1話 社畜とソシャゲ
まさかこの時は思ってもみなかったのだ。
このソシャゲのせいで、後に東京スカイツリーに衛星が降り注ぐことになるなんて――。
◇
ガタン……ガタン……。
日曜の昼下がり。
よれたスーツを着た俺は、吊革を掴むというよりは、もはや全身の体重を預けてぶら下がるようにして電車に揺られていた。
ふと向かいの座席へ目をやれば、お揃いの服を着た仲睦まじいカップルや、楽しそうにお喋りする家族連れが休日を謳歌している。今日何度目になるかも分からないため息が、自然と胸の奥から漏れ出た。
――一体、俺は何をやっているんだろうな。
今の会社に拾ってもらってから、はや十年。異世界から突然、帰還したという自分でも未だに訳の分からん状況の中、なんとか社会復帰を果たせたのは間違いなくこの会社のお陰だった。
だが、凄惨な過去を忘れたくてただひたすらに泥臭く働き続けた結果、気付けば婚期も逃し、しがない社畜として日々を消化するだけの男になっていた。
なんともやるせない気持ちのまま、俺はガラス窓の向こうを流れていく無機質な街並みをぼんやりと眺めていると静かな車内に、威勢のいいアニメ声が響き渡った。
<ジャキーン!! まおこれ!>
思わず顔を向けると、すぐ隣に立っていたジャージ姿の女子高生三人組が、あたふたと慌てふためいている。どうやら部活の帰りらしい。
「やば! 滅茶苦茶恥ずかしいんだけど!」
「ごめんて!」
「キーやん! 音! マナーにしてなかったの!?」
慌てる友達を囲み、きゃあきゃあと小さなパニックが起きている。
さっきの大音量はソシャゲの起動音か。俺のようなおじさんでも、テレビのCMで名前くらいは知っている。会社の後輩も昼休みに目を血走らせてポチポチ画面を叩いていたっけ。
「キーやんが超レアキャラ引いたって言うから、見せてもらおうと思って起動しただけなの!」
「そやねん」
「開き直んなよ……」
起動音より、彼女たちの賑やかな会話の方がよっぽど車内に響いている。ジロジロ見つめて不審者扱いされるのも嫌なので、俺はそっと視線を落とした。
それにしても、なんとも微笑ましい光景だ。
放課後の部活帰り、友達同士で他愛もない話に花を咲かせる……あんな輝かしい青春、俺の10代には爪の垢ほども存在しなかった。正直、羨ましすぎて眩しい。
あの年頃の俺と言えば、クソ固いパンと、塩の塊みたいな乾いた肉切れを報酬にゴブリンを追いまわしていたのだから。
……いかん、思い出したら目頭が熱くなってきた。
苦い過去に涙ぐみそうになっていると、再び隣から賑やかな歓声が上がった。
「おわっ! それ、ほんとにめちゃレアじゃん! グラかっこよ!」
「せやろ?」
「なにこれ、ステータス強すぎない? イラストめっちゃ尊いんだけど! 『嘆きの王 ヤァマ』だって! ちょっと待って、うーわ、限定URで排出率0.01%だって! 低すぎ!」
(……ん?)
『ヤァマ』という言葉に、長年馴染んだ自分のあだ名を呼ばれたのかと錯覚し、条件反射で顔を上げてしまった。女の子の一人が、鼻高々に友達の目と鼻の先にスマホ画面を突き出している。
その液晶画面の中に、威風堂々とポージングしていたのは
――禍々しい漆黒の鎧を全身に纏い、冷酷で凄まじい眼光の男が大剣と大盾を構えているイラストだった。
(……は?)
俺は思わず二度見した。いや、三度見した。
煌めく長髪、禍々しい刺のついた鎧のデザイン、独特の低い構え、そして何よりその手に握られている炎を纏った魔剣と呪われた盾――。
(いや……これ、十年前の俺の格好そのまんまじゃねえか!!!)
なんで!? なんで俺の黒歴史がソシャゲのガチャから出てきてんの!?偶然の一致? いやいや、この独特な魔剣のデザインが被るわけないだろ!誰だ! 誰がこんな酷いことを!?
