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たった百年

 あの後、魔獣の群れと遭遇することはなく、行商隊を無事に街へと送り届けて依頼は完了した。


 セイラは、宿屋の一室でぼんやりと通りの様子を眺めていた。

 この街はとても賑やかで、至る所に置かれた街灯が煌々と光り輝き、人間たちは楽しそうに外を出歩いている。


 酒場の扉が開くたびに、笑い声がこぼれてくる。

 肩を寄せ合って歩く男女。荷を抱えて足早に行き交う商人。露店の灯りの下で値段交渉をする声。


 どれも、ありふれた光景のはずなのに。


(……こんなに、夜って明るかったっけ)


 里の夜を思い出す。

 月と星の光だけが頼りで、音も少なく、世界そのものが眠りについているような静けさ。


 それに比べて、この街の夜は――生きている。


 人間たちは、夜になっても止まらない。


 限られた時間を埋めるみたいに、動き続けている。


(……短いから?)


 ふと、そんな考えが浮かぶ。


 ついこの間の出来事が、頭から離れない。


 あの老夫婦。

 あまりにも静かに訪れた“終わり”。


 昨日までと同じように話して、同じように歩いていたはずなのに。

 何の前触れもなく、そこで途切れた時間。


 人間は、戻らない。


 どれだけ願っても。どれだけ手を伸ばしても。


(だから……)


 今、この瞬間を、こうやって笑って過ごしているのだろうか。


 賑やかな通りを見下ろしながら、セイラは無意識に自分の腕に触れた。


 昼間、掴まれた場所。


 もう何も残っていないはずなのに、そこだけが妙に意識に引っかかる。


(……おかしい)


 あのとき、確かに怖かったはずなのに、それ以上に安心していた。


 思い出した瞬間、胸の奥がわずかにざわつく。


 理屈じゃない感覚。理由のない確信。


 触れられただけで、すべてが大丈夫だと思ってしまった。


(あんなの……普通じゃない)


 視線を落とす。自分の手が、ほんの少しだけ強く握られていた。


(……あの人といると)


