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恐怖に恐れおののくユレナ・リリーマイヤーは、インクイジターの肩越しに法壇で立ち上がる人物を見た。
リネン・ベスティアジムール。
珍しい黄緑色の髪に知性を湛えた藍色の瞳。額にある赤い菱形の紋様が目を引く。
つなぎを着た十歳前後の子供の姿をしているが、その実は知識の神の名を持つ地上代行者にして聖者である。
『法廷』においては不正の守護と判決宣告を担い、天の法の生き字引である。
ガベルを持つリネン聖者の冷たい眼に見下ろされ、ユレナは初めて歯を鳴らした。
「『運命改変』の罪により、被告人に――」
「インクイジター」
静謐な声色が響き、リネン聖者はインクイジターを止めた。
インクイジターが振り返る。
「はい裁判長」
「その子の罪、『運命改変』じゃないよ」
「何ですと?」
リネン聖者は法壇から身を乗り出し、怯えているユレナをつぶさに観察した。
「負のカルマが桁違いだ。……彼女はもうすぐ滅びるよ」
「ナント!?」
ラビが少し素を出してしまうほどに度肝を抜かれた。
覚者であるリネン聖者にはインクイジターも持たない天眼通があるため、被告人ユレナの来世の行き先がすでに視えていた。
「ということは、ナタリア嬢は……」
「姉が……何ですか?」
インクイジター・ラビとリネン聖者の視線を受け、ウォルター・ジンデル子爵令息が緊張を露わにした。
リネン聖者は無言で深く頷いている。ウォルターを通してナタリアの記憶を視ているのだろう。
だが他の者たちにも分かるように、ウォルターから話を引き出さなければならない。それはラビの役目だ。
インクイジターが尋ねた。
「ナタリア嬢は生前、どのような活動をしておられたのだろう? 例えば、学校のない時などは……」
「活動……ですか? ええと……」
何故今さらそのようなことを訊くのかウォルターは不思議に思ったが、率直に答えた。
「姉は学院が休みの日は……そうですね。色々やってたと思います。貧しい家の子供たちにご馳走して勉強会を開いたり、神官様が止めるのも聞かずに病気の人の家を回って治癒魔法を掛け続けて倒れたり……。あはは。あの時は家族に迷惑かけんなって怒ったりしてたけど……今となっては、いい思い出だなぁ」
話しながら、ウォルターは思い出が甦って笑顔となった。
「貴族といってもうちは貧乏子爵家だから、スラムの子に寄付をするお金なんて本当はないんです。だから姉はしょっちゅう自分のドレスや宝石を売ってました。そのうち姉のクローゼットの中は、学院の制服とネグリジェ以外なくなってました。さすがに貴族令嬢としてどうなのって感じですよね。だから去年の誕生日に、おれと両親でドレスをプレゼントしたんです。懐かしいなぁ……」
ナタリアと過ごした少年の光景が目に浮かぶようだった。
饒舌になってしまうウォルターを、インクイジターは咎めもせずに聞いた。
ウォルターは未だに涙を拭いているエリックをちらりと見て、苦笑しながら言う。
「あ、エリックさんからも貰ってましたけど、婚約破棄された後にそれも売ってました。あれには笑って……」
「……役に立った、のなら……」
死んだナタリアの元婚約者エリック・バードランがしょんぼりするのを見て、ウォルターはその話題はそれ以上やめておいた。
「それはそれは……」
ラビが相槌を打っていると、リネン聖者が口を開く。
「その貧しい子供たちへの勉強会の内容は?」
リネン聖者が直接質問をしたので、ウォルターは居住まいを正して答えた。
「はい。えっと、文字を教えたり……。星教の聖典を読み聞かせたりです」
「彼女は修行を進めていたようにみえる」
「えっ、修行……ですか?」
思わぬ問いかけに、ウォルターは目を丸くした。修行など、貴族には無縁の言葉だろう。
気後れしているウォルターの緊張をほぐすように、インクイジターが補足して尋ねた。
「ナタリア嬢は、神官がするような修行も実践していたのではないか? 学生でなおかつ貴族女性にもできる修行といえば、瞑想と日々の修習くらいだが……」
ウォルターが思い出したように答えた。
「瞑想ならしてましたよ。毎日夕食も食べずに何時間も部屋に篭もって、人々のために祈ってるって言ってました」
本職の神官でもここまで実践している者がどれだけいるだろうか。これだけ聞き出せれば充分だとラビは思ったが、リネン聖者はまだ話をするようだ。
「それは師について行っていた?」
「特別な先生がいた訳じゃないと思います。本を見ながら、自分で……?」
「本の名前は分かるかな」
