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「――その婚約破棄、慎んでお受け致します」
立ち上がったディアドラは堂々と背筋を伸ばし、第二王子たちに向き直る。リクの手を離れて単身前へ進み出ると、優雅なカーテシーを披露した。
「どうかお幸せに……。さようなら、クリスティン様」
「…………ッ」
みじめなはずの状況で、浮かべられた聖母のような微笑み。
クリスティン王子が不意に圧倒されて口ごもる。
(ちッ……、何よ! 悪役令嬢の分際で、いつまでのさばるつもりなの……!!)
潔いディアドラの美しさも、それに見蕩れる第二王子も何もかもが気に食わないユレナは、大げさな演技をしながらクリスティン王子の耳元で囁いた。
「きゃっ……! 怖ぁ~い。あの目……! きっと私、嫉妬されてあの人に殺されてしまうわぁ……っ」
涙を浮かべたユレナの言葉で我に返ったクリスティン王子は、即座に衛兵たちに指示を出す。
「あの女を捕らえよ! 未来の王子妃を殺害しようとした罪で投獄する!」
瞬く間に槍を持った衛兵たちが伯爵令嬢ディアドラを取り囲んだ。そばにいたミラフェイナたちは当然抵抗したが、彼らは聞く耳を持たない。
「おやめ下さい! 冤罪ですわ! ディアは学園でも、ずっとわたくしと一緒におりましたのよ? そんなこと、できるはずがありませんわ」
ミラフェイナが証言するが、クリスティン王子は取り合わない。
「ハッ。どうせ取り巻きか下女にやらせたんだろう。どちらにせよ、すでに証言も証拠もある。今さら覆らんよ」
『花ロマ』の他の攻略対象たちも同様に、ディアドラに敵意のある視線を向けていた。
ジファード伯爵令息のロランは、炎のように激昂した。
「冤罪などと、よくもぬけぬけと!」
ハーファート侯爵令息ダニエルが嘲笑う。
「そんな女を擁護しても、公爵家のためにならないぞ」
オズモンド侯爵令息セイルは、助言までする始末だ。
「友人は選ぶべきだと忠告するよ」
「な……っ」
ミラフェイナは、あまりのことに二の句が継げなくなる。
誰も彼も、子爵令嬢ユレナ・リリーマイヤーの言いなりだった。言葉が通じないのだ。
「大人しくしろ!」
「…………っ」
衛兵たちがディアドラを後ろ手に拘束する。それを止めようとするミラフェイナと、別の衛兵が揉み合う。
「おやめなさい! ディアは無実ですわ! 先ほどから冤罪だと申しているでしょう。……ちょっと、お放しっ!」
リクとアミも衛兵に絡みついて止めようとするが、多勢に無勢でディアドラを直接助けることができない。
「彼女は他者を害するような人じゃない」
「も、もうやめてよ!」
やはり駆けつけるのが遅れたせいか、『聖女の器』であるリクが訴えても誰も話を聞いてくれなかった。
クリスティン王子はリクやミラフェイナたちを無視し、優しい笑顔でユレナに手を差し伸べた。
「さあ、行こうユレナ嬢。あの悪女の始末は彼らに任せよう。このような場所に、君を置いては行けない」
「はぁいクリスティン様♡」
ユレナは晴れやかな笑顔でクリスティン王子に腕を絡めた。勝利の瞬間だった。
「リチャード、後のことは頼んだぞ」
「はッ」
「がんばってねリチャード♡ みんなも♡」
「あ……ああ」
いつも面倒な後始末や汚れ仕事をやらされるナイヴィット子爵令息リチャードも、エリックほかその他大勢も、今のユレナのたったひと言で夢中になって従った。
(これでお・し・ま・い♡)
密かにほくそ笑むヒロイン・ユレナの黒い笑みを確認してから、ラビは今まさに退場しようとする第二王子と新たな婚約者を引き留めた。
「――冤罪とは……聞き捨てならないな」
白の聖者装束、珍しい薄紫色の髪に、青い右目と金の左目というオッドアイ。そして限りなく左右対称に近い完璧な美の相貌は、見る者の目を奪うに余りある。
それが、今のラビ――インクイジターの役を与えられた人形の姿だ。
「だ、誰?」
「さあ……?」
「あの格好は神官じゃないのか?」
「神官様……?」
ひそめきあう観衆の目の前を通って、ラビは第二王子とユレナに近付いていく。
カレンは様子を見て少し手前で立ち止まったので、セミュラミデとウォルターもその後ろに控えた。まずはラビの動きを待つ構えだ。
「……何者だ?」
クリスティン王子が足を止めて訝しげに振り返り、ユレナも一緒に振り返る。
完璧な黄金律を誇るラビの顔を見たユレナが、一瞬で目の色を変えた。
(な……なんって美形なの! クリスティン様よりかっこいいじゃない……!)
