【10】
そんな陰謀と別れと修羅場と虚偽まみれの悲哀に満ちる1ヶ月を越えた、粉雪の日の午後。
豪奢なステンドグラスが輝き、煌々と暖炉の火が揺らめくルアビオン帝国の皇太子の離宮にシャルロットは居た。
「……グラシャラボラス様、何故私は貴方様のお膝に乗せられているのでしょうか?」
「我がそうしたいからだが?」
「私の質問の仕方が間違っておりました。何故、ロアエ王暗殺容疑者が、ルアビオン帝国皇太子様に、拝謁が叶っているのでしょうか」
「我が無罪と判じたからだな」
「なる、ほど……?」
グラシャラボラスのやりたいように世界は回る。シャルロットは山のように湧いて出た疑問を全部放棄することにした。
カマル王が果たしてただのカマルになれたかだけは不明だが、離婚も偽装死も葬送も、ロアエ統治者後任にジャン・バチストとアネッサ・サンティレールを配置する工作も上手く行ったので、シャルロットのお役目はこれにて完全御免なのである。
解放祭時ロアエ王暗殺未遂の容疑者を捕まえてくれたジャン・バチストに対するロアエ運営陣の好感度信頼度も高いし、葬送曲を奏でたアネッサは、悲しみに沈むロアエ国民の心に寄り添い熱狂的な支持者を得た。アネッサの好感度はさて置き、ジャン・バチスト氏は命を掛けれるほどアネッサにべた惚れなようで、3ヶ月後の春には2人は結婚式を挙げる手筈まで整っている。乙女ゲームの根幹に「音楽の完成度=攻略対象キャラの好感度」と言うわかりやすい指標があって助かった。そしてヒロインに転生したのが柳瀬真由美でなくて岡嶋智子だったことも外せない幸運要素である。柳瀬真由美がアネッサ役であったなら、間違いなくシャルロットもアンベール・サンティレールもジャン・バチストも死んだだろう。ロアエ国民も何割死ぬか、試算するだけで恐ろしい。柳瀬真由美はピアノもギターもリコーダーもろくに鳴らせやしないのだから。
たった1年半とは言え、王妃という名の多くの人民の命を預かる仕事は、気弱なイラストレーターのSAN値を削るに十分な地獄だった。もー絶対、ずえーったい、シャルロットは修道女になるんである。20グラム以上の筆より重いものは持たない主義を貫きたい。魂の重さなんて考えなくて済む生き方を選びたい所存である。
「……シャルロット、其方少し太ったな?」
「ロアエではコルセットを着なくて良いので存分に食事を楽しみましたの。あちらは果物が甘くて豊富で……、暑いですから水気の含むものは何でも大変美味しゅうございました。それでもケーキなどの炭水化物加工食品は逆に重くてほとんど食しませんでしたので、この程度の増量は可愛いものなのでしてよ」
シャルロットが遠い目をしている間、好き勝手腹の脂肪やら二の腕の脂肪やらを確認していたグラシャラボラスが、普通の女子に言ったら憤死するデリカシー皆無な話題をふってきた。しかしシャルロットは目標が修道女であり、コルセット必須な婚活市場に戻る気は皆無なので豚になったことを悔いる理由がどこにも無い。シャルロットはグラシャラボラスの男子な発言に腹をたてること無く、適当に気楽に返事をした。なんとでも言うが良い、未婚男子。シャルロットは17歳にしてすでにバツイチなのでもう怖いもの無しである。
「確かに可愛い増量だな。お陰で触り心地が良くなった。もう少し太っても良いぞ」
女なんぞ選り取り見取りになる様柳瀬真由美が作り上げた最高傑作の美男子の性癖に、ここにきて新たに属性が追加されたことに、シャルロットは不覚にも思考停止した。デブ専設定は初めて聞いた。世の乙女ゲームプレイヤーにとってそれは喜ばしい属性なのだろうか。正気を疑いたくなり、シャルロットはそろりとグラシャラボラスを仰ぎ見た。
「……グラシャラボラス様、もしかして大分お疲れですの?しっとりもちもちした触り心地が最高の玩具をご所望でしたら、ロアエの窯元ドブランの石粉粘土がお勧めでしてよ。ルアビオンの技術を導入して職人が育ったら、あの地の土なら最高級のカトラリーが作られるようになるでしょう」
「ふむ。では新たな離宮には登り窯も入れるとしよう」
