第七章 放浪の騎士、再び⑥
一方、リーゼは焦っていた。
一対二という危機的な状況もあるが、コウタのことが心配だった。
この二人を無視して彼を追いたい想いが生まれるが、
(いけませんわ!)
この二人は強敵だった。
一人一人ならリーゼの方が上かも知れないが、二人同時は厳しい。
隙を見せれば一気に組み伏せられると感じた。
(目の前に集中しないと!)
短剣を構える。
――が、その時だった。
(―――え)
リーゼは目を見開いて動きを止める。
いきなり目の前に大きな人影が現れたのである。
その影はリーゼの盾となって拳を繰り出し、目の前のザーラを迎え撃った。
「――チイ!」
ザーラは拳をかわして後方に跳躍した。
「ちょっと! 何よこいつ!」
後ろから声が聞こえる。
リーゼが見やると、そこにも大きな人影があった。
その影が後方から接近したエリスを追い払ったようだ。
(あの服は……)
二つの影。二人とも見覚えのある服装をしていた。
黒一色のアロンの和装だ。腰には短刀を差している。
そしてこれは見たことがないが、リーゼの前の人物が馬の仮面を、後ろの人物が牛の仮面を被っていた。それぞれ額から一本角が生えている。
二人ともジェイク並みの巨漢だった。
「……リーゼさま。ご無事でしょうか」
馬の仮面が言う。
「え、ええ」
名前を呼ばれてリーゼは困惑する。馬の仮面は続けて言う。
「ゴズよ。ここは我に任せよ。早く御子さまを!」
「――うむ。リーゼさまは任せたぞ。メズ」
牛の仮面がそう言うと、瞬時に姿を消した。
「リーゼさま」
残った馬の仮面が言う。
「遅れて申し訳ありませぬ。雑兵どもが倒れた時には駆けつけていたのですが……」
ギシリ、と仮面の下で歯を軋ませる。
「陰に徹するのが我らの役目。潜んでおりました。しかし、危機の尺度を見誤り、御子さまとリーゼさまを危険に晒してしまったことを心よりお詫び申しあげます」
「え、えっと……?」
リーゼはまだ困惑していたが、
「もしかして、あなた方はアヤメさんと同じ焔魔堂の?」
「――は」馬の仮面が首肯する。
「我が名はメズ。遅まきながらこれより我がリーゼさまをお守りいたします」
そう告げる。
すると、
「……なるほどねえ」
ザーラが皮肉気な笑みを見せた。
「そりゃあ公爵令嬢さまともなると、護衛が一人だけってことはないか」
コキンと首を鳴らした。
「こりゃあ、あたしのリーゼを攫うのも骨が折れそうだね」
「……痴れ者が」
馬の仮面――メズが怒気を放つ。
「リーゼさまを攫うだと? この方は御子さまのお側女衆のお一人ぞ。いずれは御子さまの愛しきお子をお宿しになられる御方だ」
――ガゴンッ!
両の拳同士を叩きつけて、まるで金属が衝突したような轟音を鳴らす。
「不敬にもほどがあるわ。貴様のような痴れ者は我が拳で屠ってくれよう」
言って、ズンと踏み込んで重心を低く拳を構えた。
その構えは明らかに達人のモノだった。
「仕方がないねえ」
ザーラは双眸を細めた。
「なら、まずはあんたからぶちのめさせてもらおうかね」
そう言って、獰猛に笑った。
――一方。
コウタはようやく着地しようとしていた。
木々の枝をクッションにして少しでも衝撃を殺す。地面が近づけば足から着地。衝撃を逃がしつつ、背後に回転。背中と左腕でさらに衝撃を逃がした。
そして最後は右手に持つ断界の剣を地面に叩きつけて火線を引きつつ止まった。
――ふう。
と、息つく間もなく、凶悪の気配を感じた。
「ガアアアアアアッ!」
追ってきた《暴猿》だ。
巨拳が唸りをあげて振り下ろされる!
コウタは後方に跳躍して回避した。
拳が地面を打ち砕いた。
「ガアアアアアアアアアッ!」
さらに《暴猿》が追撃してくる。再び拳を振り上げた。
コウタは双眸を細めた。
生身では人間は魔獣には勝てない。
その理由は幾つもあるが、最たるものは耐久力の差だ。
刃も通さない硬い外皮に、衝撃を吸収する皮下脂肪。巨体を躍動させる強靭な筋肉。
人間が一撃で粉砕されるのに対し、魔獣には人間の一切の攻撃が通じない。人間程度の膂力では外皮を裂くことさえ無理なのだ。それが可能なのは鎧機兵だけだった。
絶望的なまでに膂力が足りない。
従って、コウタであっても生身では魔獣には勝てなかった。
――だが、それは少し前までの話だった。
「――フッ!」
吐き出される呼気。
コウタは《暴猿》の拳をかわして跳躍し、すれ違いざまに剣を振るった。
直後、
「ガアアアアアアアアアッッ!?」
涎を飛ばして魔猿が絶叫を上げた。
腕を斬り落とされたのだから、当然の反応だった。
――コウタの持つ断界の剣には膂力など必要をしない。
望めば、触れるモノをすべて斬り裂く驚異の刃だからだ。
この剣を携えているコウタならば、魔獣さえも倒すことが可能だった。
無論、まだまだ不利に点は多い。桁違いの身体能力と体力の差。一撃だけで即死するリスクなどがある。極力、生身での戦闘は避けるべきである。
だが、今は《ディノス》を召喚する隙が無かった。
(これで退いてくれるといいけど……)
相当な重傷だ。
ここで魔獣が退くことを期待するが、
「……グルルゥ」
さらに凶悪な形相で、《暴猿》はコウタを睨み据えていた。
(……どういうことだ?)
