第一章 獅子の兵団②
同時刻。
おもむろに一人の美女が目を覚ました。
年齢は二十歳ほど。長い紺色の髪を持っている。スレンダーな肢体は、今は全裸だ。
ベッドの上で目を覚ました彼女は「……ん」と声を零して上半身を起こした。長い髪が肢体の上を流れるように動く。
両腕を高く上げて、「ううん」と伸びをした。
エリーズ国騎士団の中級騎士。エリス=シエロだった。
しかし、今の立場は違う。すでに騎士ではない。
家も、立場も、肩書も。
愛する人のためにすべてを捨てた、一人のただの女である。
「……ザーラ?」
エリスはまだ少し寝ぼけ眼である目を指で擦って愛する人の名を呼んだ。
すると、
「すまないが、ザーラではない」
聞き覚えのない声が返ってきた。しかも男の声だ。
(―――な)
エリスは一瞬で目が覚めて、同時に血の気が引いた。
ここはエリスとザーラの隠れ家的な小屋だ。ベッドぐらいしかない簡素な場所だが、この場所を知っている者は誰もいないはずだ。
「――誰!」
エリスはベッドから跳ね上がり、裸体をシーツで隠しつつ、傍に置いてあった短剣を手に取った。しかし、裸体を隠していては上手く抜剣できない。
(……く)
ザーラ以外にありのままの姿を見せるのは心底不本意だが、やむを得ない。エリスはシーツを手放そうとするが、
「……ああ。警戒する必要はない」
フードを深く被った黒い外套を纏う男は手を前に突き出して、エリスを制止させた。
「エリス=シエロ。私は味方だ。ザーラのな」
「――え」エリスは目を見開いた。
エリスは頭もよい。状況と男の風貌から推測を立てる。
そして、
「あなたは『参謀』? 名前を聞かせて」
「ああ。その肩書は私も最近聞いたがな。名はフェイとザーラには呼ばれている」
「……そう」エリスは少し警戒を解いた。「確かにザーラから聞いた名ね」
「改めて名乗っておこうか」
エリスに対し、黒衣の男――フェイは名乗る。
「私の名はフェイク=オーダーだ。フェイはザーラが勝手に略した名だ」
「……フェイク?」
エリスは眉根を寄せた。
「あからさまな偽名ね。しかも『偽物』って」
「そもそも私に本名というモノがないからな」フェイは皮肉気に口元を歪めた。
「自嘲の意味を込めてそう名乗っているだけだ。気にするな。私として明確なのはお前と同じくザーラの味方であるということだけだ」
「……そう」
エリスはまだ少し疑いつつも、とりあえず納得した。
「まあ、ザーラが認めてるのなら納得するしかないわね。参謀殿。けど、あなたってザーラにとって唯一の男なのよね?」
エリスは半眼でフェイを見据える。
ザーラにはエリスを含めて九人の愛人がいるそうだ。ザーラの兵団でもある。ほぼ女性だけで構成されるそうだが、唯一の男が目の前の参謀殿という話だった。
「それってなんか特別扱いみたいで嫌よね」
「……本人を前にしてそれを言うか。正直な奴だな」
エリスの呟きに、フェイは苦笑いで返した。
「だが、むしろ特別扱いなのはお前の方だと思うぞ。新参者でありながら、お前に与えられた役割は副官だからな。ザーラが不在の時には代わりに兵団を指揮する副団長だ。それだけお前に対するザーラの期待度が窺えるぞ」
「そ、そうかな?」
エリスは少しもじもじと身をくねらせた。フェイはふっと笑い、
「その真価を発揮してくれることを願う。もうじきザーラの兵団もやってくる。彼女たちを納得させるだけの手腕を見せてくれ」
「……兵団を呼んだの?」エリスは表情を鋭くした。「ザーラは今どこに?」
「ザーラは外にいる。森の中だ。一人、精神を研ぎ澄まさせているようだ。戦意を高揚させているとも言えそうだがな」
そう答えながら、フェイは窓辺にまで移動した。
「折角だ。エリス=シエロ。少し本音を語ろう」
「……参謀殿?」
眉根を寄せるエリス。外に目をやりつつ、フェイは言葉を続ける。
「私は、ザーラは闇の中にいるべきではないと思っている」
「…………」
「生来の豪放な性格。恵まれた才。あいつは英傑の素質を持っている」
「……そうね」
エリスは頷く。惚れた弱みや、身内びいきを抜きにしても、ザーラの才能がとびぬけて輝いているのは明らかだ。豪放な性格がそれをさらに引き出していることも。
「本来は山賊などに落ちるような女ではないのだ。私にとっては忌まわしいが、あの男が見初めて育て上げた女がその程度のはずがあるものか」
「………」
気になる台詞が出てきたが、エリスは無言で耳を傾けていた。
「種は太陽の下でこそ芽吹くものだ。切り離されて、あとは枯れて崩れ去るだけの枝葉とは違う。ゆえに私は願うのだ」
一拍おいて、フェイは振り返った。
「あいつを本来の場所に送り届けたいとな。ゆえにザーラの、あいつの根源とも呼べる動機自体はともかく、今回は良い機会だと思っている」
「……あなたは」
エリスは瞳を細めた。
「ザーラのことが本当に大切なのね」
「そうだな。そこで虚言を騙っても仕方があるまい」フェイは小さく嘆息した。「結果、あいつには『お前は父親か』とよく言われるが」
「あはは。確かに」エリスは笑った。
「けど、よく分かったわ。ザーラがあなたを選んだ理由。ザーラはきっとあなたのことも大好きなのね」
「……どうだかな」フードの下でフェイは双眸を細めた。
「あいつはただあの男の幻影を私に重ねているだけかもしれん。そういう意味では私はあいつにとっては害悪なのかもしれんな」
「……やっぱりその台詞は気になるわね」エリスは眉をしかめた。「そもそも『あの男』って誰よ? あなたのことじゃないわよね?」
「それも含めて話そう」
フェイはエリスを見据えて告げる。
「なにせ、お前はザーラを決して裏切れないからな」
「当り前じゃない」エリスはムッとした表情を見せた。「失礼ね。私がザーラを裏切る訳がないでしょう」
「……ああ。そうだな」
フェイは皮肉気に口元を歪めた。
「では、話そうか。ザーラを育てたあの男のことを。そしてお前と、ザーラの兵団に所属する娘たちにはこう願いたい」
そうしてフェイはその願いを口にした。
「どうか、ザーラを太陽の下に連れて行ってくれとな」




