63.解き放たれた者
消えた。デュランの左手にあった紋様が。
その瞬間、デュランの動きが止まる。同時に、大剣を叩きつけられようとしていたショウは、安堵するのだった。
「上手くいったみたいだな」
警戒しつつ、デュランから距離を置く。特に攻撃されるようなこともなく、無事距離を取ることができた。
すると、見計らったように部屋を二分していた壁が崩れ落ちる。奥には、リンネと茶髪の少女が手を繋いで並んでいた。どうやら打ち解けたようである。
「遅いぞ、リンネ」
「すまぬすまぬ。少しばかり手間取ってしもうたのじゃ」
「そうか。まぁなんでもいい。早くデュランを配下にしてくれ」
「うむ」
リンネが少女を置いて、デュランの方に歩いていく。普段より、心なしか堂々とした態度だ。勝手な想像を膨らませるなら、元配下に対して威厳を見せていると言ったところだろうか。
「デュランよ。妾が誰かわかるか」
声に反応し、デュランの腕がゆっくりと下りていった。さらに片膝をついて首を垂れる。その様子を一言で例えるなら、女王と忠誠を誓った黒騎士。それ以外の言葉はあるまい。
「リンネ様。この時をお待ちしておりました」
鎧の中は空洞。一体どうやって声を出しているのだろうか。そんなことを思わせるが、どうでもいいことだ。デュランの態度を見ればわかる。これでリンネの配下となることは間違いない。四魔将の一角を取り込めるのだ。
「妾が封印されてから、何があったかはおおよそ理解しておる。迷惑をかけた」
「そのようなお言葉は不要です。再びリンネ様の下で、魔族の繁栄を築けるのであれば」
「左様か。ならば今一度、妾の配下となってもらうとするかのう」
「承知しました」
デュランが立ち上がる――。
「ですがその前に、邪魔者には消えていただきましょう」
「――ッ!?」
いつの間にか目の前にいた。
デュランが何をしたかまったくわからない。ただ目の前にいると言う事実だけが瞳に映る。漆黒の鎧が大剣を振りかざさんとする姿が。
鈍く響く金属音――。
叩きつけられるような大剣を、両手を使い、見えない剣で受け止めようとした。だが受け止めきれない。腕が麻痺するような衝撃が伝わってくる。
大剣の軌道を反らしつつ、小さく体をずらした。
斬撃の回避には成功する。続く蹴りは、回避などできるはずもなかった。
「――うぐッっ!」
体が吹き飛ばされる。
放物線を描くことなく、まっすぐに広間の壁に激突し、体が埋まった。
声がいつ出たのかわからない。
蹴られたからなのか。それとも背中から伝わる衝撃のせいなのか。
「デュラン、やめるのじゃ! ショウは――」
リンネがおびえるようにして震えた。いつも見せるような態度ではない。むしろ初めて見る態度だ。
「あの者なのでしょう。リンネ様の契約主は」
威圧感が広間を包む。
リンネが放っていた威圧感を超えるものだ。
まるで内臓をえぐり取ってくるかのような感覚に襲われる。
同時に絶望した。
長老の言葉。『どこにいてもその魔力を感じるほどだったからのう』、と言うものが思い出される。真に言葉の意味を理解したことで。デュランから感じる、溢れ出る様な魔力を感じたことで。
――無理だ……。
心が折れる。魔力を感知する魔法。まだ使えない魔法が無くてもわかるのだ。リンネとデュランの間にある埋められない差を。
「リンネ様。私は貴方様に従う騎士です。そのことは、いかなることがあっても変わらないでしょう。ですから、リンネ様が描く理想にはどこまでも付き従います。しかし、その理想が誰かの手に歪められたものであるならば、歪みを正さねばならない。原因を取り除かなければならないのです」
デュランがゆっくりと歩いてくる。その足音は死へのカウントダウンのようだ。
「わ……妾は……。妾の理想は歪められてなどおらぬ……」
