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歌う仮面の女王

 会場のあちこちで、色とりどりのムービングライトが光を放った。

 その光線のひとつひとつをたどるように、板野さんが立ち尽くす対戦者席は、クレーンに乗って客席の上をゆっくりと巡りはじめた。

 会場中を囲むように据え付けられているアンプから、うねる波が寄せては返すように、静かな音楽が流れ始める。

 それが急にポップス調の軽く明るいメロディーに変わったかと思うと、停止した対戦者席でうつむく板野さんの立ち姿をピンスポが照らし出す。

 突然、明るい笑顔を上げたところでまばゆく閃いたのは、さっきのクリームヒルトの衣装だった。

 微妙に違うのは、黒と赤を基調としたドレスがぴったりとついた胸元から上に、つややかな肌が露出していることだ。

 銀の肩当ても重厚なガントレットも、左腕に装着されている。

 つまり、右肩は素肌のまま露出しているということだ。

 その先で逆手に握られているのは大剣の柄だが、板野さんはその石突のあたりを口元に当てる。

 マイクになっているらしい。

 早い話が、これはコスプレアイドルの歌謡ステージ衣装だった。


 ……何なんだ、これは?

 

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 改めて紫衣里の様子を眼下に眺めると、やはり口をぽかんと開けている。

 後にも先にも、こんな顔は見たことがなかった。

 やがて、板野さんは張りのある、かわいらしい声で歌いはじめた。


  ほんとはね 胸がぎゅっと痛むの

  ステージの光は まだまぶしすぎるけど

  「大丈夫」って言えば みんな喜ぶから

  まだぎこちないけど また笑顔をつくるの



  夢なんて 持ったことなかった

  でも誰かの役に立てるなら

  それだけで 歩ける気がした

  たとえ足が震えても


  きみのための笑顔なら 私はいくらでも咲けるよ

  涙の跡を隠して 強がりのまま歌うよ

  ほんとはね 怖いけど ひとりじゃないって信じたい

  だからどうか見ていてね

  この声が届くように


 頭上から降り注ぐ無数のライトが会場を照らし出すと、鉢巻しめた、あのオタクたちが一斉に立ち上がった。


「タイ! ファイ!」

「サイ! ファイ! 」

「ダイバー! バイバー!」

「ジャー! ジャー!」

「ヒルティーーー!!」


 工事現場の光るアレみたいなものを振り回して踊りだす。

 

 ……オタ芸、ってやつか?


