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祝祭の中で物語が幕を下ろす

 慌てて追いかけようとすると、ジーパンの尻ポケットでスマホが鳴った。

 放っておこうと思ったが、嫌な予感がして、画面を眺めてみた。


  「Web会議のご案内です」


 フィービーと、1000人のフォロワー様たちだ。

 知らん顔もできないので、できるだけ小走りに紫衣里を追いながら入室した。

 真っ先に顔を出したのは、もちろんフィービーだ。

 いつものとおり、紫衣里の目撃情報を上げてくる。


   「Hi! Someone spotted Haseo’s Pretty Girl! Uh… the location is…」

   (ハセオのPretty Girl見たって情報よ! ええと、場所は……)


 そこで、参加者のひとりが大映しになる。

 日本人だった。


   「ええと、さっき岐阜の田舎のモールで見かけて……」

 

 添付ファイルでアップロードされた写真には、フードコートのテーブルで、身体を揺すって大笑いする僕と紫衣里の姿があった。

 

 ……撮るな勝手に! 肖像権の侵害だぞ!


 つい罵りたくなったが、今はそんな場合じゃない。

 とりあえず、状況だけは伝えておくことにした。

「僕だよそれ!」

 コメント欄が一気にスクロールするが、いちいち読んでいられない。

 手っ取り早く、結論だけ述べた。

「さっきまでここにいた」

 フィービーは俄然、色めきたつ。


   「Don’t let her get away!(逃がしちゃダメよ!)」


 言われるまでもない。

 ゆっくり動くエスカレーターではなく、自分の足でいくらでも速さが調整できる階段を使って駆け下りた。

 こうなると、さらに返事が難しくなる。

 だが、この判断は正しかった。

 階を下りると、客も少し減ってきた、モールの広い廊下を駆けていく紫衣里の後ろ姿が見えた。

 ひとことだけ、スマホに向かって報告する。

「追跡中」

 まるで、SPか何かになったかのようだった。

 そんな慣れないことをしたせいで、息が切れそうになってきた。

 しかも、紫衣里が平気でかわした客の群れは、僕にとっては邪魔で仕方がない。

 小さい子供を連れた家族連れなどにぶつかりそうになると、母親、父親、少なくともそのどちらかが僕を睨みつける。

 

 ……当然だ。


 いかに小走りとはいえ、モールの廊下は人が走るところではない。

 子供でも分かることだ。

 それなのに、紫衣里が駆ける姿には違和感もなければ、危険さもない。

 まるで、無人の草原を駆けているかのような、そうでなければ、他の客と同じように悠然と歩いているような錯覚さえ感じさせるのだった。

 

 ……追いつけない。


 このまま見失うのではないかと思ったときだった。

 紫衣里の向かう先の廊下に、見覚えがあるのが分かった。

 

 ……フェニックスゲート?


 怪しむこともなかった。

 僕が紫衣里の前で最後に口にしたのは、「ゲーセン」だったからだ。

 それは、佐藤の話をどこで聞いたのか問いただされたときだった。

 フェニックスゲートへ向かうと考えるのが自然だろう。 

 案の定、紫衣里は入口の自動ドアから中へと駆け込んだ。

 僕はスマホを取り出すと、任務中のSPのように報告した。

「発見。会議抜けます」

  フィービーも、スパイ映画かなんかのボスよろしく、ふんぞり返って答えた。

  

  「I’m waiting for good news.(いい報告を待ってるわ)


 バイト先に入ると、真っ先に目に入ったのは、カウンター越しに店長と押し問答をしている紫衣里だった。

「だから、監視カメラ見せてくれるだけでいいんです!」

 その澄んだ声には、相手に嫌と言わせないだけの、いつにない威圧感があった。

「佐藤さんの声が聞こえるところだけでも」

 他の客たちの中にも、紫衣里に気づいて遠巻きに眺めはじめた者がいる。

 紫衣里を、あまり晒しものにしたくはなかった。

 店長はというと、やんわりと、しかしおろおろした様子で、紫衣里の剣幕を抑えかねていた。

 その物言いにも、説得力が欠けていた。

「いや、いくら長谷尾君の彼女でもねえ」

 紫衣里は、敢えて反論しなかった。


 ……それは、つきあってるって意味に取っていいのか?

