前哨戦
巨大なスクリーンを背景にした、広い舞台。
その両脇に高々と掲げられているのは、筐体を抱えた対戦者席だ。
あれに座らされるのかと思うと、対戦相手もかわいそうになった。
それとも、あの椅子はダミーだろうか?
そうだったら余計に、冗談の一つも言わないと、やっていられない。
「ゲームイベントっていうより……クイズ番組の解答者席だな」
ぼやいてみせると、紫衣里もちょっと調子づいた。
「第1問! ……長谷尾英輔が初めて長月紫衣里に会ったのはどこですか?」
「岐阜県本巣市のフェニックスゲート」
「第2問! ……長谷尾英輔が長月紫衣里に初めて買ったものは何ですか?」
「バクダンおにぎり」
「第3問 ……この勝負に勝ったら、長谷尾英輔はどうしますか?」
答えに、一瞬だけ詰まった。
佐藤が、それとなく、こっちを見ている。
僕は咳払いして、答えを準備する。
もちろん……。
アルファレイドとゲーマーのプロ契約、と言おうとしたところで、フィービーがスマホ片手に割って入った。
佐藤は横目で僕たちを眺める。
「いい雰囲気のところごめんなさい……それ以上のバカップルぶりは、世界中に配信されます、とのことです」
そう言われるまで気づかなかったが、そのフォロワーたちの視線は、主に僕の背中に突き刺さっている。
僕たちに好意的なのは、フィービーだけのようだった。
皮肉なことに、僕たちを救ったのは、会場奥の対戦者席と同じくらいの高さの席で待っている、身なりのいい、偉そうな人たちだった。
そのひとりの声が、会場中を囲むように配置されたアンプで増幅されて響き渡る。
「客人を案内したまえ、佐藤一郎君……いささか多すぎるようだが」
カメラやスマホを構えたフィービーとフォロワーたちの失笑の中、佐藤は眉一つ動かさずに僕たちの前に立つ。
「みなさんは……そちらに」
支持された会場中央あたりには、あのオタクっぽい人たちも待機していた。
紫衣里に、こそっと聞いてみる。
「何? アレ」
不機嫌そうな声が返ってきた。
「何でも知ってるわけじゃないから、私も」
紫衣里は最前列に案内される。
ワールドタイトルマッチのときは、僕の戦いを見るために、自分から選んだ席だった。
かといって、アルファレイドもVIP待遇をしようというのではないだろう。
僕は佐藤の顔を横目で見ながら言った。
「いちばん監視しやすい場所だからですね?」
返事はなかった。ただ、このひとことがあったばかりだ。
「どうぞ、あちらへ」
手で示されなくても分かる。
紫衣里の頭上にある、対戦者席だ。
「……どうやって?」
あんなに高いところには、座りようがない。
階段も梯子もないのだ。
佐藤はスマホを取り出すなり、こう言った。
「こうするんです」
平たい表面を撫でる。
それだけで、映画の撮影現場で監督が使うカメラクレーンのように、筐体を乗せた椅子が降りてくる。
これに座って対戦するのかと思うと、全身に寒いものが走った。
「本当に、これで?」
佐藤は、大真面目に答える。
「これで」
今度は、頬に熱いものがたまった。
羞恥プレイ以外の、何者でもない。
文句も出ようというものだ。
「誰ですか……? こんな演出を考えたのは」
佐藤は深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。統括は、現在のところ私です」
あながち自分だけの発案ではないと言いたいのだろうが、センスがない上にクレイジーすぎる。
こういうときの逃げ口上は、ひとつしかない。
「あの、トイレ行きたいときは」
非常な答えが返ってきた。
「今、行っておくか、試合中は我慢するかのどっちかです。因みに、失禁とタイムは失格です」
「今、行ってきます」
即答だった。
紫衣里が聞いていないかどうか気になったが、振り向いて様子をうかがうと、知らん顔をしていた。
小声で佐藤にトイレの場所を聞いて、その場を離れる。
アルファレイドの管理下にあるイベントだったら、一時たりとも紫衣里を置いていくことはできなかっただろう。
今は、フィービーとフォロワーが見張っていてくれる。
軌道エレベーターを買い取ってくれたプリンスを、ひざまずいて拝みたい気分だった。
さて、トイレで小さいほうの用を足したところで、誰かがやってくる足音が聞こえた。
そこで、ふと思い出したことがある。
昭和の説教強盗は、警察の大きいほうで情報収集をしたという。
僕もその例に倣うことにした。
ばたんと戸を閉じて便器に座ると、アルファレイドの現場スタッフと思しき人たちの会話が聞こえてきた。
「AIじゃないらしいな、対戦相手」
僕の読みは外れたらしい。
あんな席で戦わされるなんて、お互い、たいへんだ。
どんな相手だろうか。
……プリンス?
