裏
裏
本当の名を呼ばれなくなって、もうどれくらい経つのだろうか。当の昔に俺は人であることを諦めているし、妖で在ることを認めている。
いつ、誰がそう名付けたのか、俺は、戦場の鬼―――牙王と、呼ばれるようになった。
血色の空に、鴉が群れている。
逢魔が刻。光と闇が入り混じる、太陽の最期の刻だ。
凄惨な戦場には、置き去りにされた足軽達が、生き残ろうと蠢いている。その姿は無様で、泥臭く、如何にも人間らしい。
俺はそいつらを見下ろした。血の臭いが強い。
「鬼だ、戦場の鬼だ!」
足軽共の一人が、俺を指差して叫んだ。俺はそいつを睨む。
嗚呼、五月蝿いな。逃げるならさっさと逃げればいい。俺は死体の上に座った。
腹が減ったな。此奴の食料を貰っておこう……服も、売れば多少の金にはなる。刀は服よりも高いし、野武士の相手をするのが面倒な時に便利だ。
肉は……不味いから止めておこうか。人の肉は硬くて酸味が強い。まして死にたては血が抜けていなくて、臭くて堪らない。
不意に、鈴の音が聞こえた。俺は振り返る。巫女服の女が立っていた。
「……貴方が、死体を喰らう鬼?」
女が言う。俺は刀を構えた。女は、近付いてきていた足を止めた。そして、警戒する様子も無く、微笑んで見せる。
「そう警戒しないで。随分と……美しい鬼も居たものね。貴方―――人鬼なのでしょう?」
女の言葉に、俺は顔を上げた。
人鬼。それは確かに俺の状況を示す言葉ではある。人でありながら、鬼の身に堕ちた者の総称だ。
「人に戻る気は無い?」
女はそんなことを言った。俺は目を瞬かせる。
「私はスズ。悪い妖怪を退治し、人を救う仕事をしているわ」
女は俺に手を差し出した。俺は、悪い妖怪じゃないとでも言うのか。俺は刀を仕舞い、女を睨む。女はにっこりと笑みを深めた。
人は、すぐに死ぬ。死なない俺は、だから、人と馴染むことを諦めていた。
愛之介が俺の膝の上に乗り、俺の手で遊んでいる。俺は愛之介の頭を撫でてやる。スズは俺達の様子を見て笑っていた。
一体、何が面白いんだ。スズ、お前はもうすぐ死ぬだろうに。
「ガオウ、愛之介を外に……危ないわ」
俺は愛之介を廊下に押し出して障子を閉じる。スズは布団に横たわった。
スズは流行病らしい。愛之介が廊下を走っていく音がした。
「あの子は、無事でいて欲しいから……」
スズは弱々しく微笑んだ。手足は骨と皮ばかりにやせ細っているし、髪にも艶が無い。
死の臭いが強くなってきた。スズはきっと、もうすぐに死ぬ。
俺はまだ死ねない。
「ねぇ、ガオウ。貴方は幸せだったかしら」
か細い声でスズが言う。俺はスズの髪を撫でた。
何と言えばいい? 俺は幸せだったか? そんなの決まっている。だが―――
「ガオウさん! ねぇ、母上様、もう入って良い?」
「まだよ、愛之介。もう少し外に居てね」
愛之介が障子を閉めた。スズは小さく咳をする。
「……流行病なんて、情けないわね……貴方は鬼だから平気なのかしら、ガオウ?」
俺は目を細めた。平気だ。人の病如きで、俺は死ねない。
「貴方はまだ、人を愛せない? 人に戻れない?」
人に戻る―――スズはその為に、俺に力を注いでくれた。だが俺は結局、鬼であることを辞めていない。
「……愛之介を託していいかしら。あの子は武士になるわ。強くなる、きっと」
スズは、俺が膝の上で握っていた手に細い手を重ねた。
「……ガオウ?」
何を言いたいんだろうか、俺は。
謝ればいいのか? 礼を言えばいいのか? 任せろと言えばいいのか?
