第一話 1 「くすんだナイフ、十凸」
「あ、やべ、ログインボーナス取らなきゃ」
深夜の帰り道。町はすでに眠っていて、道路には車も人もほとんどいなかった。
トクナはスマホの画面を操作しながら歩いていた。仕事終わりの楽しみは、これだけだ。★5キャラが出るまで石を貯め続けるソシャゲ。今日もログインボーナスを受け取って、デイリーをこなして、明日への活力にする。
そうして横断歩道に踏み出したとき、視界の端に光が見えた。
ヘッドライト。
それだけだった。
目が覚めると、真っ暗だった。
体は横たわっている。手を伸ばすと、すぐにぶつかる。上も、横も、どこも硬い板だ。棺桶。その言葉が頭に浮かんだとき、背中に冷たいものが走った。
「待って待って待って」
声が出た。死んだのに、声が出る。手足が動く。心臓が——跳ねている。
蓋を思い切り叩くと、ずるっと土ごとずれた。隙間から陽光と共に土が流れ込んでくる。かまわず押し広げ、土の中に腕を突き込んで、這いずり上がった。
昼だった。
見覚えのない草原。太陽の明るさが違うような気もする。空気もが、東京とは違う味がした。
しばらく呆然と立っていたが、目の前に道があることに気づいた。
迷う理由もなかったので、まっすぐ進んだ。
少し歩くと、道の脇に古びた木箱が置いてあった。蓋は閉じていたが、手をかけるとすぐに開いた。屈んで覗いてみると——金色の光が、ふわりと浮かんだ。
宝箱だ、とトクナは思った。ソシャゲで何度も見た演出そのままだった。
手を伸ばすと、中から小さなナイフと銅貨が数枚。ナイフを手に取った瞬間、視界に半透明のウィンドウが現れた。
【★1 短剣「くすんだナイフ」】
【攻撃力:8】
【スキル:なし】
宝箱はキラキラと光の粒子になって、静かに消えた。
ナイフの感触は本物だった。冷たい金属の重み、柄の木の手触り。夢なんかじゃない。
仕事終わりに観ていた転生系アニメを、トクナはなんとなく思い出した。まさかこんな形で当事者になるとは思ってもみなかったが、不思議と恐怖より興奮が勝っていた。遠くに明かりが見える。大きな町だ。
まずは向かうことにした。
◇
町は活気づいていた。
石畳の通り、露天商の声、漂ってくる料理の匂い。人通りも多く、それも様々だった。尖った耳を持つ種族、肌が緑色の者、魚に似た顔の者——それでも誰も互いを特別視せず、ごく普通に歩いている。
「転生者か?」
声をかけてきた男は、三十前後に見えた。がっしりした体格に使い込んだ鎧。口元には人懐こい笑みがある。
「クレスってもんだ。いろいろ教えてやるよ」
仲間と思われる数人が周りに立っていた。
悪い人間には見えなかった。それに右も左もわからない状況で知り合いができるのはありがたい。トクナはついていくことにした。
連れていかれたのは冒険者ギルドだった。受付で名前を登録し、転生者はよく来るので困ったらここへ、と笑顔の受付嬢に説明される。
「俺たちは《蒼狼の牙》だ。十人以上のパーティーでな、初心者の面倒もよく見る」
ようこそ。と、周りにいた《蒼狼の牙》のメンバーたちも祝福してくれる。温かいムード。
クレスは冒険者ギルドの中を案内しながら、装備屋、素材屋、依頼掲示板と説明してくれた。
「いつものやつ」
受付嬢にそう声をかけてクエスト用紙を受け取るクレスの背中を、トクナはなんとなく目で追った。なぜか受付嬢の顔に、一瞬だけ——哀れみに似た表情が浮かんだように見えた。
クエストは町の近くでゴブリンを三匹倒す、という内容だった。
「最初にしてはきつめだが、俺らがいる。安心しな」
草原に出ると、低木の茂みからゴブリンが三体飛び出してきた。
トクナはナイフを構えたが、足がすくんだ。ゲームの敵とは違う。唸り声が、目に宿った敵意が、本物だった。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。なんとか一体の攻撃をかわしてナイフを当てたが、相手はびくともしなかった。
「こうやるんだ」
クレスが一歩踏み出した。剣を一閃する。ゴブリンが崩れ落ちる。残り二体も、あっという間だった。
トクナは何もできなかった。
冒険者ギルドに戻って報告すると、受付嬢がトクナに小さなキラキラと七色に光る石を差し出した。
「転生者初戦闘ボーナスです。魔法石、五個」
その手に、クレスの手が被さった。
「おっと。戦い方を教えてやったし、実際ゴブリンを倒したのは俺だよな」
クレスは奪い取るように掴むと、受付嬢が何か言いかけたが、クレスはもう背を向けていた。クレスは慣れた様子で石をギルドの端に設置された招き猫の台座へ置く。猫の目がカッと光り、石が消えた。代わりに目の前に武器がいくつか現れる。
「お、エクセルカリバーか。まあまあだな」
クレスたちは笑いながらそれを分け合っていた。
トクナはその輪の外に立っていた。
帰り際、まだついてくるトクナに、クレスが振り返った。
「いつまでついてくるんだよ。ゴブリンも倒せない雑魚がいても困る」
何かを言おうとしたが、言葉が出なかった。
「あとはゴミでも拾ってろ」
ガチャから外れて放置された武器——くすんだナイフなどが数本——を押しつけられた。背中が遠ざかる。仲間たちのゲラゲラという汚い笑い声が夕暮れの空に溶けていった。




