俺の、最初のお姫様
朝が来た。太陽の光が目に突き刺さる。昨夜の戦いでなぎ倒された木々から葉が散り、風に煽られて空へ、地平線を越え天国へと届くかのように舞い上がっていた。俺は一晩中続いた戦いの後、力尽きて横たわっていた。
剣を握る手は傷だらけで、一晩中無理に動かした体は感覚を失っている。体に残った魔法の層が、俺を癒そうとしているようだった。体中が血まみれだ。頭から足先まで、あの鶏の化け物のどろりとした不快な血に染まっている。隣には、この両手で殺した化け物の、魂も意識もない亡骸が転がっていた。
気配を感じてノヴァの方を見ると、あんなに酷い傷を負いながら、彼女はまだ意識を保っていた。俺は両手を使って彼女に近づこうとした。自分の命の残りを、彼女の傍で使い果たそうと考えた。体はもう助からないほどの傷を負っている。ここには医者もいない。俺ももうすぐ空へ、天国へと行くことになるだろう。誰かと共にいるのなら、寂しくはない。
ノヴァを見ると、彼女は絶え絶えの息を吐いていた。俺は彼女の傍らに横たわり、力を振り絞って手を動かし、彼女の体を撫でた。ノヴァの瞳は、もう世界を映す色を失っているようだった。撫でてやると、彼女はとても心地よさそうにした。そんな表情を見せることは滅多になかったから、少し愛らしく思えた。「もっと頻繁にそんな顔を見せるべきだったんだ」と言いたかったが、口はもう動かない。息が尽きる前に、手を動かすだけで精一杯だった。
強い風に吹かれても、寒さは全く感じなかった。痛みもほとんどない。世界に対する認識が崩れ始め、視界がぼやけていく。思考は穏やかだった。何も考えずとも、これが俺の最期だと分かっていた。だが、こんな終わり方も悪くない。王女の敵に立ち向かった本物の騎士になれたのだから。こんな状況でさえ騎士になろうと考えている自分に、少し笑いが込み上げた。
風の感触が消えていく。この世界での生活を思い返していた頃から、視界は暗くなっていた。ノヴァをまだ撫でているのかさえ分からなかった。周りの様子ももう把握できず、肉体的にも精神的にも限界を迎え、俺は眠りに落ちた。だが俺は気づかなかった。ノヴァがまだ意識を保ち、俺に近づいて体を舐め、僅かに残った魔力で最後の治癒を施したことに。ノヴァは満足げで、どこか悲しげな表情で瞳を閉じ、俺の胸の上で眠りについた。
目が覚めると、痛みと眩暈に襲われた。天国でも痛みや眩暈を感じるのかと思ったが、周囲を確認して、自分がまだ生きていることを知った。体調は以前より良くなっている。致命傷のほとんどは癒え、体中に擦り傷が残っているだけだった。手にはまだ剣を握っている。俺は起き上がり、自分の目で周囲を見渡した。なぎ倒された木、舞い散る葉、そして虫に食われ始めた動物たちの死骸。胸を突くような臭い。誰の気配もない孤独。あの恐ろしい出来事から、いつの間にか生き延びていた。
立ち上がり、命を落としたノヴァを見ても、何も感じなかった。正確には、何を感じればいいのか分からなかった。大きな出来事が立て続けに起き、思考がまだ少し空白のままでいた。だが、ノヴァをこのままにしておけば、生き残った他の動物に死骸を食い荒らされるだろう。俺はバラバラになった子供たちの遺骸を探し集め、ノヴァの傍に運んだ。子供たちの状態は酷かった。虫に食われ始め、頭は離れ、鶏に食われて半分しか残っていないものもいた。俺は鼻を突く血の臭いに耐え、虫に食い荒らされて開き続ける傷口から流れる血にまみれながら、彼らを運んだ。
