チャプター 16:「拠所」
チャプター 16:「拠所」
巌を形にしたような、厳かな雰囲気を纏う中年の男。そして、自分とその男の間に立つ
閑葉。時刻は、二十時を迎える寸前である。
久人は、男と相対しながら今までの経緯を振り返った。
事の始まりは、藤堂家のプライベートスタジオ。練習に来ない筈の閑葉が訪ねてくるな
り、涙を零しながらその場に崩れ落ちる。
父親にギターを取り上げられ、黙って行っていたバンド活動までやめるよう言われたと
告げる。
アロイのメンバーは、練習を急遽中止。直ぐに閑葉の家へ向かった。
早足に、三十五分かけてやってきた久人とアロイの四名が、長谷川の表札のかかる住宅
へ到着した。それは、久人や魅音が住んでいるような、平凡な佇まいの家だった。
久人は、茫然自失とした閑葉の様子からとても戦えないと判断し、プロデューサーでも
あり、マネージャーでもある自分が、と、率先してインターホンを押下する。
反応は直ぐに返ってきた。インターホンから声が返るよりも先に、玄関の扉が開き、怒
りを露にした中年の男が出てきた。
閑葉の父。
男は口を開く事なく、集まるアロイの少女達の中へ割り込み、閑葉の腕を掴むと、強引
に引いた。力任せに引いた為か、閑葉の口から痛みを堪えるうめき声が漏れる。
あまりの事態に、久人は混乱しながら男の腕を掴む。
「ちょっと、待ってください」
久人を一瞥もしなかった男の目が、初めて久人を見た。
「貴様か。娘を誑かしたのは」
轟くような、それでいてよく徹る声。
久人本人は誑かしたつもりがなくとも、保護者から見ればそのようにしか映らない事は
理解していた。
仕方なく、無言という形で相手からの問いに肯定を返す。
そして、十分な間を取った後、主張を口にした。
「先程、閑葉ちゃんが藤堂さんの御宅にやってきました。貴方にギターを取り上げられた
と、泣きながら」
心苦しく思いながらも、事の経緯を、感情に訴えかけるように言葉へ変える。
しかし、男はそれを鼻で笑って見せた。
「親として、当然の事をしたまでだ。本来行うべき事を、励まなければならない事を差し
置いて、音楽などに現を抜かしているなど。とても看過できん」
全く聴く耳を持たない男に、久人は舌打ちしたい気分だった。自身の主張が正しいと信
じて疑わないタイプ。柚姫の母親と同じだが、こちらは輪をかけて強いタイプだと直観し
た。
そして、スーツの胸元に輝くバッジを認めた久人は顔をしかめた。
相手は検事だった。
まさしく、ディベートのエキスパート。
「確かに、勉学と音楽は遠いものかもしれません。ですが私は、生きる事に全く音楽が必
要ないとは思いません。現に、閑葉ちゃんは音楽を通して仲間を得たんです」
魅音から得た僅かな情報を頼りに音楽の正当性を主張するも、男は黙って笑むのみ。
そして、まるで嘲笑うかのような様子で久人を睨みつけた。
「随分と、安っぽいな。仲間とは。昨今の若者は、そんな陳腐なものを(・・・・・・・
・・)仲間と呼ぶのかね?」
久人が歯噛みする。相手を怒らせ、思考の視野狭窄へ落とし込むのが常套手段とわかっ
てはいても、こみ上げる感情は止まらない。
男は続けた。
「…………学生とは、呼んで字の如く、勉学に励み生きる者の事だ。君の言う仲間や友人
など、優秀な人間には、後から、いくらでも集まってくる」
「それは…………違います! 優れていれば人は集まってくる。それは私にもわかります。
ですが、集まってくる人間と仲間や友人になれるとは限りません。縁は、とても得難いも
のです。会ってから二月と経っていない私ですら、魅音やエリカ、藤堂さんと出会って、
閑葉ちゃんはとても幸せそうに見えました。生きて行くには、楽しみも必要です」
男の表情に怒りが添加された。
久人が笑む。
「小僧が。知った風な口を利くな。閑葉はとても賢い子なんだ。将来、必ず優秀な検事に
なれる。下らない遊びに回す余裕があるなら、これからは更に講義の時間を増やすか」
「お、お父さん」
懇願するように声を絞り出す閑葉が、男を見上げる。
しかし男は微塵も動じない。
「閑葉。そこに居る連中とは、今後一切関わるな。いいな」
「そ…………んな………………」
冷たく言い放つ男に、閑葉が泣き崩れる。
久人がキレる(・・・)のに、さして時間は掛からなかった。
「一つ、お聞きしたいのですが。閑葉ちゃんは、音楽に現を抜かして、勉強を疎かにして
いるんですか?」
男が鼻で笑う。
「何をバカな。そんな愚かな子に育てる訳がない。私の教えはしっかりと飲み込んでいる。
勤勉で、最低限の事は覚えられる子だ」
久人は振り向き、事の成り行きを見守っていた妹へ視線を移した。
「なあ、魅音。長谷川さんは、学校でも優秀なのか?」
いつもと雰囲気の違う久人に怯えながら、魅音は首肯した。
「う、うん。いつも学年で一番か二番。運動はちょっと、だけど。本当に頑張り屋さんだ
って、先生にも評判だよ?」
魅音の発言を聞いた久人は男へ視線を戻した。
「何を言い出すかと思えば。高校生程度の学など、あって当たり前だ(・・・・・・・・
・)。余禄のようなものだろう? 閑葉」
尻餅をつきすすり泣く閑葉へ、男は冷たい視線を向ける。
「早く家に入ってきなさい。今日からは、これまで以上に六法の講義を――」
