あなたを愛することはない・上
その日、騎士団の鍛錬場で早朝から雄叫びが上がった。
朝の鍛錬に訪れた騎士団員たちはまばらだった。それでも何事かと数人の騎士たちが鍛錬場を覗き込むと、騎士団幹部のアウグスト・クレイシンハが天に両手を衝き上げて叫び声を上げているところだった。
「ああああ! やはり駄目だ! 俺もついて行かねば!!」
団員たちは最初何のことかと首を捻っていたが、次第に誰のことを言っているのか理解した。
アウグストは現騎士団長アダムの息子で才能もあり、討伐隊の隊長を任されるほどの実力者でもある。
そんな彼を狂わせたのは、たったひとりの聖女――いや聖女候補であることは皆知っていた。
一対一の決闘で彼を下したうえ、さらに誰もが不可能と思われた魔の森のヌシを討伐してみせた彼女はもはや有名人だ。
異世界から喚び出された『光の乙女』リク・イチジョウである。
彼女と、そして一緒に召喚された転移者であるアミ・オオトリは数ヶ月後に外国の学園に入学するために出国が決まっていた。
そこでリクは追加の護衛を断った。元々神殿からやって来た護衛騎士のレンブラント・ラッハが一人いるため、それ以上は必要ないと拒否したのだ。
大事な国の聖女候補を国外に出すというのに、王家はそれで納得してしまった。
アウグストはもちろん、納得できなかった。
「――親父!」
騎士団長の執務室に向かったアウグストは、開口一番に言った。
「俺は騎士団を抜ける!」
「何だ、藪から棒に」
「これからは王国ではなく、リク殿の騎士として生きたい」
騎士団長としても父親としても、二大公爵家のクレイシンハ当主としても事情を知っていたアダムは、驚く代わりにひとつ質問を返した。
「……それはリク殿が望んだことか?」
「いや。今、俺が決めた」
アダムは案の定、拍子抜けして溜息を吐いた。
『光の乙女』は護衛の追加を望んでいない。それは国防を担うアダムもよく知っている。
「それならば、駄目だな。お前は自分の立場というものを考えろ」
「なっ、何故だ!?」
「話は終わりだ。職務に戻れ、バカ息子が」
アダムは手をヒラヒラさせてアウグストに退室を促す。
「親父の許可がなくとも、俺は行くぞ!」
「好きにしろ。できるものならな」
副団長も見ている前で執務室を追い出されたアウグストは、めげることなくリクたちの滞在する迎賓館に足を向かいかけて止まった。
異界人であるリクたちは国外の学園へ編入する準備段階として、この世界についての知識や一般教養を学んでいるところだ。最近は毎日、王宮でアミと一緒に授業を受けている。
アウグストは先回りしようと思い立ち、王宮へと方向を変えた。
その日は、ダンスレッスンの日だった。
ダンスの講義は王宮ではなくローゼンベルグ公爵邸で、ミラフェイナの講師であるマーサ夫人を招いて行っている。
アウグストが見事に王宮ですれ違いの無駄足を食っている頃、ローゼンベルグ公爵邸では思わぬ珍客が皆を悩ませていた。
不躾な訪問者に対し、リクたちとミラフェイナは驚き半分呆れ半分でその人物を見た。
応接間のソファでふんぞり返っていたのは、第一王子コルネリウスその人であった。
「で……殿下。本日は、どうしてこちらへ?」
微妙に引きつらせたスマイルを顔に貼り付かせ、ミラフェイナが尋ねた。
「決まっているだろう! リク殿が来ているからだ。王宮では何かと俺様を制止しようとする連中が後を絶たんからな。しかし、ここならその心配もなかろう」
わっはっはと笑うコルネリウスに、ミラフェイナは僅かに声を震わせた。
「……わたくしと殿下の婚約は、すでに解消されておりますわ。ですから、先触れもなくこのように押しかけるのはおやめ下さい! いくら殿下でも、礼を失する振る舞いですわっ」
王位継承権第一位を妹姫に取られたとはいえ、腐っても第一王子だ。無下にもできないために応接間へ通されはしたが、相手の迷惑を考えていない行為である。
急な訪問に、マーサ夫人のレッスンは中断させられた。後ろで対応を見ているリクとアミもいい顔はしていない。
煙たがられているのに気付いていないのか、コルネリウスはよく回る口が動き出す。
「そんなことは分かっている! リク殿が来ていなければ、こんなところ。俺様だって来たくはなかったのだ」
ふんと鼻を鳴らしながら、コルネリウスは〝こんなところ〟を強調して言った。
あまりにも無遠慮な言動に、さすがのミラフェイナも愉快ではないだろう。彼女が一瞬口を閉ざし、ドレスの裾をぎゅっと握り締めたのを見てリクは立ち上がった。
しかし、意外にもリクよりも先にミラフェイナが反撃に出た。
「でしたら、お帰りはあちらですわ」
「何だと?」
片手で扉の方を示すミラフェイナに、コルネリウスは片眉をぴくりと動かした。今まで何でも穏便に過ごそうとしてきたミラフェイナは、婚約中も大それた反抗をすることはなかった。
それが、聖女リクが来てからはコルネリウスの機嫌を伺うようなことはなくなっていた。
「わたくしは……ローゼンベルグ家は、すでに殿下の身内ではございませんのよ。そのことはお分かりですの?」
「だから、分かっていると言っているだろう!」
それがどうしたと言わんばかりの第一王子は、やはり阿呆のようだ。
ミラフェイナの言葉は翻訳すると、あなたはもう身内ではないので無礼を働かれたら相応の対処をもってお返しできるという意味だ。
「家令!」
「はい、お嬢様」
「第一王子殿下がお帰りでしてよ」
ミラフェイナが合図をすると、控えていた家令と数人の執事たちがコルネリウスを退室させようとする。
「放せ!」
腕を掴もうとする執事たちを振り払い、コルネリウスは部屋の奥にいるリクの元へと駆け寄った。
「どけッ!」
「あべしっ」
リクの手前に座っていたアミは押しのけられ、第一王子のエルボーを食らって床の絨毯へ転がった。
「!」
「さあ、俺様と行こう女神よ。あんな公女ごときに従う必要はない、君は俺様が幸せにしてやる……!」
コルネリウスは何を勘違いしているのか、整ったキメ顔でリクに手を差し出した。
時系列的には、終章「終焉の接触」の少し後の話になります。
挿話なのに長くなりすぎたので分割しました。
後編は明日の公開です。よろしくお願いします。
↓人物を忘れている方はこちらをどうぞ
転生/転移者・攻略対象等まとめ
【ななダン】
・ヒロイン:リク
・悪役令嬢:ミラフェイナ
・攻略対象1:コルネリウス王子 ※フリました
・攻略対象2:レンブラント 護衛の神殿騎士
・攻略対象3:アウグスト 騎士
・攻略対象4:クライド 魔術師
・攻略対象5:マティアス王子 ※丁重にお断り
・隠しキャラその3:ローゼンベルグ公爵 ♥一歩リード
・モブ王女:エクリュア グランルクセリアの次期女王
【不明】
・???:アミ リクと一緒に召喚された地球人。 ※作品名も役柄も不明




