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黒い神官との出会い 前編

「マーヤ、お前は今日でお役目御免だ。今までご苦労だったな」


 退職金と言われて、ジャラリと硬貨の入った皮袋が目の前に置かれる。


 脇に置かれたジャグリングの道具に、カラフルな衣装やフラフープなどの公演に使う道具たち。いつも通りの風景なのに、状況だけは異なっていて。


 白けた目で僕を見る元仲間たちに、僕の頭は真っ白になった。あの時感じた、胸の奥をぐさりと刺すような痛みは、今も消えていない。



§



 険しい山道を越え、一台の馬車がガタゴトと森の中を走っている。荷台に乗せられた山羊の横で、僕ことマーヤは顔を伏せて座り込んでいた。


 どうやら寝てしまっていたらしい。見ていたのは、僕が雑技団を追い出された日の夢。今は思い出したくもない記憶だった。


 一緒の荷台に乗っている子山羊を撫でていたら、頬を擦り寄せてくる。そんな風に時間を潰していたら、馬車の持ち主でもある御者のおじいさんが、声をかけて来た。


「坊主の行き先は神官のいる街でいいんだったかい?」


 坊主……ではないんだけど……どうやら見た目の格好からそう思われたらしい。男物の服を着ているし、帽子で髪形も隠している。勘違いするのも仕方ない。特に訂正する気にもならなくて、そのままここまで来てしまった。


「うん。神官の人に届け物があるんだ」


 それは元仲間たちにされた、僕への最後の依頼。あんな酷い別れだったけれど……沢山お世話になったから、これだけはやり遂げたい。大事なものを無くさないように、僕はリュックをギュッと抱きしめた。


「神官さまに渡すものたあ大事だ。責任持って運ばないとなあ」


「そう! 大事なものなんだ」


 あっはっはと朗らかに笑うおじいちゃんに、つられて顔が笑顔になる。


 一人でどうしたらいいか迷っていた僕に、行く方向が同じならばと、おじいちゃんは親切に馬車に乗せてくれた。感謝してもし足りない。


 外は良い天気だ。なんでもない会話をしながら道中を進んでいたら、突然ガタリと馬車が揺れて止まった。


「どうしたの? なにかあった?」


「おお、坊主、それがなあ……」


 おじいちゃんに声をかけると、困ったような声が返ってくる。なんだろうと思い前を見れば、前方に4台ほどの馬車が止まっていた。


 道を塞がないように馬車を止め外に出れば、何人かが集まって話し合いをしている。その中には、家族連れなのだろう、小さな女の子も混ざっていた。


「おい、なにかあったか?」


「近くにデカいトロールが出たらしい。前を走っていた馬車がやられた。もう三人は喰われてる」


「トロールだあ? なんで昼にトロールなんて出るんだよ」


「特殊な個体なんじゃないか?」


「こりゃまた面倒な……どうする、迂回するか?」


「それも考えたんだがなあ……」


 壮年の男が困ったように頭を掻いた。どうやら迂回できない理由があるらしい。横にいたもう一人の女性が、状況を説明してくれた。


「ただでさえ険しい路なのに、この間の雨で橋が流されたの。迂回路は使えない」


「なんだ、詰んでるじゃねぇか」


「そうなんだよなあ」


 どうやら道中に魔物が出たらしい。それ自体は珍しいことではないんだけど、トロールが出たというのはなかなかに珍しい。知性が高い魔物というのは、基本的に人間の街には近付かないからだ。


 みんなが顔を突き合わせて困っている。とりあえず僕も一緒になって困った顔の真似をしていると、お腹がぐうと音を立てた。瞬間、みんなが一斉に僕を見る。


「え、えと、あはは……」


 なんだかすごく恥ずかしい。笑って誤魔化そうとしていたら、小さな女の子がバッグから可愛い小物入れを取り出した。小さな手でそれをカパリと開くと、その箱の中身を僕にそっと差し出して来る。


