那を使い魔にしようと狙ってるんで。まだ仲違いしてなかった頃は、どうにか口説き落とそうと四六時中付き纏ってたほどでさぁ」
「何故……」
「目的は単純に旦那の持つ能力っすね。それに人間に甘い性格。邪魔なくせに主を殺せずにいる。他の悪魔なら即地獄逝きにしてまさぁ」
「……」
アリスがロイに視線をやると、ロイは苦々しい表情をした。そして再びカレンの方へ向き直り、人形のように美しい顔に悲哀を織りまぜた笑みを浮かべた。
「貴女が旦那と共にいるのなら、いずれ会えるでしょう。その時あっしらは」
愛用の小さな日傘を広げ、アリスは地面を蹴る。
「もしかしたら敵かもしれやせんね」
「お前の主か」
「今のあっしは使い魔。人間を利用し利用される存在。それが道理、運命でさぁ。抗う理由もなしなら尚更」
直後に吹いた強い冬の風に煽られ、アリスは遠くの空へ飛んでいってしまった。




