割れた氷は戻らない
朝食が終わっても2人は口から魂が抜けたように白くなっていた。特に波留は連日のように魂が消え去っていくので、愛理は本当に生きているのか心配になっていた。
そこで愛理は自分の失言の反省も兼ねて、芽依にこんなことを言ってみたのだ。
「あの、芽依さん。2人でお出掛けでもしませんか?ほら、私たちここに来たばっかりですし、色々見て回りたいって思ってたんです。服も揃えなきゃいけないし……」
芽依はダイニングルームのすぐ隣にあるキッチンで食器の洗い物をしていた。この光景はまさに主婦としての家事に相当するのだが、ここでそれを言ってしまうと、芽依さんが完全に彼女の髪の色と同じく真っ白になってしまうので、ここは黙ってただ用件を伝えた。
「……」
なんの反応もない。
まるで動作をプログラミングされたロボットのように食器を洗っている芽依。いつも怒ってばかりの彼女がこんな無表情になるのは珍しく、愛理はなかなかこれも可愛いと思っている。だが無反応ではまた困るものだ。
しばらく困惑していた愛理。
芽依はというとそれでもこちらの存在に気づいたようで、ちらっと横目で彼女を見た後にボソボソと独りでに語り始めた。
「私も薄々気づいてはいたのよ。男女が一つ屋根の下で暮らしてるなんて。確かに付き合ってもいないのにこんな状況はおかしいわ。でもねもとはといえば、私たちは別々の家に住んでたの。それから保護される人たちの宿が足りなくなって、それでやむなく私がこっちにきたのよ……」
その言葉にはいつもではあり得ないほど悲壮感が漂っていた。
見た目の幼い少女がこんなに悲し口調で語りかけてくると、何だかこっちまで涙が出そうになるが、芽依はそれを無視して話を進める。
「新しい場所に家を建てようにも、この地域は防壁で囲まれてるから土地の拡大は難しいわ。ましてここに来た人達は何人もで一つの家で暮らしてるのに、私がそんなわがままも言ってられない」
「はあー」
聞いている愛理も悲しい気持ちから段々愚痴を聞かされているようで若干飽きてきた。はやくこの話題を終わらせて外に出たいなーという思いが思わぬ一言を生んでしまったのである。
「でも、変な性格の男ならともかく、あの人なら大丈夫じゃないですか?っていうかわりとお似合いかも」
「な、な、な、なんだって?」
急に血液の温度が上がった芽依は、一本のナイフを愛理に向けた。どうやらそれを荒っている最中に怒りの頂点に達してしまったようである。刃先は容赦なく愛理の顔を鼻先三寸でちらついている。
愛理はひいっと怯えるがそんな声は何一つ彼女には聞こえていないだろう。
芽依はゆっくりと口を開き、徐々に強い口調でこう言った。
「その言葉は何度言われたかしら。同僚にも先輩にも幾度となく叫ばれたわね、芽依と波留はお似合いだなあって!この際言わせてもらうけど、私はあいつが大っ嫌い!今にも顔面に銃弾をぶちこんでやりたいくらいよ!でもね今までそうしてないのは単に目的のために必要なだけ……だから共闘してるだけよ」
その剣幕に圧倒された愛理はしばらく動けなかった。まさか芽依がこんな風に波留のことを思っているなんて思ってもいなかったからである。
そんな間にも芽依は手に持っていた包丁を洗っていたのだが、少し怒り気味だったのもあり、軽く指を切ってしまった。
「いたっ」
すぐに血がにじみ出てくるが、そんなのお構いなしに芽依は食器洗いを続ける。拳銃を普段から握っている彼女は少しそこらへんの感覚が狂っており、ちょっとの傷ではたいしたことないと思ってしまうのだ。しかし一般的な感覚をまだ持っている愛理はそれを見逃さなかった。
「芽依さん!指切れてるじゃないですか!すぐに絆創膏はらないと」
「こんなものはなんでもないわ。どうせすぐに固まるに決まってるでしょう」
こんな感じでちっとも耳を傾けない芽依。
それが仇となったのだろうか。食器洗いはほぼ同時に終わって水の流れる音が止んだくらいの時、自室から出てきた波留がこちらに来たのだ。