五人を埋めるのに十分な穴を掘った。俺の体もまだボロボロで血が滲んでいたが、せめて相応の弔いをしてやりたかった。木の枝を使って土を掘る。腹が減り、喉が渇き、体中が痛んだ。土を掘る手は皮が剥けそうだったが、これが前の世界での道徳に従った正しい行いだと信じていた。親しい動物には相応の埋葬をすべきだ。俺たちはいつも森の同じ場所で会っていたから、そこに彼らを埋めた。それでも、子供たちの遺骸を全て見つけられたわけではなく、完全な形での埋葬にはならなかった。穴を掘るのに使った木の棒を、彼らの墓標として立てた。
その後、重い足取りで水を求めて森へ入った。残された剣を持っていく。昨夜の戦いを生き抜いた剣だ。だが、それを褒めるような気分にはなれなかった。感情も心もなければ、剣など魔物が現れた時に戦うためのただの道具に過ぎない。
川に近づくと、あの角の長い光る鹿がまたいた。以前、ノヴァに剣技を披露した時には見かけなかったが、今はまたいつもの場所で水を飲んでいる。許可を求める気力もなく、俺は勝手に川岸の水を啜った。だが、水を飲む前に鹿が鋭い目つきで俺を睨み、俺を獲物として見た。鹿は一切の躊躇なく、獲物を追うようにこちらへ突進してきた。俺はそれに反応し、すぐに逃げ出した。
驚いた。いつもは川を共有してくれていたのに、なぜ急に襲ってきたのか。許可を求めなかったからか? だが川はあいつのものではない。なぜ毎日許可を求めなければならないんだ。苛立ちに任せて剣を振るい、一撃で倒そうとしたが、斬りつけた瞬間、あいつの体の周りにノヴァやあの鶏と同じような障壁が現れた。俺が普通の鹿だと思っていたあいつもまた、魔物だったのだ。
昨日はあんなに平穏だったのに、なぜ今襲ってくるんだ。クソ、クソ、クソ! 昨夜からの出来事で思考は混乱したままだった。俺は身を守るため、まずは森を出ることにした。森を出ると、あいつはもう追ってこなかった。酷く疲れ果てていた。急激に上がったアドレナリンのせいで、体の傷がさらに悪化した。家の方へ歩き、水の蓄えが残っていないか確認しに行った。昨日のことさえ忘れていた。時間と共に、思考はどんどん悪くなっていく。
家に着くと、川から持ってきた水は尽きていた。昨日ノヴァたちと食べた鹿の肉の残りはあったが。その肉を見て、一緒に食事をした時の美しさを思い出した。俺は剣技を披露し、ノヴァは無表情ながらもそれを見守り、子供たちは肉を食べて喜び、俺は彼らの様子を見て幸せだった。今残っているのは、微笑みの消えた虚無感だけだった。
俺は反対側の森にある川に望みをかけることにした。そこは森の中ではなく、この世界に来た時に最初に見つけた川だ。痛みで足取りは遅く、丘を越えるのはさらに辛かった. 森の外とはいえ、家からは少し距離があるため、バケツを持っていく余裕はなかった。川に着くと魔物の気配はなかったが、それでも森は暗く、光が届かない。脱水症状のせいで水を大量に飲み、焚き火を作るために落ちていた枝をいくつか拾った。その後、家に戻って残りの鹿の肉を食べた。
夕方になった。風と散る葉に包まれながら、俺は焚き火を作った。手が痛んで苦労したが、長くここにいればこんな痛みには慣れていた。その後、ただ夕方の空と雲を眺めていた。何をすべきか分からなかった。体は痛み、剣の修行は傷を悪化させるだけだ。それに、もう守るべきものもいない。無気力さが襲ってきた。誰もいない。以前は明日を楽しみにしていたのに、今は何をすればいいのか分からない。オレンジ色の空が徐々に暗くなり、目の前の火が明るさを増していく。暖かさと疼く痛みは、ここに来たばかりの頃とは全く違っていた。だが、揺らめく火が目を引いた。何があっても消えない火のように。少なくとも、明日のために生きようと思った。