 

 そんなことを考えている暇はなかった。

 遅くなりました、と手を伸ばして、店長との間を遮る。

 さらに、紫衣里には押しのけんばかりに身体を寄せると、目をしばたたいている店長に畳みかけた。

「じゃあ、僕ならいいんですよね?」

 ええ、まあ、と曖昧に答えて、店長はカウンター脇のモニターを操作してくれた。

 僕は紫衣里に頼んだ。

「音、よく聞いてて」

 僕も、佐藤が来店していたときの時間帯に合わせて、画面を切り替える。

 耳を澄まし、目を凝らして、監視カメラの画面をよく見ていく。

 やがて、店内の四方と出入口付近に仕掛けられた監視カメラを確認すると、突然、佐藤の声が聞こえた。

 店を出ていくときの声だ。

「英輔!」

 振り向いた僕の目の前に突きつけられたのは、カウンターに置いてあるメモ帳だった。

 必要なときは、誰でも破って使ってよいことになっている。

 そこに紫衣里が書きつけていたのは、佐藤が最後に口にした言葉の書き取りと、その訳だった。


 Je suis las de porter en moi-même un rival!


 その訳は、フランス語と思しき文に続けて、佐藤が発したときと同じくらいの悲痛さで読み上げられた。

「心の中に、恋敵を背負って歩くなんて……!」

 僕にも、読んだ覚えのある言葉だった。

「シラノ・ド・ベルジュラック……クリスチャン・ド・ヌーヴィレットのセリフだ……」

 確か、第4幕9場。

 アラス野の要塞で、シラノにロクサアヌへの恋を告げさせようと図るクリスチャンが漏らす、失恋の苦しみだ。

 そこで店長は、背中を向けたまま、肘から先を挙げた。

「じゃあ、それでいいね」

 給湯室へと消えていく背中を見ながら、僕は、はたと思い当たった。

 なぜ、佐藤は修学旅行向けの奨学金を退職金代わりにしたのか。

 

 ……すべては、紫衣里のためだった。


 そう考えれば、説明がつく。

 いや、それだけではない。

 佐藤が考えていたことが、僕には手に取るように分かった。

 アルファレイドに紫衣里をはじめとした、スプーンの守り手となる女の子たちを諦めさせる方法はひとつしかない。

 もう、打つ手がないと悟らせることだ。

 そのためには、全ての手段を尽くさせなければならない。

 佐藤は、その先頭に立ったのだ。

 

 ……僕のスタイルと同じだ。


 相手に全力を出させたうえで、勝つ。

 僕と紫衣里を追い詰めるのは、やむを得ないことだったのだろう。

 そう思ったとき、つい、口から自嘲めいたつぶやきが漏れた。

「シラノは、僕じゃなかったってことか」

 口下手なクリスチャンの身代わりになって、ロクサアヌに愛の言葉を綴ったシラノ。

 それはさしずめ、紫衣里のために戦う僕のお膳立てをした佐藤の役どころということになるだろう。

 紫衣里も、それは分かっていたはずだ。

 そうでなければ、佐藤の決断を聞いて、あんなにうろたえはしない。

 だが、紫衣里は僕の肩に頭を持たせかけて囁いた。

「違うわ。私のシラノは、英輔」

 その僕も、もうすぐ、紫衣里に忘れられてしまうことだろう。

 再び会ったときは、覚えていない。


 ……そのときは。


 僕も、一つの決断をしなければならなかった。

 紫衣里の身体を抱いて、カウンターの上にスマホを立てる。

 再び、フィービーのWeb会議に入った。

「どうぞ、紫衣里」

 画面には、フィービーの顔が映っている。

 甲高い声が、1カ月半の間探し求めた聖像を歓迎する。


 「Long time no see, Shieri!(久しぶり、シエリ!)」

 

 世界的インフルエンサーが本人と認めた少女に、参加者1000人が熱狂する。

  

 「You’ve gotta be kidding me… SHE showed up!?」(冗談だろ……“彼女”が来たってのか!?)

 「Impossible… je rêve ou quoi !?」 (ありえない…夢でも見てるのか!?)

 「¡Madre mía, apareció de verdad!」(なんてこった、本当に現れた!)

 「真的假的…她跑出來了?!」 (マジかよ…出てきたの?!)

 「Nein… das kann nicht wahr sein!」(いや…これは現実じゃないだろ!)