お前の為に、まだ俺は何も言えないけど。何かは言った方が良いんだろう。
だから、まだ、死なないでくれよ、スズ。
スズは目を閉じた。俺はスズの体を抱える。命が無くなった体は、酷く軽かった。俺はスズの額に口付けをする。
好きとか、愛しているとか、言葉はいろいろあるだろうが―――結局、俺に、人の言葉はまだ似合わない。
「ガオウさん、」
廊下に出るとすぐに、愛之介が駆け寄って来た。
「母上様、寝ちゃったの?」
愛之介は首を傾げた。俺は小さく頷く。
嗚呼、結局、何も言えなかった。俺は昔からそうだ。
「これ、綺麗だよね。貰って良い?」
愛之介は、スズの髪から落ちた硝子の鈴を拾って言った。
「ガオウ、居るか?」
愛之介が入って来た。立派な羽織袴だ。
「ガオウさん」
愛之介の顔が露骨に緩んだ。武士の子らしく結い上げた髪を揺らし、愛之介は俺に抱き着いてくる。
「ガオウさん、疲れた……父上様、いつも優しいのに会議の時は怖いんだもん」
愛之介はぐりぐりと頭を押し付けてくる。俺は愛之介の髪紐を引き抜き、頭を撫でる。愛之介は俺の首に手を回してきた。俺は慌てて、磨いていた刀を仕舞って愛之介を振り返る。櫛を取り出すと、愛之介は俺から離れた。
「髪やってくれるの?」
俺が頷くと、愛之介は正座する。俺は愛之介の髪を梳いて纏めた。愛之介は母親のスズによく似ていて、髪が綺麗だ。
「ガオウさん、今日、一緒に寝て良い?」
愛之介が俺を見上げて言った。髪を結っているんだから、動かないで欲しいのだが。
というか、またか。スズに似て妖を感じる力が強いんだから、いい加減、慣れて欲しいものだが。俺と居ると気配が感じられない、というのもおかしな話だろう。
甘えん坊も、そろそろ直して欲しい年だ。
俺が頷くと、愛之介は歓喜の笑みを零した。可愛い奴だ。
「よしっ! じゃ、また頑張って来るね、ガオウさん!」
愛之介は立ち上がり、障子を開く。顔が無表情に立ち返り、俺を振り返った愛之介は、どう見ても、立派な若武者であった。
愛之介は俺に手を差し出す。
「ガオウ。今日も『俺』をよろしく」
俺が愛之介の手を握り返すと、愛之介は小さく笑った。
顔、緩んでるぞ。俺が頬を摘むと、愛之介は小さく首を振ってまた無表情に戻った。
愛之介の腰紐には、硝子の鈴が在る。それは愛之介が歩く度に小さく揺れた。
俺には、その音は聞こえない。
どれだけ愛之介が笑っても。何度鈴を鳴らしても。あの日、俺を呼び止めたあの音は聞こえない。
結局俺は鬼のままで、スズは死んで、愛之介はいずれ俺より先に死ぬ。
そして俺はまた、人と違う道を進むんだろう。
蝋燭の灯りを消して布団に入ると、部屋に静寂と闇が落ちた。愛之介は隣の布団から、俺の布団に近付いてくる。
「……入って良い?」
父親にきつく言われているからか、愛之介は基本的には俺とは寝ない。だが、彼岸や朔の日など、妖の気配が強くなる夜は、こうして隣で寝ることになっていた。そして愛之介は大体、俺の布団に潜り込んで来る。
俺は布団を持ち上げた。愛之介が、俺に擦り寄って来る。猫か。
「ね、ガオウさん……我儘、言っていい?」
何だよ。
「……その、く、口……」
愛之介は顔を赤くした。俺が愛之介の頬に手を添えると、愛之介は固く目を瞑る。
……これだからお前は、衆道狂いだって噂されるんだろうよ。
俺は愛之介の唇に、自分の口を押し当てる。接吻の経験は殆ど無い、スズともしたことが無いし、人であった時も、女とは無縁の生活だった。
「んぅ……?」
愛之介は俺の首に手を回して、俺を自分に引き付けた。
「……ふふっ」
愛之介は、俺が離れると顔をとろけさせ、俺の胸元に額を当てて体を丸めた。