「お姉ちゃん、飴をどうぞ」


「え、えっと……」


 これは、貰っていいんだろうか。女の子の母親らしき人に戸惑った視線を向けると、ニコリと優しく微笑まれた。


「貰ってあげて。お腹は膨れないけど、気は紛れるから」


「あ、ありがとう……」


 おどおどしている僕の手のひらに、赤い飴玉を優しく置いてくれる。慎重に口に含んで、コロコロと口の中で転がせば、甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がった。


「美味しい!」


「ふふ、よかったねエマ」


「うん!」


 この女の子は、エマという名前らしい。僕みたいな何処の出かも分からない人間にも優しくしてくれるなんて、相当人間ができている。


 女の子の優しさに包まれて和んだ空気になっていると、背後から突然男性の怒鳴り声が聞こえて来た。


「なんだ!? どうして通れないんだ!」


「それが、トロールが近くにいるようで……」


「トロール如きがなんだ!? ハンターや騎士団はいないのか!」


 ふくよかな男性が、御者にくってかかっている。それを見たみんなが、呆れたようにため息を吐いた。


「やあね、あいついつもああなのよ」


「知っている人なの?」


「資産家のジェマだ。数年前に恵与の国に引っ越して来た成金野郎だよ。あんな感じだからみんなから嫌われてる」


 どうやらあまり評判のいい人ではないらしい。僕を馬車に乗せてくれた優しいおじいちゃんもしかめっつらをしているので、相当なのだろう。まあ、何処にでもああいう人はいるものだ。気にしていてもしょうがない。


 みんなでどうするか相談していたら、こちらに気付いたのだろう、ジェマが小太りの身体を揺らしながらドスドスとこちらに歩いて来た。


「おいお前ら、金をやるからさっさとトロールを追い払え!」


「無茶を言うな。そんなの無理に決まっているだろう」


 ジェマの上からの言い方に、カチンときたのだろう。みんなが眉間に皺を寄せて、鋭い瞳でジェマを見ている。でも僕、お金……ちょっと欲しいかも……。い、いや、そういう卑しい考え方は良くないよね。


「なんで上から目線なわけ? 偉そうに」


「そ、そうだそうだー!」


 こういう時は空気を読むものだ。みんなから一歩遅れて背後から同意の声を上げる。思い通りにならないからだろう。そんな僕たちに、ジェマが不機嫌そうに舌打ちをした。


「チッ役立たずどもめ……。もういい、私がやる」


「それは結構だが、どうやってだよ。生身の人間じゃ勝てないぞ」


 まったくその通りだ。こんな小太りのおじさんがトロールに勝てるとはとても思えない。トロールからすれば油の乗った美味しいご飯だろう。うんうんと同意するように頷いていたら、ジェマが怒ったように声を張り上げた。


「黙れ! おい、アレを持ってこい!」


 何をするのだろうと思っていたら、御者の人が木製の片手銃を持ってきた。それをみんなの目の前に、見せびらかすように高くかかげる。


「私にはコレがある。トロールぐらい追い払えるわ!」


 ジェマの手の中で、本来なら観賞用なのであろう、美しい模様が施された木製の銃がキラリと光る。確かに銃ならトロールにも勝てるかもしれない。でもそれって確か――――


「銃じゃない! なんて罰当たりな!」


「戦争の道具の使用は世界的に禁止されているのに……」


 そうそう、確か使用が禁止されている筈だ。いくら禁止されても使う人間はいるし、歴史的知名度はあるから知っている人間も多いけど……こんな人前で堂々と出して良い代物じゃない。


「おい! 弾を装填しろ」


「は、はい!」


 あの人、あんな怒りっぽい人に仕えてるなんて可哀想だな……。ちょっとだけ同情してしまう。


 御者の人がジェマから銃を受け取ろうとした瞬間、背後からぬっと人影が現れた。


「ジェマ殿」


「る、ルウ殿……! 馬車から出てこられたのですか!」


 いつの間にか、真っ黒な服を着た男の人がジェマの隣に立っていた。一見して上質と分かる黒に、六角形の幾何学模様が型取られた、金糸の刺繍が美しい。腰には繊細な意匠が施された、分厚い本を下げていた。


