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気丈な彼女の意外な横顔

「ごめんください」

 田舎の店では当たり前だが、ゲームセンターにこの挨拶はそぐわない。

 だが、この佐藤一郎が口にすると、どうも不思議にハマるのだ。

 たった一言でその場の空気を自分の色に染めた佐藤は、横目でちらりと僕を見ながら会釈した。

 僕も目を伏せながら応えた。

「……お久しぶりです」

 あまり目を合わせたくない相手だったが、店長は愛想よく出迎えた。

 こういうときはバイトにはあまりうろちょろしてほしくないのか、僕と板野さんに目配せする。

 別に席を外してもいいのだが、問題は、紫衣里だ。

 だが、肌にちくりと感じられる、痛い視線があった。

 板野さんだった。

 まだ、機嫌は直っていないらしい。

 紫衣里のことは心配だったが、板野さんとこんな空気のまま、一緒に席を外すわけにもいかない。

 どんよりとした雰囲気をどうしようかと思っていると、涼しい声が聞こえた。

「私、こっちに用があるから」

 僕と板野さんに気を遣ったのか、澄んだ目を向けた紫衣里はきっぱりと告げた。

 そこには、何か妙に張りつめた気持ちがあるような気がしてならない。

 反射的に、僕は止めていた。

「でも……」

だったら余計に、放っておけない。

どう止めていいかは分からなかったが、僕の身体の奥で、何かがそう叫んでいた。

 だが、そんなことは板野さんの知ったことではない。

 いつになく嫌味ったらしい物言いで言い放つ。

「いいじゃないですか、それじゃあ。お邪魔なんですから、私たち」

 いきなり僕の腕を掴んで引っ張って行った先は、店の奥にある従業員用の給湯室だった。

 女の子とは思えないほど物凄い力に、僕は呻く。

「痛いよ、板野さん……」

 流しとコンロの間の狭い空間で解放された後でも、掴まれていた手首はじんじん痛む。

 だが、板野さんはそんなことなどお構いなしに聞いてきた。

「誰なんですか……あの人」

 言わずと知れた、紫衣里のことだ。

「誰って……」

 とぼける気はなかったが、言葉が出ない。

あれだけのことがあって、あれだけのものを背負った女の子を、ひとことで当たり障りなく説明しろと言われても、困る。

 それなのに、板野さんは怒りも露わに追及してくる。

「だって、変です! 長谷尾さん、あの人が現れてから……」

「そうかな……」

 愛想笑いをしてみたりもするが、ごまかせるとは思っていなかった。

 確かに、紫衣里とは何だかんだでこっそり一緒に住んでいる。

 傍目から見て、どこか不審なところがあったとしても不思議はない。

 板野さんの声は、急に低く、静かになった。

「どういう関係なんですか?」

 真顔で問い詰められても、答えようがない。

 紫衣里とのこれからも結構、真剣に考えている。でも、それは僕の一方的な気持ちに過ぎない。

 だから、恋人だと言い切ることもできなかった。

 上目遣いに睨まれて、僕は困り果てる。

 代わりに口を突いて出た逃げ口上は、これだった。

「何で聞くの? 板野さんが、それ……」

 まずい、と身体の奥の声が叫んだときには、もう遅かった。

 僕を見つめる目に、じわっと涙が浮かぶ。

「やってしまった……」

 覆水盆に返らずというが、後悔しても、こぼれる涙は止められない。

 板野さんの声が、震えていた。

「何が分かるっていうんですか、長谷尾さんなんかに……」

 必死で言い訳するしかない。

 頭の中の辞書に総動員がかかる。

 しどろももどろに、とりあえず口を開く。

「僕はただ……」

 その先は、言葉にならなかった。

 彼女の気持ちを無視した余計なおせっかいがいけなかったのだ。弁解の余地はない。

 だが、紫衣里に出会う前も出会った後も、あの12万円は僕にとっての命綱なのだ。

 それを差し出したのに、「何も分かっていない」とまでは言われたくはなかった。

 なにか言い繕うことができないかと、おろおろするしかない。

そのうちに、固く目を閉じた板野さんの身体が小刻みに震えだした。

「もう、いいです! 私なんか、どうせ……」

 泣き出したどころの話ではない。

 肩の辺りが膨れ上がる。

 何かとてつもなく強い感情の爆発を抑えている、そんな様子だった。

「板野……さん?」

 ちょっと、ただ事ではなかった。

ここでヒステリーなんか起こされたら、店中が大パニックになるとかいう問題ではない。

 明らかに平静を失った板野さんは両の拳を握りしめ、身体の中で暴れているものに耐えていた。

 やがて、大粒の涙がコンクリートの床にいくつもの染みを広げ始めたとき、僕の身体に小さくて柔らかいものが押し付けられた。

 胸の辺りに、熱い息が漏れる。

「長谷尾さん……長谷尾さん……長谷尾さん!」

 繰り返されているのは、僕の名前だった。

 なんだか、その辺りが痛くなる。

 この給湯室に引きずり込まれたときよりも強い力で、僕の肩に指を立てた板野さんは、身体を押し当てて泣きじゃくる。

 それをどうなだめようかという思案で、頭はいっぱいだった。

 外に聞こえないようにむせび泣いているので、吐息は更に熱くなる。

 微かに揺れる胸の感触がどうたらこうたらなどということは、考えている余裕さえなかった。

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