CCCLXXXV 先遣隊ジェラルド・フィッツジェラルド
私は兜越しにヒューさんに目配せして、護衛みたいについてきてもらいながら、中庭に乱入したけど出口に向かう大砲や荷馬車に囲まれて窮屈そうにしている騎士の方に向かっていった。
黒い馬に赤のモチーフが入った銀の鎧姿は、くちばしのある兜でキョロキョロしていてもやっぱり堂々として格好いい。
「私が責任者です。なにか御用ですか。」
フィッツジェラルドは私よりも視界が狭いデザインの兜をしているから、私を見つけるのに5秒位かかった。戦場でこれだけ遅れたら問題になる気がするけど。
「その甲冑は・・・まさか、ヘンリー・ノリスなのか?」
「えっ!?」
フィッツジェラルドの困惑したような、兜のせいでくぐもった声に、私は驚いて間が抜けた声をあげてしまった。
ノリス君は王子の寝室係と鍵番とかで、ほとんど外に出ていないと思っていたし、甲冑はヘンリー王子がノリス君を着せ替え人形にして遊ぶだけで、他の人の目には触れないと思っていたから。
なんで王太子付きの騎士が、私が着ているのはノリス君の甲冑だってわかるの?
「なんでそう思ったの・・・思ったんだ?」
私はとっさにノリス君の声真似をした。
フィッツジェラルドは『魔女』ルイーズ・レミントンと侍女ルイザ・リヴィングストンを同一人物だと知っていて、女性の格好をした私を襲ってきたはず。
男装版のルイス・リディントンがどれくらい疑われているのかはわからないけど、ここはノリス君だと勘違いされたままのほうが、きっと都合がいいと思う。
「なんでもなにも、あれだけ王太子妃のところで披露していたら嫌でも見るだろうが。甲冑のせいか、いつもと声が違うな。」
ノリス君が姫様のところに入り浸っている?そんなイメージないけど。
姫様自身はちょっとこの国の言葉が話せても、あの空間は古典語を話す人ばかりだし、使者で行くならモーリス君が適任なはず。そもそも女嫌いの第二王子と王太子妃って使者を遣わすほど用事がなさそう。
それに甲冑で行くなんてただの用事じゃないよね。
「うん、声、こもっちゃうんだ、この兜でも意外と。」
謎は深まるけど、私はとりあえずノリス君として振る舞うことに集中した。後でバレるかもしれないけど、とりあえずルイス・リディントンのイメージが沸かないようにしないと。
「その兜は槍で顔面を突かれるとひしゃげるぞ。ヘンリー王子の好みなんだろうが、危ない場所に出るなよ。」
フィッツジェラルドは意外にもノリス君には親切みたいだった。考えてみればアンソニーの恋人だって聞いているし、意外と差別のない先進的な考えの持ち主なのかもしれない。
ううん、裁判で無罪になった私を斬ろうとしてきたからやっぱり違う。
でも確かにこの兜、顔面が縦縞みたいな檻状になっていて、視界は広いけど顔面の安全性が若干心配になる。
「ありがとう!でも、危ないところにはでないことになってるの、なってるんだ!実際の戦闘には参加しないんだ。全部ゴードンさんたちに任せるんだ。」
ルイス・リディントンも名目上の指揮官だし、後でヘンリー・ノリスじゃなかったと分かっても、お飾りだと思ってもらえば深入りされない気がした。
「今日はやたらと早口だな、やはり怖いのか?」
「そんなことなーいーんーだー!」
実際のノリス君、慌てたときは早口だけど、私はノロノロとした話し方を心がけた。
「まあ都合がいい、ノリス、進軍をしばらく停止してくれ。俺が先遣隊になって連中を蹴散らしてくる。ノリスもこんな出撃やる気がでないだろう?ここは貴族に任せるんだ、俺達はこういうときのために楽な暮らしをさせてもらっているんだから。」
普通だったら、調子に乗っているけどそこそこ格好いいセリフだった。でも私は「連中」が蹴散らされないように頑張っているから、ここは抵抗しないと。
「それは困るんだ、話し合いがあるんだ。殿下・・・王子様も、血が流れることは望んでいないんだ。」
「甘いな。武器を取って王都に向かえば話し合いができる、なんて先例ができたら連中は調子に乗るぞ。」
この人、本当にフィッツジェラルド?星室庁で私を誘拐しようとしてきたときにはかなり頭の回転が遅かった気がするけど。
「今回は、ちょっと黒幕がいるみたいだから、ただの反乱じゃないみたいなんだ。」
「さあな、ヘンリー王子としてはそうあってほしいだろうけどな。まあいい、俺が騎兵隊をつれて大砲隊を追い越していくから、とりあえず知らせたぞ。」
