第9話 預言者ちゃんは冒険者に毒を盛られる
「恥を掻かされた!」
この街有数の大商人、デニスは拳をテーブルに叩きつけた。
デニスが怒っているのは……ファルティシナにエルフの少女、リリィの落札で敗北したことである。
彼の財力ならば、銀貨八千枚以上を出すことは不可能ではなかった。
しかしただの奴隷に銀貨八千枚を出してもいいのだろうか……と躊躇してしまったのだ。
結果、ファルティシナにリリィを奪われる形になった。
その時はその時で納得して帰ったのだが……
後になってから、悔しく思えてきたのだ。
(しかしあの女も中々、良い見た目だった……)
デニスはファルティシナの胸部を思い浮かべて、思わずにやけた。
(どうにかして、あの主従を手中に収められないものか)
デニスは子飼いの傭兵を使い、ファルティシナたちの情報を集めた。
結果……
「根無し草の冒険者、か。なら、何とかなるかもしれんな」
冒険者。
と言えば聞こえは良いが、結局のところ彼らは日雇い労働者でしかない。
そしてファルティシナはS級冒険者とはいえ、まだこの街に来てから一年しか経っていなかった。
「いなくなったところで、誰も気には留めないだろう」
この街は比較的治安は良い方だが……
それでも人攫いや殺人、強姦事件は日常茶飯事である。
そしてそれを政府がわざわざ調べることも殆どなかった。
「あのファルティシナという女を捕まえ、奴隷にした後で、あのエルフは回収すれば良い」
金さえあれば、どうとでもなる。
冒険者を専門とする人攫いを雇うことも、金で事件を揉み消すことも。
デニスはニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべた。
「今日はありがとう、ファルティシナ」
「いえ、私も勉強になりました。カロロスさん」
夕方。
ともに魔物退治に出かけた、S級冒険者カロロスに対してファルティシナは軽く頭を下げた。
カロロスのパーティーは、S級冒険者本人であるカロロスとB級冒険者四人という構成になっている。
カロロスは黄金に光り輝く、目立った鎧をいつも来ているため、黄金騎士などと呼ばれていた。
容姿も端麗なこともあり、女性人気も高い。
「ファルティシナ、せっかくだし……飲みにいかないか?」
カロロスのパーティーは全員が男性である。
男性五人と一緒に飲み会など、普通の女性冒険者ならば警戒するが……
「良いですよ」
ファルティシナは二つ返事で承諾した。
幼少期、ファルティシナは男として育てられ……そして王宮を出た後はファルティシナは男装をして男として振舞ってきた。
教団員も殆どが男で、その男たちの中で生活してきたファルティシナはそういうことに関する危機意識というものが一切なかった。
もっとも……
そもそもファルティシナにはその程度のことで、危機を感じる必要すらもないのだが。
「ぷはぁ……美味しい! ……本当に、全部驕りで良いの?」
「あ、ああ……」
既に相当量の酒を飲んでいるファルティシナに対し、カロロスは頷いた。
「麦酒、お代わり!!」
「……」(まだ、飲むのか、こいつ)
カロロスは財布の中身が少し心配になってきた。
「そう言えば、カロロスさん」
「ん? 何だ?」
「あなたの着ている黄金の鎧って、どこで見つけたの?」
ファルティシナは尋ねた。
カロロスの来ている黄金の鎧は、ただ派手なだけではない。
如何なる攻撃をも弾き返す、無敵の鎧なのだ。
それだけではなく、マントの中に様々な物を収納できる。
そして……身に着けているだけで、身体能力が上昇する。
これはカロロスだけの秘密だが、カロロスの強さはこの鎧に頼るところが大きかった。
鎧を脱いでしまえば、S級冒険者としての力は失われ、B級程度にまで落ちてしまう。
彼の仲間にA級冒険者がいないのは、元々全員がB級レベルの冒険者で構成されたパーティーだったからである。
「ここなら南西の古代遺跡だ。神代の遺跡を調査してたら、たまたま……それがどうかしたか?」
「いや、まあ良いけどね。……大切に使ってあげてね」
ファルティシナは笑みを浮かべ、新たに店員が運んできた麦酒をグビグビと飲む。
そしてあっという間に空にしてしまい、店員にお代わりを頼んだ。
同じ、パーティーの仲間がカロロスに耳打ちする。
「(り、リーダー……本当に眠り薬、仕込んだんですか?)」