 絹糸みたいに真っ白な髪の毛に、平均よりも高い身長。そこにまるで彫刻みたいな顔がついている。そこから男性の低い声が出ていることが、少しだけ不思議だった。


 肩に謎の毛玉が乗っていたから、なんだろうと目を凝らす。手のひらに乗るぐらいの、黒くて丸いボールのようなふわふわの体に、大きな耳がぴょこんと付いている。どうやら生きているらしいそれは、小さな身体を震わせて、ぷるっと鳴き声を上げた。一体なんの生き物なんだろうか。


「外から怒鳴り声が聞こえて来たのでな。出てはまずかったか?」


「い、いえ、そんなことは……!」


 あれだけ横柄だったジェマが、黒い人にびっくりするぐらい腰を低くしている。もしかしてあの人、偉い人なのだろうか?


 よくよく見れば、確かに迫力があるかもしれない。端正だとか、整っているとか、そういうのを超えて、まるで造形物みたいな顔をしている。高名な芸術家が心血を注いで完成させた石像が喋り出したみたいな、そんな変な感覚だ。


 肩の上に乗っている小動物は、小さな身体にしては大きな耳をふるりと震わせ、まん丸なお目目をぱちぱちしている姿がすごく可愛い。


「実はトロールがこの先に出たらしいのです。今すぐに追い払いますので、少しお待ちを」


 みんなが興味津々で黒い人とジェマを見ている。胸を張るジェマの顔から視線を下げると、黒い人は一拍して口を開いた。


「……その銃でか?」


「い、いえ! コレは……!」


「千年戦争を教訓とし、大陸教会の定めた神罰規程では銃の使用は著しく制限されている。決まりを破れば――」


「ま、まさか! とんでもないことです! コレはただの骨董品ですよ!」


「嘘よ。使う気だったじゃない」


 あーそう! 神罰規程! 武器の使用制限とか、侵略戦争の禁止とか、なんか世の中にはそういう決まりがあるんだよね。まあ僕、よく知らないんだけど。


「いえ、いえ、あやつらは勘違いしているのです。私は自慢の一品を見せてあげようとしただけで、使うなどとてもとても!」


 ジェマの必死の言い訳に周囲から呆れた声が溢れる。黒い人はジェマの顔をじいと見つめると、しばらくしてフンと鼻を鳴らした。


「いやいやそうであったか。それならば問題ないよ。よく見れば美しい意匠だ。大事に家に飾ると良い」


「は、はい! あはははははは!」


 スッゴイ冷や汗かいてる……。あんなに偉そうにしていたジェマが一転ペコペコしている様は、なんだか見ていて面白い。あの黒い人、一体なんの人なのかなあ。


 そんな風に黒い人を観察していたら、僕たちの視線に気がついたのだろう、ゆっくりとこちらに歩いてきた。


「こんにちは……えーと、神官様でいいのかしら」


「ああ、そうだよ」


 この人神官なの!? 真っ黒だよ!? 普通神官って白い服なんじゃないの? 驚く僕の目の前で、肩に乗せた小さな子がぴょこんと飛び跳ねた。そのまま僕の方にジャンプしたから、慌てて手を伸ばしてキャッチする。受け止めた手のひらの上で、真っ黒な毛玉がぷきゅんと小さく鼻を鳴らした。


「可愛い!」


 あったかくてふわふわだ。クリクリとした瞳がこちらを見ている。そんな風に小動物と戯れていたら、その飼い主であろう黒い人が、突然爆弾を投下してきた。


「美しいだろう。私の婚約者のぷぷるだ」


 …………………………なんて? 美しい、は、まあ一旦いいだろう。問題はその次だ。今、婚約者って言った?


 意味がわからず神妙な顔になる僕たちを尻目に、黒い人は誇らしげにフフンと胸を張った。


「私たちは婚前旅行中なのだ」


 なにを……なにを言っているんだろう。ものすごい当然のように言ってるけど、言葉の意味が全然理解できない。その小さい子と、この黒い人が、婚約しているってこと?


