12.私たちに敵対するもの
こうして、私たちはようやっと夫婦らしい生活を始めることになった。しかし周囲の情勢は、中々それを許してくれなかった。
ギルディス様のことが気に入らない心の狭い連中、反子猫派。彼らは以前から、時折ここアトルの城に攻め入っていたらしい。もっともそのたびに、城のみんなできっちりと返り討ちにしていたのだとか。
そんな反子猫派が、またしても攻め込もうとしている。そんな情報をつかんだギルディス様は、自ら兵を率いて連中を叩きのめしにいくことにしたのだ。
「それでは、少し行ってくる。すぐに片付けて戻るから、少しだけ城を頼んだぞ」
「……私も行きたいです」
「駄目だ。お前にはこのアトルの城を守るという大切な任務を与えただろう。俺の帰る場所を、きちんと守っておいてくれ」
「…………はい」
ちょっぴりふてくされながら、ギルディス様を見送る。私も連れていけと何度言っても、結局彼は首を縦に振らなかった。
残された私はその足で城の居間に向かい、背中を丸めていじけることにした。
「……私だって、戦えるのに……ギルディス様の力になりたいのに……」
そうしていたら、メルティンがお茶のワゴンとともにさっそうと現れた。
「やはり、ギルディス様のことが心配ですか?」
「心配しないわけ、ないじゃない……」
小声でつぶやく私の前に、湯気を上げるお茶のカップが差し出される。
「ギルディス様なら、絶対に大丈夫ですよ」
その言葉に、様子を見に来たらしいイリアエがおっとりとうなずく。
「そうですね。ギルディス様はとてもお強いですから。このアトルの城で一番強いのは、間違いなくあの方です」
「私、手合わせのときに本気を出してみたこともあるんですけど……あっさり負けてしまいました」
メイドが主君相手に本気で手合わせをする。中々に恐ろしい響きだ。お茶をちびちびと飲みながら、二人の話に耳を傾けた。
「獣人族は誇り高い種族なので、がつんと正面衝突が基本です。たまーに罠とか策略とかを使う者もいますが、そういうことをすると『卑怯者』『腰抜け』ってあだ名がつきますね。とっても不名誉なんです」
「そんなこともあって、獣人族の戦の明暗は、ただひたすらに個々の腕前に依存するのです」
「ですから、ギルディス様が出向いていった時点で、こちらの勝ちは決まりです」
あっけらかんと、メルティンがそうしめくくった。でも、胸の中のもやもやは消えない。
「……でも、私がついていったほうが早く終わったのに……」
ギルディス様と離れているのが、寂しくてたまらない。早く戻ってきてほしい。そんな思いから、つい愚痴がこぼれてしまう。
「城を頼む、なんて言われても……私、知ってるんですからね。ここが一番安全なんだって」
もしこれが人間族の戦だったら、ここはかなり危険だ。総大将が離れている間に本陣を狙うのは、とても当たり前の戦法だから。
しかしさっきメルティンが言っていたように、その心配はしなくてもいい。
しかも、ギルディス様はあえてメルティンとイリアエをここに残していった。二人とも、アトルの城の中では手練れだ。私も手合わせをしたことがあるけれど、メルティンは恐ろしく生き生きするし、イリアエはおっとりしたまま大暴れするので怖い。
「ふふ、そうですね。ラーライラ様もご存知のように、ギルディス様は過保護ですから」
そう言って、メルティンがにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ、ギルディス様はいつもよりさらに早く敵を片付けて、あなたのもとに戻ってきますから」
「あの方は、守ると決めたものに対してはとても過保護ですからね。ラーライラ様もご存知の通り」
声をひそめて、おかしそうにイリアエが言う。
「……そんなこともあって、ギルディス様は領民にはとても慕われているのですよ。領民がどうすれば幸せに暮らせるか、そのことにいつも心を砕いておられますから」
