第十六話『消しゴムの種類は気にしない』
消しゴムを拾うという、小学校から続いてきた行為が、高校生になった今、意味を帯びてきている気がする。
俺は自分で拾うに尽きるけれど、気になる異性に拾ってもらえると、あれは恋の始まりに丁度良い温度らしく、なんとも言えない空気感をたまに感じる。
しかし、そこまで消しゴムなんて落とすことがあるだろうか、なんて思っていた矢先、俺の手のひらから消しゴムがコロンと机に転がった。
なんでだよと思いながらも転がり落ちそうになった消しゴムをキャッチしようとして、軽く机に頭をぶつけ、一瞬その音にほんの数人の視線が向いて恥ずかしかったが、俺は気を取り直して消しゴムを拾おうとすると、床には消しゴムではなく、手が伸びていた。
「ん!」
「あぁ、ありがと」
どうやら俺の消しゴムは少し転がって、与田さんの方に行ってしまっていたようだった。
しかし、流石与田さん。細かい所にも気が回って、言葉は一言、やり取りも一回分。
手が近づいて、でも触れずに綺麗に終わる受け渡し行為。
確かにこれは、相手が相手ならこういうことで意識するのも分からなくはないかもしれない。
そんな事を思っていると、今度はスポンと与田さんの机から消しゴムが上に飛んでいくのが見えた。
――消しゴムの反抗期なのか?
そう思いながら、真後ろの俺の机の上へと、与田さんの消しゴムは綺麗に着地する。
これで本当に文字が消えるのだろうかと思えるような、リアルな人型のキャラクター消しゴム。
与田さんのことだ、足で遊んでいたんだろうな……と思いながら、俺は少し照れた顔をしてこちらを向いた与田さんに無言で消しゴムを手渡す。
「あ、遊んでて……」
知っているが、素直に言うあたり彼女らしい。
「うん、そうだよね……はい」
「ありがと……」
与田さんが完全に照れている、珍しい一面だった。これは確かに、消しゴムも馬鹿には出来ない。意外性だとかも見られるのかもしれないと思いかけて、これは与田さん特有のことだろうと一人で小さく笑った。
この授業が終わればもう昼休み、終わるまではあと数分。
確かに、そりゃ遊びたくもなるというものだけれど、あそこまで綺麗に飛ばせるのは、普段からやっているのだろうなと思いながら、俺は黒板の方へ向き直る。
その時、ふとこちらを見ていた時雨さんと目が合う。なんだか少しだけいつもと違う雰囲気の視線を感じた気がしたけれど、それにどんな表情をすればいいか分からず、そのうちに授業の終わりのチャイムが鳴った。
昼休み、変わらずなんとなく三人での食事の時間。
「もう、二人して楽しそうなんだもん」
時雨さんは近づいてきて開口一番、少しだけプリプリと怒ったフリでさっきの視線の理由を話しかけてくる。
「いや、あれは楽しいというか、消しゴムがなんか、反抗期だったんだよ」
「反抗期かぁ……この子は良い子だけどなぁ」
事実ではあるけれど、こんな言葉で納得してくれるだろうかと思って使ってみた反抗期なんて言葉は、時雨さんには通用しなかった。しかし、何故時雨さんも消しゴムを持ってきているのだろう。
「しぐちゃん、消しゴム食べるの?」
「よだかちゃん……消しゴムは食べ物じゃないよ……?」
女三人寄れば姦しいなんて言うけれど、この二人にかかれば二人並ぶだけで十分だ。
二人の不思議な世界はもう始まっていた。
「でもよだかちゃんの消しゴムは良い匂いするね」
「いや、ご飯には合わないし……あとなんで私の筆箱漁ってるのさっ」
こんな風景を見ていると、改めて自分は不思議な立場だな、と考えながら俺は弁当箱を開く。
両手に花だと時折男友達にからかわれるが、それ以上になんだかクラスの女子からも妙な視線を受けているようで、少しだけ気まずいというか、居づらいというか。
