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 今年もあと一日を残すのみとなった。人間様の世界では、この一日のことを大晦日と呼ぶそうだ。

 大晦日には、歌合戦を見て、おそばを食べて、神社に行くと決まっているらしい。エリカも大学の人たちと神社に行くといっていた。もしかしてサトウも一緒なのだろうか。

 ちきしょう、なんとか思い留まらせる方法はないものか。僕のエリカを、後ろを振り返ることもできないほどの肥満体で、いい歳してバンダムやポケワンに熱中してるオタク野郎なんかに渡してなるものか!

 昨夜はそんなふうに憤っていたのだけれど、エリカに抱きかかえられ頬ずりしながら布団に入った僕は、すっかり満足してぐっすりと眠ったのだった。

 そして、大晦日の朝、目覚めると僕の下半身がマトリョーシカの下半身にスッポリと収まっていた。いったい誰がこんなイタズラを!?

 周囲に注意を配りながら、抜け出そうとしたのだけれど、もがいてもあがいても全く抜けない。途方に暮れかけたそのとき、目を覚ましたエリカが

「あれっ、なんでこんなとこに入ってんの?」

 といいながら、僕の頭を掴んで力いっぱい引っ張った。

 けれども、マトリョーシカの下半身から僕の身体はまったく抜けなかった。引っ張っても捻っても、まるで一体化してしまったかのように微動だにしない。

 いったい、どうなってしまったんだ!?

 力をこめたエリカの親指が、僕のお腹深くまでメリ込んで息苦しい。

 ああ、もうダメだ。僕はこのまま、上半身はヌイグルミ、下半身は木、という得体の知れないモノとして残りの人生を過ごすのだろうか。それとも、レアモノと持て囃されてオークションで高値がついたりするのだろうか。

 などと想像しているあいだにも、エリカの手にはさらなる力が加わり、僕のお腹はますます息苦しくなってきた。縫い目を引き裂いて、内臓が飛び出しそうなほどだ。

 もう本当にダメかもしれない。きっとダメなんだ。短い人生だったけれど、それなりに楽しかったよ。みんな・・・、さ、よ、う、な・・・

「らっ!?」


 そこで目が覚めた。

 なんだ夢か、と安堵したのも束の間、下半身が動かない。まさか、正夢!? 恐る恐る、自分の足元を確かめた。

「こ、これは!?」

 僕の下半身は、ヘッドレストとマットレスの間にスポリとはまり込んでいた。酷い状況であはあるけれど、マトリョーシカの下半身じゃなくてよかった。

 それにしても、眠りに就いたときにはエリカの右頬に寄り添っていたはずなのに、いまはエリカの左側、しかもベッドの端っこだ。マットレスの角がお腹にめり込んで、息苦しい。

 なぜこんなことになっているのか? 寝ぼけた僕が自ら潜りこんでしまうことはあり得ない。僕らヌイグルミのか弱さでは、自力でここまで深く入り込むことは不可能だ。エリカの寝相の悪さで押し込まれてしまったに違いない。

 なんとか抜け出せないかと、もがいてみたものの、夢の中と同じくビクともしない。やっぱり自力で抜け出すことはできないみたいだ。

 仕方なく脱出はあきらめて、早朝の部屋を眺めた。まだみんな眠っている様子だ。すぐそばに、ポカリと口を開いたまま眠るエリカの無邪気な顔があった。メイクを決めてばっちり整ったエリカも素敵だけれど、口元から涎を垂らした自然体のエリカの方が僕は好きだ。モンキッキ先輩だけではない。僕だってあの涎に何度塗れたことか。でも、幸いにもというべきか、オネショに塗れたことはまだ一度もないけどね。

