第3章 死闘 6 ツンデレ?
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翌日、寝すごした稲水が、幸嶋の給仕で朝食をとっている最中に、ハルは吉田の運転する車長六メートルはありそうな白のロールスロイスでどちらかへと出かけていった。稲水は行き先を聞かされていない。
「はいはい、別行動ね。しかし吉田さん、よくあの車でこんな山道を走るよな」
昨晩深夜までスマホ検索していた近隣に住宅の少ない郊外の貸倉庫や廃工場、そしてマンションなどの建築現場。収集した不動産情報を元に、本日は計画どおり、稲水はできるだけ多くまわるつもりでいた。無論、ハルVS彦佐の決闘場を確定するためである。まずは場所を決定し張りこみをして、人の流れや周囲の状況を把握した上でなければ、戦いの日時は決められないと判断したからだ。
自由に使っていいと、ハルからあずけられたハイブリッド車のキーを手にした稲水はエンジンをかけ、カーナビに一件目の住所を入力した。
「稲水さま、いってらっしゃいませ!」
ヴァンプ特有の宙をすべるような素早さで見送りにきたらしいまひるが、大きく頭を垂れた。
「俺、うまそうなんだろ? ただの食い物に頭を下げる必要はないよ」
「え? あら、あらーっ!」
少しばかり動揺を見せるまひるを見て、こいつになら喰われてもいいかと思う稲水。ひとりに喰われようが、ふたりに喰われようが、なにも変わらない。どうせ死ぬのだから。
「いってきます」
運転席の稲水は笑みを作りながら手を上げてこたえる。
「だけど稲水さま、それは少し違うと思います!」
運転席側のウィンドウに取りついたまひるの目は真剣なように見える。
「なにが?」
「ただの食べ物ではありません。動物も、お野菜も、人間も、生きているんです。その命をいただくことでアタシが生きていられるのであれば、それは感謝でしかありません!」
「なるほど。いい子だな」
稲水はまひるの、カチューシャの乗った頭をわしゃわしゃとなでた。
「稲水さま、それセクハラです!」
思わず手を引く稲水。
「あ、そう」
「ビジネスの成功、お祈りしております」
「稲水! こんな時間までどこをほっつき歩いていた!」
稲水が運転する車のエンジン音を聞きつけるなり館を飛びだしたハルが、駐車スペースへと移動するボンネットを片手で押さえつけ、いきなり怒鳴り散らす。彼が別荘に帰還したのは午前一時をすぎたころであった。車の走行を片手で止めた剛力に驚きを隠せない表情を稲水がしているのは間違いないのだが、それ以前に彼の顔は疲弊しきり、今にも倒れそうなほどに憔悴している。
「ただいま、ハル」
「ただいまじゃない! 電話には出ないし、彦佐に喰われたかと思ったろうが!」
息もたえだえの稲水を車から引きずり出し、胸ぐらをつかむハル。
「スマホは撮影で使いっぱなしだったし、運転してたし……」
「なんのためのハンズフリー機能だ!」
「使い方がわからなかったんだよ」
「まあまあ春乃さま」荒ぶる彼女を止めたのは吉田であった。「稲水さまは大変お疲れのご様子。車は私がまわしておきますゆえ、ひとまず中で休ませてあげては」
執事のていねいな物腰に、ハルがしぶしぶ手を離すと、稲水はその場にどうと倒れ伏してでしまった。
「稲水さま!」
倒れた稲水の体を軽々と持ち上げ、邸内へと運びこんだのは、身長百五十センチにも満たない少女、まひるであった。
「埼玉、山梨に静岡。一日でこんなにまわったのか」
足腰の痛みや筋肉痛をうったえつつ、約十七時間にもおよぶドライブの成果を報告する稲水の言葉と、スマホにおさめられた画像や動画を見てあきれたようにハルがつぶやく。
「廃工場や建築現場、おもに人気のない山間部ばかりをまわってきた。どこにする、ハル」
「どうりで車が、すり傷だらけだったわけですな」
口元を押さえつつ吉田がささやく。
「すいません……」
恐縮する稲水に、スマホに連動させた48インチの液晶テレビ画面を興味深そうに指さしたハルがいう。
「ここはなんだ?」
画像には倒木だらけの森林の中に埋もれるようにして建つ巨大なログハウス風の施設が写っている。
「ああ、林業が廃れて付近に住む人もいなくなった荒れ放題の元里山。昔の宿舎か休憩所ってところらしい」
「なるほど。で、ここは?」
画像をスクロールさせるハル。コンクリート打ちっぱなしの状態で朽ち果てたような五階建ての構造物が動画で撮影されていた。稲水は建物内部に入りこんでビデオを撮ったようだ。
「そこは資金不足で建設作業が止まってしまった大学かなにかの建物だってさ。しっかりとした造りだったし、わりとおすすめかな」
「ふむ、では、ここは──」
