プロローグ
ヴァン魔法学院、第一講義棟。朝の光が高窓から差し込み、階段状に並んだ机を白く照らしていた。まだ新しい制服に身を包んだ一年生たちは、緊張の残る面持ちで黒板を見つめている。
壇上に立つ老教師は、何も言わずに白墨を取った。そして、黒板に四つの円を描く。
一つ目の円には、マギコア。
「一般に魔力核と呼ばれる器官だ。魔力を蓄積し、魔導士の最大保有魔力量を左右する」
二つ目の円には、マギベイン。
「魔脈。マギコアに蓄えられた魔力を全身へ運ぶ。術式の行使に欠かせない経路だ」
三つ目の円には、マギジェネシス。
「魔力生成器官。魔力の生成速度、回復速度、そして生成効率を担う」
四つ目の円には、マギニューロ。
「魔導神経。魔法制御、詠唱速度、魔力損失、最大出力の調整に関係する」
老教師は四つの円を細い線で結んだ。
「魔法能力は、一つの器官だけで決まるものではない。これら四つの魔力器官が互いに影響し合い、その総合性能によって決定される」
学生たちは一斉に筆を走らせた。誰も疑問を挟まない。それは今や、初等教育でも教えられる魔法学の基礎だった。
だが、老教師は白墨を置かなかった。そのまま、マギコアとマギベインの二つを指す。
「だが、かつて魔力器官は、この二つしか存在しないと考えられていた。第三器官マギジェネシスも、第四器官マギニューロも、当時の魔法学には存在しなかった。正確に言えば――存在しないものとして扱われていた」
教室の空気が、わずかに変わる。残る二つの円へ、学生たちの視線が集まった。
「魔力はマギコアに蓄えられ、マギベインによって運ばれる。そして魔導士の才能は、マギコアの大きさで決まる。それが、数百年にわたり支持された旧魔法学の定説だった」
学生たちの筆が、少しずつ止まり始める。老教師は教卓の上から一冊の本を持ち上げた。濃紺の表紙。幾度も版を重ねながら、その題名だけは初版から変わっていない。
――『新魔法学概論』。
「この本に記された理論は、今でこそ魔法学の基礎だ。だが、発表された当時、それは学説ですらなかった。無知な平民の妄想。未熟な学生の虚言。偉大な魔法学への侮辱――そう呼ばれた」
学生たちは、もう筆を動かしていなかった。自分たちが当然だと思っている知識が、かつては嘲笑の対象だった。その事実だけが、講義室に重く残る。
「覚えておきなさい」
老教師は再び黒板へ向き直り、四つの円の横に一つの言葉を書いた。
転説。
「真理は、発見されただけでは世界を変えない。発見する者がいる。証明する者がいる。そして、それを受け入れる時代が来る。その三つが揃ったとき、新説は定説へと変わる。後世の学者は、その歴史的転換点を――転説と呼ぶ」
朝の光の中で、四つの円が白く浮かんでいた。
老教師は本を開く。最初の頁には、二人の名が記されている。
アレクシス・フォン・ヴァルハルト。
ルカ・エインズ。
「では、授業を始めよう。今日は、この理論がまだ異端ですらなかった頃の話だ」
数十年前。ヴァン魔法学院。
己の才能を信じて疑わなかった第二席と、世界の常識を疑ってやまなかった一人の平民。
二人が、まだ互いの名前さえ知らなかった頃から――物語は始まる。




