源義親伝説①
夜半から雨風が強くなって来た。風の音に混じって、甲冑の触れ合う音がする。源義親は甲冑の音を聞き分けると、かっと目を見開いた。
義親は清和源氏系河内源氏の嫡流であり、父は武勇で知られた八幡太郎義家だ。義親も父親譲りの剛の者として武名が高かった。
義親の隣には、夜伽を勤めた「ふう」と言う名の村の娘が、形の良い乳房を露わにして、寝息を立てていた。十代半場だろう。あどけなさを残した村娘で、口を開けて寝ている。細く長い手足に不似合いなほど、乳房がこんもりと隆起していた。
辺りは闇に沈んでいる。義親は天井を見つめたまま、周囲の騒音に耳を澄ませた。
「兵衛殿、敵襲にごさいまする」
雨戸の向こうから聞こえて来たのは坂田五郎左衛門の声だ。この雨だ。よもや夜襲はあるまいと油断した隙を突いて、敵が攻め寄せて来たようだ。
敵軍には戦巧者がいるものと見える。
――あい分かった。
義親は帳の内で飛び起きた。
立ち上がると、頭が天井を突き抜けそうだ。身の丈、八尺を越える堂々たる体躯は、この時代、群を抜いて大きかった。肩から胸にかけて、筋肉が小山のように隆起していた。
「あらっ!」小さな悲鳴を上げて、隣で寝ていた娘が目を覚ました。
「ふうよ、戦支度を頼む」
ふうは「はい」と答えて起き上がると、胸元を掻き合わせた。色白で目元が涼しい。
枕元の灯盞に火を点けると、部屋の隅へ飛んで行った。義親の武具一式が、直ぐにでも身に着けられるように準備して置かれてあった。
「五郎左、待たせた!」
雨戸を開けて、縁に義親が姿を現した。庭には五郎左衛門始め、五人の従者が戦支度を整えて、義親を待っていた。義親が姿を現すと、「殿!」、「兵衛殿」と口々に叫んで、一斉に片膝をついた。
雨音に混じって、甲冑が鳴る。武者の肩を激しい雨が打ちつけていた。
「殿。隠岐守殿の追手が島に近づいている由にございます」
五郎左衛門が声を張り上げた。五郎左衛門は義親の初陣から傍近くに使えてきた老臣だ。齢、六十を越え、頭髪は既に真っ白だった。温厚で、痩せて小柄な老人に過ぎないが、剣を持たせると人が変わった。ひらひらと舞うように剣を振るい、敵をなぎ倒して行く。頼もしい家臣だった。
隠岐守、平正盛は伊勢平氏の正統であり、平清盛の祖父にあたる。平氏隆盛の礎を築いた人物だ。
義親は朝廷への反逆罪で討伐を受けていた。
義親にとって、身に覚えのない不当な仕打ちだった。いずれ申し開きの機会があるものと、戦を避けて絶海の孤島に逃れて来たが、追討軍は執拗に義親の跡を追い、島に押し寄せて来た。こうなっては武門の意地だ。簡単に首を渡す訳には行かない。正盛に一泡吹かせてやるつもりだった。
「隠岐守殿に一矢なりとも馳走せん!」
義親が吠えると、庭に蹲った五人の従者が一斉に「おうっ!」と時の声を上げた。
義親に付き従う従者はわずか五名に減ってしまっていた。多勢に無勢、逃げ場のない状況だったが、義親一行の意気は盛んだった。
雨脚が強くなって来ている。
村長の屋敷を出ると、門前に蓑を纏った男どもが集まっていた。義親の姿を見て、島人の間から、「おおっ――!」歓声が上がった。漁民の多い島である。武器の代わりに銛を手に、「合力せん!」と義親の加勢に馳せ参じてくれたのだ。
義親の堂々たる体躯は、周囲の者たちに安心感を与える。義親の姿を見て、島人の興奮が極まった。雨に打たれる寒さもあって、村人はぶるぶると武者震いを繰り返した。
「頼もしき者たちよ!」義親は村人に分かるように、大仰に頷いて見せた。
――対馬の殿!
村長の与平が村人を割って、前に進み出て来た。都の貴人に対する畏敬の念が強かった時代だ。与平は屋敷を義親主従の借りの住まいとして明け渡し、一家で親戚の家へ寄宿していた。義親の夜伽の相手として、村の見目良い娘、ふうを選んで、献上したのも与平だった。
与平は五十代、足腰はまだまだ達者だったが、額が見事に禿げ上がっていた。小柄で小太りの与平が蓑を着こむと、蓑虫の様に見えた。
与平が義親の前に蹲って言った。「さきほど漁から戻った若者が申しまするに、島に向かう幾つもの船影を見たと言うことでございます。さあ、どうぞ、こちらへ。島を襲う不埒な輩どもを一望できる場所に、ご案内致します。御殿、自らお見定め下さい」
義親は「うむ」と大きく頷いた。義親の兜から雨水が滴り落ちる。
与平が先導して歩く。義親と五人の従者は、村長の後をついて歩いた。雨で道がぬかるんでいた。義親主従は、甲冑を身にまとっている。坂道に差し掛かると、水を含んで何時もより重くなった甲冑が重荷となり、泥濘に足を取られて歩き難かった。
やっと坂を登り切った。坂道を登り切ったところで視界が開けた。
辺りはまだ薄暗く、降りしきる雨で、海は真っ暗だった。島を残して、暗闇に飲み込まれてしまったようだ。
三間ほど先の崖の上に、松明がひとつ煌々と炊かれていた。島民が義親のために準備したものだ。視界を遮る木々はないし、確かに、ここからなら島へ渡ってくる敵船団を一望することができるだろう。
「対馬の殿。どうぞ、御前へ」与平が道端に蹲って、道を開けた。
「うむ」と義親が前へと進む。五人の従者が義親に続いた。
「これ、押すでない」
最後尾を歩いていた若武者が、後ろから急き立てる島民を窘めた。戦に不慣れな島民は血気に逸って、若武者の背中を後ろから小突くように押していた。
――それっ!
与平の言葉を合図に、義親と従者の後から着いて来ていた島民が、一斉に「わっ!」と声を上げて、前へ前へと押し寄せた。
「何をする!」
義親と五人の従者が口ぐちに叫ぶ。島民たちは横一列になって、後ろから激しく義親主従を押した。先頭を歩いていた義親が、後ろから押され、たたらを踏んだ。
「あっ!」先頭を歩いていた義親が叫ぶ。
義親の足が宙を彷徨った。
義親と五人の従者は、穴に落ちて行った。島民が掘った落とし穴だ。落とし穴に吸い込まれた。土や雑草で功名に隠蔽された巨大な落とし穴は、義親主従をあっという間に飲み込んでしまった。
落とし穴へと転がり落ちた義親と五人の従者は、穴底に天を向いて植えらえた竹槍に体を串刺しにされた。運悪く、一瞬で絶命してしまった従者もいた。
だまし討ちだ。島民が示し合わせて義親と従者をだまし討ちにしようとしていた。




