少女たちの恥ずかしい秘密
紫衣里は、うつむき加減に言った。
「私ね……普通の女の子じゃないの」
思わず吹き出さないではいられなかった。
「それは知ってる」
今さら言われるほどのことでもない。
スタイルがよくて可愛くて、ショッピングモールで一緒に歩けば、すれ違う男は10人が10人振り向く。
そんな見かけからは信じられないくらい大食らいで、すでに家計を破綻に追い込んでいる。
無邪気で奔放で気まぐれで手に負えないのに、もう離れることはできない。
そんな紫衣里は、いつになく不機嫌な顔をした。
「真面目に聞いて!」
仕方なく、正座してみせる。
それでも、ほころぶ口元は隠せない。
「これ以上は……無理だよ」
紫衣里は怒りだしたが、別に畏まることもない気がした。
今までいろんなことがあったのだ。
これ以上、何を言われようと驚くことはない……たぶん。
だが、紫衣里の顔は怖いくらいに真剣だった。
「じゃあ……私が1人じゃないって言っても?」
何を言っているのか、さっぱり分からない。
あたりまえのことだから、思ったままを答えた。
「だって、僕がいる」
それが気に入らないらしく、紫衣里は、僕を睨んだ。
「また、分かり切ったことを言う」
それなのに、どうも話がちぐはぐな気がした。
でも、どこがどう噛み合わないのか分からない。
「いけないか? ……それが」
言葉を選び選びのたどたどしい物言いだったが、怪我の功名というやつだろうか。
返事は、それほどきつくなかった。
「そうじゃなくて」
機嫌を損ねるかと思ったが、紫衣里は悪戯っぽく笑った。
高山の空気はどれだけ澄んでいても、その薄さに慣れない者の命を奪うこともある、
そんなことを、ふと思い出す。
それだけに、僕は思わず息を呑んだ。腹に一物あるような気がしたのだ。
「……何?」
努めて平静を装ってはみたが、自分でも顔が引きつっているのがわかった。
どうしてどうしてこの娘、人の気持ちをなかなか巧みに振り回してくれる。
僕たちは、しばらく笑顔で見つめ合った。
僕は紫衣里の腹の内を探っていたのだが、紫衣里のほうはたぶん、僕の度肝を抜くために呼吸を図っていたのだろう。
やがて、その「普通じゃない」少女は、ようやくのことで口を開いた。
「……私があと何人もいるっていったら、どうする?」
何を言っているのか、やっぱりわからない。
しばらく絶句したが、とりあえず聞き返す。
「……はい?」
どうもしない。
いや、どうすることもできない。
僕の人生は終わりだ……いろんな意味で。
確かに紫衣里は可愛いけど、同じ顔がいくつも目の前に並んでいたら、僕は引く。
いや……引くどころじゃない。
これだけ食う娘があと何人もいたら、とても養えやしない。
話に聞く中東のハーレムがなぜ生まれたか、何となく分かった。
あれは、財力のある男が、様々な事情で自活できなくなった女たちの面倒を見るシステムなのだ。
そこで、紫衣里が口を挟んだ。
「そういう意味じゃなくて」
やましいことがあるので、思わず息を呑んだ。
ハーレムだとか何とか、女の子の前で考えることではない。
一瞬の間に頭の中で広がったどこまで察したのかは知らないが、紫衣里は笑いをこらえている。
思い過ごしでよかった。これで話を冷静に聞ける。
「分かった分かった……たいへんなことなんだ、ってことまでは」
おどけた調子に、紫衣里はちょっと眉をひそめた。
仕返しのように、もったいをつける。
「そう、たいへんな身の上なの、私」
どんな秘密があるにせよ、最初に聞いておかなくちゃいけないことだった。米櫃が空になる前に。
こんなかわいい子と2人きりで暮らせることに、有頂天になっていた僕がバカだったのだ。
自分自身と紫衣里のこれからを思って、僕はため息をついた。
「笑って言うことじゃないんだよね、たぶん」
「もちろん」
おもむろに頷いた謎の美少女は、再び豊かな胸元に手をやった。
もっとも、その谷間に吸い込まれるような目など、もはや持ち合わせてはいない。
その指先が、すっと差し出したものがある。
僕の目の前で揺れているのは、あの銀色のスプーンだった。
その向こうには、まっすぐな目をした紫衣里の笑顔がある。
両方にしばらく見入ってから、ようやく気付いた。
「……これのせい?」
何となく、事の次第が分かってきた僕は居住まいを正した。
シラノを操る僕の反応速度をこれまでになく高めたあの音が、脳裏によみがえる。
鬼の眼をした老人との戦いのさなかに鳴り響いた、澄んだ音……。
間違いなく、このスプーンの音だ。
これが、ただのお守りなわけがない。
まっすぐな眼が、僕を見据える。
「そう……これを持ってる女の子が、何人もいるの。世界中に」
笑顔の割には低い声が、紫衣里に隠された……というか聞こうと思えばいつでも聞けたことを今、ようやく語り始めた。
僕はスプーンを見つめながら尋ねた。
「いったい、何なんだ……これ?」
紫衣里は、それを引っ込めて、再び胸元に掛けた。
「よく分かんない……私にも。ただ……分かるでしょ?」
傍から聞いたら何のことやらさっぱりだろう。
だが、僕の心は疼いていた。
紫衣里は笑顔のままだ。だが、見れば分かる。
その奥には、何か言葉にできないことが潜んでいた。
「そんなに?」
言葉にできないほど重いものを、紫衣里は背負っている。
だが、その口調は哀しいまでに軽かった。
「う~ん……持ってるだけで、お腹空いちゃうぐらい、かな?」
紫衣里はおどけてみせたが、たぶん、腹が減るどころの問題じゃない。
呻き、もがき苦しんだ今朝のアレは尋常じゃなかった。
放っておいたら、死んでしまうんじゃないかと思ったくらいだ。
だから、その先を聞くのにも勇気がいる。
「もしかして、それ……」
その先は、鋭く遮られた。
「言ったら怒るからね」
キッと睨まれて、僕はすくみ上がってみせた。
図星を突かれたらしく、結構、本気でムキになっている。やっぱり、そこは女の子だ。
仕方なく、僕は引き下がる。
「はいはい……」
たかがスプーン1つとはいえ、あれだけの力を持つ代物だ。
持ち歩いて、タダで済むわけがない。たぶん、物凄い体力と精神力を消耗するのだ。
あの大食らいは、それを補うためのものなのだろう。
それを察したのに気付いたのか、紫衣里は険しい顔をすると、上目遣いに僕を睨んだ。
「私だけじゃないんだから」
僕は半分呆れて、半分ほっとして、ため息をついた。
「そっちかよ」
たしかに、そういえば、そうだった。
それにしても、あれだけの大食らい娘が世界中にいるとは……。




