悲しい嘘
次の目的地、野毛山は坂が多く、動物園、中央図書館、能楽堂、寄席などが文化の集積地でもある。
ステラの住まいは蔦に覆われた古い洋館であった。家というより、避暑地の別荘という雰囲気だ。車一台分が入れる道の奥に家があり、門の前に喪中という紙が張ってあった。
ステラは門の隙間から家をのぞき込むようにしていたが、先陣を切って敷地に入った。
藤棚のトンネルの先に白い木枠の玄関が見える。一同はステラの後ろを慎重に歩いた。
玄関脇の花壇の脇で女性がしゃがんでいた。痩せ型で白いものが目立つ六十代くらいの刀自だ。喪服に真珠を首にかけ、遠くを見つめている。
「おばあさま」
ステラがそっと呼びかけると、女性は目を上げた。口中に、うそ、という呟きが広がる。
「ハダリーを見つけて参りました」
ステラのおばあさまは真っ赤な目を潤ませ、駆け寄ってきた。
「バカ! なんで船に乗らなかったの! じいさんの遺言を真に受けてこの子は」
おばあさまは上品な見た目にそぐわぬ張り裂けそうな声を上げたが、ステラの後ろにお客さんがいるのに気づいてハンカチで口元を押さえた。
「こちらは?」
「このお兄さんは、バイキ○マン。このお姉さんは女狐、そしてこの俳優さんはドンキーコングです」
おばあさまは卒倒しそうになり、太一が支えた。事実誤認甚だしく、刺激が強すぎたと見える。
とりあえず中に入ってと勧められ、庭に面したリビングに案内された。ピアノの前にソファーがあり、ステラをのぞく三人はそこで紅茶を飲んだ。
襖で仕切られた隣室で、ステラが一人で話しているのが聞こえた。
「おじいさま、戻りました。ハダリーは無事です」
会話内容はよく聞き取れなかったが、ステラが鼻をすする音が三人の胸を打った。
「アンドロイドは泣かないんじゃ……」
さっき女狐と称された操が仕返しを口にしかけたが、深見と太一は唇の前に人差し指を立てているのを見て断念した。
十分ほど立って、ステラが目を真っ赤にして襖を開けた。
「お待たせしました」
「もういいの?」
今すぐ旅立とうとするステラを、操は案じる。
「ええ。報告は済ませましたから」
「こっちはまだ済んでませんけどね」
ステラの祖母が部屋の入り口に立ちはだかる。孫の暴挙に目を光らせていた。それでもステラの意思は固かった。
「ハダリーは私が守ります。邪魔をしないでください」
にらみ合う二人をよそに、太一の腹が鳴った。朝から何も食べていない。桜木町では緊張で喉を通らなかった。時刻は三時を回ろうとしていた。
ステラの祖母が簡単な料理を作ってくれた。ナポリタンと、サラダだ。野菜は庭のものを使っている。
食事の最中、ハダリーとステラの関係を祖母が教えてくれた。
亡くなったステラの祖父は自動車の開発に携わり、ハダリーの生みの親だ。祖父の目指したのは完全な自動運転だったが、高度に発達したAIは逆に致命的な注意の欠陥をもたらすことがわかった。茂みにいるのが、人間の子供なのか、子猫か、犬かを想像し、悩んだあげくにフリーズを起こす。運転中であってはならないミスに祖父は頭を悩ませた。
祖父が試みたのは、異星人の神経回路を車に応用する技術だ。電極の交流で位置を把握する異星人はまさに格好の素材だといえた。
異星人を模した回路を組み込んだAIは、恐怖心を克服し、快適な自動運転を実現したかに見えた。
ところが祖父が最終的に目指したのは、人馬一体ならぬ人機一体だった。鬼畜米英を一時苦しめた零戦がそのお手本である。彼は兵器を作りたかったのだ。
無論そのような極端な思想は受け入れられるはずもなく、祖父はプロジェクトの任を解かれた。祖父の執念はそこで終わらない。夜な夜な自宅のガレージで研究に耽った。
ハダリーは、祖父が独力で開発したプログラムで動いている。教師データを会社から盗んで学習させ、ボディーは新婚旅行で熱海に行ったロールスロイスを使用している。残念なことに祖父はハダリーに乗る前に亡くなってしまった。
「ハダリーはおじいさんの肩身ですから、渡したくありません」
異星人の電極を模したことで、異星人の仲間だと見なされるようになってしまった。事あるごとに現れた黒服たちは祖父の勤めていた会社の社員で、ハダリーを狙っていた。ハダリーの解除キーはステラの声紋のため、ステラ本人も捕まえようとしていたのだ。
「私が身代わりになればいいんです。アンドロイドステラは宇宙で大活躍……」
「それはダメだよ、ステラちゃん」
操が真剣な表情で遮った。
「嘘で繋がった私たちだけど、悲しい嘘はダメ」
「何が? 嘘は嘘じゃないですか! 大人はズルい。私がいいって言ってるのに」
操にはステラを引き留める権利はない。太一や深見も同様だ。祖母の下知にも意固地になるばかり。じりじりと時間だけが過ぎていくかと思われた。
「もういいですよ、ステラ」
柔らかな女性の声が部屋に響いた。この場にいないハダリーの音声だ。ステラのスマホのスピーカーを通して流れている。
「兵器として作られた私を、ナウでポップなアリアナグランデ好きのティーンに育ててくれたのはあなたです。そんなあなたを犠牲にするわけにはいかない。あとは私に任せて」
ステラは祖母の胸で泣きじゃくったが、感傷に浸る時間は与えられなかった。
全員のスマホからかつてないほどの勢いで、警報音が鳴り響く。異星人の小型挺が赤レンガ倉庫の上空に現れたという報せだった。




