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富樫君編 13




あの怒涛のプロポーズから、俺たちはようやく平穏な日常を取り戻せた。

あれほど苦しんでいたのに、今は信じられないぐらいに幸せだ。



仕事をして、家に帰れば瞳が笑顔で出迎えてくれる。

以前の俺なら家に女を入れるなんて、考えられなかった。

ましてや、仕事で疲れきってる状態で女の相手なんて冗談じゃねぇ!とすら思っただろう。

なのに俺の領域に瞳がいる事が、自然で一番しっくり来るように思えるんだから不思議だ。



これが俺が求めていた人生なのだ。

今なら大きな声できっぱりと言い切る事が出来る。


…人間、変われば変わるもんだ。





あの告白の後、晩飯のことなど忘れて瞳の手を引っ張って宝飾店に直行した。

瞳と再会してから何気に目をつけていた指輪を婚約指輪として購入し、テンポについていけず「え?え?え?」しか言えない瞳の左薬指に強引に押し込み、その場で挨拶から結婚式の日取りまで決めた。

もちろん、その瞬間に携帯から双方の親に連絡を入れたのは言うまでもない。


ここで逃げられたら困るからな。



結婚のことを話したら、両親、特に母親たちが大喜びだった。

瞳のお母さんとお袋は幼稚園から中学校まで一緒に学校役員をしたりで仲良がよく、当時たまに2人でランチを食べに行ったりしていたそうだ。

今でも年賀状のやり取りはもちろんのこと、ことあるごとにメールしたり電話したりしているそうだ。

故に瞳の成長を知っているお袋は「あの可愛い瞳ちゃんだもん!反対する理由なんてないわよ!っていうか、逃がしたら許さないわよ?わかった?」などと半ば脅してくる始末。


それにしても、こんなに近くにパイプがあったとは…何でもっと早くに気付かなかったんだろう?




瞳の家族の方は、2人の兄貴から一発ずつ殴られた以外に特にトラブルもなく、全てが順調に進んでいった。

…このあくの強いシスコン兄弟が後々トラブルメーカーとなることは、この時に予想して然りだったが。

俺も浮かれすぎていて、そんなことにまで気が回らなかった。



あちこちへの挨拶も済ませた後、うれしいことに、瞳が借りているアパートの契約更新が今年2月までだと判明した。

もちろん、結婚がわかっていて更新するなんてもったいないなどとまことしやかに理由を並べ立て、結婚前からオレのマンションで瞳が暮らすことを両家に承諾させた。

そうすれば仕事が忙しくても、毎日瞳の顔を見る事が出来る。

俺はチャンスを逃がさない男なのだ、と内心ほくそえんだ。

これで誰にも邪魔はできない。


…けれどこれがかなり気に入らなかったらしく、再度瞳の兄達から一発ずつ殴られた。

かわいい瞳を嫁入り前に汚すきか?と因縁をつけられて。

この時代、どこのどいつが結婚まで処女を通すものかと言ってみるものの、シスコン兄弟には通じない。


瞳の周りには、拳でコミュニケーションをとる人間が多すぎる。

俺は通っているジム以外にも、以前世話になっていた少林寺の道場で稽古することを真剣に検討し始めた。




一緒に暮らし始めた当初、急展開についていけず、瞳は事あるごとに途方にくれていた。

けれど、冷静さを取り戻していくにつれ、心から幸せそうに微笑むことが多くなった。

時々、何を想像しているのか、ニヤニヤ笑ってることがある。


そう指摘すると、決まって恥ずかしそうに顔を赤らめ、拗ねて頬を膨らませた。

その度に押し倒したい衝動と戦わねばならなかった。

いつもより強く抱きしめることで我慢している俺は、かなり紳士だと思う。




「…早く3月になればいいな?」



”離れ離れになった日から新しい関係を始めたい”


結婚式を中学の卒業式の日にしたのは、たったそれだけの理由だった。

瞳は察してくれたようで、ニコニコ顔で頷いた。



たまらなくなった俺は瞳の肩を抱き寄せた。

子供みたいにくすくす笑う彼女の首筋に唇を落とし、耳たぶに優しく歯を立ててからキスをした。

くすぐったいと顔を真っ赤にして身を捩る瞳は、態度とは裏腹に甘いため息を零す。


あ~…ダメだ、我慢できねー。


唇を強引に合わせ、味わいつくしてやろうと唇に全神経を注いだ。

そして、あわよくば……




…ったく、誰だよっ!

結婚までお預けなんて言ったヤツは!?



