前進
「ヴァルハルト。授業中に何をしている」
「自主訓練です」
「消せ」
「授業の妨げにはなっていません!」
「消せ」
教室の隅に浮かべていた小指の先ほどの火球が、渋々と消える。その日の放課後、アレクシスは屋外訓練場でルカを睨んでいた。
「貴様が教師に見つかるなどと言うからだ」
「俺のせいにするな。普通は見つかる」
「制御に問題はなかった」
「授業中に火を出していることが問題なんだろ」
結局、日常動作と並行した維持訓練は、炎ではなく風を使うことになった。
身体の周囲にごく弱い気流を作り、一定の強さで維持する。目に見えにくく、物を飛ばすほどの力もない。授業中でも教師に気づかれにくく、万が一制御を失っても火災にはならなかった。
そうして、二人の実験は半年間続いた。
最初に調べたのは、魔力をどこまで減らせば生成が始まるのかだった。
最大魔力の九割を残した状態。七割、五割、三割。それぞれで回復量を測定したが、魔力の減少量と生成開始の間に明確な境目は見つからなかった。
九割以上残っている状態でも、消費した分は補われた。ほんの僅かに魔力を使っただけでも、人体は魔力を生成している。
一方、マギコアが満たされると、生成は止まった。
「満杯になれば作らない。当たり前と言えば当たり前だな」
次に二人は、魔力の残量によって生成速度が変わるかを調べた。
魔力を大きく減らした状態では、確かに一度に多くの魔力が補充される。しかし、それはマギコアに空きが多いため、長く生成が続いているだけだった。魔力の生成量に、残存魔力による大きな差は見られない。
魔力が半分だから速く作られるわけではない。九割残っていても、空きがある限り生成は続く。
重要なのは、どれほど減らしたかではなかった。マギコアが満たされていない状態を、どれほど長く保ったかだった。
小さな風を一日中維持する訓練へ切り替えてから、アレクシスの魔力はほとんど減らなくなった。消費した端から補われ、残量は常に最大に近い水準を保つ。それでも、生成量は少しずつ増えていった。
一週間では誤差にしか見えなかった変化が、一月後には測定器でも確認できる差となった。二月を過ぎる頃には、同じ風を維持していても、訓練開始前より魔力が減りにくくなっていた。生成し続けることで、生成量そのものが増えている。
その結果が見え始めた頃、ルカは別の条件を加えた。
学院で定められた旧式訓練を行った翌日と、維持訓練だけを行った翌日。それぞれの生成量を比較した。
体調、睡眠、授業での魔力消費。条件を揃えるたび、別の要因が数値へ入り込んだ。測定をやり直し、記録から除外し、同じ検証を繰り返した。
数ヶ月が経過したころ、傾向が見え始めた。
魔力を限界近くまで消費した翌日は、生成量が僅かに低下する。
さらに、マギベインに痛みや違和感が残った日は、その低下が大きかった。マギコアの測定値にも一時的な乱れが生じ、普段と同じ風を維持していても魔力の補充が遅れる。
「器官を酷使した後は、生成量が落ちる」
ルカは記録へ線を引きながら言った。
「魔力生成ではなく、修復に力が使われているという仮説に近づいたか」
「近づいただけだ。損傷そのものが生成機能を弱らせている可能性もある。今の結果だけでは区別できない」
第三の器官が魔力を生成し、その力を修復へ回しているのか。それとも、マギコアやマギベイン自体が魔力を生成しており、損傷によってその働きが落ちているのか。二人には、まだ判断できなかった。そもそも、第三の器官そのものを一度も確認していない。
エドガーの仮説を前提にすれば説明はつく。だが、説明できることと存在することは別だった。
確かめられたのは、より単純な事実だけである。
人体には、失われた魔力を生成する機能が存在する。
その機能は、マギコアに空きがある限り働き続ける。
働かせ続ければ、一時間当たりの生成量が増えていく。
マギコアやマギベインに損傷がある間は、生成量が一時的に低下する。
そして、生成量が増えた後には、マギコアが成長する。
訓練条件を変え、生成量の伸びが鈍れば、マギコアの成長も遅くなった。生成状態を長く保ち、生成量が再び増えれば、それを追うようにマギコアの測定値が動いた。
変化の幅は常に同じではない。それでも、半年分の記録を並べると、二つの線はほとんど重なるように上昇していた。
「魔力の生成量に比例してマギコアも成長しているな」
アレクシスが記録を見下ろした。
「そう見える。だが、生成量がマギコアを成長させているのか、同じ原因で両方が変化しているのかまでは分からない」
「貴様は半年経っても、素直に結論を出せないのだな」
「半年で人体の仕組みが全部分かるなら、医者は苦労しないさ」
マギコアが成長した後には、マギベインにも変化が現れた。
以前より多くの魔力を一度に流せるようになり、その状態を続けると、マギベインの測定値が遅れて上昇する。流せる魔力量が増えた身体に合わせるように、魔力の通り道も発達していた。
生成量が増える。
マギコアが成長する。
扱える魔力量が増える。
その魔力を流すことで、マギベインも成長する。
「それでも、第三の器官がある証拠にはならない」
ルカは半年分の記録を束ねた。
