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7話

「……リ……デル……リデル……リデル!」


 遠くから近付いて来た声があった。これは、アディか? でも、どうして彼女の声が聞こえるんだ?


「アディ?」


「リデル、良かった、聞こえる。アディ、そこへ近付けない。だから、魔法で心へ呼びかけてた」


 アディはいつになく声を張って早口だった。


「アディ、俺は……」


「リデル、アディは、アディは今こんなことしか出来ない。呼びかけることしか、お願いすることしか出来ない。そっちへ行かないで。また、一緒に旅して。また、一緒に闘って。また、一緒に美味しいもの食べて。また、一緒に綺麗なもの、星空見て……」


 アディの声が次第に遠のいて聴こえなくなった。また一緒にか。アディとの思い出とそこで感じたものが蘇った。心臓が高鳴っている。血が巡っている。有難い。俺はまだここにいる。それさえ感じられれば、光の安らぎへの誘惑を断てる。


 俺は光の中で体を丸め、そこへ影を作った。闇の力だ。小さな隙間に闇神の力が戻って来た。


 どれくらい時間が経ったか分からない。俺は気付くと大森林に出来た広大な更地の只中で体を丸めていた。


「やはり、耐えてくれたね、リデル」


 ルドウィクが立って俺を見下ろしていた。俺の体はあるのか。腕を見る。脚を見る。あちこちから白い煙が上がっている。裸同然の格好だ。生きている。そうか、俺はあの光を耐えたのか。


「だけど、君はもう闘えないだろう」


「いや、まだだ」


 俺の口から闇神の声が出た。その瞬間、体が勝手に動く。俺は立ち上がってルドウィクの胸に手を当てていた。


「そうか、そうだね、闇神。この闘い、体も、魂も打ち震えたよ。まるで神話の中にいるみたいだった。俺の魂はもう、あの力を使える」


 俺の中に満ちていく、力。魔力を純化させたような根源的な力だ。


「……この力」


「感じるか? 光の神と闇の神はな、それぞれを司るだけではない。貴様も伝承で聞いたことがあるだろう。光の神は人類から勇者を選び、闇の神は魔族から魔王を選ぶ」


「それがどうした? 今から昔話でも始めるのか、闇神よ」


「そうだ。聞かせてやる。闇の神たる俺は、大いなるものに選ばれ姿を成し、光の神はそいつの母から選ばれ姿を成した。似ているだろう? この世はな、奴が作った物語の中に在った。だが、勇者も魔王も、正義も悪も、人類も魔族も、行き着くところは同じ。皆凡庸だ。嫌気が差した。だから、人類で最も優れた者に命じ、舞台を退場した。俺は眠りながら待った。新たな舞台、新たな装置、新たな役者が揃うのをな。そこでルドウィク、お前が現れた。その肉体、面白い。筋書の一つとして試す価値がある」


 俺と闇神はルドウィクを見上げてニヤリと笑った。


「何を、言っている?」


 ルドウィクの眼に僅かな揺らぎが走った。


「お前の体に触れて確信した。どんな原理で過去の勇者の肉を成したか分からんが、その体からは確かに魔徨を感じる。道理で人外の魔力を擁しているわけだ」


 魔徨は、光と闇が受け取ることを拒んだ彷徨う魔力だ。人類とは異なる知的種族の体を成している。それは、魔族だ。


「条件に合うのだ。そして、条件は神たる俺の解釈で広がる。ルドウィク、貴様は人でありながら、魔族だ。その魔力は最も強く、その心は最も呪われている。故に統べるものに値する」


