第1話 消えた幼なじみ
湊がいなくなって、今日でちょうど一年になる。
午後の講義が終わり、教室を出ようとしたところで、友達の美咲に腕をつかまれた。
「ねえ柚葉、今日の夜あいてる? 他大の人たちとご飯行くんだけど」
「ごめん、今日は用事があって」
「……また、あそこ行くの?」
美咲の声が、少しだけ低くなった。
責めているわけじゃないのは分かっている。心配してくれているのだ。
「もう一年だよ。柚葉が悪いわけじゃないんだから、そろそろ」
「うん。分かってる」
私は笑ってそう答えた。
上手に笑えていたかどうかは、自分でもよく分からなかった。
(分かってる。でも、やめられないんだよ)
美咲に手を振って、私は駅とは反対の方向へ歩き出した。
向かう先は、川沿いの土手だ。
夕方の河川敷には、犬の散歩をする人や、ジョギングをする学生がちらほらいるだけで、一年前と何も変わらない。
私は土手の階段に腰を下ろして、ゆっくり流れる川を眺めた。
ここは、湊が消えた場所だった。
黒瀬湊。
家が隣同士で、幼稚園から大学までずっと一緒だった幼なじみ。
口が悪くて、ぶっきらぼうで、そのくせ私が困っているときには、誰よりも先に気づいてくれる人。
一年前のあの日も、私たちはこの土手を並んで歩いていた。
「ゆず、また弁当作りすぎただろ」
「作りすぎてないよ。湊の分だもん」
「頼んでねえし」
「でも食べるでしょ?」
「……食う」
そんな、いつも通りのやりとりだった。
湊が少し先を歩いて、振り返って、何か言いかけた、その瞬間。
足元から、まぶしい光があふれた。
見たこともない模様が地面に浮かび上がって、湊の体を包み込んで。
私が伸ばした手は、彼の指先にほんの一瞬触れただけで、空を切った。
光が消えたとき、そこにはもう誰もいなかった。
(夢だったら、よかったのに)
何度そう思ったか分からない。
警察には、何度も話した。
光に包まれて消えた、と言うたびに、大人たちは困ったような顔をした。
湊のおばさんは泣きながら私の手を握って、ゆずちゃんのせいじゃないからね、と言ってくれた。
その優しさが、かえって苦しかった。
結局、湊は「失踪」として扱われた。
大学の友達も、最初は心配してくれたけれど、季節がひとつ変わるころには、誰も湊の名前を口にしなくなった。
それでも、私は毎週ここに来ている。
(だって、湊は自分からいなくなったりしない)
それだけは、誰に何を言われても信じられた。
私はスマホを取り出して、湊とのトーク画面を開いた。
最後のメッセージは、一年前の夜に届いたものだ。
「明日の弁当、卵焼き甘いやつで」
その下には、既読のつかない私のメッセージがずらりと並んでいる。
今日も、ひとつ増やした。
「今日で一年だよ。早く帰ってきて。卵焼き、ちゃんと甘いの作って待ってるから」
送信ボタンを押すと、スマホにぶら下がった柚子のチャームが小さく揺れた。
高校二年のとき、湊の誕生日におそろいで買ったストラップだ。
柚子とか、お前の名前そのまんまじゃねえか、と文句を言いながら、湊はちゃんとそれを自分のスマホにつけていた。
あのストラップも、湊と一緒に消えてしまった。
(今ごろ、どこにいるの)
ちゃんとご飯を食べているだろうか。
寒い思いをしていないだろうか。
あの不器用な人は、困ったときに誰かを頼れているだろうか。
考えても仕方のないことばかりが、頭の中をぐるぐる回る。
日が沈みかけて、川面が茜色に染まっていく。
そろそろ帰らなきゃ、と立ち上がった、そのときだった。
足元が、ふわりと明るくなった。
「え……?」
見下ろした地面に、淡い光の線が走っていく。
円を描き、複雑な模様を刻み、まるで生き物のように広がっていく。
一年前と、同じだった。
怖いはずなのに、私が最初に思ったのは、まったく別のことだった。
(これ、湊のときと同じ……!)
逃げなきゃ、という声と、行かなきゃ、という声が、頭の中でぶつかり合う。
心臓が痛いくらいに鳴っている。
でも、迷ったのはほんの一瞬だった。
もし、この光の先に湊がいるのなら。
もう一度、あの手に届くのなら。
私はスマホを握りしめたまま、光の中で目を閉じた。
「待ってて、湊……!」
体がふわりと浮いて、世界がひっくり返るような感覚に襲われる。
耳の奥で、風の音とも鐘の音ともつかない響きが鳴り続けていた。
意識が遠のく直前、誰かに呼ばれた気がした。
懐かしい声で、私の名前を。