 あまりに意味不明過ぎて、僕の中の婚約という言葉の概念が崩れていくのを感じる。


「ヤバいやつじゃったか……」


 おじいちゃん……! あまりの意味不明さに、おじいちゃんが痛々しいものを見る目をしている。


「このお兄ちゃん、なに言ってるの?」


「シッ! 見ちゃいけません!」


 エマのお父さんが、見えないようにサッとエマの目を手で覆った。どうやら情操教育に悪いと判断されたらしい。一方エマのお母さんは、ジェマが引っ込んだ馬車の扉をドンドンと叩いている。


「ちょっとジェマ! アンタの連れ頭がおかしいわよ! あの神官もどきちゃんと回収していきなさい!」


 聞こえてるって! 酷い言いようだが、黒い人は気にした風もない。なんというかまあ、心が強いな。ちょっとだけ尊敬する。


 しばらくドンドン叩いていたら、辛抱たまらなくなったのだろう。ガチャリとドアが開いて、ジェマが怒号を上げながら出てきた。


「意味のわからんことを言うな! 神官はイカれていればイカれているほど徳が高いのだ! ルウ殿ほど徳が高い神官などおらん!」


「なによそれ!?」


 そうなんだ!? 新しい世界の常識を知ってしまった。世の中は僕の知らないことで溢れている。


 また馬車に引っ込んでしまったジェマを置いて、エマのお母さんが舌打ちしながら戻ってくる。


 なんだかだいぶ横道に逸れてしまったけれど、仕切り直しだ。大人たちで輪になって、トロールの件について話し合うことになった。


 さて、僕はというと……話し合いには参加せず、エマと一緒に遊んで待っていることにした。だって難しい話は分からない。参加したって仕方ないからだ。


「エマちゃん、おばあちゃんに会いに行ってたんだ」


「そうなの。この缶も、おばあちゃんにもらったんだよ」


 どうやらエマの家族は、違う街に住んでいるおばあちゃんに会いに行っていた帰りらしい。お気に入りなのだろう。エマは缶を小さな腕の中にしまうと、ギュッと大事そうに抱きしめた。


「エマちゃん、おばあちゃんが大好きなんだね」


「うん。大好きだよ」


「またおばあちゃんに会える日が楽しみだね」


 そういうと、エマちゃんは少しだけ困ったような顔をした。何かまずい事を言ってしまっただろうか。そう思って謝ろうとしたら、その愛らしい顔をパッと上げた。


「お姉ちゃんは?」


「僕? 僕は、えーと……ここには神官に届け物をするために来たんだ」


 今の僕にとっては、それが至上命題だ。そんな会話をかわしていると、横からぬっと端正な顔が飛び出してきた。


「ほう。それは何処の神を信仰している神官にだ?」


「!?」


 なんかいきなり、黒い人が会話に入ってきたんですけど!? 当たり前のように横に腰を下ろした黒い人にギョッとする。肩に乗せられた愛らしい毛玉が、こちらの視線に気がつくと、ピコっと小さな手を上げた。