リネン聖者は表情を変えずに話しているが、相当核心を突いている。
この時ウォルターは、いつもなら忘れているはずの本の表紙が頭に思い浮かんだ。
「えっと……。『星海の海に沈む瞑想論』『星々の行法』……だったと思います。姉がいつも持ち歩いていたので……」
「それはリネン様のご著書だ」
ゴホンと咳払いをし、インクイジターが言った。
「そ、そうだったんですか?」
「正確には、知識の神である我が主が僕に書かせたものだけどね。もう何百年も前のことだ」
「……裁判長。もう充分ではありませんか?」
ラビの申し出にリネン聖者は二度三度と頷き、断言した。
「お姉さんは、聖者の卵だよ」
「あ……姉がですか?」
ウォルターが一驚を喫してまばたきをした。
「今までの話を聞く限り、間違いない。ナタリア嬢は、聖者の道を進んでおられたのだ。つまり――」
量刑の内容が変わる。求刑されるのは犯した罪の総量で決まるが、ほとんどが最も重い罪から考慮される。
インクイジターが論告をやり直す。
「被告人の最も重い罪は、『聖者殺害』と判明した。よって死後の無間地獄が確定していることから、獄卒への速やかな引き渡しが妥当と判断する。すなわち、地獄逓送の刑を求刑する」
リネン聖者は法壇の椅子に掛け直し、改めてガベルを手にした。
槌の音が二回打ち鳴らされる。
「判決を言い渡す。被告人に反省の色が見られず、また聖者の道を往く者の命を異世界の力によって害したため――求刑通り、被告人ユレナ・リリーマイヤーを地獄逓送の刑に処する。なお被告人の所属する国で法の適用を受け、それが執行された後とする」
(え……?)
――地獄、テイソウ……?
床にへたり込んだまま、ユレナは視界が歪んでいくのを感じた。
「な……何よ……。人が一人死んだだけじゃない……。ムゲン地獄って何よ? そんなの割に合わないじゃない……」
「そう、割に合わぬのだ」
「……っ!?」
不服を零したユレナの背後から、インクイジターが影を落とす。
振り向いたユレナは、冷徹なオッドアイに見下ろされていた。
「『聖者殺害』は全宇宙共通の、最も重い罪だ。おそらく、汝が元来た異世界でもそうであろう」
「で、でも」
「聖者の卵でも同じことだ」
ぴしゃりとインクイジターが言った。ユレナの言いたいことなど、お見通しだった。
「聖者の道を進んでいたナタリアが将来、本物の聖者になった暁には。どれほどの人々が救われたと思う?」
青と金の瞳に見下ろされながら、ユレナは血の気が引いていくのを感じた。
「その膨大な人数の救いを延期、または無かったことにしたのだ。その数と同じだけの負のカルマが、汝の上にのし掛かる。汝を万の死刑にしたとしても、割に合わぬわ」
「――――!!」
ユレナは息を呑み、言葉を失った。
項垂れたユレナの頭上に、「ただし」とリネンがひと言付け加えた。
「罪を悔い改めるなら。……知識と伝達の神、我が主リネン・ベスティアジムールの名に於いて――君の国の王または法務に掛け合ってもいい」
「えっ……」
それはまるで、地獄に垂らされた一本の糸のようだった。
ユレナは思わず顔を上げた。
「我が主に忠誠を誓い、僕の弟子になるならね。『聖者殺害』のカルマはどうしようもないから無間地獄は覆せないけれど、行く期間が少しでも短くなるように君を導こう。今生で寿命が尽きるまでの間、僕の元で修行するといい」
リネンの提案に、誰もが驚いて目を見張った。
地獄を前に、この提案に飛びつかない者はいないだろう。
普通ならば――。
被告人ユレナがどのような返答をするのか、誰もが気になるだろう。
皆が見守るなか、『ヒロイン』限定読心スキルで心の声を聞いたラビは、信じられない内容に脱力感を覚えて頭を振った。
直後に、ユレナは心の声とほぼ同様のセリフを吐いた。
「はぁ~~~~~~~~~~~っ!? バッカじゃないの? まずムゲン地獄を何とかしなさいよ! 修行ですって? 私は王子妃になるところだったのよ!? そぉーんな泥臭いコト、する訳ないでしょ!? ふざけないで!!」
リネンは穏やかな表情のまま、瞼を伏せた。ユレナの返答を受け入れたのだ。
ガベルが再び打ち鳴らされ、代行者リネン・ベスティアジムールは閉廷を宣言した。
「これにて閉廷とする」
ラビは思う。
やはり、『ヒロイン』は普通じゃない。あまりに身勝手すぎる、と――。
あー、こういう人いるわぁーとか思ったり、ヒロインにドン引きしてくれたら嬉しいです。
ちなみに聖者殺害で無間地獄はガチです。
それどころかちょっと擦りむいたり血を流させただけでアウトです。