ふたりは夜を徹してのVS彦佐決戦場検討会をはじめた。時おり、執事やメイドに意見を求めながら。やがて食堂の出窓のカーテン越しに夜明けの光がさしこみはじめる。
「朝食はいかがなさいますか」
幸嶋が目をしょぼつかせつつ、誰にともなくたずねた。夜食をそこそこ食べていた全員がノーとこたえた。
「それより眠い」
元々、疲労困憊であった稲水がいうと、ハルも大いに同意した。
「もういい。場所の選定は稲水にまかせる。どこでやろうと私が負けるわけないのだ。吉田、私は寝る。今日の予定はキャンセルだ」
「かしこまりました、春乃さま」
「ハルは昨日、どこへいってたんだよ」
しかもロールスロイス、運転手つきで。
「青山の写真館だ」
「東京までいったのか? 彦佐にまたからまれたらどうする!」
「大声出すな。おまえのせいで寝不足なんだ。寝不足は美容の大敵、彦佐以上にな」
「はいはい。で? なんで写真館」
「無論、超絶美人の私のポートレートを撮るためだ。腕利きのカメラマンの知人がいてな」
「はぁあ?」
俺が泥まみれで駆けずりまわっていた時にポートレート! 稲水は、にわかには信じがたかった。
「寝る──ああ稲水」
「なんだよ!」
「よくがんばってくれた。礼をいう」
「は? ああ、まあ」
ちょっと嬉しい稲水。ハルはそのまま食堂を後にした。
「稲水さま」
まひるが稲水のシャツの襟を引っ張った。
「なんだ?」
「いずれ春乃さまのエサにおなりになるんですよね」
「まあ、そうなるな」
「不思議なのですが、どうして捕食者の春乃さまにつくすことができるのです?」
「そうだな……つくしてるつもりはない。自分のためだ」
「意味がわかりません。生存本能はどこへいったのでしょうか」
「うん、完全になくしてた。死ぬ勇気がなかっただけだったんだ。そんな俺をすくい上げてくれたのがハルだった。だからなのかもしれない」
「食べられてもいいくらい春乃さまが大好きなんですね。アタシと同じです!」
「どうなんだろうね」
あくびを噛みながら、苦笑いを浮かべる稲水。
「もうひとつ聞いてもいいですか」
「いいよ。でもまひるちゃん、眠いからあとひとつね」
「稲水さまは人殺しですか?」
「いや、まだ」
「春乃さまは殺人者しか食べません。どうして稲水さまは喰われるのですか?」
「俺のかかえる問題を、ハルは解決すると約束、契約か、とにかく確約してくれた。その見返りに、俺は人殺しになる、予定だから」
「それはおかしな話です」
「なにが」
「春乃さまは人の世に紛れて暮らす人殺しに正義の鉄槌を下す裁判官です。心底、快楽殺人犯なんかを、憎むべき標的とされておられるお方です」
「そうだね。だけど、正義ってなんなんだろうね。俺にはわからない」
「人を殺した者が悪。それを裁く者が正義です!」
「わかりやすいな。たぶん、そうなんだろうな」
今なら稲水にも理解できる。出会った当初は裁判官どころかサイコパスだと思っていたというのに。しかし稲水は思う。人の世の正義と悪なんて、それほど単純ではないのだと。そんなものは子ども向けのヒーロー番組にしかない。おそらくこの少女は、盗人にも三分の理、ということわざを知らないのであろうと。
「春乃さまが無罪の稲水さまを、唾棄すべき殺人者に導くなどあり得ません! 絶対にあり得ません!」
「そうはいってもね。ハルとは、あくまでもビジネスの間がらだから」
「春乃さまはツンデレです、もしくはヤンデレです! 稲水さまもまたしかりです!」
うんうんとうなずいて、まひるの頭をクシャクシャとなでる稲水。少女の妄想が可愛くて仕方がないのだ。
「だから稲水さま! それ、セクハラですってば!」
「はーい、はい。だけどね、春乃さまは美男子にデレるらしいよ。彦佐みたいなさ」
「彦佐は天敵だと申しておりました!」
「だからそれがツンデレというものなんだよ」
どこまで本気なんだ、ハル。稲水は彦佐の顔を思い浮かべる。美しさ以上に凄みが、確固たる自信が、あの男には感じられた。青山に写真を撮りにいった? こんな時になに考えてるんだ、あの女。稲水はかたわらに立つ吉田に声をかけた。
「ああ吉田さん」
「なんでございましょう」
「ハルはなんだっていきなりポートレートなんかを撮りたかったんだろう」
「春乃さまには深いお考えがおありなのかと思われます」
「だからそれはなに?」
「さあ。私にはわかりかねます」
「だから稲水さま、セクハラだってば!」
稲水はまた、まひるの髪をなで、妙なテンションでうんうんとうなずいていた。どうやら睡魔が限界に達しているようであった。
(つづく)
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