いや、再戦は、彼の性分からしてもあり得ないだろう。
勝負のついた戦いにこだわったりはするまい。
「急に雇ったらしいぞ」
大きいほうに隠れている僕の心を読み取ったかのように、答えが返ってきた。
すると1週間かそこらで、僕と互角の対戦者を探してこなければならない。
あらかじめ、プロゲーマーでも雇っていたのだろうか。
「大丈夫か、あんなので」
すると、プロでもないことになる。
もしかすると、タイトルマッチの後で、大急ぎで探したのだろうか。
大したことのない相手だったら、勝ち負けにそれほど悩むこともなかった。
むしろ、その後に来る「籠の鳥」の状態で、紫衣里をアルファレイドからどうやって守るか。
そっちのほうが問題だった。
だが、アルファレイドにはアルファレイドの事情がある。
「綱渡りだな、あの佐藤というのも」
考えれてみれば、そうだった。
上からも、僕を含めて下からも、あれやこれやと無理難題を押し付けられて東奔西走、四苦八苦しているのだから。
嵐の日に、格安な優良物件のチラシなどを大急ぎで作ってアパートに全戸配布してもらったのが、申し訳なくなる。
ましてや、僕ひとりの勝利で、ゲームとは何の関係もない人々の修学旅行費を肩代わりしてもらうなど……。
これで報われなければ、佐藤にとっての人生とは何なのかということになる。
「いや、これが成功したら、一気にニューヨークの本社幹部だ」
そこまで到達しなければ、はた目に割が合わないだろう。
妙な同情をしながら、僕は会場に戻った。
まだ、あの忌々しいクレーンは下りていなかった。
僕を見つけた佐藤が、小走りにやってくる。
「ああ、間に合ってよかった。とりあえず、こちらへ」
連れていかれたのは、紫衣里の隣だった。
「お早いお帰りで」
笑顔で皮肉を言われて、僕も同じく切り返した。
「もう少々お待ちください……遅い夕食になりそうですから」
だが、紫衣里のほうが一枚上手だった。
「お昼も食べてないのに」
僕も笑った。
「そういえば、昼食代はアルファレイドから出るんだったね」
だが、その権利を主張する前に、佐藤はさっさとステージに上がって司会を始めていた。
「えー……本日は、アルファレイドが誇る『軌道エレベーター基盤施設』へようこそお越しくださいました。本来は関係者のみの予定でしたが……トップのご判断により、一般の皆さまにもご参加いただける運びとなりました。……ええ、私も驚いております。」
何やら同時通訳の音声が流れて、フィービーのフォロワーから拍手と歓声があがる。
佐藤は恭しく一礼して話を続ける。
「先日は『伊勢湾上』と申し上げましたが、正確には『海面下』でございます。皆さまが立っているこの巨大空間は、海上プラットフォームの内部、すなわち「軌道エレベーター基盤部の地下区画』でございます。」
そこで佐藤は、僕と目を合わせた。
確かに、「伊勢湾上の特設会場」と言ったのは、〈リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ〉の決勝戦を僕が制した後のことだ。
海面の上か下かなどというのはどうでもいいことだが、僕と紫衣里にもちゃんと気を遣っているというサインだろう。
紫衣里もそれを感じたのか、「じゃあお昼ごはん」と小さな声で聞こえないように野次った。
佐藤は一息ついて、今度はVIP席に目を遣る。
「本施設は、北極海にて世界各国の支部が協力し建造した後、嵐の合間を縫って日本近海まで曳航されました。日本支部が建設権を獲得したのは……まあ、いろいろ大人の事情がございます。」
