37.生者の音と死者の
「楽しかった?」
放課後、いつも通り千鶴と響の二人は空き教室で話していた。
この頃、凪たちも一緒に話していたのだが、今日は全員用事があるようで姿がない。
千鶴は、響に問う。だが、千鶴は響を見ていなかった。窓の下で行われている部活をただ眺めているだけ。
「うん、すごく楽しかった」
子供のように無邪気な声で、響が答える。跳ねるような少し高めの声。その声を聞いた千鶴は少しだけ笑った。
「良かった〜!」
「千鶴の突拍子もない行動も、たまには役に立つね」
「それはどういう意味ですか!?」
いつも通り。
ただ、穏やかな会話。
色々な音が聞こえる世界の、静寂な時間。
「ねぇ、テストどうだったの?」
響が千鶴に問う。
この前行われたテストの結果を、響はまだ聞いていなかった。
「ふふん! 聞いて驚け! 基本教科全て満点!」
「すご……」
「でも、澪くんは加点されてて普通に負けた! 悔しい!」
ジタバタとしながら、全身で悔しさを表している千鶴。500点満点もすごいが、千鶴的には1位になれなかったことの方が重大な事だったようだ。
「いや、500点満点で加点って何?」
「なんだったかな? 数学か科学だった気がする」
「澪って、すごいね」
「うん、次は負けない」
闘志を燃やす音を、響は聞いていた。
メラメラでは無く、ごうごうと燃える音を……
「火事にしないでね」
「しないけど!? どういうこと!?」
千鶴の冴え渡っているツッコミが教室に響く。
その瞬間、外から歓声が上がった。サッカー部がなにやら盛り上がっているようだった。
風が吹く音が聞こえる。
柔らかい風が、二人の頬を撫でた。
「じゃあ、ご褒美。何がいい?」
「え!? 本当にくれるの?」
「僕ができる範囲でね」
テスト前に約束していたご褒美の話。千鶴は驚いたあと、嬉しそうにしていた。
そして、何がいいかうんうん唸りながら考えていた。響はその音を聞きながら予想をしている。が、千鶴のことだから、なにか響が驚くようなことをするのでは無いかと、少し不安になっていた。
千鶴は千鶴で困っていた。
何をお願いしようか、全く考えていなかったからだ。響が死者だと知らない時は、デートなどをお願いしようとしていたようだが、今じゃそれは叶わない。響が学校外に出れないので、デートなんて行けるわけがなかった。
そもそも、千鶴はまだ響に告白すらしていなかった。既に死んでしまっている響に、千鶴は思いを伝えて良いものかと悩んでいたので……
「なんでも、いいんだよね?」
「……だから、僕にできる範囲でね」
「いや、できる! できるんだけど、その、多分響くんは困ってしまうかもしれなくてですね……」
ごにょごにょと口篭る千鶴に、響は首を傾げる。
「1回言ってみたら?」
「でも……」
「困るか困らないかは、僕が決めるから」
そう響に言われた千鶴は、少し目を泳がせたあと、意を決して響の方に向き直る。
正面から響を見つめる。ドクドクと高鳴る心臓は、今にも爆発してしまいそうな程だった。
「響くん」
「うん」
「私……、響くんが好きです! ずっと、好きだった。初めて会った時から、ずっと!」
響の目が、大きく見開かれた。光の無い目が、千鶴を捕らえる。その瞳に映る千鶴は、頬を赤く染めていた。
「……ありがとう」
穏やかな声に、千鶴は泣きそうになっていた。堪えるように、目を伏せる。
「僕も、多分好き」
「……なに、多分って」
「そういうの分からないから、多分」
泣きそうだった千鶴は、響らしい言葉に少しだけ笑った。
「千鶴、僕にもご褒美くれるんだよね?」
「え、今!? てか、響くんテスト受けてない!」
「……くれないの?」
「あげます!」
「チョロい……」
響が甘えるような珍しい声を出せば、千鶴は即答で答えた。驚きの速さだ。
「じゃあ、千鶴」
「うん、なぁに?」
「僕のこと、祓って」
千鶴は響の言葉に驚き、見開いた目からポロポロと涙を零した。
その涙は次第に多くなり、声を出して泣き始めた。
