18頁 初日から、セクハラコール寸前
「はぁ、はっ……っぁ」
宿屋に飛び込むように駆け込むと、勢いで扉を閉めてしまいます。幸いにも宿屋の一階である酒場にはまだ客の姿も女将さんの姿もありませんでした。良かった……。
スタミナを無視して全力疾走してしまいました……本当に尽きるギリギリでした。久々過ぎて、喉がヒリついています。暫く、会話出来そうにないですね……咳き込むことが目に見えています。
「ミシャは足も速いんだね、風に乗ってるみたいだったよ」
のほほんと言うのは、先程の男。私と一緒に走ってきた筈なのに全く息を切らさずに言いのける辺り、やはりヒト離れしています。その言葉通り風に乗ってくれれば、私がこんなに息切れすることも無かったと思うんですがね。貴方を引きずった分の腕力も、スタミナを削っている気がするんです。
「いけしゃあしゃあと……ゲホッ」
「あぁ、ミシャ……無理に喋ったらダメだよ……君の声を枯らすまで歌わせるのは、僕の数少ない楽しみだけど、こんな枯らし方は僕の望むところじゃ無いからね」
どの口が言うんでしょうかね、この口ですかね。両の頬を摘んで左右に引っ張れば面白いくらいに伸びるもち肌です。男の癖に、生意気です。これでスキンケアは何してるとか聞くと、何もしてないとか、洗顔は石鹸だとか言うんですよ、そうに決まってます。そう言う男なんです、このヒトは。
「ひゃんひゃい? ひゅひひゅひぇひゃひょひぃっひぇ?」
「要りません、結構です、謹んでご遠慮申し上げます」
女の敵というのはこう言う奴のことを言うんだと、つくづく教えられましたよ、えぇ。心に石を投げ入れられると言うか、自分のペースを掻き乱されると言うか……本当に、何なんですかね。
「おや、アルテミシア、お帰り」
「ただいま帰りました」
奥の厨房から女将さんが出てきました。同時に頬を抓っていた手を離し、向き直って軽く頭を下げます。女将さんの視線は直ぐに隣の男に移りました。
「あんたも、よく来たね」
「お久しぶりです、女将さん。今宵の酒場に、僕達の調べは如何ですか?」
女将さんに向ける笑みは、先程の少年と同じ人好きのする営業スマイル。手にしていた竪琴を簡単に爪弾いて、空かさず自分を売り込む辺り、手慣れています。……僕、達?
「音楽があるだけで酒場は華やぐからね、お代は払うから好きにお弾き。……『僕達』ってことは、アルテミシアが歌うのかい?」
「いいえ、歌いません」
女将さんの視線が戻って来ますが、全力で否定させて頂きたいと思います。日頃の感謝を込めて、客を引くべく歌いたい気持ちもありますが……私は本業の謳い手ではありません。私の一族に伝わる歌と言う設定で数曲の歌を覚えているだけです。それならそれで良いじゃないかと思われるでしょう。問題なのは、詩の内容なのです。初日から歌うような内容ではありません。思いっきり、高レベル者用イベントに関係する上、この男の正体にも抵触します。
「えぇ~、歌わないの? 久しぶりにミシャの歌が聴けると思ったのに〜」
「歌いませんからね」
「うぅ……ミシャの歌……」
諦めが悪いですね。と言うかこの男、男自身の存在に関する歌しか私が歌えないことを忘れているのかもしれません。もう知りません、放っておきましょう。どうせ弾きだしたら自分だけでも歌えるんですから。そっちの方がレパートリーは多いはずなんですがね。
と言うか、いい加減お腹が空きました。宿屋の一階は空腹の酒飲み達を引き寄せるべく、美味しそうな匂いで満ち溢れています。雛にもお肉をあげないといけません。部屋に戻って装備から着替えて、それからご飯に……雛のことを言っていません! 忘れていました!!
「女将さん、この宿屋は、従魔可でしたっけ?」
「大きいのは裏に厩舎があるし、小さいのは部屋同伴可だよ。躾がなってないのは両方ご遠慮願うけど……いきなりどうしたんだい?」
「狩りの最中にですね、孵っちゃったんです……」
『ピィ!』
「おやまぁ、生まれっ子かい! 鳥系の魔物は刷り込んじまったらもう離れないからねぇ」
タイミングよく頭を出して鳴く辺り、もう語解力は非常に高いと思っていいでしょう。女将さんの福々しい指が雛の頭を撫でます。気持ちが良いのか目を閉じてその指に頭を自らすり寄せる雛は、やっぱり可愛いです。ちょっとあざとく見えるのは、私の気のせいと言うことにしておきましょう。
「それと……女将さんの鶏モツ煮が食べたいなぁ、なんて……」
背負っていた鞄から、青ササの葉で包まれたフライングクックのモツを取り出してみます。あ、女将さんが呆れてます。そうですよね、遅すぎですよね、ほんと、すみません。すっごく大きな溜息を吐きながらも、受け取ってくれました。これは、良いってことなんですかね。
「食材に罪は無いからね。その代わり、一曲歌っておくれよ?」
「はい!!」
雛とお肉を、この男と天秤にかけて傾く先は、もちろん雛とお肉に決まっています。男の顔が一気に輝き出しますが、少しするとピタリと一時停止して今度は一気に青ざめていきます。自分の存在を詠う詩であることを思い出したんですね。本当に忘れてたんですね、その場にしゃがみ込んで頭を抱えています。邪魔なことこの上ないです。もう知りませんよ、今の私にとって雛とお肉が第一です。男は放っておきましょう。
「ところで、アルテミシア、この髪どうしたんだい?」
男を尻目に、女将さんが私の髪を手に取って見てきます。
「なんか薄く茶色に見えるけど、染めたにしちゃムラがあるよ?」
「忘れてました……盥一杯分のお湯をください……」
「はいよ、じゃあ部屋に持ってくから、先に行ってなさいな」
髪の毛が最後まで綺麗に洗い切れていなかったのを、すっかり忘れていました。メニューを操作しお湯の代金を取り出して女将さんに渡すと、代わりに部屋の鍵を渡されます。取り敢えず、部屋で装備を脱いで……雛の寝床はタオルでも巻いて巣っぽくしてみましょうか。そうすれば雛も落ち着けるでしょうし、私も髪をしっかり洗えるでしょうし。
ここで、ようやく男が立ち上がります。立ち上がるなり、胸元に顔を寄せるのは、雛を見ているようです。その雛も男を見返して……いえ、これは、睨み返しているみたいです。何なんでしょうか。と言うか、そんな近付いて見る必要はないと思うんです。セクハラコールはメニューのヘルプからでも鳴らせるんですよ。これ、鳴らしていいですかね。
「ミシャ……部屋行っても良い?」
「……何ですか、急に……どうせ相部屋にするんでしょう? 早く来ないと置いていきますよ」
この男との相部屋はαテスト時代からいつものことです。最初は無理矢理押し入ってきました。セクハラコールしたのは言うまでもありません。結局、ズルズルと続いているわけです。腐れ縁なんですかね。
私が泊まっている部屋は二階です。二階に行くには、酒場の奥にある木製階段を登ります。ガタイの良い男がギリギリ擦れ違えるくらいの幅ですね。……と言うか急に改まって何なんでしょう……何か気持ち悪いですね。振り返ってみるとちゃんとついてきてはいるみたいです。ですが、今度は先程とは打って変わって頬を赤らめ、その頬を両手で押さえています。乙女か。
「……君に言われると、何か照れるね」
私の拳が唸って、男が階段を転がり落ちたのは、当然の報いだと思います。




