タイトル未定2026/11/03 16:51
近っ。
一晩中街を歩き続けても良かったのに。星空散歩の甘い語らいどころか、生の手を楽しむ時間も持てなかった。ホテルの人工的な灯りが憎い。目に痛いくらいの白。
「悪い魔法ですよね。先輩は悪い魔法使いです」
そんな栞語の意味を尋ねるようなことはせず、梓朗は結んでいた手を解く。呆気なく外れたその手はエレベーターのボタンを押した。
「あぁ。そんな普通のお仕事に使ったりして」
「おまえ何階だった?」
「三階です」
がっかりした様子も手に取るように。栞は頭を斜め四十五度は下に傾け、ふうと息をついた。
エレベーターに絨毯が敷いてあることと、それが古びて擦り切れて赤いことを知る。滞在四日目の夜になって。
「明日は七時。遅れたら?」
「……置いていかれてしまいます」
まったくロマンティックとはほど遠い。実務的な言葉が続く。
明日はユーロスターでロンドンへ向けて立つのだ。集合に遅れて置いていかれてしまった場合、切符を買って追いかけるほどのフランス語の持ち合わせは栞にはない。
「早く寝ろよ」
「危険は避けなくちゃ。先輩がモーニングコールをしてくれたりするのはどうでしょう」
「するかバカ」
バカ……。
「え、じゃ、おやすみのキスを」
「眠れなくなるぞ」
その真顔が怖かった。
「すみません、身の程知らずでしたっ」
体を二つに折った栞の頭の上で、珍しくも梓朗は声を立てて笑った。一連の行動は、ニューイヤーハイであったのかもしれない。
エレベーターは迷うことなく三階に着き、躊躇いもせずに扉を開けて、栞は箱の外にと放り出された。