「…………ふざけるなよ」
呻くような久人の言葉に、男が目を細める。
久人の脳裏で、最後のスイッチが音を立てて跳ね上がった。
「ふざけるなよアンタ!? 人より遥かに勉強を頑張って、家でまで縛られて! それで
も文句一つ言わないこの子が、やっと見つけた唯一の楽しみを奪うのか?! 生きてるん
だ! 若くても歳を喰ってても、同じ人間なんだ! 楽しい事も苦しい事も背負いながら
生きてるんだぞ?! 閑葉ちゃんは、アンタの玩具でもロボットでもない!」
男は冷ややかに言い放った。
「何なら。ここで君や君の会社を、労働基準法に則り、法に訴えてもいんだぞ? 保護者
の許可なく、未成年者を雇用したとしても、私には契約を解除する権利がある。それで不
満なら、他の罪を併せて、法廷で争っても構わないが?」
「やってみろよ。俺が捕まろうがどうなろうが、この子達の邪魔は絶対にさせない」
売り言葉に買い言葉。
言い放った言葉に嘘はなかった。
魅音と約束した。絶対にメンバーを変えないと。裏返せば、それは四人を護る責任も負
うという事だ。久人は、自信の不信を見事拭い去ったアロイに、何としても報いたかった。
「…………わかった。後日、手続きを取らせてもらう。閑葉、早く入ってきなさい」
そう言い残し、男は扉の中へ消える。片開きの玄関ドアが閉じる音を聞きながら、久人
は悔しさのあまり目を血走らせていた。
アロイが活動を始める上で、障害となる大きな問題が立ちはだかる。
そして何よりも、閑葉が弾き慣れたギターを失った事が最も深刻である。
速弾きを得意とするギタリストにとって、使い慣れたギターは代えの利かない唯一無二
の存在である。弾き込む事で楽器が手に馴染み、そうなって初めて、歌うかのような、自
在のプレイが可能となる。音程を決めるフレットが磨り減る事で、使わないエリアが自然
と鳴らなくなり、弾き込んだポジションだけが新品の楽器よりも歌うようになって行く。
失くしたのは、閑葉の為だけに育った名器。
「あ、あの。その…………長谷川さん。本当に。不甲斐なくてゴメン」
すすり泣いていた閑葉が、悲痛な表情で久人を見上げる。
「ち、違うんです! この間の事が悔しくて。それで私、いつもよりもっと練習しなきゃ
って。お父さんが帰ってきてる事にも気がつかなくて」
努力家である事が裏目に出てしまった。
しかしそれでも。啖呵を切った以上、久人は決意した。
「長谷川さん。今から、新しいギターを手に入れに行こう」
「で、でも私。お金が」
「会社で持つよ。あまり余裕は無いから、ヴィンテージの高い奴は無理だけど、ね」
「内藤さん…………」
苦笑しながら閑葉を見つめる久人。それに、泣き腫らした双眸が更に涙を流して応えた。
「えっ? お母…………さん?」
話が纏まり、立ち上がった閑葉の横に近づいたのは、閑葉の母らしき女性。
閑葉が目を瞠る。
「お母さん。それ」
閑葉の母が抱えていたのは、ナイロンの、黒く大きな袋。
差し出されたギターケースを受け取った閑葉は、急いで中身を確認する。
姿を現したのは、彼女が夢中になって弾き続けた、スパークリングパープルのギター。
メイプル材で出来た指板は真っ黒になるまで弾き込まれ、練習の凄まじさを物語る。
自分のものであると確信した閑葉は、その場でそれを抱きしめ、沈黙する。
「お友達の所に、置いてもらえないかしら?」
閑葉の母が提案すると、控えめに、しかし最も早く手を挙げたのは柚姫だった。
「あ、あの…………うちな、ら…………ギターハンガーも。沢山空いてます、から」
「ありがとう」
嬉し泣きしながら、朗らかに笑い、感謝する閑葉。
穏やかな表情でやり取りを眺めていた久人だが、場が沈静化を始めた頃合いを見計らい、
閑葉の母へ目を向ける。
「あ、あの。有難うございます。ですが、何故?」
閑葉の母は、微笑を溜め目を伏せる。
「処分を言いつけられていたんです。あの人は卑怯で、一番恨まれる役は自分で引き受け
ませんから」
久人の問いに答えた閑葉の母は、屈み込み、沈黙する娘と目を合わせた。
「ねえ、閑葉。貴女、本当に音楽を続けたいの?」
言葉を発する事ができないのか、閑葉は静かに頷いた。
娘の意思を確認した閑葉の母は更に表情を和らげる。
「わかりました。貴女のしたい事、私も協力します」
「…………え?」
自分のギターばかり見つめていた閑葉だが、この言葉に反応し、母を見た。
「貴女がこんなにも、一つの事に執着するなんて初めてですから。小さい頃からききわけ
が良かった貴女だからこそ、ね。それと…………内藤さん、でしたね?」
立ち上がった閑葉の母に名を呼ばれ、久人は姿勢を正した。
「は、はい!」
薄く目を開けた閑葉の母は、上品に頭を下げる。
「この子を、閑葉をよろしくお願いします。必要なら、私が後見人になりましょう」
そして閑葉の母は、悪戯っぽく笑む。
「あの人には悪いけれど、もし本当に事を起こすようなら、私の本家から圧力をかけても
らいます。これでも、ちょっと良い家の生まれですから」
まるで海が割れるかのように。
絶たれていた道が開かれる。
閑葉は、母を見上げて大粒の涙を零した。
「お母さん。ありがとう」
アロイと久人は、束の間の地獄を渡り切る事に成功した。




