6話
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
間断なくやって来たのは憎悪の荒波だった。まるで夢と現だ。繋ぎ目がどこか分からなかった。俺の魂は俺の肉体の中へ戻って来たんだ。
俺はルドウィクへ槍を叩き付けていた。受ける彼の大剣との間で閃光が混じり合って歪んだ轟音を鳴らした。体の内と外を流れる魔力の奔流が、細胞を子削ぎ取っていくようだ。このままだと確実に俺の肉体は滅びる。だが、大丈夫だ。こうして俺は俺を観察出来ている。
(やるぞ、武蔵)
「応!」
気合いを上げてほんの少し憎悪の荒波を遠ざける。それだけあれば充分だった。
「我、神なり!」「我、神なり」
俺と闇神の宣言が重なる。その瞬間、闇が俺だった。
世界が、星々が、光が、遠ざかる。それなのに、俺の内へ宇宙そのものが落ちて来る。見えるのは無限の曲面だ。その中心に俺はいた。
時が崩れた。未来が、過去が、全て今という一塊となって押し寄せてくる。
見知らぬ戦争、滅んだ星、誕生した生命、微笑む誰か……全てが一瞬の夢のように、俺の意識に流れ込む。
「……今ここが、全ての中心」
「そう、それが俺だ。そして、俺がお前だ」
俺が闇神の声だった。そう思うと同時に遠ざかった世界が戻る。
闇ごと、俺は歩き出した。それが、神威融合の発動だった。
「誰だ、貴様は?」
ルドウィクの差し貫くような眼光が閃いた。その反応は速い。白い大剣の猛烈な突きが迫っていた。だが、初めて会ったあの時とは違う。その挙動の全てが見えていた。俺はただ弐禍喰の刃で触れた。ルドウィクの白刃が高く跳ね上がる。その下で世界最強の男が驚愕に眼を見開いていた。
「俺は闇の神。闇を司り、世界の中心を成すもの哉」
俺の口が勝手に開き言葉を発していた。
「そうか、闇の神。リデルの魂から感じた気配の正体はそれか」
「喜べ、光を成す者よ。闇神と対峙出来るなど、この上のない僥倖だぞ」
俺を他所に、闇神が勝手に喋る。だけど、奴に対する不快はない。ルドウィクに対する憎悪の荒波だってあるのに、それも俺の僅かな一部に思える。俺の内側が宇宙のように広がった感覚だ。
(それは既にあったものだぞ。覚えておけ、武蔵)
頭では意味が分からないが、俺の何処かは分かっていた、そんな感覚だ。
「邪魔をするな。私は、リデル・カザクに用がある」
ルドウィクが腰へ大剣を構えた。その眉間に怒りの皺が刻まれる。普段の美しい造形の顔とは程遠い。前世で見た明王か仁王像のようだ。
「ルドウィク・ダナ・アーガトラム。俺はお前を勇者の器などと思っていた。だが、違う。対峙して分かった。お前もまた皆と同じ、小さきものだ」
ルドウィクが大剣の薙ぎ払いを放つ。閃光の塊のような一撃だった。俺は双穂槍でそれを受け止める。重い。筋肉と骨が軋む。だが、やれる。今の俺なら、この世界最強の男についていける。
「どうした? 剣筋に怒りと狼狽が混じり合っているぞ。俺達の魂が測れぬか」
「五月蠅い……リデル、今すぐこいつから君を解き放って上げるからね」
ルドウィクが俺へ微笑みを向けた。だが、それは完璧な造形とはほど遠く、頬がひくつき片目が閉じかけ歪んだものだった。
分かった気がした。殺意だ。ルドウィクはその完璧な造形美の奥に、欲望が混ざった殺意が絶えず渦巻いているんだ。
「神との死合い。篤と味わえ」
俺はルドウィクの大剣を押し返すと、距離を取った。その瞬間に、闇神の意図と技の像が頭に伝わる。魔力を肚で練り、弐禍喰を突き出しその切先に伝える。
