第十七話 平和な世界で
それから、平和を取り戻した王宮で、ある噂が広がることになった。
「聞いたか?」
「どの話?
宰相閣下の処刑白紙の話?」
「あれはルードルール家当主が罰を免れようと宰相閣下に罪をなすりつけようとしたんだろ?
違うよその話じゃなくて」
「じゃあなに」
「王太子殿下の呪いがなくなったって」
「ああ、わたしも聞いたその話」
「本当かな」
「どうだろ……」
「でも宰相閣下が普通にお名前を呼んでるの見たぞ」
「え、じゃあ本当に大丈夫になったのかな」
「でも、呼ぶのはやっぱり怖いよな」
「上位の家格の貴族家は、自分の娘を嫁がせようか迷ってるらしいって聞いたけど。
ほら、今までは呪いがあったから、殿下への縁談って来なかったし」
「ああ、まあ」
「あ、わたしが聞いたのは殿下がローゼンベルク宰相閣下のご養子を正妃に望んでて、国王陛下も賛同してるって話だけど」
「え? 宰相閣下の養子って、男児じゃなかった?
ほら、護衛騎士やってた」
「ああ、あれなんか男装してたらしくて、実は女の子でエイシャ公爵家の直系の血筋の娘だって」
「ええ!?」
「そ、それどうなるの?」
「血筋で言っても養親の立場で言っても文句の付けようがないよねえ。
断絶したはずのエイシャ公爵家の直系で、ローゼンベルク公爵家の養子で、宰相閣下の養女」
「じゃあその縁組み、もう決まったのか?」
「いや、」
「いや?」
「なんか、宰相閣下が反対してるとかどうとかって」
「え、なんで?
あ、自分の実子のほうを正妃にしたいってこと?」
そんな噂話に、衛兵の男が真顔で、
「いや、なんか親バカ的な理由っぽい」
と答えた。
「宰相閣下。話があるのだが」
「私にはありません。お引き取りください。ルードヴィッヒ殿下」
「いや、少しくらいは話を聞いて」
「忙しいので、後にしていただけます?」
宰相の執務室では、今日も進展しない宰相と王太子のやり取りが繰り広げられていた。
「というかですね。そもそもユミルにちゃんと求婚しました?」
「え」
「ユミルが承諾したって話は、私は聞いていないんですけれど」
「…………ええと」
しどろもどろになった王太子、もといルドルフ、もといルードヴィッヒにジドールはいい笑顔で、
「本人に求婚も出来ない男に大事な娘はやれません。
お引き取りください」
ときっぱりと言い放った。
すごすごと引き下がって執務室を出て行ったルードヴィッヒに、不意にくつくつと笑い声が響いてきた。
「笑いすぎだ。エイデス」
「いや、親バカになったお前も面白いし、本人に求婚してないのにお前に縁談を申し込みに来る殿下も面白くてな」
「私は面白くない」
笑っているのは窓辺に佇んでいたエイデスで、ジドールは机の前の椅子に腰掛けてぶすっとした顔だ。
「少しは優しくしてやれ。可哀想だから」
「嫌だね」
「本当に、ただの面白い親バカになったなあ。お前」
「それ以上笑うなら追い出すよ」
ぶすくれた顔をしても顔立ちの整ったジドールを見て、エイデスは「で?」と聞く。
「なに?」
「その、お前の可愛い娘はどうした?
護衛騎士ではなくなったんだろう?」
「それは、もう魔王も滅んだのにあの子を男装させておく理由がないからね」
ローゼンベルク家の邸宅にいるよ、とジドールは答えた。
『というわけなんだが、宰相を説得してくれないか』
「と、言われましても」
ローゼンベルク公爵邸の二階にあるユミルの自室。
そこでユミルはソファに腰掛け、困った様子で手の上に載せたあの十字架のペンダントを見下ろした。
ちなみに魔法具を使って変えていた髪と目の色は元に戻し、薄紫色の髪に真紅の瞳となっている。
服装も男装ではなく、年頃の少女らしい寒色のドレス姿だ。
「そもそも、私は殿下から求婚されてないので……」
『そ、それはだな、その、そのうちに』
「そのうちにっていつですか。ルーイ殿下」
ユミルはあきれ顔でここにはいないルードヴィッヒに話しかける。
ジドールも知らないことだが、ルードヴィッヒがかつて贈った十字架のペンダントに細工をして、遠距離での通信が可能な魔導具にしてしまったのだ。
これ父様が知ったら怒るのかな。殿下は絶対言うなっておっしゃるけど。
そう考えるユミルだ。
『じゃあ、求婚したら受けてくれるのか!?』
「それは、その、……まだ私は、その、グレイのことが」
『でも俺のことだって好きだろう?』
「その自信どっから来ますか」
そう困った様子で答えながら、あながち外れていないのだからこの王太子殿下の自信怖い。
「とにかく、父様を口説き落としてからにしてください」
『そんな……!
宰相はお前のことになるとすごく頑ななんだ!』
「それを口説き落としてこその男でしょう」
『くっ、もっともなことを言われた』
なんだか悔しそうだが、同時にルードヴィッヒは楽しそうだ。
やっと本来の父親に戻った国王がそばにいて、王宮の人間たちから怯えられなくなって、名前を呼ばれるようになって、ルードヴィッヒは今すごく幸せだろう。
それが、心からよかったと思う。
『じゃあ、ユミル。また、俺をルドルフと呼んでくれ』
「もう本来のお名前で呼ばれるようになったじゃないですか」
『それでも、お前のつけてくれた名も俺は好きなんだ』
「……それなら、……ルドルフ」
少し緊張して呼んだら、嬉しそうに笑った気配が伝わってきた。
『ありがとう。ユミル。愛してる』
「もう切りますからね!」
『あ、待っ!』
ぶつっと声が途切れて、静かになる。
頬に手を当てると熱かった。
本当は相応に、彼に心が傾いているけれど。
今は、まだこのままで。もう少し、このままで。
そう思って、ユミルは幸せそうに微笑んだ。




