復讐の女王の正体
それを遮ったのは、佐藤の声だ。
「1分経過」
仕方がない。
僕が頷くと、紫衣里は手を離した。
まっすぐな目で見上げる顔が、遠ざかっていく。
クレーンがさっきとは逆の軌道を通って、元の位置へと戻っていく。
僕は再び、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉エキシビジョンマッチの画面を眺めた。
ステージに上がった佐藤が、プロレスかプロボクシングの試合でも始めるかのような口調でコールした。
「では、改めて……本日のメインイベント」
……本当に勝てるのか?
ある程度の見通しがなければ、この勝負は本当にアルファレイドのシナリオ通りに進行する。
今日のゲームだけではない。
その後に現実が続く限り、ずっとだ。
……ここで勝たなければ、未来はない!
弾む息をこらえながら、できる限り重々しい口調で告げた。
「対戦相手の紹介が……まだです」
あの慇懃無礼な口調は、いつもよりちょっと駆け足気味だった。
「今日のメインゲストは、長谷尾さんおひとりで」
……それはどうも。
腹の内の皮肉を見せるわけにはいかない。
佐藤が息を継ぐ間を縫うようにして、思い切って畳みかける。
「相当のプレイヤーですよね?」
さっきまでのテクニックを見れば、素人でも分かることだ。
それほど返事に困ることでもないのに、一瞬、答えに詰まった感があった。
当たり障りのない答えが、白々しく返ってくる。
「まあ、うちの職員ですから」
実をいうと、正社員でもバイトでも、どっちでもいい。
僕のほうも、ちょっと白々しいかとは思いながら、できるだけ熱っぽく語りかけた。
「ぜひ、紹介してください」
別に、知りたくもない。
いやいや、と佐藤は顔の前で手を振った。
だが、その言葉は、向こうの対戦席からの冷ややかな一言で遮られた。
「ここは見せないと、まずいんじゃないですか?」
……まさか。
この声は、確かに聞いたことがある。
今は冷ややかだか、この張り詰めた感じは、何かつらいことをいつも我慢している人のものだ。
僕はインカムのマイクに口を寄せる。
「名乗っていただけませんか?」
「いいんですか?」
対戦相手は、ためらいがちに尋ねた。
もちろん、相手は、佐藤やアルファレイドだ。
……無視すればいい、そんなもの。
つい、声を荒らげてしまった。
「僕が聞いてるんです」
「長谷尾さんには聞いていません」
突き放す声の響きに、確信したことがあった。
今度は僕が佐藤に尋ねる。
「いいですよね?」
質問ではない。
確認だ。
それが佐藤にも通じたのか、しばしのためらいの後、精いっぱいの無難な答えが返ってきた。
「……私一人の判断ではいかんとも」
だが、クリームヒルトのプレイヤーは、そんなことはもう、聞いていなかった。
あの日、僕に勝負を挑んだ声で言い切る。
「ハンデは嫌なんです」
それは、佐藤に対するものか、僕に対するものかは分からない。
だが、続く言葉は間違いなく、僕へのものだった。
「あたしだって、ずっと見てました……長谷尾さんのこと」
あの日の対戦の記憶が、僕の頭の中で鮮明に蘇った。
僕の操るシラノを丸裸にした、長靴をはいた猫。
目に涙をいっぱい浮かべた、あの挑戦。
……板野星美さん。
でも、どうしても分からない。
……じゃあ、なんで、ここに?
その疑問は、ようやく落ち着いた佐藤の事務連絡で遮られた。
「オーナーのOK出ました」
プリンスのことだ。
なぜ、と思ったが、そういえばプリンスは、この軌道エレベーターの権利を今日のイベントごと買い取っていたのだった。
何億、いや何兆何京という規模の金額を左右できる立場だ。
……それで、ゲーセンのバイト娘ひとりの名前を明かすか明かさないかを判断させられるとは。
いい迷惑だっただろう、と思ったときだった。
板野さんが、対戦席のシートから立ち上がった。
頭から羽織った紺のパーカーは、脚まで隠れるくらい裾が長い。
それが、小柄な身体の背中をするりと滑って、シートの背もたれに落ちた。
初めて見る、遠目にも白い肌が露わになる。
僕は、思わず息を呑んだ。
……あれは!
眼下の紫衣里が気になって見下ろすと、身じろぎもせずに板野さんの姿を眺めている。