 プリリンとアヤパンはもちろんだけど、いつも早起きのオメザメクンも今日はまだ寝ている。そういえば、『お目覚めTV』は大晦日から一月三日までお休みだといっていた。

 閉めきられたカーテンの隙間から朝の光が部屋に射し込んで、本棚の二段目、難しそうな本たちに囲まれたマトリョーシカの身体は仄青い光沢を浮かべていた。

 マトリョーシカがいっていた、「どこかで僕を見たような気がする」という言葉が、その後もずっと気になっていた。けれども、まだ詳しく聞けていない。

 マトリョーナおばさんと見た目はそっくりなくせに、彼女と違ってマトリョーシカはほとんどお喋りをしない。パチリと円らなオメメもなんだか不機嫌そうで、彼女のまわりを包む空気からは、「気軽に話しかけてくんじゃねぇぞ!」的なオーラがハンパない。初めて彼女がここに来た日は結構お喋りしてくれたのに、その後の態度ときたら何だろう。僕らの第一印象がよくなかったのだろうか。口も聞きたくないほど、最悪だったってことかもしれない。そう考えると一段と、彼女に話しかけることが難しくなった。

 だけど、カーテンの隙間から射し込む朝のやわらかい光を浴びたマトリョーシカは、やさしい光沢を放っていて、見た感じ不機嫌オーラは感じない。いまなら話しかけられそうな気がする。まだ寝ているのかもしれない。僕が話しかけて安眠を妨げたとなれば、どれほど怒り出すかわからない。でも、僕の生い立ちに関する唯一の手掛かりなのだ。簡単には諦められない。

 僕は覚悟を決めて、マトリョーシカに話しかけてみることにした。大きく息を吸って、吐いて、また吸って・・・、そして意を決して、

「マトリョ・・・」

 と、声を発すると同時に、ミニコンポがノイズ交じりの派手な音楽を奏で始めた。

「ふぁ~あ、朝か・・・、今日もヒデェ音だな・・・」

「あっ、お、おはようございます・・・。しちじ、さんじゅっぷん、しちじ、さんじゅっぷん・・・」

「おはようございます・・・。あれ、ピョンタ兄さん、そんなとこでなにしてはるんですか?」

 みんなが続々と目を覚ました。

「い、いや・・・、目が覚めたらこうなってて・・・、抜け出せないんだ」

 僕はマトリョーシカに話しかける絶好の機会を逃した。

「あれぇ・・・、なんでこんなとこに入ってんの?」

 のっそりと目覚めたエリカに救出されて、ようやくヘッドレストの定位置へと戻ることができた。かなりの時間挟まっていたせいで、僕のチャームポイントでもある丸くてふっくらとしたお腹が、凹んだまましばらくもとに戻ってくれなかった。

 エリカはリモコンを使ってミニコンポの音楽を止めると、再び布団に潜り込んで二度寝を始めた。珍しい。オメザメクンが寝坊する日曜日でも、必ず七時半に起きて朝の支度を始めるのに。大晦日はエリカにとっても特別な日のようだ。

 カーテンの隙間から差し込む光がすっかり強くなってから、エリカはのそのそとベッドから抜け出すと、上下グレーのスウェット姿のまま部屋を出ていった。

 今日のエリカはグレーのパジャマからなかなか着替えようとしなかった。朝ごはんか昼ごはんか判らないけれど、腹ごしらえをしたエリカは部屋に戻ってくると、その格好のまま掃除を始めた。ハンドモップを使って入念に机周りやヘッドレストやカーテンレール周りをはたき、雑巾で窓ガラスを磨き、掃除機で床を吸った。こんなにも本格的に部屋を掃除するなんて珍しい。

 一通り掃除を終えても、部屋着のままでパソコンをいじったり、雑誌を眺めたりしながら一日中、部屋で過ごした。どことなく、元気が無いように見えた。

 すっかり日が暮れてから、夕食とお風呂を済ませたエリカが濡れた髪を拭きながら部屋に戻ってきた。


 そのころ僕は、ピョンタの横暴に手を焼いていた。

「おい、ピョンタ、ちょっと肩揉んでくれよ」

「ヤだよ。なんで僕がプリリンの肩を揉まなくちゃならないのさ!?」

「おいおい、総選挙七位、フロントメンバー・プリリン様の疲れを癒せるのだぞ。光栄なことだろう?」

「なんだよ、この間までプルプル震えてたくせに!」

「あれは武者震いってヤツだ。来年からは忙しくなるからなぁ、カレンダーに写真集にイメージDVDも撮影しなきゃ。いまのうちに疲れをしっかり取っておかないとな。だから、ほら、早く!」