決してこの関係が嫌ではないのだけれど、俺はこの場所にいてもいいのか? なんて思うこともある。
実際に口に出すのは流石に恥ずかしいけれど、実際のところ時雨さんは綺麗だし、与田さんだって可愛い。
花の種類は別々でも、確かに二人とも花ではあると、俺でも思う。
しかし、それを持っているのが俺かと言えば違う。
俺はあくまで彼女らを見ていて、二人は二人の世界が出来上がっているのだと、そう思う。
ただ、そのことに嫉妬みたいな感情は一切無かった。だからこそ俺はこの関係の中にいられるのかもしれないなんて事を思って、ミートボールをつついていたら、コロンと俺の机の上に消しゴムが転がされる。
「糸杉くん、なんかあった?」
灰色の砂消し、時雨さんらしいような、何というか。
ボールペンでも油性ペンでも、なんでも消せてしまうその感じが、時雨さんらしいと思った。
「いや、なんでもないよ。消しゴムの反抗期のこと考えてた」
「私の子も反抗期になったみたいよ?」
そう言って、彼女は俺の机の上で自分の消しゴムをツンツンと押す。
硬い砂消しが、パタ、パタと音を立てて俺の弁当箱に近づいて、止まった。
――反抗期なら、そりゃ仕方ないか。
きっと、表情に出ていたのだろう。気にしていないつもりが、少し気にしてしまっていたのだろう。
時雨さんは、きっとそれを気にしてくれたのだ。
もしくは、自分だけ消しゴムを拾ってもらえなかったことにちょっとだけ嫉妬しているのかもしれない――ってことはないか。と思いながら、俺は時雨さんの砂消しを掴む。
「はい、しかし時雨さんは砂消しなんだね。なんか筆圧はあんまり強くなさそうだけど」
「たしかに、私のシャーペン色薄いし、あんまり強くは書かないかも。でもなんだか格好良いと思わない? 砂消し」
砂消しを満足そうに受け取りながら、時雨さんは俺の方をじっと見ていた。
「うん、ん? まぁでも、便利は便利だよね。でも普通のも持ってるんじゃ?」
「うん、あるよ。自慢しにきたの。反抗期じゃないから良い子だしね。糸杉くんの子は?」
何故かはもうあまり考えないようにして、俺は筆箱を取り出して、自分の消しゴムを彼女に手渡そうとする。だけれど彼女は受け取らない。
「あれ、見せてってことじゃなくて?」
「うん、そこ置いて?」
与田さんのキャラクターものの消しゴムや、時雨さんの砂消しと違って、俺の消しゴムは何の変哲も無い消しゴムだ。
しかし、相変わらず時雨さんの意図は読めない。
俺が机の上に自分の消しゴムを置くと、時雨さんはそれをそっと手にとって、俺の方に渡して来た。
「うん、反抗期は止んだみたいで良かった。実は私の子が反抗期なのも嘘なの」
「いや、それは知ってるけどさ……」
そんな事を話していると、与田さんからスポーンと、また消しゴムが飛んでいく。
飛んだそれを、時雨さんは華麗にキャッチして、与田さんの手に乗せた。
「どしたの、よだかちゃん」
「どうしたのは二人! 反抗期……ってぇ?!」
確かに、思えば俺たちは一体何を話していたのだろうか。きっと与田さんは今か今かと突っ込むのを待っていたのだろう。
そんな事もつゆ知らずか、時雨さんはポン、と砂消しを与田さんの机に置いて笑った。
「反抗期はよだかちゃんだったかー」
「だから、反抗期って?!」
そう言いながら、与田さんの消しゴムを受け取る時雨さんは、なんだかとても楽しそうだった。
時雨さんは消しゴムの種類なんか気にしないのだろうけれど、多分飛び上がったり転がったりしては拾われる、消しゴムの『反抗期』みたいなものを気にしていたのかもしれない。