「荒魂ノ哭」
俺達が放った雷は黒く、空を断絶し奔りルドウィクを打った。響く雷鳴は死者の低い唸りのようだった。
「ぐっ……何故だ。何故届く?」
ルドウィクが膝を付く。。その体の端々から黒煙が這い出すように上がっていた。
「貴様の闘い見させてもらった。どうやら、物理を光として分解するようだ。だから、魂に直接雷を落とし、そこへ刻まれた悲哀を呼び起こした。魂の痛みは肉体にも届くからな」
「これが、魂の痛み……そうか」
ルドウィクは俯き、長髪をだらりと垂らす。そして、ゆっくり立ち上がった。
「……素晴らしい」
光を成す者が顔を上げる。恍惚としていた。長年求めた救いを与えられたかのようだ。俺の何処かでぞくりとするものが湧いて波寄せた。
「さあ、闇の神よ。もっと……くれ!」
ルドウィクが大剣を落とすように真っ向斬りを放った。俺はそれを双穂槍で僅かに軌道をずらして躱す。白刃の勢いは死なず、地へ轟音と共に大穴を穿った。
この質量の剣の超速振り下ろし。しかも、膨大な魔力を感じる業物。まともに受けたら弐禍喰でも叩き折られるかもしれない。それなら。
俺は、続くルドウィクの薙ぎ払いを跳んで躱し、弐禍喰の雷刃を消す。そして、空に発した雷を蹴り、光を成す者の間合いの内側へ潜り込んだ。
「哭婪打」
刃を仕舞い杖となった弐禍喰を短く持ち、俺はルドウィクを滅多打ちにした。短く黒い稲妻が美丈夫の甲冑の内へ流れる。効いている。雷に体を痙攣させ攻撃を返せないでいる。
殺れる。俺は止めの突きをルドウィクの鳩尾へ放った。
「ハハッ」
短く狂った笑い声を上げると共に、ルドウィクは俺の弐禍喰を掴んだ。間髪を容れず、膝蹴りを突き上げる。俺は咄嗟に双穂槍を離し、後ろへ跳んだ。突風のようなルドウィクの膝が掠めていく。
「測れぬ魂との対峙、私の魂の痛み……。初めての体感に取り乱してしまった」
ルドウィクは長い髪を掻き上げ、弐禍喰を俺へ投げて返した。
「神との融合。それは神霊魔法だな。流石、大賢者エイラだ。それも想定しておくべきだった。力なら、私とほぼ互角。だが、私のこの乱れた心で今の君に勝つことは叶わないだろう。すまない、リデル」
ドクン。ルドウィクの鼓動が大きく聴こえた。その瞬間だった。彼の魔力が大きく膨らみ質も変化した。俺は思わず更に後ろへ跳び間合いを取った。
「私の異名の一つに、勇者の再来というものがある。勇者の条件の一つに、魂を感じることが出来る。それがあるからだ。では何故、人間如きが魂を感じ測ることが出来るのか。それは闇の神、あなたならご存知だろう?」
「……もちろんだ。貴様らが大いなるものと呼ぶ、あれと繋がっている証だ。あの愚かものは魂を通じ、ルドウィクのような人間に茶番を起こすよう命じる」
「茶番に愚かものか……あなたのような神がそう呼ぶとは。なら、躊躇いはいらないようだ。闇の神よ。あなたは、私を勇者の器ではないと言った。だが、私は生まれながらにして勇者なのだよ。その証拠をお見せしよう」
ルドウィクの膨大な魔力が立ち昇る。その頂点が、この世ではない何処かへ繋がったように見えた。
「神より大いなるもの」
ルドウィクの声が朗々と響き渡ると同時に、眩い光に包まれた。なんだ、この感覚は? 光を成す者はその存在を壮大に顕示している。まるで太陽だ。なのに、ここにはいない。
「魔力が消えた……いや、そんなわけない」