「(そ、そのはずだ。この店の店員はもう買収済み。全ての酒に大量の睡眠薬が入っているはずだが……)」
冒険者。
としての活動は表の顔。
実はカロロスたちの本業は、冒険者を専門とする人攫い・暗殺である。
最近はカロロスが黄金の鎧を手に入れたことで冒険者としても成功を収めているが……
少し前までは、人攫い・暗殺の方が稼ぎの大部分を占めていた。
「(確認してみよう……)」
カロロスは仲間にそう耳打ちしてから、トイレに行くと言って席を立った。
そして店の外に出て、買収した店員を呼び出す。
「眠り薬はどうした?」
「飲ませましたよ……もう象が昏睡するレベルで!」
もうすでに非常に危険な睡眠薬を大量に飲ませているというのに……
ファルティシナは元気にお酒を飲んでいた。
……彼らは知る由もないが、ファルティシナには毒は効かない。
冥界を流れる川の水の加護を受ける彼女の肉体は、あらゆる不都合な毒物に対する強い耐性を持っている。
もし仮に彼女を眠らせたければ……
象ではなく、竜が昏睡するレベルの睡眠薬を盛る必要があるだろう。
「カロロスさん」
「わぁあああ! び、びっくりした! ど、どうした、ファルティシナ」
唐突にカロロスはファルティシナに声を掛けられた。
いつの間にか、ファルティシナは店の外に出ていた。
さすがにあれだけ飲めば少しは酔うのか、頬が紅潮している。
……アルコールは彼女自身が受け入れているため、無効化されていない。
「家で召使の子と、晩酌をする予定があったのを忘れていたよ。今日は先に、上がらせてもらう。御馳走してもらって、悪いね」
「い、いや……か、構わないが……」
「今度は私が御馳走するよ。じゃあね」
ファルティシナはそう言ってしっかりとした足取りで立ち去っていく。
そんなファルティシナを見送りながら、カロロスは思った。
「……まだ飲むのかよ」
常人なら致死量の酒を飲んだ。
しかもその酒には、やはり致死量の睡眠薬が含まれている。
それなのに……死ぬどころか、眠りもせず、元気に帰って、再び酒を飲むつもりなのだ。
本物のS級冒険者というのは、こんなにタフなのかと、カロロスは畏怖を抱いた。
(……作戦を練り直さないとな。最悪、奥の手の使用も考えるか)
一先ず、雇い主であるデニスの意見を聞かなければならない。
カロロスは二次会、という名の作戦会議をこの後に開こうと決意した。
「リリィちゃんも割と飲めるんだねぇ」
「……私の出身地は寒かったので」
その晩、ファルティシナに付き合ってリリィは酒を飲んでいた。
度数の強い蒸留酒だが……問題なく、リリィは飲めるようだった。
ファルティシナは機嫌良さそうに、リリィのコップに蒸留酒を注ぐ。
自分の作った肴を口に運びながら、リリィはファルティシナに注いでもらった酒を飲む。
だんだんと、長い耳が赤く染まり始めた。
「でも……ご主人様、よく飲めますね」
「ん?」
リリィは自分の数倍以上の酒をすでに飲んでいるファルティシナに対し、感心と呆れ、尊敬の入り混じった視線を向けた。
リリィの出身地では、子供のうちから酒を飲む。
そのためリリィは酒にはかなり強い自信があったが……
ファルティシナには適わないなと思った。
「君のように可愛い女の子と一緒だから、美味しく飲めるんだよ」
ファルティシナはウィンクをした。
さすがのファルティシナもかなり酔ってきているのか、素が出始めてきた。
「な、何を急に言ってるんですか?」
「またまた、照れちゃって」
ファルティシナは立ち上がり、リリィの隣に腰を落とした。
そしてリリィの肩に手を回す。
「リリィは可愛いなぁ……」
「ひゃぁ!」
リリィは思わず悲鳴を上げた。
ファルティシナにその耳を舐められたからだ。
「な、なにをするんですか!」
「スキンシップだよ、スキンシップ」
ファルティシナはそう言いながら、リリィを引き寄せる。
そして酔った頭で考えていた。
(ん……かなり古い神性だなぁ。三千年以上前には確実に遡れるね)
リリィの耳を舐めることで読み取った神性を分析する。
(あの鎧といい、私の肉体の加護が健在なことといい、僅かにリリィの中に残る神性といい……完全に消え去ったわけでもないみたいだね)
ファルティシナは嬉しそうに目を細めた。
そして呟く。
「でも、お酒に睡眠薬を入れるような奴にあの鎧は正直使われたくないなぁ」