日が過ぎ、俺は綺麗な水で傷を洗い、ジーンズを裂いて酷い傷口に包帯を巻いた。肉については、あの夜の戦いで死んだ肉を食べた。虫が湧いていたが、構わなかった。焼けば虫など気にならないだろう。俺はまた、いつもノヴァと会っていた場所へ行った。彼女たちの墓を見つめたが、何も感じなかった。ただ虚しく、そして家に帰った。
同じ日常を繰り返した。ジーンズで巻いた傷は打ち身のように痛み出した。肉もまだあの戦いの残りを食べていた。体調のせいで森に入ることもできず、夕方にはノヴァの墓へ行き、いつものように虚無感を感じて、すぐに帰る。
一週間、同じルーティンを繰り返した。虫の湧いた肉を食べ、水を飲み、空を眺め、ノヴァの墓へ行く。同じ感情、同じ一日、同じ景色。終わりのない退屈なサイクルの繰り返し。
一週間と二日、傷が腫れ上がった。痛みは激しく、擦り傷は治り始めていたが、ジーンズを巻いた場所は日に日に痛みを増した。激しい吐き気と腹痛で歩くのもままならず、肉を少し食べ、水を少し飲み、ノヴァの墓へ行って帰るだけだった。
一週間と四日、頭が狂ったように痛んだ。包帯を巻いた場所の痛みよりも、腹の痛みが勝り始めた。それでも水と肉を確保し、いつもの感情を抱えてノヴァの場所へ行った。
毎晩、同じ夢を見た。あの夜のこと、目の前に飛び散る血、ノヴァの子供たちの悲惨な死、そしてノヴァの最後の抱擁が、眠るたびに繰り返される。同じ夢に邪魔されず、安らかに眠れる日はなかった。その後の数日、俺はもう限界だった。急な発熱で体は動かず、何も食べられなかった。傷口から腹にかけて痛みが充満していた。傷に巻いたジーンズは白赤色に変色し、皺が寄って傷口には蛆が湧いていた。それでも、俺の考えは変わらなかった。最後にもう一度だけ墓へ行きたかった。毎日、何かを探すかのような同じ気持ちで、あそこへ行きたかった。ただ眺めるだけでも、自分を嘆くだけでも構わなかった。精一杯の力を振り絞ってドアの方へ向かおうとしたが、ドアの前で力が尽き、傷口の生臭い臭いと腹を焼かれるような痛みの中で倒れ込んだ。
目を覚ますと、俺は暗い空の下で座っていた。完全に暗いわけではなく、星の光が一つ、また一つと現れていた。目の前にはテーブルと、もう一つの空席があった。周りを見渡した。明るく輝く星の光が美しかった。遠いようでもあり、近いようでもあった。下を見ると、地面がなく宙に浮いているようだった。
「俺、死んだのか?」
感情のない虚ろな目で、これが死かと思った。死ぬのは酷く痛むと思っていたが、案外穏やかなものだった。
「ここは天国か? 天国にしては単純すぎるな」
「ここは天国じゃないわよ」
突然目の前に現れた声に驚いた。みすぼらしいフードを被り、腰に剣を下げた人物がそこに座っていた。ずっと前からそこにいたかのような様子だった。
「……」
「誰だ、あんた?」
「私のこと、覚えてないの?」
「……」
「異世界へのアクセスを与えたのは、私じゃない」
声は女のようだった。その口調からは、俺がここにいるのを喜んでいるかのように明るい響きがした。思い返せば、確かに彼女が俺を異世界へ送ったのだ。
「それにしても、ひどい状態ね。自分から一人でいたいなんて言うからよ」
「あんたは神か?」
「違うわよ。こんなフードを被ってるけど、私もあんたと同じ人間」
「ふざけるな。本当は誰だ?」