「何処の神って、どういうこと?」


「そりゃあお前、神官はどの神に仕えているかが一番大事だろう。神というのは古今東西千以上はいらっしゃるのだから」


 そういえば、神様ってたくさんいるんだっけ……。そんなこと、考えたこともなかった。


「………………なんでも、いいかな?」


「それはまた奇特な」


「とりあえず、まずは会ってみるってことで!」


 だってよく分かんないし……。神官に届け物をして欲しいと言われているが、何処の、という指定はされていない。きっと問題ないはずだ。……多分。


「では私でもいいのか」


「あ、君以外でお願いします……」


 僕は神官に届け物があるのであって、神官を名乗る異常者に渡すものはなにもない。


 そんな会話をしていたら、興味を持ったのだろう。エマが純粋な瞳を黒い人に向けた。


「神官さまは、なんの神さまに仕えているの?」


「フフ……私はな、愛の神に仕える、愛の国から来た愛の使者だ!」


 誇らしげに胸を張った黒い人の頭の上で、小動物も一緒になってムンと胸を張る。


 なるほどね。やっぱりヤバい人じゃん。もはや確信しかない。


「私の主神は愛の神だが、立場が少し特殊でな。私はすべての神に仕えていると言っても過言ではない神官なのだ」


「あーはいはい……」


 聞いてもいないのに、黒い人が謎の特殊設定を語り出した。それにエマがパチパチと小さく拍手をしている。いいんだよエマ、そんな気を使わなくても。


「エマのところにはねえ、ベスタウさまがいるの」


「そうだな。ここら一帯を守護しているのは恵与の神ベスタウだ」


「へえ〜」


 ここら辺の神様って、ベスタウっていうんだ。全然聞いたことないけど、有名なんだろうか。


「ベスタウさまはねえ、四角い身体に金色のおめめをしてるんだよ。とってもやさしい神さまなの」


「そ、そうなんだ……」


 嬉しそうに話すエマに、うんうんと相槌を返す。それにしても、随分と変な神様だな……。


 そんな風に3人と一匹で過ごしていたら、話がまとまったらしい。大人たちがこちらに向かって歩いてきた。


「迂回路も使えないとなると、結局トロールをどうにかしないと進めない。近くの村に助けを求めるしか無いという結論になった。そこから衛兵かハンターか……まあ、どちらにしろ通れるまでに数日はかかるだろう」


「そうだなあ、このままここにいるわけにもいかん。はあ、息子の結婚式に間に合うといいんだが……」


 そういえば、おじいちゃんは息子の結婚祝いに山羊を買った帰りだったんだっけ。間に合わなかった時の事を考えると、みんなと一緒に困った顔をしてしまう。


「追い払うことはできないの?」


 勝てないまでも、追い払うことはできないのだろうか。トロールは力は強いけど、大きさの割に足が遅い。選択肢としては有りではないだろうか。


「実際そういう案も出たし、出来ないことはないだろう。だが、危険すぎる。どうしてもトロールに近づかないといけないからなあ」


 それはそうだ。追い払うなら、誰かが危険な役をしなければならない。誰がやるかとなった場合、誰も手を挙げなかったんだろう。


「神官のお兄ちゃん、神さまにお願いしたらどうにかできないの?」


「ん? 出来るが、それには大切なものをもらわないといけないな」


「そっかあ」


 黒い人、変な人だけど悪い人ではないらしい。エマの子どもらしい質問に、夢を壊さないように答えてくれたのだろう。黒い人の答えに、エマがしょんもりと下を向いた。


 みんながガッカリと肩を落としている。それがどうにも見ていられない。特におじいちゃんには、現在進行形で本当にお世話になっているのだ。少しでも力になりたい。そう思ったら、いつの間にか声に出していた。


「トロールを追い払う役、僕やってみるよ!」


 おじいちゃんたちが、僕を見て目を丸くする。自分でも無謀だと思う。けれど、優しくしてくれた恩返しがしたいという気持ちは本物だ。


「あ、おい坊主!」


 そうとなったら善は急げだ。木の幹にある窪みに足を引っ掛けて、ぴょんぴょんと上に登って行く。下からおじいちゃんが、僕を心配する声が聞こえて来た。


「おっとと……」


 一番上まで登ると、風が吹いて少しだけ肌寒い。木が煽られるのを気をつけながら遠くを探れば、大きなトロールが歩いているのが見えた。


 何かをズルズルと引きずっている。それに人間の形を確認して、少しだけ血の気が引いた。あれだと多分、身長が僕の倍ぐらいはあるだろう。最初からわかっていたけど、真正面から戦って勝てる見込みはほぼゼロだ。


 今度は枝に足を引っ掛けながら、ステップを踏んで下に降りる。スタッと地面に降り立ったところで、おじいちゃんが駆け寄って来た。


「お前、木の上なんかに登ったら危ないだろう!」


「大丈夫だよ。僕旅芸人だし。アクロバットが得意なんだ」


「だからってなあ」


「それよりおじいちゃん、僕、良いこと考えたよ!」


 トロールを追い払う作戦は完璧だ。まず第一に、深い穴をみんなで掘る。そこに僕がトロールを誘導して、その穴に落としてしまえば良い。出られなければそれでよし、もし穴から出てきたとしても、驚いたトロールはそのまま逃げていくはずだ。名付けて『落とし穴大作戦』!