万物には魔力が流れている。人や魔物が自分の存在を覚られないように極小に魔力を留めることは技術として可能だ。だが、自分の意思で魔力を完全に消し流れを止めることは不可能だ。魔力は情報体。少なくとも人が五感で感じらるものには全て魔力が宿っている。つまり、死体にすら魔力はあるんだ。魔力が消える。それはこの世に存在しないと同義だ。
「なるほど。貴様ら、禁忌を超えたな」
闇神が俺の口を動かした。言葉に鋭い圧が乗っていた。
「禁忌? それは人と神の魂をごちゃ混ぜにしたあなた方では?」
「勘違いするな。俺は称賛しているのだ。嫉妬、とも言い換えていい。禁忌など、犯してやればいい。だから、聞かせろ。ルドウィク、お前、人の胎から生まれた者ではないな?」
これもまた、俺の頭では理解出来なかった。だが、俺の何処かは既に理解していた。
「流石、神だ。私は骨から生まれた。歴代の勇者の中でも最強とも謳われる、キュクレインの骨からな。故に、私は勇者キュクレインの力を受け継いでいる。いや、そのものと言っていい」
この世界では、それは魔法なんだろう。だけど、俺の前世ではこう言った。クローンと。もちろん、その原理は違うだろう。だけど、体現していることは同じだ。
「道理で、お前の心が歪んでいるわけだ。大方、母の温もりも知らず、怪物として育てられたのだろう。武蔵の世界ではよくあった話だろ?」
側から見れば、俺が存在しない何者かに話を振ったように感じただろう。そんな客観が頭に浮かんで、俺は苦笑した。
「笑うか、リデル。母の寵愛を受けて育った君には分からないさ。母に愛されず、それどころか、母だと思っていたものは母でなかった、この怪物をね」
ルドウィクの背に後光が差し、それが大翼のように躍動した。そして、その大剣が光の塊となって頭上にあった。躱せない。俺は弐禍喰でその一撃を真っ向から受け止めた。重いという次元じゃない。速いという概念じゃない。大いなる破壊が、ただそこにあった。
「魂を弄られたのに、愛された君。肉体を弄られただけなのに、愛されなかった私。分からないだろうね」
ルドウィクの眼差しが俺の眼へ飛び込んで来る。怒りはない。哀しみの向こうにある諦めのような、そんな眼だった。彼の殺意や欲望の根幹は、これ?
「……分かるよ」
前世家族の冷たい背中が想い出された。でも、そんな俺の、光の怪物へ対する同情の呟きは小さ過ぎた。武器が擦れ合う音にすら掻き消されてた。
俺の鳩尾に重い衝撃があった。それに吹き飛ばされながら分かった。ルドウィクの前蹴りだ。気配がなかった。至近距離でも覚れない。魔力だけじゃない。その肉体が発する音や匂い、空に伝わる微細な振動。それらが全く、ない。
「白毫」
ルドウィクの大剣から白い光線が伸び、俺の右胸を貫いていた。串刺しになったまま薙ぎ払われる。森の木へ衝突し倒木させる。俺の肉体は長大な鎌の先端だ。まるで大木が柔らかな草のように刈られていった。
「やはりその肉体硬いな」
ルドウィクの声が響く。彼を中心に倒壊した大木の円陣が出来上がっていた。
串刺しから解放されたか。俺は立ち上がり、風穴が開いた右胸を押さえた。呼吸は出来る。痛みは遠い。これも闇神との融合のお陰か。本来なら、まともに動くことすら叶わない大傷のはずだ。
「抽象と具象の間。まるで、太陽が成す光像と闘っているようだろう。これが大いなるものと繋がった勇者の力だ。私が物語の主人公であり、創作者なのだ」