コウタは違和感を覚えた。
重傷を負っても戦闘を続ける魔獣はいる。興奮状態に入っているからだ。
しかし、この魔獣は違うように思えた。
片腕を失っても揺るぎない殺意。
怒りではない。むしろ覚悟のような意志を感じた。
命に代えてもコウタを殺そうとする覚悟だ。
それは、まるで子を守ろうとする母のような――。
(いずれにせよ)
コウタも覚悟を決めた。
(こいつは倒すしかない)
静かに断界の剣を上段に構えた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッッ!」
森に轟く咆哮。
死に物狂いの形相で《暴猿》が突進してくる!
防御など考えない捨て身の突進だ。
対するコウタは、真っ直ぐに断界の剣を振り下ろした。
瞬時に何セージルも伸びる黒い刀身。
正中線に沿って、《暴猿》の巨体に斬線が奔った。
それでもなお、コウタへと片手を伸ばしつつ。
左右二つに分かれて《暴猿》は息絶えた。
「…………」
コウタは、小さく息を吐き出した。
横たわる魔獣の姿に眉をしかめつつ、
(今はとにかくリーゼの元に戻らないと)
そう思った時だった。
――ザザッ!
一人の巨漢がその場に現れた。
牛の仮面を被った黒装束の巨漢だ。
コウタは警戒するが、牛の仮面の巨漢はその場で片膝をついた。
「……御子さま。よくぞご無事で」
恭しくそう告げる。
コウタは一瞬訝し気に眉をひそめるが、すぐにピンときた。
「もしかしてライガさんが言ってた……?」
「――は。陰の一人にてございます」
拳に手を当てて言う。
「ゴズとお呼びください。御子さま」
「……そっか。ずっと護衛に就いてくれてたんだ」
「――は。ほか数名が。出遅れて申し訳ありませぬ」
一呼吸入れて、
「現在、リーゼさまにも一名ついております。ご安心を」
「ッ! そうなんだ!」
コウタは少しだけホッとした。
焔魔堂の戦士は、対人戦において無類の強さを誇る。
一人でも護衛にいれば、リーゼの負担は大幅に軽減されるはずだ。
「護衛に就く者の名はメズ。我と同じく御子さま専任の陰でございます。本来は、お側女衆の方々には女の陰が一名ずつ就いているのですが、今回は御子さまとリーゼさまの御心を考え――」
「……ああ。そういうこと。それもタイミングが悪かったんだ……」
コウタは何とも言えない顔になった。
コウタたちのプライベートを配慮してくれた結果、救援が遅れたということだ。
それは仕方がないが、今すべきことは――。
「とにかく今は急いで戻ろう」
コウタはゴズにそう告げる。
「――御意」
ゴズは首肯した。
◆
同刻。
黒衣の男は、森の中の開けた場所にまで移動していた。
小さな湖がある森の憩いのような広場だった。
そこで黒衣の男は《暴猿》の掌から降りた。
「……やれやれ」
振り返って天を仰ぐ。
わずか数秒後、空より白き騎士が舞い降りた。
――《アズシエル》である。
「何ともしつこいものだ」
『仕方があるまい』
《アズシエル》の中から白金仮面が言う。
『そのようなものを見せられてはな』
大双刃で《暴猿》を差す。
『いかなる方法で魔獣を使役している?』
「……ふむ。それほど気になるかね?」
黒衣の男は首を傾げた。
「考えてみれば別に倒さずともよいのだな。そうだな。お前が私の仲間になるというのならばやり方を教えてやってもいいぞ」
『ほほう。魅力的な提案だな』
《アズシエル》は大双刃を薙いだ。
『なにせ、それは今の世の武の勢力図を書きかえかねないほどのモノだ。下手をすれば戦乱の世を引き起こすだろう』
一拍おいて、
『かつての生き飽きた己ならば乗ったかもしれん。だが、今の己には愛すべき妻がいるのだ。彼女が住まう地を戦乱に巻き込むことなどとても許容できん』
ズン、と白き鎧機兵が一歩踏み出した。
『貴公はここで捕える。その後にやり方を吐いてもらおう』
「……やれやれ」
黒衣の男は嘆息した。
「交渉は決裂か。残念だな。自分の女に甘いところなど気が合いそうなのだが」
すうっと片手を上げる。
すると、周囲の森からさらに魔獣が現れた。
多種多様の魔獣だ。流石に固有種はいないが、十セージル級も何体かいる。
すべての魔獣が《アズシエル》に敵意を見せていた。
『これほどの数を従えるか。ますますもって放置できんな』
ヘルムの下で白金仮面が双眸を鋭くする。
『貴公の名を聞いておこうか』
「私の名か?」
魔獣たちに守られつつ、黒衣の男が反芻した。
「実のところ、私に名はない。所詮は不要となった妖樹の枝葉だからな。あの男が自ら育てた大切な新芽とは違う」
『…………』
白金仮面は静かに耳を傾ける。
「所詮、私はただの偽物だ。使い捨ての苗鉢の一つにすぎん。だから名の代わりに『フェイク』と呼ばれるようにしている。だが、あえて名乗るとしたら」
一拍おいて、黒衣の男はこう名乗った。
「私の名はフェイク。フェイク=ボーダーだ」
――と。