 今まさに、隣の部屋にいるはずの人を思い浮かべる。

 言葉にしようとしたが、やめる。うまく形にならない。


 怖いのに。目を逸らしたいのに。それでも離れたくないと思ってしまう。


 通りの喧騒が、少し遠くなる。


 窓辺に立ったまま、セイラはしばらく動かなかった。


 やがて、ゆっくりと息を吐いて、

「……外、出ようかな」

 誰に言うでもなく、呟く。


 このまま部屋にいても、きっと考え続けてしまう。


 少し、頭を冷やしたかった。


 外の空気に触れれば、何か変わるかもしれない。


 そう思って、宿を出た。


 街の外れまで歩くと、光は少しずつ減っていく。


 人の気配も、音も、ゆるやかに遠ざかる。


 やがて、街道脇の小さな空き地に辿り着いた。


 誰かが使った跡のある場所。


 焚き火の名残が、わずかに残っている。


 セイラはそこに腰を下ろした。


 空を見上げる。


 街の灯りに遮られながらも、わずかに星が瞬いていた。


 里の夜とは違う。けれど、完全に別物でもない。


 その中途半端さが、今の自分に似ている気がした。


 どちらにも、まだ馴染めていない。


 そんなことを考えていると、ふと、背後に気配を感じた。


 振り向かなくても、わかる。


「……眠れないの?」


 静かな声が、夜に落ちる。


 少し遅れて、隣に気配が並ぶ。オーウェンだった。


「……はい、少し考えたいことがあって」


 セイラは静かにつぶやいた。


 オーウェンはそっと、セイラの隣に腰を下ろした。そして、セイラの顔を伺うように覗き見る。


「……どんなことを、考えてたの?」


 曖昧な問いかけ。

 急かさない。答えを求めない。

 ただ、声色には隠しきれない期待の色が滲み出ていた。


 500年待ってきた男は、最後の一歩すら、相手に委ねる。

 否定されるのが怖くてしょうがないんだ。

 今のセイラは、彼の臆病さの理由が手に取るようにわかった。


 だから、セイラは覚悟を決めた。


「……一人でも、楽しかったんです」


 ぽつりと、言う。


「旅も、仕事も。知らないものばっかりで」


 嘘ではない。本当に、楽しかった。


「でも」


 オーウェンの瞳を、まっすぐに見つめ返す。


「あなたといる方が、楽しいです」


 その言葉に、空気がわずかに揺れた。オーウェンは、まだ動かない。


 動けない。


「これが“つがいだから”なのかは、正直わかりません」


 つがい、という言葉を口に出した途端、オーウェンの瞳が揺れる。


「でも、それでもいいと思いました」


 本能でも。運命でも。理由なんて、どっちでもいい。


「私が、そうしたいから。……あなたと、一緒にいたいです」


 風の音が、やけに大きく聞こえた。


 しばらくの沈黙。魂が抜けたように顔をしていたオーウェンは、やがてゆっくりと口の端を持ち上げる。


 その表情を見て、セイラは息を呑んだ。笑っているのに、どうしてか、泣きそうだった。


「……ずるいな」


 かすれた声で、オーウェンが言う。


「本当に」


 何がずるいのか、セイラにはわからない。けれど、その言葉の重さだけは、伝わってくる。


 オーウェンはゆっくりと立ち上がり、セイラの正面に跪いた。


「……後悔、しない?」


 セイラは、少しだけ考えてから。

「たぶん、します」

と、答えた。


 オーウェンが目を瞬く。


「だって、あと100年しかないんですよね」


 セイラは軽く続ける。


「絶対、“もっと一緒にいたかった”って思います」


 未来の後悔を、先に認める。


「でも」


 小さく笑う。


「それでもいいです」


 今を選ぶ。そのための後悔なら、受け入れる。


「……そっか」


 オーウェンは、ほんの少しだけ目を閉じた。長い、長い時間の終わりに触れるように。


 そして、静かに息を吐く。


「じゃあ」


手を伸ばす。


ためらいは、もうなかった。


「――来て」


その言葉に、セイラは頷く。


そっと、その手を取る。


触れた瞬間。


熱が、走る。


あのときよりも、ずっと強く。


拒めないほどに、深く。


胸の奥が、ほどけていく。


世界の輪郭が、柔らかくなる。


「……あ」


思わず声が漏れる。


何かが、変わる。


確実に。


戻れないところまで。


オーウェンの腕が、優しく引き寄せる。


今度は、迷いなく。


セイラも、その胸に身を預けた。


鼓動が、重なる。


一つになるみたいに。


 

 しばらくそうしていると、オーウェンが鼻を啜っているような音がした。


 不思議に思い、声をかける。


「……オーウェン?」


 名前を呼ぶと、ようやく口を開いた。


「……ああ」


 短い返事。けれど、その声はどこかおかしい。


 セイラはそっと彼の胸板から顔を離し、ゆっくりと、少しだけ距離を取った。


「……泣いてるの?」


「……ごめん」


 濡れている彼の瞳を見つめると、低い声が返ってくる。


 その次の瞬間。


 ぽたり、と雫が落ちた。


「……え」


 理解が追いつかない。


「……っ」


 オーウェンが、声を押し殺す。肩が、わずかに震えている。


「ちょ、ちょっと……?」


 セイラは慌てる。


 500年生きた竜人が、伝説みたいに語られていた男が、子どもみたいに泣いている。


「……っ、なんで」


 絞り出すような声。


「……短すぎる」


 ぽつりと、落ちる。


「君とあと100年しか一緒にいられないなんて」


 ぐしゃ、と顔を歪める。初めて見る表情。


「短すぎるよ……」


 その一言に、500年分の孤独と、これから失う時間への恐怖と、そして、どうしようもない幸福が、全部詰まっていた。


 セイラは、何も言えなかった。


 ただそっと、オーウェンの頭を抱き寄せる。


「……じゃあ」


 小さく、囁く。


「100年、全部使いましょう。もう充分だって思えるくらい」


 指で、彼の髪を梳く。


 オーウェンは、何も言わなかった。その代わり、セイラの身体を強くきつく抱きしめる。

 セイラは「少し痛いな」と思ったけれど、それはとても幸福で、愛に溢れた痛みだった。

 


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― 新着の感想 ―
オーウェンの口調が少年のようで、でも俯瞰的視覚の達観とした言葉で、彼が子どものような純粋で傷ついやすい心を持ったまま大人になり、それすら超える時間を一人で耐えて生きて来たんだろうなということがとて…
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