はじまり語り・Ⅱ ◎★
――誰もが一度は考えたことがあるのではないだろうか。
物語の主人公のようにモンスターと勇敢に戦って、人々を救う英雄になってみたい。
はたまた麗しの王子様と出会って誰もがうらやむ素敵な結婚をしたい、などなど。
そんなものは夢物語だと思うだろうか?
異世界転生も?
ある日突然、前世の記憶が蘇ったら。あなたはどうするだろう。
ここに地球と縁のある、ある異世界の出来事を紹介しよう。
自分がよく知る物語の主人公だと気付いた彼女たちは、どうしただろうか。
語りべの前にある巨大なモニターには、ある異世界の光景が映し出されていた。
教会の礼拝堂で厳かに行われた巫覡の任命式。
星十字の元で同時に祈り始めた二人の娘、リヒタール姉妹。
やがて光に包まれ始めたのは、妹のアイラの方だった。
目映い光に驚いて目を開けるアイラと、隣にいた姉のイングリッド。
「おお、これは……!」
周囲の人々が感嘆して息を呑む。
光の中でアイラの額に現れたのは、紛れもなく星光龍神の紋章であった。
「私が……選ばれた……!?」
感激に震えているアイラに駆け寄ったのは、姉の婚約者であるデ・クヴァイ伯爵令息トバイアスだった。婚約者である姉のイングリッドを押しのけ、アイラの手を握る。
押されたイングリッドは、つんのめって床に転んだ。
「やっぱり君が本物だったんだね、アイラ……!」
「トバイアス様……♡」
床に手をついてやっとのことで起き上がったイングリッドは、呆気に取られて妹と婚約者の方を見た。
「そんな……っ。私は確かに、シリューズ様のお声を……!」
青ざめながら呟くイングリッドを振り返り、トバイアスは無情にも言い放つ。
「そこのニセモノを今すぐ捕らえろ! 我々を騙して伯爵家を乗っ取ろうとしたのだ! この国……、ひいてはこの世界に災いをもたらそうとしている魔女に違いないッ!」
令息が合図をすると、待機していた兵士たちが次々とイングリッドを取り囲んで後ろ手に縛り上げた。
「やっ、やめて下さい……! 私は騙してなんて……っ」
抵抗するイングリッドの姿に、トバイアスは汚いものでも見るかのように憎悪の表情をむき出しにした。
「見苦しいぞ! お前のような嘘つきと婚約していたなど、我が一生の恥! 私が真に愛するのはアイラただひとり! 私の正式なリヒタールの婚約者は、お前ではなく妹のアイラであると、この場で宣言するッ!」
伯爵令息はアイラの肩を抱いて、声高に宣言した。
「トバイアス様……! 嬉しい……♡」
口元を両手で覆い、感動に涙を流すアイラ。
床の上からそれを見上げながら、アイラの口元が密かに歪められたのをイングリッドは目にした。
(うそ……っ。巫女になるなんて、小説にはなかったことなのに……! どうしてアイラが……)
今の状況が、本来はあり得ない展開だとイングリッドは知っている。
それはイングリッドが転生者だからだ。そして妹のアイラもまた転生者であることを、イングリッドは知っていた。
異世界の知識、原作の知識を持つ者同士が同じ屋根の下で競い合う修羅の日々。イングリッドは、いつも敗北していた。
そして原作通り、退場することになるだろう。
誰も彼女が本来のアイラでないことには気付かない。
父親であるリヒタール男爵も、友人も、婚約者も、誰も黒い笑みには気付かない。
転生者であるイングリッドと、同じ転生者仲間の令嬢たち以外はアイラの本性に気付くことはなかった。
「う……っ」
兵士たちに押さえ付けられながら、イングリッドは元婚約者の横で嗤う妹を見た。
たとえそれが、自らを嘲笑うものだったとしても。妹がそれでしか幸せになれないことを、長年の付き合いでイングリッドは理解していた。
「そう、アイラ……。あなたが幸せなら……」
「…………っ!」
姉の呟きが聞こえたアイラが、突如として血相を変えた。唇を噛み、姉を睨み付けたかと思えば婚約者のデ・クヴァイ令息の前でぽろぽろと涙を零し始めた。
「お……お姉様は、悪魔に取り憑かれてしまったのだわ。あんなに優しかったお姉様が、私に呪いの言葉を言うなんて……!」
「な、何だと!?」
まんまと騙された令息は、急いで兵士たちに指示をする。
「妹に呪いを掛けようとするなど、何と恐ろしい女だ! お前を憲兵に引き渡すつもりだったが、野放しにするのは危険だ! 今すぐ殺せッ!!」
「はッ」
伯爵家の私兵がイングリッドをひざまずかせ、喉元に刃を突きつける。
「やめないか! 神々の御前ですぞ!」
老司祭が止めに入る。さすがに教会内で殺傷沙汰はまずいようだ。
令息は舌打ちをし、私兵に顎で外へ出るように促した。
「連れて行け。教会の外で始末しろ」
「分かりました。参りましょう」
「え、あっ、おい!」
イングリッドが抵抗をやめ、素直に――むしろ率先して従ったため、兵士たちは毒気を抜かれたようにたじろいだ。当の令息も、ぽかんとした顔でイングリッドの背中を見つめた。
それがあまりに悔しかったのだろう。アイラはギリギリと歯を噛みしめたが、やがて思い直して口元を歪めた。
これを堪えて乗り切れば、勝利は目前なのだ。ここで尻尾を出すほど馬鹿ではない。
「可哀想なお姉様」
歪んだ黒い微笑みは、勝利宣言であった。
密かにほくそ笑むヒロイン、アイラ。野放しにできないのは彼女の方だと、こちらの男は知っていた。
三者目の出番だ。
「――そこまでだ。全く……。本物を処刑させたとあっては、シリューズ様に殺されるのはこっちの方だぞ……」
礼拝堂の出入口を塞ぐように立っていたのは、聖者装束を着たひとりの男だった。この世界でも珍しい薄紫色の髪に、青と金色を湛える双眸はただならぬ雰囲気を纏っていた。
神官とおぼしき男の姿が目に入った時、アイラは自分の立場も忘れて見蕩れた。
「だ、誰!?」
(な……なんっっってイケメンなの!! トバイアス様なんて……ううん。『愛レゾ』の、どのヒーローでも問題にならないくらいの美形じゃない!! あんなモブ……いる訳ないわね。どこの攻略対象かしら。ほしい! うらやましい!!)