VIP席から乾いた笑いが聞こえたところで、佐藤は高らかに宣言する。
「本日のイベントは、単なるゲーム大会ではございません。『軌道エレベーター計画』そのもののプレゼンテーションでもあります。」
そこで、スクリーンには3つの写真が映し出された。
宇宙空間に伸びるエレベーター。
海に浮かぶ巨大な宇宙港。
自ら波間を裂いて動く基盤。
佐藤は、それらをまとめて説明する。
「エレベーターは、地上と静止軌道上のステーションを結ぶ『宇宙の柱』です。上端の遠心力と、地球の重力が釣り合うことで宇宙空間に固定されます。電力によるケーブル昇降で人や物資を宇宙へ運ぶので、ロケットのように燃料を捨てる必要はありません。この基盤部も、いずれは赤道直下の公海上の、雷と台風が少なく、海流が安定した、政治的に中立な地点に建設する予定ですが、台風や異常気象の際には、基盤部を数十〜数百 km 移動させることで、構造物全体を守ることができます……はい、巨大な宇宙港が『動く』のです。」
随分と大きな話に、フィービーのフォロワーたちはざわついた。
このプレゼンも配信されているはずだが、経費はフォロワー持ちだ。
その分の経済効果は、アルファレイドの丸儲けということになる。
もしかすると、さっきの騒ぎも佐藤の炎上商法ではないかという気がしてきた。
さらに、その話は核心に入っていく。
「問題は、96,000 km級のケーブルを何で作るか、でございます。現在、我々アルファレイドは――」
来た。
ここに、銀のスプーンを使う気なのだ。
その守り手である紫衣里は、佐藤をじっと見つめている。
さあ、どう説明する気か……。
「――新素材の研究を進めております。」
ここで、僕と紫衣里を眺めたような気がする。
プレゼンにかこつけて、からかってみたといったところだろう。
たいした余裕だ。
とても、綱渡りとは思えない。
最大の山場を越えた佐藤の口調は、今度はパーティの司会でもするかのように弾んだ。
「本日の〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉お披露目会は、この“軌道エレベーター計画”の象徴的イベントでもあります。勝者には……」
そこで、クレーンの上の対戦者席と、僕に細いピンスポが当たった。
紫衣里は外れている。
最初から、これを計算して僕を座らせたのだ。
佐藤は、高らかに宣言する。
「我々アルファレイド……いえ、現在のオーナーであるスウィンナートン財閥より、特別な契約が提示される予定です。」
対等の、プロ契約だ。
ここで間違えてはいけないのは、あくまでも開発者はアルファレイドだということだ。
プリンスがしてくれたのは、僕とアルファレイドがフェアに戦えるためのお膳立てにすぎない。
これからが、本当の戦いだ。
鳥肌が立つ。
その上に、紫衣里の手が乗せられた。
やっぱり、温かい。
改めてステージの上の佐藤を見上げると、恭しく一礼するところだった。
「それでは皆さま、どうぞ最後までお楽しみください。……私の胃が持つかどうかは、また別の話ですが。」
会場は大爆笑したが、僕も紫衣里も笑えなかった。
フィービーはと思って振り向くと、ウインクと共にぐいと親指を立ててみせた。
紫衣里が、少しむくれたのはいうまでもない。
それを、佐藤は見逃さなかった。
「では、エキシビジョンマッチの前に……お昼といたしましょう。これをリベートとお考えの方は、お申し出ください……釣り竿とライフジャケットをご提供いたします。伊勢湾の海の幸をお楽しみください」