 安全だし、成功率だってきっと高い。多分。恐らく。いや、絶対大丈夫!


 作戦遂行のため、それぞれ役割分担をして配置につく。確かに危険な行為だが、みんなで力を合わせればなんとかなるはずだ。


 木の上でトロールの動向を監視していると、遠くでおじいちゃんが手を振っている。どうやら穴が掘れたらしい。


 良い感じの石を拾い集めながらおじいちゃんのいる場所に向かう。みんなと合流すると、道の真ん中にポッカリと空いた大穴を見せてくれた。


「こんな感じなんだけど、大丈夫かしら」


「落ちたら出られないぐらいには深くしたぞ」


「わたしも手伝ったよ」


 泥だらけの手を嬉しそうに見せてくれるエマが可愛らしい。枝や葉っぱで加工すれば、あっという間に落とし穴が完成した。この大きさならトロールの巨体でも入る筈だ。


「ありがとう! 後は僕に任せて!」


「本当に大丈夫かあ?」


 心配そうな視線を向けるみんなに大丈夫だと言い張って、安全地帯に下がってもらう。特にエマなんか、標的にされたら大変だ。


 みんなが離れたのを確認してから、トロールとの距離を測る。指を丸くして、その中に米粒ぐらいのトロールが見える。このぐらいの距離だったら届くはずだ。


 腕を振りかぶって、思いっきり石を投げつける。石はまっすぐに進んで、トロールの眉間にガツンと当たった。


「やーいこっちだ!」


 何度も石を投げ付けると、トロールが威嚇しながらのしのしと歩いてきた。トロールが僕を認識して走り出した瞬間、こちらも全力で走り出す。


 さあ落とし穴まで追いかけっこだ! 自慢じゃないけど、僕は結構足が速い。トロールを置いていってしまわないか心配だよ。


 そんな風に余裕をぶっこいていたら、数十秒もしないうちにトロールの息遣いが真後ろで聞こえて来た。


「うわー!? はっや!」


 のろまだなんだと言われていた癖に、このトロール、異様に走るのが速い。まさか普段は力を温存してるとか!? そんなの反則だよ!


 予想外に、あっという間に距離を詰められた。でも、こっちだってあともう少しだ!


 トロールにギリギリ追い付かれるというところで、大きくジャンプする。次の瞬間、僕の後ろを走っていたトロールの地面が大きく崩れて、その身体が下に落ちていった。


「やった! 成功だ!」


 そばで見ていたみんなが駆け寄って来る。しかしその足が、途中で止まった。落ちたはずのトロールの頭が、穴からゆっくりと顔を出したからだ。


「え? え?」


 戸惑う僕を目の前に、悲しいかな、現実は非情だった。鋭い爪を地面に引っ掛け、ザリザリと音を立てながら大きな身体が穴から這い出てきた。


 僕の倍以上ある体躯。片目が潰れているのは以前からだろうか? 灰色の傷だらけの身体は、近くで見れば凄い迫力だ。


 その鋭い眼光は、僕にだけ向いている。


 ……追い払うとか大見え切ったけど、全然それどころじゃない。これ、相当怒ってない?


「いやいやいや、今のは不可抗力っていうか……話し合おう? 僕たちきっと、分かり合える筈だよ!」


 なんとかしてトロールの怒りを鎮めようと身振り手振りでコミュニケーションを取ろうとするが、上手くいくはずもない。そのままトロールは大きく吠えると、棍棒を振り回しながら、僕めがけて突進して来た。


「ウソー!?」

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