「本当よ、人間だってば」
「二つの世界を繋げる人間がどこにいる」
「えー、結構たくさんいるわよ。あんたが知識不足なだけ。だから、人間のいる場所に住みなさいって勧めたのに」
彼女と話しているうちに、ここへ来た時の忘れていた記憶が戻り始めた。
「確かに、一人で住んで剣の修行に集中したいと言った。だが、あんな場所、なぜ勝手にあんな所に俺を放置したんだ?」
声を荒らげてそう言った。現代人をあんな場所に、外の世界から孤立させ、食べ物も何も用意せずに放置するなど、到底論理的ではない。
「あそこで生きるのがどれほど大変だったか分かってないのか」
「分かってるわよ。あんたの状態は全部知ってる。ずっと見てたんだから」
彼女の突然の言葉に驚いた。
「あの場所は『アイソレート・ワールド』。誰かの精神と力を鍛えるための場所よ」
「……」
「あんたをそこに置いたのは、誰にも邪魔されずに毎日修行したい、そして異世界で一人でも生きていける強い精神を築きたいって、あんたが望んだからでしょ?」
「……」
「それにしても、その態度は何よ」
「あんた!! あそこで生きるのがどれだけ辛かったか分かってないのか!? 食べ物は自分で探し、森に入れば魔物に会い、ナイフ一本すらなかったんだぞ。あんな場所が修行になるとでも思ってるのか!?!!」
彼女の身勝手な態度に俺は腹を立てた。
「そう、修行よ。一人で生きる精神を鍛え、狩りの仕方を学び、私が与えたサクラの技術まで使いこなせるようになった」
「……」
「ただ、魔物の件は私のミスね。精霊と悪魔の争いがあそこまで及ぶとは思わなかったわ」
「何を言ってるんだ」
「ノヴァでしょ? 随分と悲惨な結末だったわね」
「悲惨だと!!? あんたに何が分かる――」
「ノヴァはね……あんたのことを、とても大切に思っていたのよ」
「……」
「あんたにとってはただの魔物だったかもしれないけど、あんたの振る舞いが、彼女にとってあんたを大切な存在にしたの」
「どういう意味だ? 何が言いたいんだよ!?」
彼女の言っていることが、ますます理解できなくなった。
「ノヴァは悪魔よ」
「はあ……」
彼女の言葉は、俺の頭ではますます筋が通らなくなった。
「昔からあの場所は強くなりたい人の修行場だったけど、ほとんどの人はノヴァを見て恐怖に震えたわ」
「……」
「でもあんたは違った。いつも騎士のエレガントさがどうとか喋り散らして、魔物だと知りながらノヴァに近づいた。だから彼女はあんたを大切なものだと思ったのよ。悪魔族が人間と友達になるなんて、滅多にないことだわ」
「そんなこと言ったって……ノヴァは俺のことなんて全く気にかけてなかった」
彼女の言葉に驚きながら、俺は思い出し始めた。確かに、ノヴァは俺が出会った鹿や鶏とは根本的に違っていた。あいつらは神聖な生き物のように明るい光を放っていたが、ノヴァのオーラはどろりとした黒で、毛先の黒い色にもそれが表れていた。
「ノヴァはずっとあんたを気にかけていたわよ。最初はただの変な生き物だと思ってたでしょうけど。恐怖心もなく森をうろついて、精霊にまで会うんだから」
「……どういう意味だ……?」
「知らないの? あんたがノヴァと知り合う前から、あんたが異世界に来たばかりの時に出会ったあの鶏を追い払ったのはノヴァよ。あんたが無謀に食べ物を探し回っていた時、あの角のある鹿を追い払ったのもノヴァよ」
「……やめろ……」
冷や汗が出てきた。胸を強く締め付けた。呼吸が苦しくなっていく。