擦れた声が響く。だがデュランは止まらない。
「今はそうなのでしょう。ですが未来はわからない。リンネ様の意思は、あの男の指先一つでいかようにも変えられてしまう。それこそ都合のいいように」
「あ、彼奴はそんなこと……」
リンネの言葉が続かない。
――当然か。俺の命令には絶対服従。そう契約したもんな。
心の中に諦めが広がっていく。しかし、脳内はもがくように思考していた。リンネを人質にしてこの場を切り抜けられないか……、と。何かを犠牲にしてでも生き残ることはできないか、とみっともなく。
だからこそ後悔した――。
「――ショウはそんなことをせぬ! 果たさねばならぬ物がある! 妾と誓ったのじゃ。手を握って誓ったのじゃ!」
リンネがハッキリと叫んだ。一度は途切れた言葉を叫んだ。信じてくれると叫んだのだ。
それは慈悲なのだろうか。それとも憐れみなのだろうか。もしくは己の見てきたものは全て真実という傲慢故なのだろうか。
いや、こんなことを思う時点で、リンネという魔王の在り方をわかっていなかったのだろう。心の奥底で、リンネを信じる気がなかったのだろう。あくまで復讐の道具としてしか見ていなかったのかもしれない。魔族だと壁を作っていたのかもしれない。
人の本性は死に際にこそ現れる。まさにその通りだ。
「……俺は……」
リンネからの信頼に答えなければならないような気がした。罪滅ぼしを兼ねて。
だが、何ができるというのか。この状況下で何ができるというのか。そんなことを思っていると。
「リンネ様。人を信じるなとは言いません。私にも信じるに足る者が一人おります故に。ですが、お立場を理解していただきたい。貴方様は魔族を統べるお方。人の下に付くなど、道理が通りませぬ」
デュランが――死神が見下ろしてくる。
距離は、いつの間にか詰まっていた。
「それでも妾は――」
「これ以上の問答は無用です。わかっておいででしょう。今のリンネ様では、私を御することなどできないことを」
魔族はいつだって弱肉強食。力の強い者が弱い者を支配する。つまるところ、今この場において、デュランの方が立場が上なのだ。
「物事を通すには力がいる。力なき者の言葉は戯言に過ぎません。ですから、今は私の意見を押し通させていただきます」
大剣が振り上げられる。
同時に、リンネの瞳から一筋の涙が零れた。
――俺は、こんなところで死んでいいのか。
実際の時間にすれば、どのくらいに換算できるのだろうか。それほど短い時間の中で、脳裏にこれまでの出来事が浮かんでくる。
しかし、どれもこれもが要らない情報だ。今この場において、必要な情報はただ一つ。リンネと固く手を握り合い、復讐を見届けてもらうと誓ったことだけだ。
――俺はまだ、こんなところで死ぬわけにはいかないんだっ!
死が目前に迫った時になって、ようやく折れた心に意思が宿る。
その時の事だ。
(汝、力を欲するか)
いつか聞いた声が脳内に響き渡る。それは紛れもなく魔剣の声。エルフの森で、リンネから魔剣を受け取った時に響いた声だった。
(欲しいっ!)
ショウは即座に答える。
(ならば与えよう。黒き情動を)
魔剣が答えた。
同時に、ショウの意識が黒く塗り替わっていく――。
ショウは、デュランが振り下ろした大剣を受け止めていた。
禍々しい黒きオーラを纏った、目に見える魔剣で。
「むっ!?」
ショウの豹変ぶりに、デュランが声を漏らす。それから危険を察知したのか、いなすように大剣を振り、即座に距離を取った。
「――ショウよ。どうしたのじゃ」
ショウの異常性は、リンネにも伝わっていた。
広間全体に狂気が押し寄せていたからだ。
「……殺す」
ショウの体がゆらりと動く。
それから、デュランに猛然と襲い掛かるのであった。
次回は2/5(金)です。