「ひ、酷い! なんで、なんで今言うの!? わ、私、今告白したよね? なのに、なん、なんで? なんで、ばか!」
ポスポスと響を叩きながら、千鶴は抗議する。
響は、甘んじてその抗議を聞き入れていた。叩いてくる千鶴の頭を優しく撫でながら……
「今だからだよ、千鶴。僕は死んでる。だから、千鶴の好意に答えられない。そんな僕がいたら、きっといつか千鶴は苦しくなる」
響の言葉を聞いた千鶴は、叩く手に力を込めた。
「じゃあ、私が言わなきゃ良かったってこと?」
「違うよ」
「でも、でもそうじゃん! 言わなきゃ一緒に!」
「いれないよ。ずっと、一緒にはいれないよ」
残酷なまでの真実。
千鶴自身もわかっていたことを、目の当たりにして余計に涙がこぼれていた。
「ご褒美、千鶴から貰うの、楽しみにしてた。千鶴は、怒るだろうなって思いながらも、言われた時から、この願いは決まってたから。だから、千鶴のせいじゃないよ」
優しく語る響の胸で、千鶴はわんわんと泣いていた。
「泣き止んだ?」
ズビズビと、鼻をすする千鶴に響は問いかける。
「おかげさまで……」
鼻声の千鶴に、少しだけ響は笑った。
「ほんと、酷い」
「ごめん」
「許したくないけど、許す」
「なにそれ。でも、ありがとう」
先程までの涙で濡れていた千鶴の顔は、何かを決心したかのようにキリッと引き締まっていた。
響も、音でそれを感じていた。
「ちょっとまってて」
千鶴は響にそう言うと、スクールカバンから扇子を取り出した。
その扇子は、白を基調とし、銀や朱で花が描かれている美しい扇子だった。
「それ、なに?」
「私の祓い屋としての専門道具」
ドヤ顔を披露しながら扇子を見せるが、響の目にはその美しい扇子は見えなかった。
「なにそれ見たかった」
「本当は、一人前って認めないと所持しちゃダメなんだけど、今朝、お父様に渡されたの。この未来見えてたのかな? こわぁ!」
千鶴は少しおどけたような声を出すが、響の関心は扇子にあるようで反応はなかった。
興味深そうに、恐る恐る触る響を見た千鶴はまた泣きそうになる。だが、頬をパンと叩き気合を入れる。
「響くん、思い残しはないですか?」
「強いていえば、君の顔を見ないで終わること」
「あ、もう! 最後までなんなんだ!」
一体どこまで、好きにさせれば気が済むのだろうと、千鶴は一人ジタバタしている。
それを面白そうに笑う響は、確信犯だった。
「他! 他にない?」
「ないよ、たくさんの思い出貰ったし」
「……私はある」
「そっか……」
教室内には、静寂が広がった。
ただ、二人の音だけが響いている。
「響くん」
「うん」
「大好き! 良い旅路を!」
千鶴はそういうと、扇子を広げ、ゆったりと唄いながら舞った。
扇子の飾り紐に付いている小さな鈴が、千鶴が舞う度にシャンと音を鳴らす。透き通るようなピンと張った糸を弾いた時のような声が響き渡る。
寂しい旅路の餞に
せめて導く光を
生きたあなたを忘れぬよう
私がいつまでも祈りましょう
響は、優しい声に心が軽くなっていくのを感じていた。
その時、目に光が戻る。何も見えない暗い世界に、一筋の光が差した。
驚きに目を見開き、涙がこぼれる。
ありがとう、さようなら
「幸せに、なんてありきたりすぎるよね」
響はゆっくり、千鶴に近づく。
既に響の体は向こう側が透けて見えていた。
千鶴がゆったりと舞っているにも関わらず、響は近づく。だが、千鶴の手が響に触れることはなかった。
あなたに贈る
「千鶴、君に会えて良かった。忘れないよ、またいつか」
響はそっと、千鶴の額にキスをする。
最後の贈り物
唄と舞が終わる。
そこには、もう誰もいなかった。
今まで話していた男の子は、まるで初めからいなかったかのように消えてしまった。
「ほんと、ひどい……」
小さな呟きが、誰もいない教室に落ちた。
千鶴は、こぼれた涙を拭う。
そして、静かな教室を後にした。
初恋と青春を混ぜ込んだ、夏の音が消え去った。