「あんたがノヴァと遊び始めて、名付けまでして、ノヴァはあんたを友達だと思ったのよ」
「……やめろ……」
「騎士のことで騒いだり、子供たちと遊んだり」
「……やめてくれ……」
「苦労して獲った魚を持ってきて、一緒に食べたりしてさ」
「やめろぉぉぉ!!!!! やめろと言ってるだろ!!」
「何のためにそんなことを言うんだ!!」
「ノヴァはもう死んだんだ!!」
「……」
彼女について俺の知らなかった事実を聞かされることに耐えられず、俺はその本質を拒絶しようとした。これ以上感情を押し潰されるのが怖かった。自分の騎士としての理想が崩れるのが怖かった。怖かった……この数ヶ月の自分の行いが、自分を何一つ変えていなかったのではないかと思うのが。
「命の危険を冒してまで戦ったあんたを見て……ノヴァはあんたを、ただの空想好きの変人じゃなく、心から守るべき存在だと見たのよ」
「やめてくれ……」
心臓が激しく鼓動し、目尻が熱くなった。気づかないうちに、涙が頬を伝っていた。
「分かってたんだ……全部俺の妄想だったってことは。でも、最後までノヴァが俺を支えてくれていたことも、分かってた……死ぬ瞬間まで、俺のことを考えてくれていたのも」
彼女に関するあらゆる記憶が蘇ってきた。守られているような温かい感覚、一緒に遊んだこと、明るい子供たち、そして俺の戯言をいつも黙って聞いてくれたノヴァの穏やかさ。
「認めたくなかった……ずっとノヴァが、俺を守ってくれていたんだってことを」
俺は声を上げて泣いた。今まで消し去ってきた現実、彼女の最前線に自分が立とうとするために遠ざけていた事実。自分の中身を全て引き裂かれるような感覚だった。俺のしてきた気遣いも、この世界での俺のアイデンティティも、全てが否定された。結局、俺は前の世界と同じ、わがままで甘えたガキのままだったんだ。
「でも私は、あんたはまだ騎士になれると思うわ」
「……」
「ノヴァを、守れなかった存在として刻みなさい。その記憶を持ち続け、ノヴァがあんたにくれた感情を忘れないこと。そうすれば道を踏み外さず、次の誰かが腕の中で死体になるようなことは防げるはずよ」
「……」
俺は下を向いた。疑念に満ちていた。知っている誰かがノヴァのようになるのが怖かった。
「俺にできるのか?」
自信がなかった。また同じことが起きるのではないかと怖かった。
「レン、あんたにとって人生って何?」
「……」
「私にとって、人生は見ていて楽しい物語のようなものよ。あんたは一人でいようとするから、失敗を恐れるの。でもねレン、人間は一人で生きるものじゃない。いつか新しい出会いがあり、あんたの騎士の妄想を笑わずに受け入れ、いつも笑い、あんたのエレガントさに注目し、あんたと一緒に犠牲になることさえ厭わない人が現れるわ。だからレン、今は、いつか守りたいと思う誰かのために生きなさい」
「ノヴァの恩を返すために生きなさい」
「ああ」
俺は拳を握りしめた。
何も言えなかった。言葉なんて、もう何も出てこなかった。
ただ、ノヴァのことを思った。
俺は微笑み、そして涙を拭いた。
「……」
「なあ、どうすればいい?」
「ん……?」
「俺の体……向こうの世界の体がひどい状態なんだ。誰かを守るどころか、自分自身が死にそうだ」
俺はパニックになった。自分の体のことを完全に忘れていた。どうすればいい? 森に薬はあるのか? いや、薬どころか、今の状態じゃ魔物に殺されるのがオチだ。
「ああ、それなら心配いらないわ。私が治しておいてあげる。どのみち、そんな体じゃ何もできないでしょ」