「ガオウさん……大好き……」
知ってるよ。
愛之介は安心したのか、俺の手を握ったまま寝息を立て始めた。俺は愛之介の肩を撫でる。日ごろ、弓術や剣術にいそしんでいる肩は、筋ばっていて硬い。
愛之介は武士になる。だが、それを愛之介が望んでいるかは、定かではない。
嗚呼、スズによく似た顔をしている。スズも若い頃は、こうして猫のように丸まって寝ていた。
俺は結局、スズを愛していたのだろうか。
俺は結局、愛之介を愛せるのだろうか。
愛之介は兜の緒を締め、行きたくない、と零した。
武士である以上、戦には出なければいけない。その為に常日頃、鍛えているのだから。
「俺がちゃんと女だったら、戦になんて行かなくて済むのに」
愛之介がぼやく。我儘を言うなよ、と思ったが、俺は何も言わずに髪を梳いた。
戦場まで行こうか。俺が首を捻ると、愛之介は小さく笑った。
「ガオウさんは来なくていいよ。また人を殺したら、きっと、鬼に戻っちゃう。それは駄目だよ。頑張るから。……ねぇ、ガオウさん」
愛之介は表情を引き締めて俺を振り返る。そして、俺の胸に手を当てた。俺はその手に自分の手を重ねる。
「俺、必ず戻って来る。だからさ、帰ってきたら、返事を聞かせて?」
愛之介は俺の手を握って、俺を見上げて来た。大きな双眸は、いつに無く真剣な色をしている。
「ガオウさんは、母上様が好きかも知れない。でも、俺、ずっと小さいころから一緒に居てくれた、ガオウさんが、好きだ。……親愛じゃないよ」
愛之介は恥ずかしそうな顔になる。俺はどんな顔をしているだろう。間抜け面を晒しているかも知れない。
「じゃ、行ってきます」
愛之介が踵を返した。
その瞬間、一瞬、嫌な臭いがする。スズからも前にした、あの臭いだ。
俺は愛之介の手を掴んだ。愛之介は驚いたような顔になる。俺は、愛之介から預かっていた硝子の鈴を、腰紐に括り付けた。それから、頭を撫でる。
死ぬなよ。必ず、助けに行くから。
「……ガオウさん」
俺は愛之介の背中を押した。久し振りだったが、上手く笑えただろうか。
足音が聞こえて来た。俺は門に向かう。父上殿達が戻って来た。
愛之介の姿は―――無い。
「ガオウ! 愛之介は、愛之介は帰っているか!?」
俺は首を横に振った。後ろの方にも、居ないのか?
「……まさか、」
父上殿が青い顔になる。死んだ、と考えているんだろう。だが俺には分かった。愛之介は、まだ、生きている。
嗚呼、あの鈴の音が聞こえる。あの時と違う、悲痛で、哀しい音だ。
「ガオウ?」
俺は走り出した。誰かが俺の名前を呼ぶ。が、俺は足を止める気は無かった。
戦場が見えて来た。嗚呼、懐かしい光景だ。何度も見てきて、憎み続けた景色だ。
戦神『牙王』―――そう喩えられたころは、まだ、俺は戦場が好きだった。だがいつの間にか、そんな気持ちすら忘れてしまった。
戦場が好きな俺は、初めから、まともな人間であることを、しくじっていたのだろう、きっと。
愛之介の匂いが近い。俺は近くに在る村を見遣った。
あそこに居る。まだ生きている。
俺は足を速めた。死なないでくれ、と祈りながら。
スズの時のように、手遅れにならない内に。
俺は、嫌な血の臭いがする納屋に駆け寄り、戸を蹴り抜いた。薄暗い納屋の中には、二人の男と、裸に剥かれた愛之介が居る。
「……何だ、てめぇ!?」
男の一人が怒鳴った。それは此方の台詞だ。
「ガオウさん……?」
愛之介に駆け寄ると、愛之介は少しだけ俺の方を向いた。俺は羽織で愛之介の体を包み、痛々しい体を隠す。
普通の血の臭いではない。恐らく―――破瓜の血だ。
「ガオウさん……!」
愛之介が俺にしがみつく。体は酷く震えていた。俺は愛之介の背中を撫でながら、唇を噛む。