「……ええ。分かります。ギルディス様は、とてもいい領主なのだと」
彼の執務の手伝いをしていると、自然と分かってきた。彼はいつも、民が不便をしていないか、困っていないかと気にかけているのだということが。
そっと微笑んでいたら、メルティンがむっと悔しそうな顔をした。
「それなのにギルディス様は、貴族たちには嫌われていて……みな、子猫の王子は認めないって主張してるんです。……偉そうに言っていても、その子猫に勝てないくせに。そもそも、一太刀すら浴びせられないくせに」
そう言って、メルティンがぷりぷりと怒っている。
獣人族は人の姿をしていても、獣の姿が有する力を、ある程度だが使うことができる。
狼の獣人族であるメルティンは、森の中を力強く機敏に走ることができる。馬の獣人族であるイリアエは、強烈な蹴りを放てる。……彼は走るより、蹴るほうが得意なのだとか。
そして猫の獣人族であるギルディス様は、やたらと身が軽い。初めて会った日、決闘のさなかで彼が見せたあの驚嘆すべき立ち回りは、そういった特性によるものも大きいらしい。
そんなこともあって、ギルディス様はいつも、無傷で戻ってくるのだとか。身体能力に優れる獣人族ですら、彼の動きをとらえられないらしい。
「いっそ、王宮に乗り込んでいって貴族たちをぶちのめし、無理やり分からせてやりませんかって、ギルディス様に提案したこともあるんですけど」
「いい案だとは思ったのですが、さすがにうなずいてはいただけませんでしたね。残念です」
メルティンとイリアエが、そんな物騒なことを言って笑いあっている。
見るからに血の気の多そうなメルティンはともかく、落ち着いた老紳士といった雰囲気のイリアエまでもがこんなことを言うとは。これが種族の違い、というものだろうか。
そうやって三人でだらだらと談笑していたら、顔色を変えたメイドがやってきた。
「ラーライラ様、敵襲にございます!」
報告を受けた少し後、私は手合わせのときの動きやすい格好に着替えて、城の一角にある塔に上っていた。武器を身につけたメルティンとイリアエ、それにメイドたちを従えて。
「正門と裏門の前に一団ずつ、それぞれ……最低二十人はいます! 鳥の獣人はいない模様!」
不安そうな顔のメイドが、辺りを見渡しながらそう状況を説明してくる。
背中にがっしりした翼を備えた彼女は、ちょっと珍しい鳥の獣人だ。人の姿をしていても抜群に目がいいので、偵察にはうってつけの人材なのだ。
その報告を受けて、少し考える。敵方に鳥の獣人がいないのであれば、あちらからここははっきりと見えていないだろうし、空を飛んで襲撃してくる心配もない。
ならば、連中が門の内側に入り込む前に、きっちりと迎撃しておくべきだろう。
「それでは、メルティンは正門、イリアエは裏門をお願いできるかしら? 誰を連れていくかは任せるわ」
「了解しました、ラーライラ様! 私の出番ですね!」
「どうぞ私たちにお任せあれ」
私の指示に、二人はあっという間に塔を下りていく。……ほんの少し浮かれているように見えるのは、気のせいかな。
そうして私は、塔の上から戦場……ではなく城の全体を確認し、そのつどあちこちに指令を出していく。この城の留守を預かる者として、ギルディス様の妻として。私が、臨時の指揮官だ。
かつてコリンの屋敷で、様々な書物を読んだ。そしてその中には、軍の指揮に関するものもあった。
もちろん、貴族の娘には無用の知識だ。でも、純粋に興味があったので、一通り目を通していた。まさかこんな形で、こんなところで役に立つなんて。
もっともこのアトルの城は、特に守りの堅いつくりになっている。そして城に残っているみんなは、普段は使用人として働いているものの、その実かなりの手練ればかりだ。
だから、じきに侵入者も片付くだろう。そう、ちょっと油断したとき。