彼女は笑った。くそ、格好いいことを言った直後に自分の体のことを忘れるなんて。
「……それで、ノヴァを狙っているのはどんな奴らなんだ?」
俺は真剣に質問を変えた。
「精霊よ。少なくとも五体、ノヴァを殺すために派遣されたわ。二体はもう死んでいる。一体はあんたが、もう一体はノヴァが倒した」
「でも、あんな角の生えた鶏程度の相手に、ノヴァが負けるとは思えない」
「普通ならそうね。でも……あんた、ここに来る前に襲ってきたあの角のある鹿を覚えてる?」
「ああ、あいつも俺を襲ってきた」
「ノヴァが負けた原因の大部分はあいつよ。あの角は周囲の魔法の形を歪ませる(ディストーション)。敵の魔力を使えなくさせてしまうの」
「じゃあ、あの野郎が……。それで? それだけか? あの空から降ってきた光は何なんだ?」
俺は努めて冷静に、知りたいことを一つずつ尋ねた。
「落ち着いて、説明するわ。確かに魔法を歪ませるだけじゃノヴァは殺せない。ノヴァは自分自身の周囲を書き換える力を持っているから、魔法を消そうとする力さえ逆手に取って敵を無力化できる。でも……」
「でも?」
「問題は空にいた魔物よ。あいつはノヴァの射程外にいた。三対一ならノヴァが勝てたでしょうけど、空にいたのは別格……『聖獣』よ」
「聖獣?」
「ええ。名前の通り、あいつの攻撃は魔法じゃなくて神から与えられた『神聖力』に基づいている。魔法を封じられたところで、神聖力は神から授かった力だから、ノヴァの干渉が一切効かないの。それが敗因よ。ノヴァは地上を捌きながら、常に空からの干渉も気にしなきゃいけなかった」
俺は眉間にしわを寄せた。聖獣なんてものがいるなんて。あの精霊のクズどもに激しい怒りが込み上げた。
「……私の勘違いかもしれないけど。あんた、復讐したいの?」
「これは復讐じゃない。ただの俺の我儘だ。自分の中にある迷いを消し去るための、そして俺が一人で生きていけるっていう証明だ。未来の誰かのためでも、ノヴァのためでもない。俺自身の望みだ。結局、俺はどこまでも自分勝手なんだよ」
「埋め合わせに、あの角のある鹿なら殺せるわ」
「……」
「やり方、知りたい?」
「……頼む」
俺は真剣に言った。
「いいわ。私の言うことをよく聞きなさい」
……………………………………
「理解できた?」
「ああ。これであいつを殺せる」
勝利を約束されたかのように、自信に満ちた声で答えた。
「それでも練習は必要よ。今のあんたじゃ、ほぼ不可能だから」
「分かってる……」
「そろそろ時間ね」
「えっ……」
急に猛烈な眠気に襲われた。瞼が閉じていく。
「目が覚めたら、まずは体を休めて、それから修行なさい」
彼女の声が遠のいていく。
「……あんたは、ノヴァの言葉が分かるのか? あいつの気持ちをあんなに知っているなら……」
消えかかる意識の中で、俺は問いかけた。
「ええ、魔族の言葉は理解できるわ」
「だったら……ノヴァに謝っておいてくれ。何度もあいつに酷いことを言ったって」
「ノヴァはそんなこと気にしてないわよ。でも、伝えておくわ」
「それと、もう一つ……」
意識が完全に遠のき、俺は目を閉じた。
「……私のミスからここまで抗ったご褒美に、授けてあげるわ……サクラにふさわしい……力を……」
目が覚めると、俺は家のドアの前にいた。柱を掴んで外を見る。葉が散り乱れている。木々が葉を失っていたことにさえ気づかなかった。ノヴァが死んでからの時間は酷く不鮮明で、周りの景色さえ見えていなかった。