 佐藤の返事を待たずに、ステージ衣装の板野さんを乗せて、対戦者席はクレーンの動きに従って、観客の頭上を飛び回る。

 その姿は、ムービングライトに照らされて、ドレスとプロテクター、そして大剣よりもきらめいて見えた。

 何が何だか分からないでいると、対戦者席のシートから佐藤の喚く声がした。

「長谷尾さん! なんかおかしいと思ったら……ちゃんとインカムつけてください!」

 シートをあちこち探ってみると、ヘッドレストの後ろにかかっていた。

「すみません、気づかなくて……」

 ステージから見えもしない頭を掻いてみせると、カスタマーサポートのように無機質で丁寧な佐藤の声が応じた。

「いえいえ、説明が足りなくて……私とのやりとりは、今後、こちらでお願いします」

 早速、僕はクレームを入れた。

「何なんですか、アレは!」

 歌はまだまだ続く。



  鏡の中 知らない私がいて

  「かわいいよ」なんて言われても 返事できない

  でもね 家に帰れば 笑ってくれる人がいるから

  それだけで 明日も頑張れる気がしたの


  本当は 逃げたかった夜も

  「大丈夫」って言えば楽になる

  そんなふうに 自分をごまかして

  ここまで来たんだよ


  きみのための笑顔なら 私はいくらでも咲けるよ

  苦しい胸の奥まで 光が届くように

  ほんとはね 泣きたいけど 泣いたら迷惑かけちゃうから

  だからどうか気づいてね

  この声が震えてること


 歌の合間を縫って、佐藤が答える。

「雇いました」

「入院したって……」

 確か、ワールドタイトルマッチの当日だ。

 板野さんの無事と、修学旅行に行けるかどうかが気になって仕方がなかった。

 それでも、フィービーやフォーコンプレ、プリンスを破って優勝できたなんて信じられない。

 いろんな記憶や思いが駆け巡る頭の中を、佐藤は一言で真っ白にしてくれた。

「嘘です」

「何で!」

 つい食ってかかってしまったが、考えてみれば、何のためか見当がつく。

 時間稼ぎだ。

 板野さんを、こんなふうにするまでの……。

 オタ芸は、次のステージに突入する。


「ヒッ・ルッ・ティッ! ヒッ・ルッ・ティッ!」

「かわいいよー!」

「ヒルティ! ヒルティ!」


 僕の怒りは、別の方向へ向かった。

 それが身体の中で爆発して、言葉を四散させる。

「何したんだ! 板野さんに!」

 母親と二人暮らし。

 修学旅行中のいじめが原因で、中学校時代を台無しにされた。

 高校は私学に通って、せめて修学旅行だけでも学校生活をやり直そうとしている。

 そのために、親にも内緒でゲーセンのアルバイトをして……。

 一緒に過ごした時間の中で見せた、笑顔や涙が頭の中を駆け巡る。

 それも、佐藤はあの慇懃無礼な物言いで踏みにじった。

「見たらわかるでしょう?」

 充分だ。

 あんな格好ができる子じゃない。

 ゲーセンで僕に挑戦したときの顔つきを思い出すと、胸が痛い。

 バイトのシフトはお互い死活問題だったが、それ以上の何かがあったようには思う。

 それでも、人前で僕と対決するのは、並大抵でない勇気が必要だっただろう。

 さらに、もう一つ、大きな問題がある。

「バイト禁止だぞ! こんなの配信されたら……板野さんは」

 もともと、試合はWeb配信だということは周知されていた。

 そのうえ、フィービーとフォロワーが押しかけで世界配信している。

 「OMG!! Hilty is SO CUTE!! Look at her!! Chat, are you SEEING THIS!?」

(やばい、これ世界レベルでバズるやつ! みんな、これ見えてる!? やばくない!?)

 事情を知らないフィービーは責められない。

 フォロワーに落ち着けというのも、すでに無理だ。

「This is insane!! I’m crying…… she’s so cute……」

(マジで何が起きてんの!? 泣きそう……かわいすぎ……)

 コメント欄のスクロールも止まらない。

「HILTY SUPREMACY!!!」(ヒルティかわいすぎ!!)

「Who is she?? New idol??」(誰? アイドル誕生?)

「Bro this is NOT a game event anymore lol」(おいこれゲームイベントだろビックリ)

 タイトルマッチの休憩時間でフィービーが勝手に撮って流したツーショット写真とはわけが違う。

 学校の許可もなく、こんなことをやって金を貰えば、校則に厳しい私学で退学になるのは間違いない。

 だが、そこはあっさりとかわされた。 

「いえ、スカウトですから」

 ものは言いようだ。

 非正規のバイトはダメだが、正規のプロ契約なら問題ないという詭弁で押し切ったのだろう。

 それでも、こういっては何だが、僕でさえもエキシビジョンマッチで勝つことが条件なのだ。

 確かに、板野さんに一本取られたのには驚かされたが、まだまだ僕の敵ではない。

「ゲーマーとしては……」

「誰がそんなこと言いました?」

 佐藤は、いかにも怪訝そうに答える。

 板野さんにこんなコスプレまでさせて、何のつもりだろうか。

「だってこのイベントは……」

 〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のプロモーション企画だったはずだ。

 だからこそ、フィービーとフォロワーの無茶苦茶な割り込みも、自腹で世界配信してもらうということで通る。

 わざわざ、僕の咬ませ犬にしようというのだろうか?