あ、でも、実物より格好よく描いてくれたイラストレーターさん、ありがとうございます。
脳内が大パニックを起こし、穴が開くほど画面を凝視していると、ふと引きつった顔をした女子高生たちとバッチリ目が合ってしまった。
「なんか知らないおっさんがめっちゃ見てんだけど……」
「キモ」
「……次の駅で降りよ」
ゴミを見るような目で見つめられ、彼女たちは一言も会話を交わさなくなった。
そしてドアが開くや否や、逃げるように次の駅で降りていってしまった。
十年前の自分の黒歴史がソシャゲ化していた衝撃と、女子高生にストレートに「キモ」と拒絶されたダブルパンチに打ちのめされ、ふらふらと自動改札機に定期券ではなく社員証をのっけてゲートに弾かれたのだった。
◇
会社に戻った俺は、事務所の軋むオフィスチェアに深く体重を預けて、ただただ天井を見つめていた。
「おぷー」
自分でも引くくらい情けない声が漏れた。
「おつかれヤマちゃん、どないしたん? 魂抜けたみたいな顔しとるで?」
ガラガラと引き戸が開き、油と鉄の匂いを漂わせた男が入ってきた。
メカニックの三木谷――通称「ミッキー」だ。
汚れたツナギの袖を腰で固く縛り、片手には飲みかけの缶コーヒーを握っている。
だいたい俺と同じ時期に入社した同僚で、気心の知れた長い付き合いだ。
「……いろいろショッキングなことがあったのよ、ははっ」
俺が力なく笑うと、ミッキーは缶コーヒーを口に運ぶ手を止め、一瞬ギョッとしたように目を丸くした。
「……ほんまに何があったんかわからんけど、死んだらあかんで。せや、ヤマちゃん明日から年休消化やろ。俺も明日休みやし、久しぶりに飲みに行かへん?」
「いいね。今日は本気で飲みたい気分だ」
「よっしゃ! あ、せや。なんならハッシーも誘ってみよか」
「懲りないねぇ、ミッキー」
ミッキーはニカッと笑うと、事務所の最奥でカタカタと猛烈な速度でキーボードを叩いている女性へ声を張り上げた。
経理の橋本さんだ。
彼女も俺たちとほぼ同期入社で、仕事に対して一切の妥協を許さない超生真面目な性格である。事あるごとにミッキーが飲み会に誘うのだが、一度として成功した試しがない。いい加減学習しろよミッキー。
「ハッシー! 今日仕事上がりにヤマちゃんと飲みに行くんやけど、一緒にどない?」
橋本さんはタイピングの手をピタッと止め、定規で測ったかのような規律正しい角度でこちらを振り返った。
背筋をピンと伸ばした彼女は、雪のようにシミ一つない白い肌に、艶やかな黒髪を後ろで綺麗にまとめている。
俺たちと同期ということは彼女も三十歳に近いはずなのだが、どう見ても二十代前半にしか見えない。
だが、漂わせる空気感は完全にベテランお局のそれだ。入社してから彼女の容姿が変わったところを俺は一度も見たことがない。
(美容とスキンケアに全給料を投資してるのかな)
そんな年齢不詳の彼女は、銀縁メガネの奥から澄んだ瞳で俺たちを射抜き、冷徹な事務的トーンで口を開いた。
「三木谷さん。私はまだ今月分の経費精算のチェックが終わっていません。申し訳ありませんが、突発的な飲酒は翌日の業務パフォーマンス低下を招くため、お断りします」
「相変わらずの鉄壁のガードやなぁ。今回もダメかあ」
「山田さんも、三木谷さんにつられて羽目を外しすぎないように」
「あ、はい……気をつけます」
やっぱり年齢詐称だよなあ。
「しゃあない、今回はヤマちゃんと二人で行ってくるわ! ほな駅で待ち合わせしよか! 店は俺が決めとくさかい!」
ミッキーは満足そうに笑うと、再び工場へ戻っていった。
彼の後ろ姿を見送った後、俺はチャチャッと報告書を書き上げ、足早に社員寮へ向かった。
◇
築五十年の木造アパート、社員寮の六畳一間。
狭い玄関には脱ぎっぱなしのスニーカー。
そして、その奥の壁際に立てかけられているのは、我が家の物干し竿と化して久しい『炎の魔剣』だ。
かつて幾多の修羅場を共にくぐり抜け、神々すら斬り伏せた凄まじい相棒も、今や洗剤のシトラスの香りに包まれた、ほのかに温かいただの金属棒である。刀身にはさっき干したばかりのバスタオルがぶら下がっていた。