 俺の中に満ちた力がルドウィクを包む。彼は身動いだ。だが、動けない。


「何故だ? 何故大いなるものの力を得た、勇者たるこの私が?」


「借物であり偽物だからだろうな。これは大いなるものの力、その一部だ。本物をくれてやる。だが、人と魔族が混ざった肉体など理の外だ。おそらく姿を保てないだろうな」


「……止めろ!」


 狼狽だ。ルドウィクの顔に最早完璧な美なんてなかった。


「云え、武蔵!」


「ルドウィク・ダナ・アーガトラム……」


 俺の中の魂が震えると共に言霊が浮かんだ。それを物語を始める特権たる力に乗せ、宣言する。


「汝、魔王に任ず」


 その瞬間、黒の巨大な柱がルドウィクに落ちた。光を成す者の体が宙へ浮き、その柱の中を昇っていく。


「ぐあああああ!」


 ルドウィクが踠き苦しみ叫ぶ。あの甘い声は何処へいったのか。獣か魔物の断末魔のようだった。


 美丈夫だった男の甲冑が割れて次々に弾け飛ぶ。その下の肉体が黒く歪に隆起したからだ。肉なのか、岩なのか。グロテスクな質感に冒されたそれは俺の知る生物のどれともほど遠く、やがてルドウィクの名残りだった美しい顔も呑み込まれていった。握っていた光り輝く大剣もその変化に弾かれて、森のどこかへ消えてく。


 黒塊だ。ただの歪な黒い塊に、光を成す者は為り果てた。


「ほう……醜いものだ。ただの魔徨の塊に成り果てたか。この森の魔物がよく育つぞ」


 黒の巨大な柱が消えると、そこに落ちた塊を見下げながら闇神はほくそ笑んだ。


「終わらせんぞ!」


 突如、黒い塊が歪んだ声を上げた。ウネウネと動き苦しみ悶えるように人の形を為そうとしている。ルドウィクの執念は怪物だ。あんな姿になっても意識を保っていられるのか。


「悪あがきだ。放っておけば、すぐ意識は消える」


「まだだ……シャムロック!」


 ルドウィクだったものは大声を上げた。蹄の音がした。主人の求めに応じて赤い魔馬が駆けて来るのが見えた。ルドウィクの愛馬、バイコーンのシャムロックだ。


「分かっている。同化するつもりだ。繋がりの強いものを取り込めば、それに刻まれた姿と意識が具象化する。だが、させるか」


 俺は、闇神は双穂槍弐禍喰を手にして投擲しようと構える。だが、その途端体中に激痛が走り、俺は膝を付いた。

「く……流石に肉体は限界か。だが、魔力は尽きていない。雷で討つ」


 俺は掌をシャムロックへ向けた。間をおかず雷砲らいほうを放つ。だが、当たらない。まるで見当違いの空へ消えていった。


 掌を見た。震えている。筋肉も骨も悲鳴を上げていた。これじゃ狙いが定まるわけがない。


「リデル!」


 その声に俺は顔を上げた。銀色の影。シルバーウルフのゼルだった。シャムロックの後方から、凄まじい速度で駆けて来る。


「撃テ! 我ガ当テテヤル!」


 そうか。俺のコントロールの定まらない雷撃も、ゼルが体で受け魔力操作で軌道を変えてくれる。


「頼んだよ、ゼル!」


 俺は雷を放った。やはり、手が震えシャムロックには当たらない。だが、伸びた電撃の先にゼルがいた。


「ウォオオオン!」


 ゼルが雄叫びを上げながら雷を深紅の魔馬へ向けた。稲光がシャムロックを包む。しかし、倒れない。僅かに速度を落としただけで、主人であるルドウィクの元へ駆けて来る。世界最強の男が選ぶ魔物だ。この程度じゃ止められないか。


「続ケロ、リデル!」


 銀狼が吠えた。それに応えて、俺は更に雷砲らいほうを放った。一発、二発、三発……その全てをゼルがシャムロックへ的中させてくれる。だが、それでもその疾走は止められない。主人の元まで一駆けの距離まで迫る。待ち受けるルドウィクは、黒塊と化した体を大口のようにパクリと広げた。


