59.想いと時間
────三日後。想いはめぐる。時とともに逡巡する。
コンコン、とノックが転がった。
「────……お時間です」
その声に頷く。ああ、想いが駆け巡っていく。
***
「お時間です」
そう言って入室してきたのはカペラだった。ダリアは読んでいた本を閉じ、背筋を伸ばす。
「ええ、分かったわ」
まだ体力の戻り切っていない体は思うように動かない。久々に履いたヒールの高い靴はダリアの体重を支えるには心許ない細さで、寝たきりで過ごす時間が多かったダリアは立ち上がるだけで少しふらつく。
「お嬢様っ」
カペラが慌てて駆け寄り、ダリアの手を取る。
「ごめんなさいね、まだヒールは早かったかしら」
その言葉に、カペラは頷きたい気持ちでいっぱいだった。けれど同時に知っていた。破棄されたとはいえ婚約者と────好きな人に会うのだ。身綺麗にして精一杯お洒落したいダリアの可愛らしい乙女心を、カペラは否定することなどできなかった。
「……素敵ですよ、お嬢様。カペラが支えますから、大丈夫です」
色んな思いを飲み込んで、カペラは微笑んだ。その答えを受け、ダリアは少し安堵する。
「行きましょう。お待たせするわけにはいきませんもの」
ダリアはそう言ってカペラの手を取りゆっくりと歩き出した。ほんの少し……、足が震えるのはきっと、ヒールの高い靴のせい。
***
「お時間です」
「……わかった」
ノックと共に声がかけられ、そう短く返すと、ヴィンスはペンを置いた。今日が魔法研究塔に行く日であると意識してしまうと、どうにもそわそわした気持ちを制御できず、気を紛らわせるために書類仕事を進めていたのだが……、これが中々どうして、集中できない。
もう幾度となく書いてきた「グレンフェル」の字の綴りを間違えたり、署名欄でないところに名前を書いていたり……。間違えるたびに今日が“今日”であることをより意識してしまうだけで、何の解決にもならなかった。
結局思っていた三分の一も進められないまま、時間だけが過ぎていく。
時間が来てしまった以上、書類仕事は後回しにせざるを得ない。ヴィンスはループタイを締め、襟元を正すと立ち上がり部屋を出た。
「馬車のご用意ができております」
「ああ、ありがとう」
頭を下げる侍女にそう伝え、玄関へと急ぐ。しかし、そこに停まっていた馬車に描かれている紋章にぎょっとした。
「────……なんでいるんですか、殿下」
王家の紋章の入った馬車には、当たり前のようにトピアスが乗っていた。
「俺も同じ目的地に行くからな」
そう言うトピアスは、ヴィンスを見てどこか安心したように眉尻を下げる。
「はぁ……。一人称が戻っていますよ」
「なに、目的地に着いたらいつも通りやるさ」
「でしたら今からいつも通りでお願いします」
冷たく跳ねのけるヴィンスに、融通が利かないな、とトピアスは笑った。
ヴィンスが馬車に乗り込み、わずかに馬車が沈む。ヴィンスが座り体勢を整えたところで御者に合図し、馬車がゆっくりと動き始める。車輪が石畳を蹴り、ガタガタとわずかに振動する中、トピアスはヴィンスの顔を見つめる。
「……何かついていますか」
トピアスの視線に気が付いたヴィンスに、トピアスは小さく微笑む。
「いいや。何も」
それ以上、二人は何も言わず車内には沈黙が落ちた。
***
「時間です」
「ああ、わかった」
執務室にノックの音が響き、トピアスは短く応える。
「状況は?」
ノックと共に入室してきたのはルカーシュであった。トピアスは寝不足の目に眩しいルカーシュの白銀の鎧に、やや目を細めながらそう尋ねる。
「状況は……、芳しくありません」
「まあ、そうだろうな」
愚問だったな、と自嘲するトピアスにルカーシュは困ったように眉尻を下げた。
「保守派は今日の魔力提供の件について、未だに難癖をつけています」
「ほう、例えば?」
「……くだらないものですと、過剰な魔力提供が結界に影響を及ぼすから取りやめろ、とかですかね」
「くっ、……はははっ! なかなか秀逸じゃないか」
結界やその外側に意識を向けることを嫌うくせに、今度はその結界のためだと声高に叫ぶ。皮肉がきいていて、嫌いじゃない、とトピアスは笑った。
そもそも保守派は結界についての研究もタブー視しているのだ。結界について何も知らない奴が口を挟むとは随分と滑稽である。
「言わせたい奴には言わせておけば良いさ。さすがの陛下も、そのような戯言にまで耳を貸すまい」
トピアスはそう言ってジャケットの襟を正し、背筋を伸ばす。
トピアスの目下の心配は、保守派の動きではない。どちらかといえば臣下であり友人でもあるヴィンスの心境である。したくてしたわけじゃない婚約破棄後、初めてダリアと接触するのだ。もしも自分がヴィンスの立場なら、と想像しただけで胸の内が抉れるような痛みを覚える。
もしも自分なら、無理矢理口実を付けて魔力提供の場を回避してしまうかもしれない。
「……魔法研究塔の前に、グレンフェル邸へ向かう」
だからこそ、ヴィンスを一人で向かわせてはいけない気がした。
「承知いたしました。御者に伝えてまいります」
ルカーシュは指示を受け素早く行動に移す。
トピアスは窓の外に視線を向けた。そこには気持ちまで暗くするような曇天が広がっている。唯一、等身大で話すことができる友人の、貴族の仮面は相当に分厚い。こちらが曝け出しても、仮面を被って本心をその奥へ隠し、見せないことも多いヴィンスに、トピアスは不安を覚える。
(無理……してでも、きっとヴィンスは来るだろう)