フィッツジェラルドは馬の向きを反転させて、私に背を向ける形になった。甲冑の正面は銀色だったけど、裏側の腰から下は赤いベルベット生地みたいで、正面から見たときと印象が違った。
「ちょっとそれは困るんだ。」
「悪いが、アーサー王太子殿下の命令だ、ヘンリー王子の代理の許可はいらないからな。」
私、名目上総指揮官のはずだったのに。火事があったときもこんな感じで指揮系統がばらばらだったのよね。
「(ルイーズ様、このまま行かれてはこまります。)」
「(そう言われてもこの人私の部下じゃないし・・・あっ・・・)」
ヒューさんの無理な注文に小声で答えていると、フィッツジェラルドの甲冑は正面だけで裏側はあんまり守られていないことに、私は気がついた。
考えてみれば、腰まで甲冑があったら馬が痛がるし、太ももの裏とふくらはぎは乗馬のときに揺れるから、甲冑で覆っていたら痛いのかもしれない。
「フィッツジェラルド閣下、足のガーターが外れているんだ。僕が直してあげるんだ。」
「閣下だって?今日はどうしたんだノリス、マクギネスがガーターを間違えるとは思えないけどな、ちょっと戻って様子を見てくる。」
「遠慮しないでいいんだ。」
私はちょっと強引に、完璧にガーターが結ばれたフィッツジェラルドのふくらはぎに狙いを定めて、ちょっと細かめにマッサージした。
「んっ・・・なっ、なんだっ・・・」
フィッツジェラルドはちょっと鼻にかかった声を上げた。
「あれ、ちょっと手元が滑っちゃんたんだ。今直すんだ。」
スザンナといて中庭で襲われたとき、私はこの人の足の裏をツボを押して、戦闘不能に追い込んだ。
でもここで同じことをすると、ヘンリー・ノリスとルイーズ・レミントンに同一人物疑惑ができてややこしいし、あと実用的に考えると今この人が跳ねたら馬がびっくりして危ない。
細かく、細かく。
「んあっ・・・ちょっ・・・まっ・・・まてっ・・・」
フィッツジェラルドはちょっと困ったように体をよじらせたけど、足で蹴ってくるような様子はなかった。お馬さんも静かに佇んでいる。遠くでラッパが鳴るのが聞こえた。
頻繁に乗馬しているからだろうけど、フィッツジェラルドの太ももの裏からふくらはぎにかけては、良い筋肉がついていた。
「恥ずかしい声を我慢しないと、騎士のみんなにきかれちゃうんだ。」
中庭に乱入してきたのはフィッツジェラルド一人と馬一頭だけだけど、仲間の騎兵が離れたところで待っているみたいだったから、異変を感じて助けに来ないようにしてもらう。
「くっ・・・それはっ・・・俺は・・・ふっ・・・島の勇者のっ・・・孫っ・・・ぜった・・・んうっ・・・」
フィッツジェラルドはなんだかすごい人の孫らしいけど、でも例の家畜志望の野蛮人は『半島の征服者』とか名乗っていたから、島の勇者も案外普通の人だったりして。
私は膝の裏を少し刺激した。
「くっ・・・こっ・・・この程度っ・・・俺はっ・・・んあっ・・・」
ちょっと苦しそうな声になった。膝の裏のツボは痛いときが多いのよね。ちょっと優しくしてあげようかしら。
私を斬ろうとした相手だけど。
「大丈夫?でも騎士なら我慢できるんだ!」
「ハアッ・・・そっ・・・そうだ・・・俺はっ・・・あぅっ・・・我慢・・・がま・・・あっ・・・だいじょっ・・・くふっ・・・んあっ・・・」
フィッツジェラルドはやっぱり脳筋ってやつなのか、なんのために我慢しているのかは考えていないみたいだった。
でもどうしよう、足の裏のツボと違って、ふくらはぎや太ももの裏ってそこまで強い刺激にはならないし、痛いときはあるけど決定打がないというか、このままだと出口戦略がないまましばらくマッサージを続ける羽目になりそう。
アンソニーなら秒で戦闘不能になるんだけど。
「んんっ・・・がっ・・・がまんっ・・・あっ・・・そこっ・・・きっ・・・きもちいっ・・・ふうっ・・・」
フィッツジェラルドは上を向いて細かく体を震わせていて、甲冑の蛇腹の部分がお互いにぶつかってカタカタと音を立てていた。コンプトン先輩達と違って気持ちよさには素直なみたいだけど、これは私がヘンリー・ノリスだと思い込んでいるから安心しているのかもしれない。
出陣の合図のラッパが遠くでなり続けているけど、このまま晩までマッサージしているわけにはいかないし・・・
私はふと、股関節の近くの、足の付根の部分のツボが気になった。当然馬に座る部分は甲冑がないから、押せる位置にあった。
「ちょっと痛くなるんだ、お馬さんを驚かせないように、じっとしてて。」
私は警告をすると、ずいっと指をツボに埋めた。本当は片側だけって良くないけど。