「マギコア自体が魔力を生成している可能性も、マギベインが生成に関わっている可能性も残っている。分かったのは、人体に魔力を作る機能があり、その働きは鍛えられるということだけだ」
「十分だ」
「何がだ」
「半年前まで、私のマギコアは成長を止めていた。今は違う」
アレクシスの言葉に、ルカは反論しなかった。
二年次、最終期末。
ヴァン魔法学院では、その年最後の公開戦闘訓練が行われた。
第二戦闘場の観客席は、開始前から学生たちで埋め尽くされていた。今期最後の対戦であり、二年首席と第二席が再び顔を合わせる。
「次の対戦者、前へ」
教師の声に応じ、二人の学生が舞台へ上がった。
二年首席、ルーンハルト・エルディア。
二年第二席、アレクシス・フォン・ヴァルハルト。
半年ぶりの対戦だった。
「また君と戦えるね」
ルーンハルトは穏やかに微笑んだ。
「その余裕がいつまで続くか、見せてもらおう」
「楽しみにしているよ」
教師が片手を上げ、二人の間から離れる。
「始め!」
「水刃」
先に動いたのはルーンハルトだった。
五枚の水刃が空中に生まれ、異なる角度からアレクシスへ迫る。
「風よ」
アレクシスの周囲に風が渦巻いた。水刃の軌道が僅かに逸れ、その隙間を縫って身体を滑り込ませる。
「炎よ」
十の火球が展開された。
ルーンハルトの左右と上空へ散り、それぞれが異なる軌道で接近する。
「水壁」
半円状の水が立ち上がり、火球を受け止めた。炎が水面で弾け、白い蒸気が舞台を覆う。
蒸気を貫くように、さらに五つの火球が現れる。
「炎よ、廻れ」
火球が一斉に軌道を変えた。
ルーンハルトは水壁を分割し、四方へ展開する。四つの火球が水に呑まれ、残る一つも水刃に切り裂かれた。
「十もの火球を同時に制御しながら、次の魔法の準備とは驚いた。制御も魔法の生成速度も前より速いね」
「いつの私と戦っているつもりだ」
アレクシスが右腕をルーンハルトに向ける。
再び火球が灯った。
一つ、二つ、三つ。
十を超えても止まらない。
計十四もの火球が、アレクシスの周囲へ均等に並んだ。
観客席がざわめく。
ルーンハルトの表情から、初めて微笑みが消えた。
「十四……」
「炎よ、廻れ」
十四の火球が散開した。
正面から四つ。左右から三つずつ。残る四つは上空へ昇り、時間差をつけて降下する。
ただ数が多いだけではない。
すべての火球が異なる速度、異なる角度で動きながら、互いの軌道を妨げない。ルーンハルトが一方向へ逃げれば、別の火球が退路を塞ぐ。
「水壁」
三重の水壁がルーンハルトを囲んだ。
正面から迫った火球が水面で爆ぜる。左右の六つも壁に呑み込まれ、上空から降り注いだ四つを水刃が迎え撃った。
十四の火球が消えるが、ルーンハルトの水魔法も蒸発し、辺りは濃い水蒸気で包まれる。
だが十五個目の火球がルーンハルトの背後に現れる。
他の火球が水壁を叩いた瞬間、上空に飛ばした火球の内の一つを分割し、蒸気へ紛れさせて低く回り込ませたのだ。
「炎よ、穿て」
火球が細い炎へ変わり、水壁の継ぎ目を抜けた。
ルーンハルトが身体を捻る。
避けきれなかった炎が、制服の肩を掠めた。
布が焦げ、細い煙が上がる。
観客席から音が消えた。
アレクシスの魔法が、初めてルーンハルトへ届いた。
ルーンハルトは焦げた肩へ目を向け、それからアレクシスを見る。
「見事だ。前とはまるで違うね」
「賞賛は、私が貴様に勝ってから言えと以前も言ったはずだ」
「そうだったね」
舞台の空気が変わる。
「水界」
石床の隙間から水が噴き上がった。
一条ではない。舞台全体を覆うほどの水量が、巨大な波となってアレクシスへ迫る。
「風よ!」
アレクシスは風を正面へ集めた。波の先端が割れ、左右へ流れる。その隙間へ火球を撃ち込み、水を蒸発させながら前へ進む。
だが、量が違いすぎた。
蒸発させた以上の水が押し寄せ、風の壁を呑み込む。
「炎よ、穿て!」
収束させた炎が波へ穴を開けた。
その先に、ルーンハルトの姿はない。
「水縛」
いつのまにか足元に展開されていた水が縄のように絡みついてくる。
水流が両腕と胴体を拘束し、身体が石床へ引き倒された。
喉元へ、薄い水刃が突きつけられる。
「そこまで! 勝者、ルーンハルト!」
教師の宣言と同時に、水の拘束が解けた。
観客席から大きな歓声が上がる。
アレクシスは濡れた石床へ片膝をつき、荒い息を整えた。
敗北だった。
ルーンハルトの魔力量は、今もなお圧倒的だった。最後に押し寄せた水量へは、正面から対抗することさえできなかった。
それでも、以前とは違う。
半年前は、ルーンハルトへ一撃も届かなかった。
今回は届いた。
十五の火球を同時に操り、その防御へ穴を開けた。
「立てるかい?」
差し出されたルーンハルトの手を、アレクシスは見上げた。
「必要ない」
自分の足で立ち上がる。
身体は重い。悔しさも消えていない。
まだ勝てない。
だが、確実に前進はしている。
観客席の端で、ルカが無言のまま記録帳を閉じる。半年間、測定器の上でしか見えなかった変化が、初めて戦場へ現れた。
魔力を生成する機能は存在する。
その働きは鍛えられる。
生成量が増えれば、マギコアは再び成長する。
第三の器官は、まだ見つかっていない。
それでも、定説の外側に道が続いていることだけは、もう疑いようがなかった。