自身の私情など易々と呑み込んで、きっとヴィンスは何食わぬ顔で現れるだろう。それが友として、心配になるのだ。一人だと色々と考え込んでしまうだろうから、せめて行きの馬車の中だけでもヴィンスの負担を軽くしてやりたい。そう思って、トピアスはグレンフェルの屋敷へ向かう。
「────……なんでいるんですか、殿下」
着いた先でヴィンスが驚き目を見開く。その様子から、やはり色々と考え込んでいたことが分かるが、顔色は思っていたより悪くない。そのことに一先ず安堵してから、笑って見せる。
「俺も同じ目的地に行くからな」
そう言えば、一人称を注意されつつもいつもと変わらない、少し呆れたような笑みを浮かべるヴィンスに、トピアスは困ったように微笑んだ。この友人にさえ隙を見せない分厚い仮面の奥で、一体何を考えているのだろうか。
「……何かついていますか」
トピアスの視線に気づいたらしいヴィンスに、トピアスは軽く息を吐いて首を振る。
「いいや。何も」
お前を心配しているだけだ、と言ったところで。ヴィンスはきっと余計なお世話です、とトピアスの言葉を容易にはねのけるのだろう。それがひどく、寂しいなんて、口にすることはできないけれど。
それでもトピアスは、友人の安寧を密かに願わずにはいられなかった。
***
「お時間です」
「はぁ~い」
扉がノックされた時点で、ようやくその時がきたことには気づいていた。むしろ待ち遠しくて時計を何度も見てしまうくらいには、時が来ることを待ち望んでいた。
ヴェイルはいつも通り間延びした声で、呼びに来た研究所の職員に応える。
今日という日を待ち望んでいた。それは一介の研究員として。強力な魔術で、荒廃した世界に千年以上もの間放置されていたにも関わらず、原型を留めている手記。その内容に興味しかなかった。
(ハロルヴァ嬢の状態を考えればもう少し時間が欲しいところだけど、こればかりは仕方ないね)
ちらり、机の端にあるカルテに視線を落として短くため息を吐いた。政治的な駆け引きなど心底どうでも良い。けれど今回の手記の発見は保守派にとって大変都合が悪い。ここ、魔法研究塔の存在そのものを否定している。しかも派閥の過半数は貴族たちだ。その声が大きくなればなるほど、トピアスという後ろ盾だけでは存続は難しくなってくる。
こちらとしても、時間がないのは事実であった。ダリアは確かにまだ安静にしていなければならないが、体調は順調に回復している。
ヴェイルにとって保守派だの関係改革派だのに興味はないが、自分に都合の良い方の肩を持ちたくなるのは人としての性だろう。少なくとも今は魔法研究塔存続のためにも関係改革派にはなんとか頑張ってほしい。その為には全快ではないとはいえ、ダリアに頑張ってもらう他ない。
「時遡行の装置は?」
「準備できております。あとは細かな微調整を所長に行ってもらえば作動できます」
端的に答える職員に、ヴェイルは頷いた。今回使用する装置の大本の準備は職員にやらせたが、最終チェックと調整はヴェイルの仕事である。
(どこぞの鼠に、邪魔されたくないしねェ)
以前アンジェリカが攫われた件は、一応解決はしている。保守派を魔法研究塔へと手引きした職員は王家の名前の前にあっさりと自供した。簡単な話、金を握らされたらしい。
魔法研究塔の職員の給与自体は高くはない。生活に苦しいほどではないが、裕福ではないことは確かである。しかし握らされた金もさほど多くはなく、出来心であったとすぐに自分の罪を吐き出したのだ。
だが、これで根本的な解決ができたとは言えない。今もまだ巧妙に存在を隠している鼠がいてもおかしくはないのだから。折角世界の真理に近づいたというのに、邪魔が入ってはたまらないため、最終チェックは全てヴェイルが担うことになったのである。
「それじゃあ、行こっかぁ」
ヴェイルは職員に告げ、魔法研究塔の最奥へと向かった。
***
「お時間です」
その言葉とノックの音に、アンジェリカは顔を上げた。
アンジェリカにとっては待ち望んだ瞬間の筈だった。しかし、アンジェリカの表情は暗い。
その表情を暗くする理由は一つ。ダリアのことだった。
(ダリア様……、大丈夫かしら)
あの美しく強い女性を、心配するなんて失礼かもしれない。それでも、考えずにはいられなかった。あの日、彼女の白い頬を転がった涙に、全ての想いがつまっていたような気がしたから。
今日、魔力提供に参加するかどうかは分からないが、恐らくヴィンスも来るだろう。ダリアは魔力提供をすると言っていたため、二人が顔を合わせることは必然的である。きっと二人とも、何でもない顔をするだろう。貴族の仮面をつけて笑い合うくらいするかもしれない。
────でも、その心の内は誰にも読み取ることはできない。
ダリアはいつも通り綺麗なカーテシーをして、ヴィンスはそれに微笑む。そんな貴族らしいやり取りを寂しく思ってしまうのは、アンジェリカのエゴだろうか。
ダリアもヴィンスも、アンジェリカにとって大切な人であることに変わりない。そんな二人の幸せを、勝手に願ってしまうのだ。
「アンジェリカ様、ご移動をお願いします」
「あ、はい」
つい考えに耽ってしまい、すぐに動き出せずにいたアンジェリカを促す声に、ハッと我に返って立ち上がる。
関係改革派として、手記の復元は行わなくてはならない。この歴史の壁を乗り越え、その先へと手を伸ばさなければならない。分かっていても────アンジェリカの足取りは重かった。
────ある者は理を追いかけ
ある者は真理に近づき
ある者は愛に逃げられ
ある者は運命に振り回される。
想いは巡る。時と共に逡巡する。
巡り巡って、辿り着くのは────