「!?」
「無論日当たりの良いアトリエも、最高級の画材も揃えた。書庫もこの部屋の3倍の広さで設置し、中身も神話から最新動植物挿絵入り図鑑まで、其方の画題となりそうな資料で端から端まで埋めておる。其方は人の気配を嫌う故、使用人は全て通いで、もう面接も終わらせた。我自ら張った結界魔法により、招かざるものは蟻一匹であろうと侵入できぬ」
背後から回ってきた手は何時もながらに殺気を纏いつつも、柔らかにシャルロットの首を撫でる。
「くだらぬことを言う蝿は、其方の耳に入る前に叩き落とそう。其方はもう存分に成果を上げた。もう一切の荷など持たせはせぬ。それでもなお痛むと言うならば、其方の涙が落ちる前に、其方の首を我が落とすことを約束しよう」
ああこの顔描いたなあ、とシャルロットは場違いにも感傷の波に攫われた。好感度MAX時の口説き顔である。乙女ゲームの攻略対象者なのだ。最も売りとなるカットなので、それはそれは時間をかけて描いたのを思い出す。眼には情欲の熱を、唇には艶を、吐息に色気を。
何故かは判らないが、知らぬ間にシャルロットはこの殺戮の達人者タグ持ち悪魔をメロメロに落としていたらしい。半年前に見たアレは強めの幻覚では無くて、彼の本心だったと言うことだ。
「さて、他に何が欲しい?其方はドレスも宝石も好まぬ故、予算が余って仕方がない。」
重すぎる貢物をチラつかせ微笑む男の言葉は悪魔の囁きだ。確かに修道女になるよりも余程快適そうな暮らしを提示されてしまっている。実際は面倒この上ない式典やら夜会やらでコルセットを嵌めてネチネチ責められる事件がちょくちょく発生するだろうが、それを理由にシャルロットが痛むなら、彼はさっくりシャルロットの首を刎ねてくれるのは間違いない。なにせこのロアエでの1年半、彼はシャルロットの意思を最大に尊重し、カマル王に嫌がらせも戦争も暗殺も仕掛けず、大人しくふたりの駆け落ちを見逃してくれた。ルアビオンの王族としては、国民の信任の薄い面倒な火種となり得るカマル王など暗殺するのが正解なのだが、それをするとシャルロットが自殺するのを見抜いている。
元々の殺戮衝動持ち設定から考えれば、それはそれは舌を嚙み切らんばかりの忍耐を要したことだろう。臓物を裂かれる直前の獲物の顔が最高に美しいと思っている男だ。シャルロットの側にいる限り、殺戮者タグの有効化は望めない。
そこまで我慢いただいた対価が怖すぎるので、できれば一番欲しいものは「拒否権」になるのだが、なんども言う様にシャルロットは無駄な抵抗はしない主義だ。グラシャラボラスのしたい様に世界は回る。
シャルロットはあっさり降参することにした。
「では次の有事の際は、必ずお側に居て下さいまし。私の魂を刈るのは有象無象では無く、グラシャラボラス様にお願い申し上げますわ。私痛いのは嫌ですの。殺すときは痛みの無い様、一瞬で。
私感情を隠すのも下手ですし、普段はお言葉に甘えてアトリエに籠らせていただきましょう。私には愛も玉座も重すぎますが、全部グラシャラボラス様にお預けいたしますので、上手に活用して下さいまし」
首に回った手を取って、いつかの昼下がりの様にその大きな手の甲に口付ける。シャルロットが今も昔も示せるのは敬愛までだ。それ以上の男女のあれこれは婚約と婚約破棄と結婚と離婚を経てもちっともわからない。
けれどグラシャラボラスはそれで満足した様だ。うっそりと笑い、お返しにとばかりにシャルロットの手のひらに口付けを落とす。
「ああ期待せよ。魂を貰い受ける対価だ。我は我が継いだ悪魔の名に誓って、其方の望み全てを叶えよう」
懇願と求愛を示す悪魔の需要は如何程か。このカット、描いたらいくらで売れるだろうか。
上機嫌になったグラシャラボラスの膝の上で、シャルロットはこれから始まる毎日に思いを馳せた。
なんにせよ、ルアビオン帝国皇太子、グラシャラボラス・ドールコフレ・ルアビオン・クーイプスコ、「幻想の白亜城」ラスボス兼最高難易度攻略対象者による、筋金入り恋愛不感症元ロアエ王妃・シャルロットの真の攻略はこれからである。