臭い。男の臭いがする。愛之介の体には、抵抗した跡が幾つも在った。
俺は男共を振り返った。きっと今俺は、悪鬼の如き表情をしているだろう。
「こ、此奴、鬼だ! 人鬼だ!」
五月蝿い。黙れ。お前達の声は聞きたくない。
「鬼?」
「戦場で、死体を喰らう鬼だよ! 大昔は人間だったんだが、咎を重ねて人の言葉と体を失った、化け物だ!」
男が腰を抜かす。俺は愛之介から体を剥がした。
殺してやろうか。
「ガオウさん、駄目だ――――――」
愛之介の声が遠ざかる。俺は男の首を掴んだ。
「ぐげっ!?」
骨が折れる感触がした。男は白目を向いて泡を吹く。愛之介が、俺に抱き着いて来た。
「駄目だよ、そっちに行っちゃ駄目だ! ガオウさんは、人間なんだろう!?」
……違うよ、愛之介。俺は人間には、もう戻れない。俺は所詮、鬼に過ぎない。
何処かでは分かっていたんだ、きっと。
死肉を喰らって鬼へと堕ち、それでもなお人の心を持っている俺は、只の、化け物だ。結局、スズから力を奪って、病如きで死へと追いやったのは、俺なんだ。
愛之介の付き人を引き受けたのも、その自責故かも知れない。だからせめて、愛之介だけは、守りたいと思ったんだ。
俺は、どうなっても良いから。
「……帰ろう、ガオウさん」
愛之介は、俺が差し出した鈴と懐刀を受け取って、少しだけ怯えたような顔になった。俺は愛之介の前にしゃがむ。そして、愛之介を背負って歩き出した。
「……ガオウさん、人の言葉を失ったって……何?」
愛之介は俺の首に回している手を握る。
「ガオウさんが喋らないのは、まだ鬼だからなの?」
そうだよ。俺は人間じゃないから、人の言葉を持っていないんだ。
「……母上様が、好きじゃなかった?」
違う。
「俺も……大切じゃない?」
違う。
「鬼の心を持ったままなの?」
違う!
俺は、言葉を言えない自分が歯痒くなる。
好きだよ。お前だって、俺の命なんかよりずっと大切だ。だけど、だけど!
「じゃあ何で? 何で何も言ってくれないの? 俺、……ちょっとで良いから、ガオウさんの声聞きたい」
俺だって、本当は話をしたい。
「……ねぇ、もう、撫でるとか触るとかじゃなくて、言葉で慰めて欲しいんだよ……!」
愛之介は額を、俺の髪に押し付ける。
「……痛いよ……」
愛之介は泣き始めた。俺は俯いて、歩き続ける。
いっそのこと、全部話してしまおうか。そうすれば俺は楽になる。
愛之介。俺は、人間に戻ったら、死ぬんだよ。
人の身じゃ、何百年も永らえる事なんて、出来ないんだから。
愛之介が乗った馬を引きながら、俺はちらりと愛之介を見上げた。
戦が終わってまだ日が浅い。様々な―――体や心の―――傷の影響か、愛之介は高い熱を出して寝込んでいた。だが、負け戦でいつまでも、逃げずに無事ではいられない。
愛之介からは、強い死の臭いがする。併発した病で、愛之介は酷く衰弱していた。
「――――っ!」
俺は息を飲んだ。愛之介が、落馬してくる。俺は手を伸ばし、愛之介を受け止めた。
「愛之介っ!?」
父上殿が馬を止めて、此方を振り返る。その左右で、護衛に連れてこられた二人が、視線を交わすのが見えた。
不味い。父上殿からも、死の臭いがする。
「愛之介、大丈夫か!?」
愛之介は俺の腕の中で、荒い息を吐いていた。酷い熱だ。俺は水を愛之介の口に流し込んだ。
「ごめんなさい、ガオウさん、父上様……病気、治ってなかった、みたいです……」
何でお前が謝る。俺は愛之介を抱き寄せた。
そして、近付いてきた足音に振り返る。不味い。奴らの存在を失念していた。
「ガオウ?」
俺を見て、父上殿が怪訝そうな顔になる。振り返ってくれ、頼むから!
