現代のドンキホーテたち
黒服が去ってからも、四人は飽きもせず施設をうろついていた。深見とステラが仲良く服を選ぶ姿などは、祖父と孫の関係に見えなくもない。
太一はさきほどの狼狽ぶりが嘘のように、肩で風を切って歩いている。
「そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」
メンズ服売場で操が水を向けても、太一は服を選ぶ振りを続けた。
「俺、夢だったんです。女性に服を選んでもらうのが」
手のかかる男だと思いつつ、操は適当なシャツをカゴに放り込んで突きつけた。
太一は礼を言って、試着室に入る。
「一度も助かりたいって言わないね」
カーテンの向こうからは衣擦れの音だけが聞こえる。操は焦れったくなり、早口になった。
「私と一緒に死にたかったの? 違うよね?」
太一の心がここにないと操は見抜いている。当初から隠し事はあると思っていたが、お互い様とあきらめていた。しかし、先ほどの錯乱ぶりを目の当たりをして事実を明らかにしたいという欲求を押さえきれなくなった。
「もし、許されるならですけど、それもいいかなって」
控えめな二度目の告白は、最初の時より操の心をざわつかせた。戦慄くような声を上げて、試着室のカーテンを掴む。
「バカ。そんなのやだよ、私」
「そうですよね……」
煮えきらない太一に我慢ならなくなり、操は断りもなくカーテンを開け土足で踏み入った。
「何納得してるの。じゃあもう帰れば? 私なんかいらないでしょ。年上からかって楽しいか、おい」
太一は半裸で操の前に立っていた。憮然として操の叱責を受けている。
「納得できないものがあるから、ここにいるんでしょ! 私も、ステラちゃんも深見さんもそうなんだよ。理由がないなら帰れ!」
「九柳さんはあるんですか、理由が」
操の怒りに触れても、太一は平然としていた。操は唾を飲み込んで壁にもたれた。
「氷割れないから彼氏を振ったって言ったじゃない」
太一は黙々と服を着直していた。裏表逆になっているのに袖を通している。不器用な嫉妬心の発露と思うと、操の声も柔らかくなる。
「逆なの。私が彼のために氷を割れないから振られたんだ」
太一が試着室から飛び出してきた。信じられないという面もちで操の目をのぞきこんでくる。
「何ですか、それ……」
「私が悪いの。与えられた役割をこなせない私が」
操は手で顔を覆う。太一は声をかけるのをためらった。
「こういう言い方はずるいか。まるで悪くないよって言われたいみたい」
太一は操の体を抱きしめた。壊れ物を扱うようにといえば聞こえはいいが、背中に回した手は触れそうで触れていない。
「九柳さんは、魔女みたいな人だから男をもてあそんでると思ってました」
「何それ失礼しちゃう」
至近距離で見つめあい笑いあう。気持ちが氷解していくのをお互いが感じ取った。
「全部、嘘ならいいのにね。衛星が落ちるのも」
操がやっていたのは現実逃避に他ならない。アンドロイドステラ、ティーンのハダリー、妻殺しの深見、魔性の女、操。
人外魔境を夢想し、苦痛を紛らわせるのは精神の防衛反応なのだろう。嘘で塗り固められた氷を初めに割ったのは、やはりバイキングの太一だった。
「俺、母親を殺してきました。本当です」
太一は高校卒業後、進学も就職もしなかった。周りに取り残されることに焦りを覚えなかったわけではなかったが、ラーメン屋のバイトをしつつ抜け殻のような生活を続けていた。
先の見えない生活をしていた理由を、太一は如実に説明できない。勉強は嫌いでなかったし、働くことも嫌いではなかった。それでも同年代の人間のように将来像を描けない自分がいた。人間はそれぞれ歩幅も体力も違うのに立ち止まることは許されない。
そういうことは大学に入ってから考えなさいと親に諭されたが、結局従わなかった。
母親と決定的な亀裂が入ったのは昨夜だった。
太一が捨てたと思っていた野球道具を、母親が大事そうに運び出そうとしているのを目撃したのだ。
