大鼻の剣士と大ぼら吹きの男爵と
シエリと呼ばれる黒髪の少女が見守る前で、僕と老人の勝負が始まった。
あの澄んだ瞳に見つめられているのが、何となく分かる。
励ましてくれているのかもしれない。
そう思うと、身体の底から温かい何かがあふれ返ってくる。
手足にみなぎる力を感じて、僕は思わず叫んだ。
「さあ来い!」
お年寄りにはちょっと失礼だったかとも思ったが、返ってきたのは穏やかなつぶやきだった。
「お手柔らかに」
その口ぶりは、あまりにも爺むさい。
さっきのプレッシャーも、何かの間違いだろうという気がした。
もしかすると、この勝負も僕たちに時間をくれるための気遣いかもしれない。
……と思ったのが甘かった。
意外にもこの老人、なかなかの使い手だったのだ。
ゲーム開始後、数秒で僕は呻いた。
「……強い!」
さっき感じたプレッシャーが、再び全身にのしかかる。
コントローラーとボタンをすさまじい勢いで操る老人は、楽しそうに笑った。
「侮れないでょう、『ほら男爵』といえども」
老人が操るのは、耳元の髪を盛大にカールした、鉄帽子の痩せた爺さんだった。
ビュルガー『ほら男爵の冒険』の主人公、ミュンヒハウゼン男爵である。
そのあだ名にふさわしく、とにかく捉えどころがない。
画面のあちこちに現れては消え、シラノの剣を受け付けない。
かと思うと、とんでもない死角からサーベルを振るうのだった。
そのミュンヒハウゼン男爵と交差したシラノは、体力ゲージの半分を失うダメージを受ける。
だが、怯んでばかりもいられない。
「まだまだ、この程度で!」
あさっての方向へ剣の連撃を縦横無尽に繰り出す。
だが、あてずっぽうにやっているわけではない。
ましてや、勝負を諦めてヤケクソになっているわけでもなかった。
剣の速さが最高潮に達したところで、画面の中のシラノが叫ぶ。
「亡霊なんかこわくない!」
消えたはずのほら男爵が姿を表したかと思うと、逆にシラノの姿が消える。
見えない相手に正面から不意打ちをくらった男爵は、一撃でその場に倒れる。
まずは1勝だった。
いつのまにか増えていた見物客から歓声が上がる。
だが、一敗地に塗れた老人は、気にした様子もない。
「お手並み拝見いたしました……では」
第2ラウンドが始まるなり、ほら男爵の「猛攻」が始まった。
地面に潜って足を引っ張られたシラノは、豪快に転倒する。
その手をふりほどいて立ち上がっても、空中から大根やニンジンの雨が降ってくる。
セコい攻撃の連続に、シラノは翻弄された。
ひとつひとつのダメージは小さいが、それが度重なると、なかなかに侮れない。
言うまでもなく、その都度、反撃はする。
しかし、カウンターで食らうダメージも半端ではないのだった。
結局、画面には「TIME UP!」の文字が浮かぶこととなった。
なんとか助かった、と思ったときだ。
僕は呆然とした
「え……引き分けじゃない? 」
お互いの体力は、ゲージの端ぎりぎりまで減っている。
だが、コンピューターは、その僅かな差でミュンヒハウゼン男爵の勝利を告げたのだった。
だが、老人は余裕たっぷりに、僕の健闘を称えた。
「寿命が縮みましたよ……お見事」
年寄りにそう言われると、皮肉に聞こえる。
それだけに、屈辱感もひとしおだった。
「くっ……」
シエリがどんな目をしているか気になって振り向いた。
黒髪の少女は、ほら男爵の前にシラノがガックリと膝をつく画面を無言で見つめていた。
この勝負、負けられない。
対戦相手が侮れないのを体で感じた僕は、3本目が始まって間もなく速攻を掛けた。
「うおおおおお!」
ボタンを叩く指先に、今まで注いだことのないエネルギーを傾けた。
画面上のシラノもまた、見たこともないほどの速さで変幻自在の剣を振るう。
普通のプレイヤーなら、絶対にかわせない。
だけど、この爺さんも負けてはいなかった。
「やれやれ……お若うございますな……では!」
自分の髪を掴んだドイツの「ほら男爵」ミュンヒハウゼンは、自分の身体を高々と持ち上げる。
フランスの剣豪詩人シラノ・ド・ベルジュラックが絶え間なく放つ剣は、難なくかわされた。
この技があるのは知っていた。 他のプレイヤーが使っていたら、封じるのはたやすかっただろう。
だが、こんな絶妙のタイミングで使われるのは見たこともない。
ただ、唖然とするしかなかった。
「……な、何?」
次に何をやってくるか、そんなことなど見当もつかなかった。
だから、どっちに向かってどんな防御姿勢を撮ればいいのか、分かるはずもない。
うろたえているうちに、「ほら男爵」ミュンヒハウゼンが飛んできた。
突然現れた、大砲の弾に乗って!
僕はもう、言葉もない。
「……そんな!」
回避と必殺技の鮮やかな連続に、意味もなく、そう言うのがやっとだった。
そのとき、老人が一瞬、僕に顔を向けた。
目が、真っ赤に燃えている。まるで、悪魔か魔神のように。
一瞬、恐怖で指先ばかりか、身体までが凍りついた。
負ける。これでおしまいだ。
敗北感に打ちひしがれて、もう、何をする気力もなかった。
何をしようと、どうせ数秒後には勝負がついているのだ。
このまま、第3ラウンドの終了を待つしかない。
全てを諦めて、そう思ったときだった。
澄み渡る音がゲームセンターの騒音を鎮め、濁った空気を浄化したような気がした。
「シエリ……さん?」
ガラスの瞳が見つめているのが、背中で分かった。
耳の中で鳴り響く涼やかな音……。
青空の下の高原で、爽やかな風に吹かれているような気がする。
それは、彼女の首からペンダントになって下がっていた、あの銀のスプーンの音ではないかと思われた。
身体の中が、再び熱く燃え上がった。
負けられない!
負けるわけがない!
そんな気がしたとき、僕の頭の中に火花が走った。
指先に、失われていた力が一気に流れ込む。
その全ての力を注いで、コントローラーにコマンドを叩きこんだ。
どんなヤツが相手だって、勝ってみせる。
どれだけ強かろうと、どれだけの人数がいようと。
そんな僕の思いが、シラノの声となって響き渡った。
「百人相手の決闘!」
今度は、老人が呻く番だった。
食いしばった歯の間には、鬼神さながらに鋭く尖った犬歯が見える。
「む……!」
画面の上では、流星の如く繰り出されたシラノの剣先が巨大な砲弾を粉砕し、「ほら男爵」を吹き飛ばした。