 そのためにこんな真似をさせたのなら、板野さんへのとんでもない侮辱だ。

 怒りが大きすぎて、脳の要領をオーバーしている。

 とても言葉にできない。

 代わりに、佐藤がさらりと答えてくれた。

「ゲーマー系アイドル、板野星美のデビューも兼ねています」

 なんでもありの時代とはいえ、限度というものがある。

 オタ芸も、さらにヒートアップした。


「がんばれー!」

「ヒルティー!」

「好きだー!」

「ヒルティしか勝たん!」



 呆れかえって気が抜けたところで、やっとこれだけ口にすることができた。

「ヒルティって言ってるぞ」

「芸名はヒルダですから……アルファベットでH・I・L・D・E。クリームヒルトのスペルが……」

 KRIEMHILDで、その愛称らしい。


 ……そんなことはどうでもいい!


 僕はインカムを頭から外して、マイクに噛みつくように追及した。

「……プリンスは知ってんのか、コレ」

「もちろん」

 佐藤はこともなげに答える。

 特に言うことはなかった。

 ユーラシア大陸とドーバー海峡の向こうの、車椅子の貴公子。

 エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世

 畏敬すべき、「レイアーティーズ」の使い手。

 それが、どこかの田舎の豪邸の書斎か何かで、板野さんのあられもない姿に見入っている。


 ……イメージが。


 かけがえのない好敵手をちょっとだけ軽蔑したら、なんだか少し気が楽になった。

 板野さん(アイドル歌手HILDEというべきか?)の歌は、山場に入る。


  もしも願いがひとつだけ叶うなら

  ほんとの私を見つけてほしい

  誰かのためじゃなく

  私のために歌える日が来るように


 確かに、前かがみにきゅっと身体を捻ってウインクしてみせるなんて、板野さんらしくない。

 クレーンがオタクたちの頭上を通ると、あの工事現場のアレみたいなの(佐藤はサイリウムとか言った)は、揃って拝むように倒れる。


「ヒルティ~!!」

 

 佐藤に聞くことは、あとひとつふたつしかない。

「よく納得しましたね……母親が」

「アルバイトじゃない、芸能活動の正式な契約ですからね。驚くやら喜ぶやら」

「で、修学旅行費も」

「まあ、契約料代わりということで」

 ちょっと苦しい言い訳にも聞こえたが、そこまで手回しが行き届いているなら、赤の他人は何も言えない。

 だが、どうしても納得できないことがあった。

 板野さんの歌は、クライマックスに入る。



  きみのための笑顔から いつか自分の笑顔になれるよう

  震える声のままで 未来を呼び寄せるよ

  ほんとはね 弱いけれど 弱いままでも愛してほしい

  だからどうかそばにいて

  この歌が終わるまで


 高く伸びた声が、熱唱を締めくくる。

 心底、僕は感動していた。

「上手くなりましたね……たった1週間やそこらで」

 そりゃあ、と佐藤は当然のように答える。

「主演の急病なんかで芝居の代役に入るプロは、3時間半のミュージカルのセリフと歌とダンスを、3日で覚えます。1週間あれば……」

 フェードアウトしていくメロディーと共に、オタクどもが、地下アイドルのコンサート会場と化した軌道エレベーター基盤部の床を揺るがす。


「せーのっ! ヒルティジャンプ!!」


 佐藤は、こんな組織まで作り上げていたらしい。

 だが、熱くなっていた身体が、さっと冷えていったのは、そのせいではない。

 紫衣里もまた、佐藤が控えているらしい舞台袖をじっと見つめていた。

 僕はできる限り、声を抑えて尋ねる。

「ゲームも?」

 歌とフリのレッスンに加えて、あの超絶テクニックを身に付けるには、入院くらいの偽装をしなければならないのもうなずける話だった。

 僕に己を失わせたことは、他にある。

 ええ、という相槌の後で、とんでもない一言が返ってきたのだ。

「そこまで近づいたんです。紫衣里さんの銀のスプーンに」

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