生臭い臭いがした。肩に巻かれた白いジーンズを見ると、まだ湿っていて、いくつかの蛆が這っていた。胃がせり上がり、呼吸が乱れ、俺は激しく嘔吐した。自分の体に対する嫌悪感が溢れ出した。腹を抱える。痛みはもう引いていたが、こんな虫の湧いた肉を二週間も食べていた事実に吐き気が止まらなかった。
落ち着いてから、大きく息を吸った。家の前に座り込み、肩のジーンズを剥ぎ取って、視界に入らないほど遠くへ投げ捨てた。俺は腹をさすりながら、ふらつく足取りでノヴァの墓へ向かった。
吹き付ける風は、もう心地よい涼しさではなく、肺まで突き刺すような鋭い寒さだった。冬を越すための食料探しも困難になるだろう。
ノヴァの墓の前に立ち、俺はいつものようにただ眺めた。何を言うべきかまだ分からない。死を無駄にしないと誓ったものの、あの鹿に勝てる自信はまだ完全にはなかった。俺は息を整え、自分の両頬を強く叩いた。
「ノヴァ、俺があいつを仕留めてやる。これは俺の我儘だけど、あの鹿を殺すことが、俺のケジメだ」
家に戻ったが、食べ物はない。黒い森の近くの川で水を汲み、いくつかのベリーを拾った。衰弱した体と、長い眠りから覚めたような感覚の中で、俺は夕方まで修行を続け、それから眠りについた。栄養不足の体で動く辛さは、前の世界でも経験したことがある。これくらいは問題ない。明日への準備のために、俺は眠り続けた。
いつの間にか日は過ぎ、空は色を失い、白い粒が足元を覆い始めた。家の前も、ノヴァの墓も、雪に埋もれていく。数週間が過ぎ、本格的な冬が来た。寒さは日に日に増し、雪が体に降り積もる。生臭い血の臭いも消え、俺は狼の皮で作った簡素なマントを羽織った。
狩りの時間だ。俺はいつも黒い森へ入る。角のある鶏は姿を消し、鹿は反対側のエリアにいる。この辺りは狼や熊といった小型の魔物の縄張りだ。俺の一撃で仕留められる。狩りを終え、獲物を置いた後、ノヴァの墓へ行く。いつものように、返事のない彼女に今日一日の出来事を話す。復讐心と真剣さを入り混じらせた表情で、俺はノヴァの森へと入り、あいつを殺す方法を毎日模索した。
ついに、あいつを見つけた。あいつを見るたびに、心臓のあたりが怒りと痛みで疼く。こいつがノヴァを殺したんだ。
俺は茂みから、サクラの第一段階で奇襲をかけた。そこから、効率的な戦い方を学んでいった。毎日戦いを挑むが、あいつの障壁は硬い。最初の一撃が防がれると、俺は即座に逃走した。鹿は追いかけてくる。俺はサクラの歩法を攻撃だけでなく、逃走に転用した。あいつらは「魔力」で標的を探知する。第一段階で攪乱したあと、気配を殺して隠れれば、魔力を持たない俺を見つけることはできない。
数週間が経ち、雪は一メートルも積もった。修行もままならず、多くの魔物は冬眠に入った。巣で眠る魔物を狩るのは容易かった。俺はルーティンを崩さなかった。狩り、墓参り、そして鹿の殺害方法の模索。何度も戦ううちに、答えは見えてきた。第一段階で斬りつけるたび、あいつの障壁が一瞬だけ揺らぐことに気づいた。わずか一秒。その隙こそが、あいつを倒す鍵だ。俺は、第二段階を完成させるまで待つことに決めた。
日々をあいつを殺すためだけに費やし、雪が溶け始め、陽光が戻ってきた頃、ついに第二段階を習得した。
森の中。あの鹿との追いかけっこの最中。俺は今日を、あいつとの最後の戦いにすると決めた。シルバーの寿命も限界に近い。俺は走り続け、茂みの隙間を見つけると中へ飛び込み、旋回した。視界の遮られた横からあいつが通り過ぎる瞬間を狙い、第一段階を放つ。
「ドメンシー・ブレイク」
