兄の部屋にいた、未知なる中二病(前編)
「……我は選ばれし勇者! 闇を切り裂く奇跡の光を我が手中に……。『聖剣エクスカリバー』!!」
リビングの絨毯の上で、私――高橋小春は、ゲームの主人公のキメ台詞を真似て、両手でコントローラーを天高く突き上げた。
画面の中でピカピカと虹色に輝いているのは、ゲーム中最強の威力を誇る神話の剣だ。
私がいまドハマりしているのは、資源を集めて拠点を広げ、仲間を集めながら魔王を倒すという、大人気のシミュレーションRPG。
時間を忘れるほど夢中になって素材を集め、最強装備をクラフトする時間は最高に楽しい。
「ふふーん、最強の剣も手に入ったし、拠点も要塞レベルまで強化完了! 小春ちゃん、完全勝利~!」
ぐぐーっと背伸びをして時計を見上げる。
時刻は、とっくに夜の八時を回っていた。
「……それにしても、お兄ちゃん遅すぎ」
いつもならとっくに帰ってきて、部屋でくだらないアニメでも観ている時間だ。
ザコだと思って見下していたのに、まさかこんな時間までデート中?
始業式に鞄を忘れ、朝食のトーストを床に落とすようなポンコツのくせに、ちょっと成長したじゃん……なんて、柄にもなく兄の成長を実感してみたりする。
だけど、今日訪ねてきた桜井唯せんぱいは、目の覚めるような超絶美少女だったのだ。
「お兄ちゃんのくせに、いつの間にあんな可愛い彼女を……」
せっかく根掘り葉掘り問い詰めて、からかってやろうと思ってたのに。
「……やっぱり、付き合ってるなんて全部ドッキリの罰ゲームで、ショックでこっそり部屋で毛布にくるまって泣いてるとか?」
あの残念なお兄ちゃんの事だ、十分にあり得る。
私は立ち上がり、部屋のドアノブに手をかけた。
「お兄ちゃーん、いるー? ……って、いないか」
真っ暗な部屋の電気をつける。
いつも通り、特に片付いているわけでもない殺風景な部屋。
けれど、机の上にポツンと、見覚えのない便箋が置かれているのが目に入った。
「ん? なにこれ……置手紙?」
ペタペタと歩み寄り、そこに書かれた文字を拾い読みする。
桜井せんぱいの綺麗な字だった。
『マンホールに落ちた先輩を探しに異世界へ行きます。私のことは心配しないでください』
「…………は?」
私は手紙を、二度、三度と読み返した。
マンホール? 落ちた? 異世界? 心配しないで、って……。
「えっ……桜井せんぱい、まさかの重度の中二病!?」
絶句した。
あんなに清楚でお淑やかそうに見えたのに、脳内ファンタジー全開の電波系美少女だったというのか。
あんなに美人なのに、なんて残念な……と一瞬引きかけたけれど、すぐに腕を組み、うんうんと頷いた。
「いや、待てよ? あのお兄ちゃんの彼女を務めようと思ったら、そのくらいネジが外れてないとやってられないか。うん、納得納得」
ひとりで勝手に腑に落ちていた、その時だった。
――カサカサッ。
「ひゃいっ!?」
まさか、黒光りするあの害虫!?
背後の頭上から聞こえた異様な物音に、変な悲鳴が漏れた。
恐る恐る振り返り、部屋の天井の隅を見上げた私は、その場で目を丸くして固まった。
そこにいたのは、虫ではなかった。
薄紫色のワンピースのような服を着て、背中に鳥のような白い羽を生やした女性が、天井の四隅に手足を器用に突っ張り、信じられない体勢でへばりついていたのだ。
まさに、ゴキブリのごとく。
「……ちっ、バレましたか」
「…………」
私は目を細め、ゴミを見るようなジト目で、不審者を見つめた。
「……は? 中二病彼女の次は、コスプレ変態ゴキブリ女……?」
「失礼な! 天の使いシャリエルです! コスプレでもゴキブリでもありません!」
自称天使のシャリエルはぷりぷりと怒りながら、天井からフワリと重力を無視したような動きで床へと降り立った。
「地上の俗物を相手にしている場合じゃありません。ここにあったはずの『不幸の残滓』は、すでに持ち去られた後のようですし……私は天界へ帰還します」
間近で見ると、顔立ちだけはやたらと整っている。
だが、言動が完全にヤバい。
シャリエルは胸を張り、大真面目な顔で窓の鍵を開けると、ベランダの手すりに足をかけた。
ここはマンションの四階だ。
下は普通に硬いアスファルトである。
「ちょっ、あんた何言って……危ないって!!」
変態コスプレ女が、お兄ちゃんの部屋から飛び降り自殺なんてされたらトラウマどころの騒ぎじゃない。
私は咄嗟に駆け寄り、シャリエルの腰に後ろからガシッとしがみついた。
「わっ、ちょっと離しなさい! 俗物に触られると羽が汚れます!」
「バカ、落ちたら死ぬでしょ!」
もみ合った瞬間、グラリと視界が傾いた。
二人分の体重が外へと流れ、ベランダの手すりを乗り越えてしまう。
(やばっ……落ちる……!)
ふわりと体が宙に投げ出され、マンションの外壁が視界を猛スピードで上がっていく。
激突の恐怖に耐えきれず、私はぎゅっと固く目を瞑った。
そのまま、落ちていく、落ちていく――。
やがて風を切る音すら遠のき、意識がふつりと途切れた。
「……もう、いつまでしがみ付いているんですか? 離してください」
ふと、すぐ耳元で呆れたようなシャリエルの声が聞こえた。
恐る恐る薄目を開けると、眩しい光が差し込んできて、思わずパチパチと瞬きを繰り返す。
マンションも、アスファルトの地面も、どこにも見当たらない。
目の前に広がっていたのは――。
どこまでも広がる青い空。
のんびりと続く田んぼと、細いあぜ道。
道端にポツンと立つ電柱と、古びたトタン屋根の日本家屋。
「……あれ?」
私は目をしばたたかせながら、こてんと首を傾げた。
「……どこの田舎? おばあちゃん家の方……?」
マンションから落ちて、恐怖のあまり気を失っている間に、どこか別の場所に運ばれたのだろうか?
すると、シャリエルが胸を張ってドヤ顔を決める。
「失礼な! ここは全宇宙の中心たる、神聖なる『天界』です!」
(うわぁ……桜井せんぱいどころじゃない、ガチの痛い人だ……)
ゴミを見るような哀れみの目を向ける私に、シャリエルは急にキョロキョロと周囲を警戒し始め、小声で囁いてきた。
「と、とにかく! 勝手によそ者を連れてきたことがバレたら、ウリエル様に何を言われるか分かりません! 用が済むまで、私の家で待っててください!」
「え、ちょっと……」
引き止める間もなく、私はシャリエルに手首を引っ張られ、あぜ道の先にある、ごく普通の「平屋の一軒家」へと連行されていくのだった。
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