「神官さまぁ。まさか私を助けに来てくれたの? 嬉しい……♡」
ユレナは第二王子の目の前で猫撫で声を発し、あっさりと王子の手を離すとラビの方へと擦り寄った。
(ふむ……。ゲームに出て来ない私を見ても、そういう反応だけか)
ラビには心を読むスキルがある。今回のインクイジターの任命に名を連ねた神々の一柱、心泉セシール・アン・セフィーリア女神から与えられた読心スキルだ。
もちろん対ヒロイン限定の力ではあるが、近くにいれば自動発動する。
ラビは自分が登場してからのユレナの心の声を聞き、笑いそうになるのを堪えていた。第二王子が少し信じられないような表情をしているのも、笑いのスパイスになっている。
ちなみに近くにいる別のヒロイン、リク・イチジョウは静かにこちらを観察しているようだ。今は目の前のヒロインに集中でよいだろう。
「……そ、そうか。あの悪魔のような女から私のユレナ嬢を救いに来てくれたのだな。それはありがたい。あの悪女には、まさに悪魔が取り憑いているやもしれないからな!」
ユレナの態度に焦ったのか、クリスティン王子は謎に仰々しく振り返り、後方にいる伯爵令嬢ディアドラを指差した。すでに拘束されているディアドラは抵抗はしないものの、ただ静かに強い瞳で佇んでいた。
「悪魔……ね」
ラビは意味深な笑みを浮かべ、ゆるりとヒロイン・ユレナに近付いた。
「神官さま♡」
(欲しいわ、この男絶対欲しい! こんなイケメン見たことない! 絶対私のモノにするわ!!)
絶世の美貌が自ら顔を近付けてきたことで、相手がいつものように自分の魅力に落ちたのだと勘違いしたユレナは、にわかに舞い上がる。
それを分かっていて、ラビはユレナの浮かれ気分を地の底まで叩き落とした。
「すまんが、その『魅了』の力は私には効かぬぞ」
「え……っ?」
耳元で告げられた言葉に、案の定ユレナが凍り付く。彼女を放置し、ラビはくるりと振り返った。
「さて冤罪の話であったな。汝らは双方から話を聞いたのか?」
「……いいえ! クリスティン様はユレナ様の証言ばかりを鵜呑みにして、ディアの話を聞こうともしませんでしたわ!」
答えたのは、ディアドラの幼馴染みであるミラフェイナだった。
「ほうほう。それはよろしくなかろうな。関係者全ての証言と行動の事実確認を取るのは、審判における公正な判断の基本だ」
「それがどうした! 聞くまでもないだろう。心優しいユレナ嬢が嘘を吐く訳がない! 失礼ですが神官殿、王家の問題に足を踏み入れないで頂きたい」
第二王子が声を荒げて反駁した。王族にしては落ち着きのないうろたえ方だ。ここは公の場のパーティー会場だ。周囲からの、針のむしろの視線に堪えかねたのだろう。
想定通りの反応にラビは艶笑して腕を広げ、自己紹介を始めた。
「これは申し遅れた。確かに私は神官の位も持っておるが、本職は審問官だ。異端審問所のな」
「審問官……?」
「汝が言ったのではないか。悪魔が取り憑いているやもしれぬのだろう? であれば私の領分である。個人名を名乗ってもよいが、今は役職名で呼んでくれて構わない。インクイジター、とな」
インクイジター。異端審問所裁判官。
それがどのような存在か、王族つまり権力者ならば必ず聞いたことがあるはずだ。
星海の神々が地上を去った後、地上における異端審問ではインクイジターの権限は各国国王の権力を凌駕するといわれている。神々の遺した法廷の代行者。
「そ……そのインクイジター殿が、何故この会場に……」
クリスティン王子の声色に、途惑いが滲んだ。さすがのボンクラ王子も、インクイジターについては知っていたようだ。
何故ここにと問われて、ラビは不敵に、そして莞爾として笑った。
「――きゃあっ!?」
ユレナが突然悲鳴を上げた。第二王子たちが振り返ると、白い棘がユレナの全身を絡め取って床から盛り上がり、空中に磔の状態で固定した。
「『白き桎梏の棘』」
それは悪しき者を呪縛する神聖魔法だ。発動させたのは、ラビである。
「……な、何をするっ!?」
第二王子とその他の攻略対象、そしてエリックたちが泡を食って棘を外そうとするも、桎梏はびくともしない。
ラビは衛兵たちに拘束されている伯爵令嬢ディアドラを一瞥して言った。
「疑わしきで拘束できるのなら、こちらもさせてもらう。まぁ、こちらには汝らの言うままごとのような証拠ではなく、本物の確たる証拠があるのでな」
「何よこれ! どういうこと!? 私はヒロインなのよ!? 何で私が縛られてるのよっ!? アンタたちもさっさと助けなさいよ。ちょっと、王子! 何もたもたしてるの!」
「……!?」
思いもしないユレナの暴言に呆気に取られたのか、クリスティン王子が動揺している。
その間にラビが動く。
ラビが合図をすると、後方で控えていたカレンとセミュラミデが近くに合流した。カルマン神官とウォルターは少し離れた所で待機を継続した。
美しい巫女二人がその場に姿を現したことで、今までユレナにばかり目を奪われていた男たちの動きが止まった。ラビの目論み通りだ。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
はじまり語りと見比べて頂くと、語りべが省略した部分が分かるかと思います。