この一撃はノックバックのためだ。鹿が吹き飛ぶ。その隙に踏み込み、サクラの第二段階へ移行する。
「ニリン・ザキ」
吹き飛んでいるあいつの体に、二度の高速の斬撃を叩き込む。だが、それでは障壁が完全に開いただけだった。俺は再び走り出し、死角へと回り込んだ。
今度は上空から仕掛ける。上空からの第一段階。
「ドメンシー・ブレイク」
あいつは反応した。障壁が大きく揺らぐ。俺は一歩下がり、即座に第二段階を放つ。
「ニリン・ザキ」
一太刀目が命中したが、あいつは魔法をこちらへ放ってきた。やむなく俺は二撃目を受け流しに使い、大きく後退した。俺は再び森を走り、次の隙を伺った。次は、二撃目を「突き」に変えてやる。
あいつが闇雲に攻撃を仕掛け、視線が前方に固定された瞬間、俺はもう一度回り込み、第一段階を叩き込んだ。
「ドメンシー・ブレイク」
あいつが驚愕した隙を逃さず、第二段階を繋げる。
「ニリン・ザキ」
一太刀目が障壁を裂いた。あいつが魔法を唱えようとする。だが、俺は剣を水平に構え、全力であいつの胴体へと突き立てた。刃が体を貫き、反対側へ突き抜ける。
詠唱は途絶え、あいつは崩れ落ち、悲鳴を上げた。あんな魔物でも、痛みに叫ぶのだ。
「……子供たちやノヴァを殺しておいて、自分は叫ぶのか。反吐が出る」
「喜べよ。俺の技術で終わらせてやる。魔物への、精いっぱいの手向けだ」
俺はあいつを仕留めた。残ったのはただの虚無感だった。俺は自嘲気味に笑った。俺は結局、目の前の無意味なものを追いかけるガキのままだったんだ。
その時、上空から強い風が吹き下ろしてきた。俺は全力で森を抜け、家の敷地内へと逃げ込んだ。空から金の鎖が降り注ぎ、一本が俺の体を掠めようとした。無意識にそれを剣で叩き落としたが、その瞬間、シルバーが粉々に砕け散った。
空を見上げると、巨大な三対の翼を持つ白い鳥の姿があった。『天の獄吏、ジズ』。今の俺には殺せない聖獣だ。
俺はあらかじめ追い込んでおいた小動物たちを利用してあいつを攪乱し、やり過ごした。聖獣と言っても、結局は鹿と同じ、愚かな化け物だ。
帰る前に、ノヴァの墓に寄った。
俺はそこに座り、折れたシルバーの柄を置いた。こいつももう限界だった。ノヴァのそばに置いてやるのが一番だろう。俺は墓を見つめて、微笑んだ。
「ノヴァ、あの鹿を殺したよ。お前のためにやったわけじゃない。でも、お前の温もりに報いるために、どうしてもやらなきゃいけなかったんだ」
静寂が流れた。空を見上げ、俺の笑みは消えた。静かに息を吸う。
「ノヴァ……ごめん」
「本当は分かってる。フードの女に伝言を頼んだけど、やっぱり自分の口で言わなきゃいけない。今までお前に当たったり、怒ったり、お前を単なる『火種』として見ていたり……お前は俺のためだけに存在してるんだって、本気で思ってた。謝るよ。でも正直、今でも思ってるんだ。お前は俺がここで生き延び、成長するためにいてくれたんだって。これが俺の最低な部分だ」
言いたいことをすべて吐き出すと、自然と笑みがこぼれた。
「俺はここを出るよ、ノヴァ。お前が俺を守ってくれたように、俺もいつか出会う大切な誰かを守る。お前がくれたもの、全部持って行くよ。ありがとう、ノヴァ」
少し笑って、俺は言った。
「またいつかここに来るよ。その時は、俺の隣にいる奴らを、お前に紹介してやる。……俺の、最初のお姫様にな」
俺は歩き出した。ここにあったすべてを置いて。手に持っているのは、桜の本と、俺自身だけだ。俺は森を抜け、人間の文明へと続く一本道を歩き始めた。