忌々しい過去を断ち切りたくて、何度かこの剣を海へ投げ捨てに行ったことがある。だが、どんなに遠くへ捨てても、翌朝目を覚ますと当然のようにこの部屋の隅へ戻っているのだ。
力を失い、泥のように働くしかない今の自分の情けない姿をこの剣に重ねてしまってからは、捨てるのも諦めて洗濯物を干すようになった。
「あ、そうだ。飲みに行く前にあのゲーム、ダウンロードだけでもしておくか」
よれたジャケットからスマホを取り出し、慣れない指さばきでストアを開く。セールスランキング1位に君臨していたため、探すまでもなかった。
数分後、画面上にアニメ調で描かれた可愛い蜘蛛のアイコンが生成された。
アプリ名は『魔王コレクター』――通称『まおこれ』。
試しに起動してみると、荘厳なBGMと共に世界観の説明テキストが流れてきた。簡単に言えば「自分だけの最強の魔王軍を作り上げ、多次元世界を征服しよう!」という内容らしい。
いや、物騒すぎるだろ。
企画した奴は何を食ったらそんな物騒な発想が出てくるんだ。
約束の時間が迫っていたため、俺はそれ以上追及するのをやめてアプリを閉じ、スマホをポケットに突っ込んで部屋を後にした。
◇
ミッキーと合流して向かったのは、赤提灯が揺れる昭和風のこぢんまりとした居酒屋だった。
注文方式がスマホのQRコード読み取りなのが今風だが、運ばれてきたキンキンに冷えたジョッキの生ビールを煽れば、大体のことは許せてしまう。
「ぷはー! くぅー、美味い! 仕事終わり、気ぃ使わんでええ同僚、冷えたビール! 何も文句あらへん!」
「本当に美味いね、ミッキー」
仕事の愚痴や、橋本さん若作りの秘訣とか他愛もない世間話で盛り上がった。
俺もミッキーも大分、酒が進んで酔いが回ってきた時
隣のテーブルに座る大学生グループの会話が耳に飛び込んできた。
「やっぱさー、異世界行ったら俺最強! とかで無双してハーレム作りたくね?」
「お前らなろうアニメの見すぎだって」
(異世界で無双、ね……。アニメか。そんな夢みたいなのが今流行ってるのか)
苦笑交じりに昔の過酷な生活を思い出しかけ、そろそろ〆の注文でも頼もうかと口を開きかけた――その瞬間。
ゾクッ――と、心臓を直接氷で撫で回されたかのような凄まじい寒気が背筋を駆け上がった。
パッ……と店内の照明が一斉に明滅し、暗くなる。
壁に掛けられた木札のメニューが、カタカタと激しく震え始めた。
周りの客たちが「え、地震?」「揺れてる?」とざわつき出し、困惑気味にあたりを見回している。
だが、スマホの緊急地震速報は鳴らない。
騒がしい喧噪の中、俺の視線は、目の前に座る男の姿に完全に釘付けになっていた。
うつむいて静かに盃を見つめているミッキーの輪郭が、まるで真夏の炎天下の陽炎のようにドロドロと歪んでいる。
(こいつ、本当に三木谷か……!?)
顔も、くたびれた私服も、間違いなくただの同僚のミッキーだ。
なのに、その身体から溢れ出している『存在感』が――ただそこに座っているだけで、周囲の現実の空間そのものを内側から押し潰そうとしている。
かつて異世界で対峙した、どの神や魔王よりも悍ましく、圧倒的な死の気配。
激しく鳴り響く鼓動を抑え込むように、俺は必死に胸元を押さえつけた。
「ん、どないしたん? 〆の話? 俺は梅茶漬けがええなぁ」
次の瞬間、ひょうきんな声と共にあの殺人的なプレッシャーが嘘のように霧散した。
そこには数秒前までの化け物めいた気配など微塵もない、いつもの気さくなミッキーが笑っていた。
「……三木谷、お前、大丈夫か?」
「あー、ちょっと飲みすぎてもうたかもなぁ。俺らももうすぐ三十やし、飲み方も考えんとなぁ……」
そう言ってジョッキを置いたミッキーは、下を向いたまま、ぽつりと小声で呟いた。
「……異世界で無双なんてなぁ。夢のままの方がええんや」
顔を上げたミッキーは、穏やかに笑っていた。
だが、その笑顔の奥にちらつく何かに押され、俺はそれ以上何も聞くことができなかった。
十年前にどこかへ置いてきたはずの得も言われぬ緊張感が、冷たい汗となって俺の背中を流れ落ちて行った。