そう言って、ルドウィクが両腕を広げた。確かにそれがしっくり感じる。全てが彼の思い通りってことか。それなら、どうやっても勝てないじゃないか。
「いや、それほどの力はない。あの愚かものが、勇者と言えど人間如きにその力の全てを与えるわけがないからな。こちらの力は届く。武蔵、体は俺に委ねろ。お前は自らの魂の震えを感じろ。もう、すぐだ」
闇神が呟いて教えてくれる。俺はそれで理解していた。物語を始める力だ。そして、それはこの男の物語を壊す力だ。
「リデル、大いなるものは、私に君を深く呪えと云われた。殺しはしないさ。いたぶり拭えぬ恐怖を与えた後、体の一部を斬り落とす。今回は右耳がいいか。来年は左眼か。再来年は鼻がいいか。それを君の生涯繰り返す。自ら死ぬことは許さない。エンペリオンの眼は其処彼処にあるからな」
ルドウィクは微笑みながらそれを言った。完全なる美に見えた。歪みはそこになかった。俺の内の何処かが震えている。恐怖かもしれない、怒りかもしれない。だけど、今の俺はそれに呑まれることはない。
「ルドウィク。呪われているのは、あなただよ」
俺がルドウィクへ向けて駆けていた。闇神がこの体を動かしている。
「雷神とまではいかぬが、俺にも出来るぞ」
俺は雷に乗って舞い上がり、宙を駆けた。空を飛んでいる。直線と直線を繋ぎ合わせたような動きだが、自在だ。今の俺の身体操作じゃこんなこと出来ない。
ルドウィクの周りを雷の速度で飛び回る。彼は揺るがず、ただ静かに俺を見ているだけだった。その意識に隙があるのかないのかすら測れない。
「千慘哭」
俺は、いや、闇神は夥しい数の黒雷を放った。暗黒の閃光という矛盾した電撃。雷鳴とも人の咆哮とも付かない和音。それらがルドウィクを襲い、その姿を黒の閃光の底へ沈めた。こんな技、俺には不可能だった。想像しようともしなかった。
「こんなもの、大いなるものの光の前では無力」
雷撃の轟音の只中なのに、ルドウィクの声は響いた。白い輝きが立ち昇る。それはたちまち広がり、黒の閃光を呑み込んだ。
「だろうな。だが、光が強まれば、闇もまた濃く強くなる。武蔵、覚えておけ。背後にこそ宇宙と繋がる扉が生まれ、その奥に無量の闇がある」
俺の背中に何かが伸びて広がる感覚があった。影。闇だ。濃い闇が俺の背後へ広がっている。
「感謝するぞ、ルドウィク。貴様の光で、俺はこんなにも早く闇を取り戻すことが出来た。闇神の力想い知れ」
背に繋がった遥か先からそれはやって来た。圧縮された超重量の暗黒だ。
「阿伽羅摩婆羅」
闇神はその暗黒をルドウィクへ落とした。光が瞬時に吸い込まれ、後に巨大なドームが在った。いや、ドームなのか? 光の濃淡も陰影もないそれは立体に見えない。まるで広大な黒塊の二次元画が三次元空間を侵しているようだ。いくらルドウィクでも一溜りもないだろう。こんなもの、人の身で耐えられるはずがない。
「光あれ」
ルドウィクの声が直接耳に響いた。同時に、俺は巨大な光の柱に包まれていた。これは、魔法なのか、魔技なのか。発動が速いとかどうとかじゃなく、既に闇神の放った黒塊はなく光柱がそこに在った。
体が、魂が光に溶けていく。痛みはない。むしろ、心地よさ、安らぎすらある。俺は光へ還るのか。それもいい。母さんの元へ、逝ける……。
「魂を感じろ、武蔵!」
闇神の叫びが聞こえる。魂か。それはまだここに在る。でも、肉体はここに在るのか? 何も聴こえない。何も感じない。せめて、闇神か誰かがもう一度叫んでくれれば。でも、影一つない光の中では闇の力も感じない。