「御免!」
父上殿の首が飛んだ。体が跳ねるような動きをして倒れ、大量の血が噴き出す。俺は愛之介の目を覆った。
生暖かい血が頬を濡らす。
「……御館様、我々はまだ、永らえたいのです……ガオウ殿、愛之介殿、三人の首を差し出せば敵将に取り入るも容易……」
男が、僅かに震えながら言った。父上殿の生首は、俺の足元に転がっている。
「ガオウ殿、貴方の事は前々から存じ上げておりました。古の時代より生きる、人にも妖にもなりきれぬゆえに、言葉も死も持たぬ怪物だと……しかし、情に絆された貴方など、最早冷酷な鬼ではない……恐るるに足りぬ!」
俺は愛之介を抱えて立ち上がる。二人の血刀が、俺達に向いた。
裏切ったな。鬼は、貴様らだ。
俺は飛び上がり、片方の顔面を踏み付けた。そして体を捻って二人の顔を蹴り、地面に転がす。戦の経験が少ないのだろう、二人はあっさりと刀を取り落して転がった。
俺は馬に飛び乗り、愛之介を抱えて手綱を取る。愛之介は体を丸め、震えていた。俺は愛之介の頭を撫でる。
「ガオウさん……俺もう、死んじゃ駄目かな」
愛之介が呟いた。
「母上様を、流行病で失って、女であることを隠して生きて、男達に弄ばれて、病気になって、父上様も失った……俺、ガオウさんが居なかったら、もう死ぬよ……?」
俺は馬を止める。
愛之介の死の臭いは増していた。
嗚呼―――そうか。もう、助けられないのか。
俺は、あの場所に向かうことにした。
山の中腹の、小さな泉に辿り着き、俺は愛之介を寝かせる。
「……ガオウさん?」
俺は愛之介の髪を撫でた。
此処は、俺が人間だった時に、最後に綺麗だと思った場所だ。
「……嘘でも良い、死ぬ前に一回で良いから……俺が好きだって、言ってくれないかな、ガオウさん」
愛之介はそして、無理に微笑んでみせる。俺は血で汚れた顔を洗い、愛之介の横に座った。
何と言おうか。長らく使っていなかった舌は、言葉を紡ぐのには少々頼りない。
だが、もう、言いたいことは決まっていた。
ずっと、スズを愛しているのだと思っていた。事実愛していただろう。だが。
「……嘘は苦手だ」
愛之介が、驚いたような顔になった。
「スズには感謝している。だが俺が欲しいと思うのは、アイだよ」
俺は愛之介に口付けをした。
やっと、言えた。
「ガオウさん……」
愛之介が、嬉しそうに微笑む。
「俺は、アイ、お前が、好きだよ」
愛之介の体から力が抜ける。俺は、閉じた両目に手を翳した。
「お休み、アイ」
俺も、すぐに、行くから。
俺の髪が白くなり、体が急速に衰える。
遠くなる意識の中、俺は願った。
来世でも、その先でも良い。何処かで、また逢えないだろうか。
そうしたら今度こそ、ちゃんと、言いたいことを、全部言うから。
風で目を覚ました。俺は起き上がり、制服に付いた草を払う。
嗚呼、何だか随分と――――懐かしい夢を見た気がする。
「起きた? 優牙」
隣で本を読んでいるのは、幼馴染の愛奈だ。いつ来たんだ、お前は。
「帰ろうよ、そろそろ。もう二時間も此処に居るよ?」
愛奈の笑顔に、俺は目を細める。
「……なぁ愛奈、」
「うん?」
「生まれ変わりって、信じるか?」
立ち上がった愛奈が、きょとんとした顔になった。俺は、しまった、と口を覆う。
「……信じない訳じゃ無いよ」
愛奈は制服のスカートを掴み、草を払う。そして、立ち上がった俺を見上げて微笑んだ。
「でも、前世の記憶なんて、今の私には必要無いと思う」
「……そうか」
それで良い。俺は小さく笑った。
愛奈が鞄を持ち上げる。ちりん、と、鈴のキーホルダーが鳴った。
「……愛之介」
「ん?」
愛奈は俺を振り返って首を捻る。俺は首を横に振った。
「何でも無いよ。帰ろう」
「うん」
愛奈は先に立って歩き出す。俺は苦笑した。
「やっと、逢えたな」
お前が忘れていても、俺は、覚えているから。今はもう、それでいい。
鈴の音が聞こえる。俺は、愛奈の後を追って駆け出した。
(了)
一応ハッピーエンドにはなったのですが、若干のもやもやは残った気がします。この小説の主人公、ガオウは、pixivにある、妖怪と人間が共生している「白黒シリーズ」の主人公のモデルとなっています。少々切ない話でしたが、個人的にはかなり好きな短編になりました。