何か良いことでもあったのか、先程の白け具合は改善している。またどこかに出掛けるようで私服に身を包んでいた。仕事中も実質同じであることに変わりはないと彼を見た愛理は心の中で突っ込んでおく。
波留の自室からまっすぐ進めば玄関なのだが、その間にはこのダイニングを通らなければならず、ましてダイニングの隣にあるキッチンを過ぎるのは当然である。
芽依としては、気の弱い波留のことだから自分の指の怪我を見せると面倒くさいことになると思ったのか、エプロンのポケットに指を入れたまま、不機嫌そうな顔で波留の前を通り過ぎようと思ったのだが、すれ違い様に愛理が
「あれえ、芽依さん。その指の怪我どうしたんですかあ?」
といかにもわざとらしい気の利かせ方をしたので波留は足を止めながらちらっと芽依の方を見た。すると彼女も一瞬足を止めて白髪を揺らめかせながら
「なによ」
と睨み付けるように言った。
「いや、本織さんが今言ってたよね、芽依の指が怪我してるって。大丈夫なの?」
「全然平気よ!ちょっと包丁で切っちゃっただけだから」
「え!?」
波留が目を丸くして驚く。自分が予想していた怪我の内容を大きく越えていたようで、一瞬動きが止まっていた。しかし、すかさず正気を取り戻すと
「ちょっと待って、絆創膏もってくるから!」
芽依が引き留める間もなく波留は絆創膏を取りに行き、瞬く間に戻って来た。
ここまでの途中経過で愛理はあまりの作戦成功ぶりに、内心ほくそ笑んでいた。きっとこの後芽依も機嫌を直して街巡りに付き合ってくれるだろうと思いながら。
しかし、この後、彼女は芽依が波留を嫌いという理由が少し分かったような気がしたのだ。
波留は指を見せて、と彼自身の手の平を出し、芽依はその上に重ねるようにして指の傷を見せた。中指が少し切れてしまっているようだが傷は浅く、もう閉じかけていた。
それでも波留はふうと一安心すると絆創膏を貼りながら
「もうちょっと自分に気を遣った方が良いんじゃない?芽依の助けを必要とする人もいるし、他の仲間にも心配がかかるからね。なによりもし武器が持てなくなったら戦えなくなるんだよ?」
これはすべて波留の本心だった。芽依を気遣っている気持ちそのものなのだ。
しかしそれを聞いていた愛理はどうも腑に落ちなかったのである。それがどうしてなのか理由を自分自身に問いかけてみても、実際に愛理にかけられた言葉ではないので、よく分からなかった。
そして愛理のモヤモヤを代弁するのが芽依本人だった。
突然彼女は絆創膏をつけていた波留の手を音が響き渡るきらい思いっきり叩くと、次は前蹴りを彼の胸にかました。
「うわっ!」
そんな情けない声をだして波留は壁まで飛んでいった。幸いそれほど強い力ではなかったようで意識もあり、さすがに理由もなしに蹴られたことへの怒りで、波留はすぐに芽依の方を向き直ったーー
「芽依さん……」
愛理が思わず呟いた。
芽依の顔には二筋の涙が通っていたのだ。白くて周りに溶けてしまいそうな彼女の肌にでもそれははっきりと映っていた。口元はだらしなくなっているが、それでも目は涙が溜まっても細く、警戒心の強さを表していた。
「あんたっていつもそう……別にこの手が使えなくなってももう片方があるわ。そっちが無理でも足がある、口がある。戦えれば良いんでしょ?分かってるわよ、私たちは所詮戦闘をする上でのパートナー。それだけであってそれ以上はない。でも……それをちゃんと分かってるくせに、優しいみたいな態度をとるのが嫌いなのよ!そういうのをこの世では偽善っていうわ!あんたは人を物としか見てない。戦力としかみていない!だから私は波留・ランセン・ウィーケストが嫌い」
この後の波留の行動に自由はなかった。彼女の言葉を聞いた彼は、迷わず愛理に、ちょっと出掛けてくると言うとすぐに玄関を抜けてどこかにいってしまった。元々用事があったようなのでそれを済ませるのだろう。しかしこの家にはまだ修羅場の後の空気がうっすらと残っているのだった。