気づいた時には母親が倒れており、太一の手には血にまみれたバットが握られていた。
「そっちが俺だって、言われた気がしたんです。何で今の俺じゃ駄目なんだろうって考えたら……」
自暴自棄になっても、自首は考えなかった。
一夜明けると操の顔が見たくなり、つてを頼りに連絡したのだった。もし操にまで今の自分を否定されたらその時は…
「バカ……、過去も含めてあんたなんだよ。それを守ろうとしたっていいじゃない。あんたは自分で自分を否定したんだ」
操には耳の痛い話だった。彼女も否定されることを恐れた時期もあった。だが男社会に身を置き、理解しようとしても、結局はじき出された。無理もない。単に利用しようとしただけなのだから。
「九柳さんに、氷を割れるかって聞かれた時、嬉しかったす。俺もここにいていいんだって思えた」
嘘が嘘を呼び、二人は同じ道を歩んでいる。必ずしも操が意図した結果ではなかったが、それは太一の救いに繋がっていたのかもしれない。
「氷を割ればいいよ。ずっと私のために。私はあなたのために魔性の女でいてあげる」
操は目を細め、顎を上げる。太一は優しい顔になって唇を近づけ…
その瞬間、割ってはいるような咳払いがして、二人は同時に目を上げた。
そこにはアロハシャツの深見と、タピオカをすするステラがいた。深見が笑いをかみ殺すようにして口を開く。
「邪魔してすまないねえ。ステラ君がそろそろ行きたいと言っているんだが」
野次馬のような物見高い視線に肩身が狭くなり、若い二人は体を離した。ステラは眠たそうな目で操を見上げている。責められている気がして、操は先頭に立って歩きだした。
「君ら次の目的地を知っているのかね」
駐車場のハダリーの前で、深見が一同を見回した。探るような目つきに操は苦笑した。
「ご心配なく。警察には行きませんよ」
駐車場に着く前に操は、スマホで深見の妻の情報を収集していた。ネットニュースによると、深見の妻と事務所社員が深夜にひき逃げにあったという。現場は横浜である。
ハダリーのパンパーに目視できる傷がある。深見がハダリーを運転して妻をひいたという推論は成り立ちそうだ。
不可解な点がいくつかある。深見の妻と、一緒にいた社員は、重傷ではあるものの存命している。深見はバックにマネキンの首を入れて妻を殺したと主張している。それに加え、ハダリーはメモリーを改竄したと思われる。自発的なのか、何者かの故意なのか。
「なぜ?」
深見が操に問いかける。見当がつかないととぼけているわけではなく、被疑者として警察に連れていかないという選択自体を疑問視しているようだった。
「私は妻を殺した。殺人罪。故意に車のアクセルを踏んで妻をひいた。裁かれるべきだ私は」
悔恨とはほど遠い、勇ましい声が駐車場を震わせる。妻を殺したというたび、深見は生き生きと活気づいてくる。
「そうなりますね。でも私たちにも事情があります。この太一君は母親を殺してるんですよ!」
操が負けじと声を張ると、ハダリーの傷を調べていたステラが、すごい勢いで振り返った。
「ほう……、父殺しではなく母殺しか。現代の若者も捨てたもんじゃないな」
皮肉げに口元を緩ませると、太一を見やる。太一はもう目をそらすことなく深見の視線に立派に抗していた。
「事情があるのは、あなただけじゃない。そこにいるステラちゃんも追われる身。私たちは逃亡犯になるほかないんです!」
操の勇ましい主張に、深見は感じ入ったように息を吐いた。
ステラはハダリーを傷つけた深見を許しておらず、ナビで最寄りの警察署を見つけていた。ところがハダリーは多数決の結果としてその選択を支持しなかった。
「ありがとう」
操が車に乗り込もうとする時、深見が小さな声で礼を述べた。
「これでドンキホーテとして死ねる。良い彼氏を捕まえたな。まだ少し頼りないが」
深見も現状に満足せず、飽くなき幻想に憧れていたのだろう。世間は許さなくても、この非常事態ならそれが許されるのだった。
ドンキホーテたちを乗せた車が走り出した。赤い星に向かって粛々と。