 コメント欄がメッセージで超高速スクロールして、とても読めたものではない。

 やがて、フィービーが別のメッセージを転送してきた。

 エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世からだった。

 たったひと言というのが、実にプリンスらしい。

 

 「Foxhuntは終わったようだな」


 それを読んだ紫衣里がむくれた。

 僕の顔を見上げて、口を尖らせてみせる。

「ひどい、女狐だなんて」


 さらに、1000人を熱狂させたのは、フォーコンプレが送ってきたデジタルアートだ。

 題は、« Les noces de la jeune chimérique, bénies par les esprits du ciel et de la terre »

 紫衣里が、即座に日本語訳した。

「あ……照れくさいな。『幻想の少女との結婚が天地の精霊の祝福を受ける』だって」

 

 ゆったりとした黒一色の衣をまとった少年が、淡い色のドレスをまとった少女と手を取り合っている。

 少女がこの世のものでないことは、その聖なる後光で分かる。

 二人の頭上には威厳のある大天使が結婚を祝福し、可憐な若い天使が少年の頭に月桂樹の冠をかぶせようとしている。

 地上では、老いた大地の精が、それに仕える若い精霊と共に、この聖なる婚礼にひざまずいている。

  

 僕と紫衣里はしばらくの間、肩を寄せ合って、この荘厳な宗教画に見入っていた。

 胸がじんと熱くなる。

 紫衣里の胸も、かすかに震えていた。

 これから何が起ころうと、もう、怖くはなかった。

 

 いつしか、Web会議に集まった1000人の興奮と熱狂も、次第に収まっていった。

 やがて、スマホの画面上のフィービーの顔が大映しになる。


 「So, Haseo… you’re sure about this.」(じゃあ、ハセオ……いいのね)


 何が言いたいのかは、これだけでよく分かった。

 僕の心の中には、感謝しかない。

 軌道エレベーターの基盤部に駆けつけてくれたことも、エキシビジョンマッチの後に足を挫きながら紫衣里を探す僕を担いで運んでくれたことも。

 夏が終わってから今まで、世界中の仲間が紫衣里を探してくれたことも。

 静かに、ゆっくりと頷いてみせた。

「あとは……僕が」

 その後は、言葉にならない。

 代わりにフィービーが、泣き笑いで宣言した。


  「As of this moment… Haseo and the Pretty Girl Crusaders are officially disbanded!」

  (現時点を以て……ハセオとプリティガール十字軍クルセイダーズ、解散!)


 最後の最後で、「え?」と思った。


 ……ていうか、まだ続いてたのか、アレ!


 唖然としている間に、1000人分の歓声がどっと上がる。

 それは「フェニックスゲート」の店内までも揺るがせるほどだった。

 客の何人かが僕たちのほうを見たが、すぐ、自分たちのゲームに集中した。

 店長も給湯室から顔を出したが、すぐに引っ込めた。

 スマホの画面には、「会議室を閉じます」のメッセージが浮かんでいるだけだ。

 ゲーセンの電子音の中、残されたのは、僕と紫衣里だけだった。

 寄せ合っているからだが、熱かった。

 だが、いつまでもこうしてはいられない。

 紫衣里を見つめると、済んだ瞳が見つめ返してきた。

 必ずやってくる瞬間は、もう、怖くない。

 その時は、初めて会う男女に過ぎないのだ。

 だったら。


 ……もう一度、選んでもらえばいい。


 そう心に決めたとき、紫衣里が僕の手に握らせたものがあった。

 腕をほどいて掌を開いてみると、さっき書いた、フランス語と日本語訳のメモだった。


 Je suis las de porter en moi-même un rival!

 心の中に、恋敵を背負って歩くなんて……!


 それは、シラノが背負ったクリスチャンの言葉だ。

 目を閉じて、その意味を噛みしめる。


 ……これが、男の心意気だ。


 そう思い定めて、目を見開く。

 紫衣里が、ここで初めて会ったときのように、じっと僕を見つめていた。

 済んだ瞳でまっすぐに。

 

 そこで、スマホのチャットアプリが高らかに鐘を鳴らした。

 何が起こったか察しはついている。

 どうしようかと一瞬だけ考えたところで、紫衣里は「どうぞ」という顔で目を見開いてみせる。

 チャットアプリを開いてみると、しびれを切らした板野さんが返事を催促していた。


 「答えてくれないと、勝手にでっかいシーサー買ってきて困らせちゃいますからね!」


 確かに、あの四畳半にそんなものは置けない。

 いや、それ以前の問題だった。

 慌ててスマホを隠すと、紫衣里は悪戯っぽく、僕を横目で見る。

「……あなた次第だから、ね?」

 どこかで聞いた気がする。

 返事に困り果てていると、さらに懐かしい言葉が耳をくすぐった。

「どう? ここで一勝負」

 その口元から笑みがこぼれるのを見て、僕も苦笑した。


 ……いいかもしれない。

 ……どうせ、完敗だろうけど。


(完)

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