1話
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ダンジョンは、落とした物を返してくる。
正確に言えば、ダンジョンの中で落とした物は、数日かけて入口のほうへ流れてくる。剣も財布も、片方だけの靴も。持ち主が捨てたつもりの物まで、律儀に。
三十年前、日本各地に、地下へ続く大穴が突然開いた。 中には魔物がいて、倒せば魔石が採れる。魔石は燃料にも電池にも爆薬にもなり、今では暮らしのあちこちで使われている。
ダンジョンは、国が管理する資源地帯になった。入るには国家資格の探索者証が要り、腕前に応じてEからSまでの等級がつく。深く潜るほど魔物は強くなり、持ち帰る物は高く売れる。潜る様子を配信して稼ぐ探索者も、珍しくない。
ダンジョン管理局、霞ヶ淵ダンジョン遺失物センター。
ここが俺の職場だ。
入口ゲートを出てすぐの、プレハブを少し立派にしたような建物。正面に窓口のカウンターがあり、その奥の壁一面が保管棚になっている。棚に並ぶ札には、拾得日と回収場所と、わかれば持ち主の名前。
建物の脇には、鉄製の投入口もある。閉館後に見つかった落とし物は、ここから中の回収箱へ落とす決まりだ。
俺の仕事は、窓口で落とし物を持ち主に返すこと。急ぎの物や深い層で落とした物は、回収班として取りに潜ることもある。
とはいえ、ほとんどの日は窓口に座っている。そして窓口には、毎朝、変な人と変な物がやってくる。
「すみません。ゴブリンの靴、片方だけ届いてませんか」
開館して三分。カウンターの向こうで、大学生くらいの探索者がスマホを握りしめていた。
「ゴブリンの靴、ですか」
「倒したらドロップしたんですけど、片方しか出なくて。両方揃うと高く売れるって聞いたんで」
「少々お待ちください」
ゴブリンの靴なら、今朝の回収箱に三つ入っていた。
三つとも、左足だった。
「左なら三つありますが」
「……右は」
「ありません。なぜか、いつも左なんです」
彼は三つの左足をしばらく真剣に見比べ、結局ひとつも持たずに帰っていった。
理由は俺も知りたい。
次は電話だった。
「あのね、入れ歯をね、落としたのよ。二層の、きのこがいっぱい生えてるあたりで」
週に三回は潜っている、七十代の常連さんだ。
「届いたらすぐご連絡しますね。前回の入れ歯は四日で届きましたので」
「前回のことは言わなくていいの」
受話器を置くと、今度は自撮り棒を構えた若い女性がカウンターを覗き込んでいた。
「すみませーん。配信のネタになりそうな落とし物って、見せてもらえます?」
「申し訳ありません。落とし物は持ち主の個人情報にあたるので、撮影はお断りしています」
「えー。片方だけの靴とかでいいんですけど」
「それは本当にネタになりますね」
彼女は残念そうに帰っていった。左足しかない理由は、配信でも解明できないと思う。
その次は、カウンターに若い男が肘をついていた。
「先に言っとくけど。指輪が届いても、俺は受け取らないから」
「指輪、ですか」
「元カノとのペアリング。昨日、五層の崖から投げ捨てた。届いたら処分しといて」
「承知しました。ただ、届くとは思います」
「捨てたのに?」
「ダンジョンは律儀なので」
男は鼻で笑って帰っていった。
捨てた物も、ここには落とし物として届く。持ち主が要らないと言えば、規定の三か月だけ保管して、あとは処分する。それだけのことだ。
それだけのことなのに、俺は少しのあいだ、手元の受付票を見つめていた。
「湊。手が止まってるぞ」
背後から声がした。
振り返ると、湯呑みを片手にセンター長が立っていた。
戸倉誠司。五十を過ぎた、熊みたいな体格の人だ。昔は名の知れた探索者だったらしいが、今は窓口の奥で老眼鏡をかけ、落とし物の台帳をつけている。
そして、俺の育ての親でもある。
「止まってません。考えごとをしてただけです」
「世間ではそれを止まってるって言うんだ。ほら、二便が来たぞ」
ガラガラと台車が運び込まれる。今朝、入口付近で回収された落とし物だ。
折れた剣。泥だらけの水筒。どこかの家の鍵。歯形のついたフライパン。
その山の上に、ひとつだけ妙な物が載っていた。
半分溶けた、紺色の小箱。
ビロードの表面が、ところどころ緑色にぬめっている。角は丸く削れ、蓋の留め具がかろうじて残っていた。緑スライムは布や革を好んで溶かす。中身まで食べられる前に、飽きて離れたのだろう。
白手袋をはめた指で、そっと蓋を開ける。
中には、指輪がひとつ。
細いプラチナの輪に、小さな石。箱はこの有様なのに、指輪だけは傷ひとつなかった。
「婚約指輪だな」
センター長が覗き込み、眉を上げた。
「箱だけ溶けてる。スライムか」
「ですね。この粘液の色だと、二層の緑スライムです」
指輪の内側に、細い刻印があった。
――K to M
「遺失届は?」
「今週、指輪の届は二件です」
端末を叩く。
一件目は、五層で紛失したシルバーの指輪。二件目。
「三日前、二層で紛失。プラチナの婚約指輪。状況欄が――『ミノタウロスとの激闘中に紛失』」
センター長が茶をすすった。
「二層にミノタウロスは出ねえぞ」
「出ませんね」
「見栄を張りたいんだろ。婚約指輪を落としましたってだけでも恥ずかしいのに、スライムなんて書けるか」
「書いてくれたほうが探しやすいんですけどね」
届の名前は、柏木健太。イニシャルはK。
ほぼ決まりだ。ただ、この窓口では「ほぼ」で物を渡すわけにはいかない。指輪なんてなおさらだ。
俺は右手の手袋を外した。
センター長が、何も言わずに一歩下がる。いつものことだ。
素手の指先で、指輪に触れた。
◇
「……結婚してくだしゃい」
噛んだ。
青白く光る苔の壁に、小声の練習が情けなく響く。
ぺたり、と何かが足首に触れた。
視線が下を向く。半透明の緑色が、靴にまとわりついている。
「ひっ、無理無理無理っ」
視界が跳ねる。右手が胸ポケットから何かを掴み、後ろへ投げる。
投げてから気づく。左手に、食べかけのおにぎりがまだある。
――じゃあ、今投げたのは。
「あああっ」
水たまりを蹴り上げる。
揺れる水面に、黄色いヘルメットが一瞬だけ映った。側面に、手書きのステッカー。
『目指せD級!』
◇
そこで、記憶は途切れた。ほんの数秒の出来事だ。
俺は息をひとつ吐いて、手を離した。指先がまだ少し冷たい。
落とし物に触れると、持ち主がそれを手放した瞬間が見える。
見えるのは、持ち主の目に映った数秒だけ。だから持ち主の顔は見えない。人は自分の顔を見ながら暮らしていないからだ。鏡や水面にでも映れば、話は別だけれど。
「どうだった」
センター長が聞いた。
「スライムから全力で逃げてました。あと、おにぎりと間違えて指輪を投げてました」
センター長が茶を噴きかけ、ぎりぎりで飲み込んだ。
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