 総選挙の結果が出てからというもの、プリリンときたら調子に乗りまくっちゃって始末が悪いったらありゃしない。ここはガツンといってやらなきゃ。

「ふざけんなよ、ドラックマが自滅してくれたおかげの繰り上がりフロントメンバーじゃないか。調子にのるな!」

「まぁまぁピョンタ兄さん、そこまでいわんでも・・・。プリリンにいさん、ボクが代わりに揉んでさしあげますから・・・」

「おぉ、そうか? いやぁ、すまんなぁ、ユルキャラ日本一に肩揉ませるなんてなぁ・・・」

「いえいえ、ボクみたいなもん、なんぼでも揉ませてもらいます・・・。あらぁ、そやけど兄さん、ぜんぜん凝ってませんよ。肩フワッフワですやん!」

「そういうなって。こういうのは雰囲気なんだから・・・」

「そうですか? まぁ、それなら続けますけど・・・。こんな感じですか?」

「いや、もっと強く、ぎゅっと摘むように・・・」

「すんません兄さん、ボクの手は羽根なんで、摘むとかはちょっと苦手で・・・」

「そうか。じゃあ、強めに叩いてくれ」

「はい。こうですか?」

 バサバサバサバサ・・・

 アヤパンが激しく羽叩いたことにより、プリリンの身体はもとより、そばにいた僕やオメザメクンの身体からも細かなホコリが一斉に舞い上がった。僕たちヌイグルミは一見清潔そうに見えていても、実は体中ホコリだらけなのだ。せっかくエリカが掃除したばかりなのに。

「ゲホゲホ・・・、アヤパン、やめて・・・」

 咳きこむ僕らを余所に、上段から低く険しい声が降ってきた。

「おい、オメェら、エリカを見ろ!」

 モンキッキ先輩の声には緊張感が漲っていて、僕たちはホコリに眼をしばたたかせながらも慌ててエリカの姿を追った。

 着替えの真っ最中である。上下お揃いの真っ赤な下着姿だ。

「あの、モンキッキ先輩・・・、着替え中ですけど・・・」

 プリリンが答えた。

「オメェらあれを見て、なんとも思わねぇのか?」

「いや、まぁ、セクシーだとは思いますけど、毎日見慣れてますから・・・」

「バァカか、誰がイヤラシイ目で見ろっつった! 下着の色だ!」

「色、ですか? 真っ赤、ですね・・・」

「そうだ。赤だ! いつもエリカは何色の下着を着けてる?」

「えーと、どうでしたっけ? ピンクとかブルーとか、比較的淡い色が多かったような気がしますが・・・」

「その通りだ! いいかオメェら、覚えとけ。エリカが濃い色の下着を着けたとき、それは勝負の日だ!!」

「勝負の日!?」

「しかも、赤は最も気合が入っているときに選ぶ色だ!」

「と、いうことは・・・?」

「エリカは今日、大勝負に出るぞ!」

 お、おおしょうぶ!?

「おい、ピョンタ、エリカは今日のことを、何かいってなかったか?」

「あ、はいっ! えっと、大学の人たちと、神社に行くといってました!」

「神社? 初詣か・・・」

「あの、多分ですが・・・、サトウと関係があるのかと・・・」

「サトウ? 前にいってたヤツのことだな。そいつがナニモノか判ったのか?」

「いえ、まだはっきりとは・・・」

「あの、これはまだ、ボクの予想なんですけど・・・」

 アヤパンが口を挟んだ。もしかして、あのことをいっちゃうのか? モンキッキ先輩ブチ切れてまた縫い目が開かなきゃいいけど・・・。

「エリカさんは、そのサトウという人のことが好きなんやないかと思います」

 あぁ、いっちゃった。僕は稲光を見てから雷鳴が聞こえてくるまでの間にそうするように、モンキッキ先輩の怒声に身構えた。

 しかし、僕の心配を余所に、モンキッキ先輩は少し考えるような間を空けて静かに続けた。

「まあ、普通に考えればそうかもしれないが・・・。ともかく、今日はエリカに何かが起こる可能性が高い・・・。もし、酷くキズついて帰ってくるようなことがあれば、オマエたち、しっかりケアしてやってくれ! 頼む!」