壁のようにごつい2人の男と意地悪そうに微笑む女が頭にに浮かんだ。

自分たちはヤリたい放題やってるくせに理不尽だと腹を立てつつ、ここまでずっと約束を守っている俺。

律儀だ。


理由はたくさんある。

これまで瞳を傷つけ、周りに迷惑をかけてきたのにもかかわらず、みんなさらりと水に流し、俺を受け入れてくれた。

俺はこれでも、誠意には誠意を返すべきだと常々考えているのだ。

それに瞳の純粋さを見ていると、清らかなものを踏みつけるような気分になる。

あまりにも無垢なので手を出しあぐねているというか、なんというか…。

とにかく、めちゃくちゃにしたいと思う気持ちと、守りたいという気持ちが俺の中で交錯しているのは事実だ。


…昔の俺を知っているヤツが聞いたら全員「けっ!」などと言って馬鹿にされそうだが。



しかし。

こんなことはある種の自分に対するいい訳でしかなく、彼女を一度もぎ取ってしまえば罪悪感だろうがなんだろうが

霧散することには違いないと確信している。


そう、最大の理由が別にあったりするのだ。

…それは…。



予定通り、いいところで携帯が着メロとともにぶぶぶ…と震えた。

液晶画面には、”瞳・兄その1”と書かれている。

俺はため息をつきながら、いやいや電話に出た。



「…もしもし」

『お前、瞳に手ぇ出してんじゃねーだろうなぁ?』

「…出してませんよ」

『…お前のことだから、こっち方面では信用できねぇしな。

 結婚前に瞳になんかしやがったら…分かってんだろうなぁ?え?』

「………」



別に怖いわけではない。

軽いブラコンである瞳への気遣いと言うかなんと言うか…。

一体何をどう吹き込まれたのか、瞳は結婚しなければセックスしてはいけないと頑なに信じている。

そうしなければ、赤ちゃんが出来ないから、と真剣な思いつめた目で言われたら、どうすればいいというのだ?


今では裏で操っているのは兄・その1だと確信している。

兄・その2は傍観者だ。

もちろん、かなり面白がっていることは間違いない。



最初は殊勝な気持ちでいたのだが。

元来、俺は殊勝などという言葉から最も遠い位置にいる男なのだ。

そろそろ本性を現してもいい頃だろう。


こんなやせ我慢、あと1日も持ちそうにない。

俺は兄からの電話を切ったあと、決意を固めた。


「瞳!明日結婚するぞ!」

「ふぇ?」

「だから、婚姻届出しに行くんだよ!」

「でも…明日は日曜日だよ?」

「最近では、ちゃんと日曜日でも受け取ってくれるんだよ!

 とにかく早く文句言えねぇ状態にしねーと、俺が悶死する」

「もんし?それって、なに?」

「…お前に触れたくて、悶え苦しむってことだよ」


瞳の頬がバッと真っ赤に染まった。

満足した俺はにんまりと笑った。

全く知識がないってわけでもないわけだ。



「でも…明日、ちょっと用事が…」

「用事?」


申し訳無さそうに上目遣いに告げる瞳は、文句なしに可愛かった。

けれど、暴走寸前の第二の人格の処遇について、かなり差し迫った状態が続いている。

下の器官から湧き上がってくるイライラとムラムラを押さえ、彼女を怖がらせないように出来るだけ優しく尋ねた。



「あのね、そろそろ剣道の試験があるから練習しなくちゃいけないの。

 ここのところいろいろあったし、道場の方にあんまり行けなくて…

 特に型の方をしっかりしてないとだめだし、稽古つけてもらわないと…」

「剣道、やってんだ?」

「うん、小学校ぐらいからやってたんだけどね、今もできるだけ道場に

 通うようにしてるの」

「へぇ…剣道にも試験があるんだな」

「そうなの。段審査は年に二回だから、チャンスはものにしないと」



格闘兄貴達に守られた秘蔵っ子。

この儚げな彼女と武士道は、あまりにもかけ離れて見えたのだが…。


俺はこのことを知って一番はじめに疑問に思ったことについて聞いてみた。


「で、お前、何級受けんの?」

「えとね、今4段で、次は5段」

「……」



放心した俺に気付かない彼女は、型の審査がいかに厳しくて難しいかということを熱心に語った。

その眼の奥にあるものは…確かに何事にも妥協しない、ひたすら上を目指す武道家の闘志。


兄貴2人は柔道と空手の帯もち、親友は情け容赦ない空手家。

そして彼女は…




その後すぐ、少林寺道場に入会を申し込んだのは言うまでもない。





で、婚姻届はどうなったかって?

2人とも稽古が終わって汗臭いまま、役所に駆け込んだに決まってるだろ。



そのあと怒りとお祝いの拳を受ける羽目になったけどな。










<完>







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