第十三話『その順番を気にしない』
少しだけ視界が良好なのは、いつも忙しなく動いている眼の前の机に、誰も座っていないからだ。
どうやら元気の塊のような与田さんは風邪でもひいたらしい。常々態度と考え方を見ていたけれど、馬鹿は風邪をひかないなんていうあたり、やはり彼女は馬鹿ではないという証明が出来て何よりだ。
けれども、ポツンと空いた席にはやはり違和感がある。授業が終わる度に、時雨さんが少しこちらを見ては、心配そうな顔でスマートフォンを弄っているのが見えた。やはり長い友人として心配しているのだろう。
そんな事を思っていると、時雨さんと目が合う。そうして彼女がテコテコとこちらへ歩いてくるのが見えた。
「よだかちゃん、結構辛いんだって」
「あの子が弱ってるとこ、想像出来ないな……」
小柄ではあるものの、与田さんを想像するといつもハムスターが滑車を回す姿が頭に思い浮かぶ。
実際、今はベッドで寝ているのだろうけれど、寝ていられないだなんて言いそうな印象すらあるが、時雨さんに辛いと伝えているあたり、それは俺の短い付き合いだからこその印象なのだろう。
「意外とね、よだかちゃん身体弱いんだよね。ほら、食も細いでしょ?」
「……どうだっただろ。ジロジロ見るのもなって思ってあんまり気にしないようにしてたな」
それを聞いて時雨さんはふふっと小さく笑う。
「やっぱり糸杉くんは気にしいだなぁ……」
「自覚はしてるけどね……癖みたいなもんなのかな」
特に何があったというわけじゃない。トラウマや家庭環境のせいでもないと思っている。ただ、気になることが気になって、ちょっとだけ離れて考えてみるという安牌を取ろうとしにいく癖。
自分ではそれを案外嫌いじゃなく思っているのだけれど、時雨さんからすると確かに笑ってしまうようなことなのかもしれない。
「ま、それも糸杉くんの良いところなんだけどね」
そう言って、時雨さんはタプタプとスマートフォンを叩いていた。
「良いところ……かぁ。俺からすれば時雨さんくらいドシっと構えていたいもんだけどね」
「そう? 私そんなにドッシリしてるかなぁ? よだかちゃん程細くはないけど、たまにダイエットくらいするよ?」
そういう意味ではなかったのだけれど、時雨さんもやはりダイエットなんかすることがあるのだと思って、意外だった。与田さんは小柄というイメージで、時雨さんはスラッとしてるイメージが強い。
それでもやはり女子、ヘコませたい所はハッキリとしているのだろう。気にする時雨さんが新鮮に思えたのと同時に、少しだけ嬉しいような不思議な気持ちになっていた。
「いや……ドッシリというかなんというか、普段の構え方の話っていうか」
「ふむー、それもあんまり意識したことないや。こういうのって勝手に出来ていくものじゃない?」
確かに、俺が気にするということに対して理由を持ち出せないように、彼女もまた気にしないということに理由を持ち出せない。理には適っている話だ。
「確かにまぁ、そういうものか。時雨さんのそういうところも、俺は良いところだと思うよ」
褒めてもらったお返しに、同じ言葉で返すと、時雨さんは少しだけ俺の目を不思議そうにじっと見てから、頷くようにスマートフォンに目を落とした。
「良いところ……かー。私は周りをよく見てる糸杉くんは偉いと思うよ?」
彼女は俺が与田さんの机の上にまとめておいたプリント類を見て微笑む。
机の中を見るのははばかられたし、というか何かしらが詰まっているのが見えたから机の上にまとめただけなのだけれど、やはり持つ印象はバラバラらしい。
「与田さんがいたら突っ込まれてそうなところだなぁ」
「なんで私たち、褒め合ってるんだろうね?」
互いに苦笑し合う。思えば二人きりで話すのも久々な気がした。与田さんが間に入ってくれるから賑やかな話で、それはそれで勿論楽しいのだけれど、少しズレているようで、それでもいつも同じ温度が保たれる時雨さんとの会話も落ち着く。
「それにしても、与田さんは大丈夫なのかな。よくあることなのか?」
席替え自体は定期的に行われるから、近々この席ともお別れだろうけれど、また落ち着く席を引けたらいいなぁなんて思う。
「よだかちゃんは大げさだからなぁ……でも糸杉くんが心配してたって伝えとくね」
肯定も否定も貰えず、そうして変に伝わってしまった俺の興味のようなものをわざわざ翻訳して伝えてもらわなくてもいいのだけれど、それを言うのも野暮かと思って黙って与田さんの椅子に座ってスマートフォンをタプタプ叩く時雨さんの横顔を見る。
話をしていた時とは違って、少しだけ心配そうな顔。言葉ではああ言っていても、やはり与田さんがそこそこにヘルプサインを出しているのは間違っていなかったのだろう。
そもそも、もしかすると繊細な話だったのかもしれないと、少しだけ反省していた。
「あぁ……頼むよ。与田さんがいないと見通しが良くてなぁ」
「目も合っちゃうよね」
それは確かにそうなのだけれど、今日は尚更会話が噛み合わない感じがする。
「ん? うん……ん? そういうことじゃないか。ごめんね、同時に二人と話すの、ちょっと難しくって」
時雨さんが苦笑しながら、スマートフォンを振る。
俺と話しつつ、与田さんと文字で話しているというのを、まとめて二人と言うのは、彼女らしい。
「それもそうだよな。時雨さんは与田さんと話してあげなよ。辛い時に一人じゃないってのはそれだけでいいもんだし」
だから俺も、彼女の表現を以て、与田さんを一人じゃないと言ってみたりした。
その意図はすぐ伝わったようで、少し嬉しそうに時雨さんはスマートフォンを叩く。
タップしているという言葉が本当に似合うような軽快な手さばきで、細い指がトトンと画面を叩いていた。
「うん、よだかちゃんも元気になってきた。じゃあこれ、ありがとね」
時雨さんは当たり前のように机の上のプリントを持って、席を立つ。
「よだかちゃんに良い友達が出来て私は嬉しいや」
「プリントを届ける時雨さんが一番良い友達なのでは……?」
そう言うと彼女へ少しはにかんで笑って見せた。
「じゃあお揃いだね。私達は二人とも良い友達、じゃない?」
きっと、一番最初に与田さんを気にしただろうに、一番かどうかなんて彼女は気にしない。
だけれど、大事な友達の病気のことは、当たり前に彼女も気にするみたいだった。