「ラーライラ様、城内に侵入者です!」
私の隣で耳をそばだてていた猫のメイドが、小声で警告してきた。彼女は子猫ではないので、ギルディス様より耳が小さい。
それはそうとして、城の中に入り込まれてしまった。この塔は周囲の状況をうかがうにはちょうどいいけれど、逃げ場はない。
「……追い込まれる前に、場所を変えたほうがよさそうね」
その場に残っていた全員を連れて、塔から降りる。戦いになったときに備えて、両手足の魔導具を起動させながら。
ところが、侵入者たちの動きは予想外に素早かった。私たちは塔を出てすぐに、十数名の侵入者に囲まれてしまったのだ。
そもそも、二つある門はメルティンとイリアエが守ってくれているというのに、彼らはどこから来たのだろう。
まさか、塀を越えてきた、とか……獣人族の身体能力なら、あり得ない話ではないけれど……。
いや、今の問題はそこではない。明らかに殺気立っているこの侵入者たちを、なだめるなり追い返すなりしないと。
「私はラーライラ、ここの主ギルディス様の妻です。あなたたちは、なにゆえこのようなことをするのですか」
声を張り上げて、侵入者たちに尋ねる。獣人族がこんな風に留守の城を攻めてくるなんて、よほどの理由があるに違いないから。
すると侵入者たちが、一斉にどよめき始めた。
「……噂は、本当だったのか……」
「子猫王子が、人間族をめとるなど……」
「にわかには信じがたいが、この様子は……」
と、そんなざわめきをつんざくような野太い声が、辺りに響き渡った。
「お前たち夫婦は、我ら獣人族の恥だ!!」
声の主は、侵入者たちの先頭に立っていた牛の獣人族だった。見上げるほど背の高い、がっちりとした壮年の男だ。その目には、さげすみの色がありありと浮かんでいる。
私のことが気に入らないのは、まあ仕方ないだろう。それよりも、ギルディス様を馬鹿にしていることは許せない。
怒りにすうっと血の気が引いていくのを感じながら、平坦な声で続ける。
「言いたいことは、それだけですか?」
「ああ」
「言葉を訂正する気は?」
「ないな」
「そうですか、分かりました」
冷たく答えて、進み出る。迷いのない足取りにあちらがひるんだのをいいことに、一気に距離を詰めた。
そうして、牛の獣人族を力いっぱいぶん殴る。真上に突き上げたこぶしは、身長差のおかげで彼のあごの下にぶち当たった。魔導具の力に私の怒りを乗せた、とびきりの一撃だ。
ごっ、という鈍い音がして、牛男がばたりと倒れる。うめいて身を動かそうとしたので、その腕を思いきり踏んづけてやった。
侵入者たちに、さっきのものとは違う動揺が広がっていく。彼らを見渡して、今度は私が叫び返した。
「留守の城を襲う腰抜け風情に、私の夫を侮辱する資格はありません!!」
声を張り上げると、私の後ろに控えていたメイドたちが一斉に叫んだ。……まるで、雄たけびのように。
彼女たちは私の指示も待たずに、軽やかな足取りで侵入者たちに向かって駆けていく。手に手に、思い思いの武器を提げて。
あちらは大きな男性ばかり、こちらは華奢な女性がほとんど。
……だけれど、すんなり勝ってしまった。どうやらさっきの牛男が私の一撃であっさり沈んでしまったことで、侵入者たちはすっかり混乱してしまったようだった。
か弱い人間族が、屈強な獣人族をこうもたやすく倒してしまった。彼らはそのことが、どうしても信じられなかったのだろう。
「ラーライラ様、迎撃完了しました!」
「まとめて縛り上げておきますね!」
メイドたちはいつもより生き生きした表情で侵入者たちをぶちのめし、ベルトやら何やらで器用に縛り上げていた。とても手際がいい。
とまあ、こちらの侵入者については片付いた。となると次は、正門と裏門の加勢かな。
「大丈夫ですか、ラーライラ様!!」
などと考えていたら、顔色を変えたメルティンが駆け寄ってきた。