 その間にも、エリカは赤い下着姿のまま、いくつもの服を取り出しては身体に当てて、これから身に着けるものを入念に選んでいた。確かに、エリカのそんな姿は始めて見るような気がする。いつもはあらかじめ決まっていたかのように、パッと選んでサッと身に着けていくのに。

 エリカは今日、何の勝負をするのだろうか? もしかしたら、サトウに・・・?

 ようやく決まった装いは、淡いピンクのワンピースに黒いタイツ。雪のように真っ白なコートは、襟と袖口に僕たちよりもフワフワのファーが付いている。

 服選びに反してあっという間にメイクを終えると、ベッドに腰掛けた。

少し俯き加減に座るエリカは、確かにいつもと雰囲気が違っていた。僕らはどこか頼りなげな空気を漂わせるエリカを遠巻きに見つめた。

「はぁ・・・」

 大きな溜息をこぼしたエリカは、不意に顔を上げると、おもむろに僕を手に取った。

「ピョンタ、行ってくるよ・・・」

 僕を見詰める眼は、いつもと同じくパチリとしていたけれど、いつものようには輝いていなかった。僕は精一杯の笑顔で答えた。

「エリカなら大丈夫! きっと巧くいくよ!」

 僕の思いが通じたのかどうか、エリカの大きな眼がひときわ大きく見開かれた。

「よし、がんばるぞ!」

 そういい残し、エリカは部屋を後にした。僕らはただただその後姿を見送った。


 エリカが帰ってきたのは元旦の朝もすっかり明けてからだった。

 一目で巧くいかなかったとわかるほど暗い顔をして、身体を引き摺るようにノソノソと歩を進め、そのままベッドに突っ伏して動かなくなった。

 そんなエリカを前にしても、僕らは黙って見守ることしかできなかった。普段は軽口を叩かずにはいられないプリリンでさえも黙ったままだ。

 しばらくすると、エリカは小さく震え出した。震えはだんだん大きくなり、やがて声を上げて泣きはじめた。

「ふぇーん・・・、またダメだったよぉ・・・、ふぇーん・・・」

 これって、サトウにフラれてしまった、ということだろうか。

「ふぇーん・・・、なんでなんだろう、なんであたし、ダメなんだろう・・・、ふぇーん・・・」

 やっぱり、そうか、そうなのか・・・。でも、いいじゃないか。肥満体のオタク野郎なんて、エリカとは絶対に吊り合わないよ。

 と安堵する半面、僕の心の奥底では、サトウに対する憎しみと怒りがフツフツと湧き上がってくるのを感じた。

 エリカはまだまだ泣き止まない。

「ふぇーん・・・、どうしよう・・・、わたしがこんなんじゃ、いつになってもお父さん帰って来れないよう・・・、ふぇーん・・・」

 ちきしょう、サトウめ! こんなにもエリカを悲しませるなんて、絶対に許さないぞ! しかも、お父さんにまで・・・。ん、お父さん?

「わぁーん・・・、ごめんなさい・・・、おとうさん・・・わぁーん・・・」

 僕らは思わず顔を見合わせた。最初に口を開いたのは、黙っていることに耐えられなくなったのか、やっぱりプリリンだ。

「おい、いま、『お父さん』っていったな?」

「いったね・・・」

「サトウに、フラれたんじゃないのか?」

「そうだと思うけど・・・」

「サトウにフラれると、お父さんが帰って来れなくなるのか? どういうシステムだ?」

「さぁ・・・。ねぇアヤパン、エリカは本当に、サトウに告白したのかなぁ?」

「・・・。いまさら、こんなこというのもなんですけど・・・、ただ単にサトウさんが好き、ていうだけじゃないのかもしれませんねぇ・・・。いや、人間様の考えることは、やっぱ難しいですわ・・・」

 エリカは僕らの困惑をよそに、いつまでも泣き続けた。

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