第47話 眠りについて…
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霧の中の僅かな光を反射して、銀色がキラリと光る。
「それは」
レゾンは駆けつけようとして、体の重さが引っかかってつんのめった。イヴンが慌てて走って戻ってくる。手の中のものは——首飾りだった。森の中に落ちていたものにしてはまだ綺麗だ。つまりここに落ちて間もない。
「……見せてくれ!」
半ばひったくるようにして手に取り、じっと観察する。一目見た瞬間、既にそれが何かは分かっていたが、それを示す事実を受け入れるのに時間がかかった。
この金属の装飾は、ギラムの職人が作った権力者の首飾りに見られるものだ。ふんだんに宝石が使われているが、真ん中の一番大きな台座は空。そこに嵌っていたのは——恐らく間違いない、冀石だろう。
「……シュカ族の立場ある女性の持ち物だ。間違いない——ギラム人がここを通ったんだ!」
途端、キュミルとリーデはわっと顔を明るくしてきょろきょろと周りを見た。
「やった、やっと手がかりだね!」
「周りまだ何かあるかな」
「探してくれるのはいいが、離れすぎるなよ」
「はーい」「もちろん」
「——ありがとう、イヴン。見落とすところだった」
イヴンはこくこくこくと頷いた。彼も少し興奮しているのか相槌が速い。
レゾンは周囲を見ながら、手の中の装飾の重みを確かめた。当然、ある程度重い。華奢な女性では肩が凝るくらいには。
「……一番美しい宝石が消えたとはいえ、まだ高い値打ちになるこの首飾りを丸ごと捨てたんだ。第36階層へ〈昇梯〉したという可能性も考えたが、やっぱりこの女性は何かから逃げていた可能性が高いと思う」
「ねえー、レゾンくーん、ここの木、溶けてる! 魔法だよこれ!」キュミルが呼んでいる。
「……! やっぱり、そうか!」
ぐっと歯を食い縛って現場へ向かう。すると不意に、どこかで知った香りが鼻腔を掠めた。
——死の匂いだ。ただし、新鮮ではない。
「っ……」
また間に合わないのか。嫌だ。嫌だ、嫌だ! レゾンは浅い呼吸で、震える手を抑えて、一歩一歩進んだ。背筋を伸ばす。そうしているうちに恐怖は使命感に変わる。
だが使命の前にも、悲劇は悲劇である。
「——。……これは、酷い」
声が震えた。死体は一つではなかった。武器を持った男たちの死体が、点々と、まるで道標のように置かれている。
彼らの死体は溶けていた。魔物の魔法によるものだろう。体の表面はそれで削げてしまっていて、内臓が露出して虫が湧いている。死体は全てギラム人だった。狩人ではなさそうな体格の男も含まれていた。
「魔物の死体、あった!」
「! 本当か」
急いでキュミルとリーデに合流すると、そこには、狩人の体格よりも大きな蟻が胴体をバラバラにされて死んでいた。冀石はない。ギラム人に回収する余裕があったようには思えないから、どこかの非魔法生物が持っていったのかもしれない。
「……蟻、ということは、群れか。これで終わりじゃないはずだ」
「他にも死体あるっぽいね。一体一体は強くないのかも。だからあたし達は遭遇しなかったんだ」
「だが、あの溶かす魔法を喰らえばほぼ即死……か。確かに、死んでいるのは皆、剣や槍……近付かなければ戦えない者たちだ」レゾンは息を整える。「——女性の死体もなさそうだ。どうやら、ここにある死体は生き残りの一部らしい」
「向こうに逃げてったように見えるな。進路を西にとろう。それで良さそう?」
「ああ」
生き残りも魔物もまだ存在する。間に合いさえすれば——魔物は、今のレゾンになら必ず退けられる。
「もう夜遅いよ。最後にまた笛吹いて、今日はその辺で休も」
冷静なキュミルに救われる。子供だがシィアの子供であり、リーデよりも一回り年上なのだ、彼女は。二年ギラムで狩人をやっていただけのレゾンとは経験の量が違う。
レゾンはため息を吐いて、キュミルとリーデの肩に手を置いた。