心の声が彼にはダダ漏れであることを、アイラは知らない。
「はぁ? 誰だか知らないが、そこをどけ! この魔女をすぐに殺さないと、大変なことになるぞ!」
「魔女?」
「そうだ! ここにいる龍神の巫女に、呪いを掛けようとした恐ろしい魔女だ!」
伯爵令息が熱弁を揮うが、神官はピンときていないらしく、顎を擦りながら首を捻るばかりだった。
彼が任命式の光を見ていないと思ったアイラは、自ら名乗り出た。
「そ……そうです。私が星光龍神の巫女ですっ」
今しがた認めてもらえたばかりだと、アイラは懸命に説明した。
「ほう……。なるほど」
「はいっ!」
ようやく分かってもらえたと思ったアイラは、ぱあっと太陽のように表情を明るくさせた。
天真爛漫の代名詞とも言えるその顔が、次の瞬間に凍り付くとも知らずに。
「あくまで神の名を騙る訳だな」
「へ?」
「……ラ、ラビ審問官!」
その時、教会の老司祭が礼拝堂の奥から出てきて神官の名を呼んだ。
「し、審問官だって?」
その肩書きを聞いた伯爵令息が驚いて足を止めた。巷を騒がせているニュースを、彼も聞き及んでいたらしい。
同じく、肩書きを聞いて内心目を剥いていたのは、誰あろうアイラ自身であった。
「う……うそでしょ!?」
(あ、あの人がニムの言っていたヒロイン狩り!? 今は、また世界中を飛び回っているはずじゃ……。何でここにいるの!?)
ラビと呼ばれた男は莞爾と微笑って、一同の前で自己紹介をした。
「いかにも。私が異端審問所裁判官である」
かつて神々が地上を去った後、天界の法を守るために唯一地上に残された存在とも言われている。
未だ魔神や魔族の脅威に晒されているこの世界では強力な法の番人であると同時に、秩序を破る者には容赦なく神の鉄槌を下すという。その相手は魔族に限らず、人間は一国の王にまで及ぶ。
つまり異端審問においては、各国国王の権力すら凌駕する。
故に国境問わず、世界中の権力者に恐れられる伝説の存在であった。
大陸で広く信仰されている神聖星教会では、三人の大神官と並びながら異なる権限を持つとされる。
――というのが一般的な認識だ。
さしもの伯爵令息も、冷や汗を掻き始めた。
「……イ、インクイジターが直々に魔女狩りにやって来たというのか!?」
「左様。……だが、魔女はそちらではないがな」
「何っ?」
トバイアスが驚くのも束の間、ラビは神聖魔法を発動させた。
「『白き桎梏の棘』」
「――きゃあっ!? な、何っ?」
それは白い棘のツタだった。地面から現れた棘は意思を持つかのようにうねり、アイラの身体に巻き付いて磔にした。
悪人に反応して自動的に呪縛する神聖魔法の一種だ。白き世界樹の眷属であり、法廷を開く第一の呼び水となる。
アイラの悲鳴に反応して、トバイアスが色を失う。
「……な、何をするっ!?」
「ア、アイラ!?」
イングリッドも妹が突然拘束されたことに驚き、その身を案じた。
トバイアスが兵士たちに命令して棘を排除させようとするも、桎梏はびくともしなかった。
彼らの無駄な行いを忍耐強く見物してから、ラビ――インクイジターは彼らの前へ歩を進めた。
「ちょ、ちょっと! あたしはヒロインなのよ!? こんなことされるいわれはないわっ!」
「そう……。汝が異世界の神によって送り込まれた『ヒロイン』であることは、分かっている」
「っ!?」
この世界のインクイジターには、異世界の知識がある。
数々のヒロインが主張する乙女ゲームやネット小説のことも。
「異世界の神……ヒロイン? どういうことだ?」
トバイアスを始めとした他の者には分からないのも無理はない。
高く拘束されているアイラの前まで来ると、インクイジターは桎梏を見上げて言った。
「裁判を始める前に言っておくが、神を騙るのは重罪である。今のうちに懺悔し、訂正するなら罪を赦そう」
オッドアイの美しい眼光に射竦められるも、アイラは譲らなかった。
「な……何を言っているの? 私がヒロインなの! みんなもさっきの光を見たでしょう? 龍神様に選ばれたのは、この私よっ!」
「では、自らの正当性を証明するがいい。……裁判でな」
「……っ」
明らかに動揺を隠せないでいるヒロインの目の前で、インクイジターは開廷を宣言した。
「――神々の許可は下りた。ここに、ヒロイン裁判の開始を宣言する!」
白き法廷が、今日も幕を開ける。
ここまで見ていた語りべは、モニター前でゆっくりと振り返る。
さて、お目当てのヒロインはいかがだったかな?
選ばれしヒロインと悪役令嬢、彼女たちの選択を見届けるとしよう。
インクイジターの裁きの全てを、ここに記録するために。
また新たな物語が紡がれる。
それでは、順を追って語ることとしよう。