「んっ・・・痛いって、なんだっ・・・なっ・・・あっ、あああっ!!・・・よせっ・・・んああっ!!・・・しりはやめっ・・・・しっ、しびれるっ・・・くあああっ!!」
「がまん、声もがまんなんだっ!」
フィッツジェラルドが悶えたせいで馬も驚いて、前後にちょっと動いた。私が周りを見回すと、いつの間にかヒューさんが部隊旗で私達を隠してくれていて、外から私が足の付根をマッサージしているところは見えないようになっていた。
「声っ・・・がっ・・・がまんできなっ・・・んっ・・・で、でるっ・・・つはあああっ!!!」
「がまん、がまんなんだ!」
馬にまたがったまま身をよじらせるフィッツジェラルドにびっくりしたのか、馬も落ち着きがなくなっていた。
リズミカルに、ちょっと強めに、足の付根に刺激を加えてみた。
「あっ、あっ!・・・よせっ!!・・・んああああっ!!!・・・もっ・・・突くなっ・・・かはあっ!!・・・うくっ・・・もうっ・・・もうおれっ・・・おれっ・・・んっ、んうっ・・・くはああああああっ!!!」
フィッツジェラルドは勢いよくあぶみから足を外して、馬の上で45度になるもいたいに、体をピンと一直線にのばした。
「あぶないっ!!」
そのまま落馬するかと思ったけど、ヒューさんがフィッツジェラルドの背中を支えて馬もなだめてくれて、フィッツジェラルドはぐったりと馬のたてがみにより掛かる感じになった。
「んぅ・・・」
「ヒューさんありがとう、今回は急いだせいで目撃者が多かった気がするけど大丈夫なの?」
「心配ありません。旗で隠したほかに、ラッパで注意を反らしましたから。」
ラッパは結局味方だったみたいだった。
「そう、それはよかったわ。あと、念のためにフィッツジェラルドの顔を確認しておきたいのだけど、兜をとってくれる?」
今まで何度も私を狙ってきた相手が、黒装束だったり甲冑だったり明け方だったりして毎回顔が見えないっていうのは、正直不気味だった。
でも馬はけっこう大柄で、私はフィッツジェラルドの兜に手が届かなかった。
「せっかく馬がじっとしていますから、迎えが来るまでこの体勢でいてほしいのですが。万が一落馬したときに兜は頭を守りますし。」
確かに意識が朦朧としていそうなフィッツジェラルドは、ちょっと危険そうだった。
「そうね、でも、目しか見られなかったけど、ひょっとしたらイケメンかもしれないって思って。」
兜越しに私を見下ろしていたフィッツジェラルドの目は、色はわからなかったけど厳しすぎない感じで割と爽やかな形をしていた。
「ルイーズ様!敵の顔が良いかどうか確認して意味があるのですか!?それにルイーズ様の魔法の後ですからどのみちぐちゃぐちゃになっています!」
「別にイケメンには敵味方関係ないと思うけど、確かに兜の中は湿度高そう。」
「若っ!わかあああっ!大丈夫ですかあああっ!」
なんだか聞き覚えがある声が聞こえて、ポニーみたいな小柄な馬に乗ったひょっこりしたおじさんが中庭に入ってきた。
「若っ!わかあっ!」
ポニーの操縦がかなり上手な小人さんは、すぐにフィッツジェラルドの隣に乗り付けると、ぐったり馬にもたれかかっているフィッツジェラルドに近づいた。
「あぅ・・・」
「若っ!一体なにがっ!」
信じられないような目でフィッツジェラルドを見る小人さんがすこし気の毒だったので、私は解説することにした。
「フィッツジェラルド閣下の身内の方ですか。私はヘンリー第二王子殿下の侍従、ヘンリー・ノリスです。私との話し合いの途中にフィッツジェラルド閣下が急に具合が悪くなったようなので、もしよろしければお帰りになって安静にされたほうが良いかと思います。」
「ああ、若!やはり魔女にやられたときから回復しきっていなかったのです!だからご出陣は遠慮したほうがいいと言ったのに!ノリス閣下、ありがとうございます。」
反応のないフィッツジェラルドの小言を言った後、やっぱりノリス君を知らないらしい小人さんは私に会釈した。
「いえ、私はご体調がすぐれない中何もできませんでしたので。早くよくなられることを祈っております。」
「ありがとうございます。若、行きますよ!」
小人さんは颯爽とポニーから降りると黒い馬の手綱を引いて、フィッツジェラルドを支えながら宮殿の方に帰っていった。
「お見事です、ルイーズ様。」
「今回はフィッツジェラルドが目的を考えずに我慢してくれたおかげだけど。」
我慢しろと言っておいて身勝手だけど、フィッツジェラルドは我慢の先に何があると思っていたのか気になる。