「……君たちは、こんなものを見て平気か。もし気分が悪くなったら無理しなくていい」
「ヘーキだって。動物の死体とかいくらでも見てきたし」とリーデが答える。「アンタが凹んでる分、自分らも凹んでちゃ暗すぎっしょ」
「そうか。……すまない、さすがに……これを見て明るくはいられないな。——君たちはそのままでいてくれ」
彼らは都市人の死に同情できないことを隠さない。それでも必ず手伝ってくれる。それがありがたかった。俯いたレゾンに、イヴンは何も言わず背を優しく擦った。
「……寝る前に、埋葬と遺品の回収をさせてくれ。道具はないが……魔法を使えばすぐだ。体力は無駄にしない」
「レゾンくん……」
「イヴン——あんたの仕事も残しておいて欲しい。……手を動かしたいんだ」
イヴンは何か言いたそうにしたが、結局頷いてくれた。リーデの手笛の音だけが響く静寂に耳を傾けながら、レゾンは全ての命の重みを引き受ける覚悟で墓を作り、無心で天幕を用意し、はじめの夜番を買って出た。眠れる気がしなかったからだ。
*
いざとなると、眠りは誘われるように訪れた。
“海”の底へ手を引かれたのだ。久し振りの暗黒に、レゾンは光を求めてもがこうとしたが、ここにはあの重い肉体すらなかった。彼女はレゾンを包み込むようにして、生温い水の渦を生んだ。
見知った魚たちの姿が頭上に見えた。目の前の暗黒から、尖った針のような牙をいくつも持った恐ろしい何かがぬっと現れて、その巨大な目でレゾンを一瞥した。
彼女は言った。
——君は、また……檻の中へ、戻ろうと……している——。
それは批難だった。彼女の渦は段々とレゾンを腕の中へと閉じ込めようとするように、締め付けて細くなった。
暗闇の中で何かがたくさん動いている気配がした。それがもし牙を剥いたら、自分はあっという間に食い尽くされて存在が消えてしまうのだろうと思った。
だがレゾンは拒絶した。檻へ戻るのではない。同じことは繰り返さない。二度と自分だけが無事なんて状況にはしない。もちろん全滅もしない。
——運命は……まだ君に、微笑んでいる。
——君は、強い。道を、誤っては……ならない。
その時、レゾンは再び、この世の全ての手触りを知ったように感じた——気が狂いそうになる。
——忘れるな、私は必ず……君を正しく導く——。
人の身に余る衝撃。“海”は思い通りにならない子を支配しようとしている。レゾンに拒絶する術はなかった。神経のつま先まで行き渡って——
「——きて、起きて起きて起きて——、レゾンくん!」
「ッ!? ——っは——、ッゲホッ、ゴホッ、」
全身に痛みに似た鋭い何かが走って、痺れる。反射的に出た咳は過分な呼吸を伴って、脳が甘ったるいような感じでクラクラした。身を捩り、放心して落ち着くのを待つ。
「ご、ごめん。大丈夫? でも起きて!」
少女の声が囁く。キュミルだ。思い出す——ここは濃霧地帯の中だ。生き残りのギラム人を探しに来た。頭が追いつく前に口に出す。
「何かあったのかっ」
天幕の外はまだ暗いようだった。進展か、それとも魔物が出たのか? しかし彼女だけでは対処できないような魔物が出たのなら、レゾンにはすぐに分からないとおかしい。
キュミルはばしばしとレゾンの胸板を叩いて、
「とにかく起きて! レゾンくんの仲間が来てんの!」
「——!!」レゾンは飛び起きた。「お前、それを先に言え!」
「言ったじゃーん」
キュミルが不満げに呆れる。レゾンが慌てて鱗を隠すように布を巻き、手袋をはめて身支度していると、眠っていたリーデとイヴンももぞもぞと起きてきた。
「どうだ、キュミル、鱗は隠れたか」
「早くしてよ〜、警戒されてんの! レゾンくんなら喋れるでしょ?」
「ユンカ語はギラムではマイナーだからな。仕方ない」
レゾンは屈んで天幕から出て——ふう、と息を整えた。聖人君子と呼ばれていたのは伊達ではない。ギラム人が最も安心する喋り方。立ち方。不安の共有と頼もしさ。即座に頭に久方ぶりの計算が走る。歩幅と歩くリズム。立ち止まる場所。周囲の確認の仕方。