「充分ダ!」


 ゼルがシャムロックへ向けて跳躍した。追い付いていたんだ。雷を浴びてシャムロックは少しづつ速度を落としていたんだ。


 銀狼の牙が深紅の魔馬へ届く。その時だった。


 甲高い金属音が響く。同時に、シャムロックとルドウィクは巨大な氷柱に包まれていた。


「ムッ!」


 ゼルは咄嗟にその氷柱を蹴り飛び退いた。


「同志ルドウィク。光を成す者が、情けない」


 朗々とした女の声だった。声の先へ目を向ける。巨大な氷柱の上にいた。鈍色のマントを纏った、少女だった。長くクセのかかった金髪。榛色の瞳。作り物を思わせる整った顔立ちだった。


「あなた達が……そうか」


 少女が氷柱の上から跳び、俺達の前へ降り立った。彼女から感じる魔力、この巨大な氷を一瞬で為したのは間違いない。


「コイツ、凄マジク強イ」


 ゼルが身構えて言った。確かに。この存在の顕示。ルドウィクとはまた違った異質さだ。今のボロボロな体の俺じゃ到底敵わないだろう。


「ダリア! 邪魔は許さん! リデルは俺のものだ!」


 ルドウィクが氷柱の中から叫んだ。見ると、僅かに黒い体をウネウネと動かしていた。


「いえ、邪魔など。ただ、この場はエンペリオン七剣星が筆頭、ダリアが預からさせていただきます」


「名ばかりの筆頭が! 俺を誰だと思っている!」


「失礼……」


 少女、ダリアは鈍色のマントを翻す。その下から黒と銀を基調とした荘厳な甲冑が姿を現した。更に彼女は腰へ帯びていた剣を抜く。その刃は氷のように透き通っていた。


 ダリアは躊躇いもせず、剣を氷柱に突き刺した。その切先から白の波が奔りルドウィクへ達する。光を成す者だった醜い塊は、氷柱の中で再び凍らされて完全に動かなくなった。


「ほう。その剣、ただの氷製造機ではないな」


 闇神が俺の口を動かして言った。


「神と人の魂が溶け合っている……純白の至高者はここまで為していたとは」


 ダリアが俺へ視線を向ける。この眼光だけで凍て付きそうだ。


「どうする? ここで俺達を斬るか?」


「いや、私にその導きは与えられていない」


 ダリアは剣を鞘に納めた。


「導き……」


 何の導きだろう? 奴らが大いなるものと呼ぶ何かだろうか? それとも違う何か?


「だが、我らが同志がこう成り果ててしまった以上、結社として見過ごすわけにはいかない」


「逃さんぞ。と、言いたいところだが、今の俺達に貴様を止める手立てがない」


 肉体もボロボロ、魔力も残り僅かだ。こうして意識を保っているのもやっとだ。


「いつになるか分からない。だが、いずれ必ず、我らはまたあなた達の前に現れるだろう」


 ダリアは、ルドウィクとシャムロックを閉じ込めた氷柱に右掌を当てた。そして、左手で剣の鍔を浮かせて僅かに白刃を見せた。


「大いなるものの意志と共に在らんことを」


 金打だ。鍔を鞘に打ち付けて鳴らされた音と共に、一瞬でダリアと巨大な氷柱が消え失せた。これも瞬間移動系の魔法だろうか? だけど、通常の魔法の発動とは違う気がした。


「リデル!」


 駆けてくる音とよく知った声が聞こえる。アディだ。尊い仲間の魔法使いが走り寄って来る。


「回復役が来たか。俺はここまでだ。力を使い過ぎた。しばらく眠るとしよう。じゃあな、武蔵」


 闇神の気配が俺の肉体から消えた。魂の深部で眠りに落ちたんだ。それが分かると同時に、肉体の激痛と感情の激動が起こった。もう意識を保っていられない。アディとゼルが俺の名を叫んでいたけど、それも遠のいて聞こえなくなっていった。


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